龍王宮へ来て三日が過ぎた。
けれども私は未だに現実感がなかった。
雲の上の世界。
龍たちの王国。
そして自分が女王だという話。
どれも信じられない。
信じられるわけがなかった。
「黒姫様」
侍女が頭を下げる。
私は慌てて手を振った。
「ち、違います」
「え?」
「私は志穂です」
侍女は困ったように微笑む。
「黒姫様は黒姫様です」
「違うんです」
まただ。
誰に言っても伝わらない。
龍界へ来てから毎日これだった。
廊下を歩けば頭を下げられる。
庭へ行けば跪かれる。
市場へ行けば歓迎される。
みんな黒姫を見ている。
私を見ていない。
そう思えた。
胸が少し痛んだ。
その日の午後。
私は宮殿の庭園を歩いていた。
考え事をしたい時はここへ来る。
静かで落ち着く場所だった。
池のほとりに腰を下ろす。
水面を見つめる。
「黒姫、ですか……」
呟いてみる。
やっぱり違和感しかない。
そんな時だった。
「また難しい顔をしていますね」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
白龍王だった。
今日も美しい。
何度見ても慣れない。
私は慌てて立ち上がった。
「りゅ、龍王様」
「座ったままで構いません」
白龍王は隣へ腰を下ろした。
少し距離を空けて。
それが逆に優しかった。
沈黙が落ちる。
風が吹く。
白い花びらが舞った。
しばらくして私は口を開く。
「皆さん、勘違いしていると思うんです」
「勘違いですか」
「私は黒姫じゃありません」
白龍王は何も言わない。
私は続ける。
「ただの大学生です」
「……」
「龍も見えるし」
「心臓も弱いし」
「友達も少ないし」
思わず苦笑する。
「女王なんて無理です」
白龍王は静かに聞いていた。
否定しない。
急かさない。
だから余計に話してしまう。
「皆さんが待っていた黒姫は」
声が少し震えた。
「もっと立派な人だったんじゃないですか」
池の水面が揺れる。
「私は期待外れです」
そう言った瞬間だった。
「違います」
白龍王が初めて強く否定した。
私は驚いて顔を上げる。
金色の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
「私は黒姫を待っていたのではありません」
「え?」
「あなたを待っていました」
心臓が跳ねる。
白龍王は続けた。
「女王だからではありません」
「黒姫だからでもありません」
「あなたがあなただからです」
私は言葉を失った。
そんなことを言われたのは初めてだった。
ずっと。
ずっと。
誰かと比べられてきた。
もっと普通になれ。
もっとちゃんとしろ。
もっと頑張れ。
そう言われ続けてきた。
でも、この人は違う。
「私は……」
声が震える。
「何もできません」
「できます」
「できません」
「できます」
即答だった。
白龍王は少しだけ微笑む。
「あなたは優しい」
私は目が瞬いた。
「困っている者を放っておけない」
「そんなこと……」
「できます」
また即答だった。
「それは才能です」
私は黙り込んだ。
そんな風に考えたことはなかった。
優しいだけ。
それだけだと思っていた。
「龍界に必要なのは」
白龍王が言う。
「完璧な女王ではありません」
風が吹く。
白銀の髪が揺れた。
「民を想える王です」
私は池を見る。
揺れる水面の向こう。
そこに映る自分の顔を見る。
まだ何も分からない。
黒姫なのかも分からない。
女王になれる気もしない。
けれども、ほんの少しだけ。
胸の奥が温かかった。
自分を信じてくれる人がいる。
それだけで少しだけ前を向ける気がした。
その時だった。
遠くから怒鳴り声が響いた。
「白龍ぉぉぉぉぉ!」
私はびくりと肩を震わせる。
聞き覚えのある声だった。
次の瞬間。
庭園の門が勢いよく開いた。
「娘に近付きすぎだ!」
闇龗神だった。
白龍王が深いため息を吐く。
どうやら平穏な時間は終わったらしい。
けれども私は未だに現実感がなかった。
雲の上の世界。
龍たちの王国。
そして自分が女王だという話。
どれも信じられない。
信じられるわけがなかった。
「黒姫様」
侍女が頭を下げる。
私は慌てて手を振った。
「ち、違います」
「え?」
「私は志穂です」
侍女は困ったように微笑む。
「黒姫様は黒姫様です」
「違うんです」
まただ。
誰に言っても伝わらない。
龍界へ来てから毎日これだった。
廊下を歩けば頭を下げられる。
庭へ行けば跪かれる。
市場へ行けば歓迎される。
みんな黒姫を見ている。
私を見ていない。
そう思えた。
胸が少し痛んだ。
その日の午後。
私は宮殿の庭園を歩いていた。
考え事をしたい時はここへ来る。
静かで落ち着く場所だった。
池のほとりに腰を下ろす。
水面を見つめる。
「黒姫、ですか……」
呟いてみる。
やっぱり違和感しかない。
そんな時だった。
「また難しい顔をしていますね」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
白龍王だった。
今日も美しい。
何度見ても慣れない。
私は慌てて立ち上がった。
「りゅ、龍王様」
「座ったままで構いません」
白龍王は隣へ腰を下ろした。
少し距離を空けて。
それが逆に優しかった。
沈黙が落ちる。
風が吹く。
白い花びらが舞った。
しばらくして私は口を開く。
「皆さん、勘違いしていると思うんです」
「勘違いですか」
「私は黒姫じゃありません」
白龍王は何も言わない。
私は続ける。
「ただの大学生です」
「……」
「龍も見えるし」
「心臓も弱いし」
「友達も少ないし」
思わず苦笑する。
「女王なんて無理です」
白龍王は静かに聞いていた。
否定しない。
急かさない。
だから余計に話してしまう。
「皆さんが待っていた黒姫は」
声が少し震えた。
「もっと立派な人だったんじゃないですか」
池の水面が揺れる。
「私は期待外れです」
そう言った瞬間だった。
「違います」
白龍王が初めて強く否定した。
私は驚いて顔を上げる。
金色の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
「私は黒姫を待っていたのではありません」
「え?」
「あなたを待っていました」
心臓が跳ねる。
白龍王は続けた。
「女王だからではありません」
「黒姫だからでもありません」
「あなたがあなただからです」
私は言葉を失った。
そんなことを言われたのは初めてだった。
ずっと。
ずっと。
誰かと比べられてきた。
もっと普通になれ。
もっとちゃんとしろ。
もっと頑張れ。
そう言われ続けてきた。
でも、この人は違う。
「私は……」
声が震える。
「何もできません」
「できます」
「できません」
「できます」
即答だった。
白龍王は少しだけ微笑む。
「あなたは優しい」
私は目が瞬いた。
「困っている者を放っておけない」
「そんなこと……」
「できます」
また即答だった。
「それは才能です」
私は黙り込んだ。
そんな風に考えたことはなかった。
優しいだけ。
それだけだと思っていた。
「龍界に必要なのは」
白龍王が言う。
「完璧な女王ではありません」
風が吹く。
白銀の髪が揺れた。
「民を想える王です」
私は池を見る。
揺れる水面の向こう。
そこに映る自分の顔を見る。
まだ何も分からない。
黒姫なのかも分からない。
女王になれる気もしない。
けれども、ほんの少しだけ。
胸の奥が温かかった。
自分を信じてくれる人がいる。
それだけで少しだけ前を向ける気がした。
その時だった。
遠くから怒鳴り声が響いた。
「白龍ぉぉぉぉぉ!」
私はびくりと肩を震わせる。
聞き覚えのある声だった。
次の瞬間。
庭園の門が勢いよく開いた。
「娘に近付きすぎだ!」
闇龗神だった。
白龍王が深いため息を吐く。
どうやら平穏な時間は終わったらしい。

