夜風が静かに吹いていた。
白龍の腕の中で、私は動けなかった。
「思い出さないでください」
その言葉だけが頭の中で繰り返される。
どうして百年も待った人が。
私に記憶を取り戻してほしくないのだろう。
私はゆっくり顔を上げた。
「白龍様」
彼の身体はわずかに強張る。
「私は何を忘れているんですか」
沈黙。
長い沈黙だった。
白龍は答えない。
でも、今日は逃げたくなかった。
「黒姫は何を知っていたんですか」
白龍の瞳が揺れる。
今まで見たことがないほど。
大きく。
苦しそうに。
「……志穂」
その声は掠れていた。
「お願いです」
また同じ言葉。
私は首を振る。
「嫌です」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
白龍が息を呑む。
「私はずっとそうでした」
病院。
学校。
孤独。
忘れたかった記憶。
「でも、知らないまま決められるのは嫌なんです」
白龍が目を閉じる。
まるで何かに耐えるように。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「黒姫様は」
その呼び方だった。
志穂ではない。
黒姫。
「誰よりも優しい方でした」
風が吹く。
雲海が揺れる。
「民を守り、龍族を守り、敵すら見捨てない方でした」
私は黙って聞く。
「だから」
白龍が笑う。
悲しい笑顔だった。
「自分を後回しにした」
胸が痛む。
理由は分からない。
なのに苦しい。
「契約の日も」
白龍の声が震える。
「あなたは最後まで私の心配をしていました」
世界が静かになる。
「白龍」
誰かを真似るように。
優しい声で。
「私がいなくなっても大丈夫ですよ」
その言葉を聞いた瞬間。
白龍の表情が崩れた。
初めてだった。
龍王ではない。
完璧でもない。
ただの一人の男。
「大丈夫なわけがない」
小さな声だった。
百年分の痛みが滲んでいる。
「あなたはそう言いました」
白龍の拳が震える。
「勝手に笑って、勝手に消えようとして、私に残れと言った」
私は息を止める。
それは恋愛の告白じゃない。
もっと重い。
もっと長い。
百年分の後悔だった。
白龍が俯く。
「だから私は」
声が震える。
「今度こそ守れると思った。思い出さなければ、苦しまなくて済むと」
私は気づく。
白龍は記憶を恐れているんじゃない。
私は苦しむことを恐れている。
でも、それだけじゃない。
まだ何か隠している。
その時だった。
遠くで雷鳴のような音が響く。
空が揺れる。
雲海が割れる。
そして、聞き慣れた大声が響いた。
「娘ちゃぁぁぁぁぁん!!!!!」
黒龍だった。
ものすごい勢いで飛んでくる。
白龍が額を押さえる。
「……来ると思いました」
黒龍は着地するなり私を抱き締めた。
「泣いてないか!?!? ご飯食べたか!?!? 白龍に変なこと言われてないか!?!?」
一気に空気が壊れる。
私は思わず笑ってしまった。
その笑い声を聞いて、白龍はほんの少しだけ安心したように見えた。
けれども、空の向こうでは。
誰にも見えない場所で、契約管理者が静かに呟いていた。
「間に合うか。それとも、今度こそ契約は終わるのか」
その言葉だけが夜空に溶けていった。
白龍の腕の中で、私は動けなかった。
「思い出さないでください」
その言葉だけが頭の中で繰り返される。
どうして百年も待った人が。
私に記憶を取り戻してほしくないのだろう。
私はゆっくり顔を上げた。
「白龍様」
彼の身体はわずかに強張る。
「私は何を忘れているんですか」
沈黙。
長い沈黙だった。
白龍は答えない。
でも、今日は逃げたくなかった。
「黒姫は何を知っていたんですか」
白龍の瞳が揺れる。
今まで見たことがないほど。
大きく。
苦しそうに。
「……志穂」
その声は掠れていた。
「お願いです」
また同じ言葉。
私は首を振る。
「嫌です」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
白龍が息を呑む。
「私はずっとそうでした」
病院。
学校。
孤独。
忘れたかった記憶。
「でも、知らないまま決められるのは嫌なんです」
白龍が目を閉じる。
まるで何かに耐えるように。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「黒姫様は」
その呼び方だった。
志穂ではない。
黒姫。
「誰よりも優しい方でした」
風が吹く。
雲海が揺れる。
「民を守り、龍族を守り、敵すら見捨てない方でした」
私は黙って聞く。
「だから」
白龍が笑う。
悲しい笑顔だった。
「自分を後回しにした」
胸が痛む。
理由は分からない。
なのに苦しい。
「契約の日も」
白龍の声が震える。
「あなたは最後まで私の心配をしていました」
世界が静かになる。
「白龍」
誰かを真似るように。
優しい声で。
「私がいなくなっても大丈夫ですよ」
その言葉を聞いた瞬間。
白龍の表情が崩れた。
初めてだった。
龍王ではない。
完璧でもない。
ただの一人の男。
「大丈夫なわけがない」
小さな声だった。
百年分の痛みが滲んでいる。
「あなたはそう言いました」
白龍の拳が震える。
「勝手に笑って、勝手に消えようとして、私に残れと言った」
私は息を止める。
それは恋愛の告白じゃない。
もっと重い。
もっと長い。
百年分の後悔だった。
白龍が俯く。
「だから私は」
声が震える。
「今度こそ守れると思った。思い出さなければ、苦しまなくて済むと」
私は気づく。
白龍は記憶を恐れているんじゃない。
私は苦しむことを恐れている。
でも、それだけじゃない。
まだ何か隠している。
その時だった。
遠くで雷鳴のような音が響く。
空が揺れる。
雲海が割れる。
そして、聞き慣れた大声が響いた。
「娘ちゃぁぁぁぁぁん!!!!!」
黒龍だった。
ものすごい勢いで飛んでくる。
白龍が額を押さえる。
「……来ると思いました」
黒龍は着地するなり私を抱き締めた。
「泣いてないか!?!? ご飯食べたか!?!? 白龍に変なこと言われてないか!?!?」
一気に空気が壊れる。
私は思わず笑ってしまった。
その笑い声を聞いて、白龍はほんの少しだけ安心したように見えた。
けれども、空の向こうでは。
誰にも見えない場所で、契約管理者が静かに呟いていた。
「間に合うか。それとも、今度こそ契約は終わるのか」
その言葉だけが夜空に溶けていった。

