雲海の上は、静かすぎるほど静かだった。
さっきまで確かにそこにいた黒龍の気配も、もう感じない。
残っているのは、白龍の沈黙だけ。
白龍は私の隣に立ったまま、動かない。
まるで“何も起きていない”と言い張るみたいに。
でも、それがいちばん不自然だった。
「白龍様」
呼ぶと、すぐに返事が来る。
「はい」
その声はいつも通り優しい。
けれども今は、その優しさが少しだけ怖い。
私はゆっくり息を吸う。
「契約って……本当に何なんですか」
白龍の指先が、ほんのわずかに動いた。
それだけは分かる。
この話は、触れてはいけない領域に入っている。
「志穂」
名前を呼ばれる。
それだけで、少しだけ胸が緩むのが悔しい。
「その話は、今はしない方がいい」
「今は、って何ですか」
私は言葉を切らない。
「いつならいいんですか」
白龍は答えない。
沈黙。
その沈黙が、答えの形をしている。
私は一歩だけ近づく。
「白龍様は、私に全部教える気はないんですか」
白龍はようやく目を伏せる。
そして、静かに言う。
「全部を知ることは、あなたの負担になります」
「負担って……」
私は笑ってしまう。
「もう十分重いですよ」
その瞬間、白龍の瞳がわずかに揺れる。
私は続ける。
「人間だった頃の記憶も、龍界のことも、黒龍の言葉も。全部、中途半端にしか分からないのに」
声が少し震える。
「それでも、私だけ置いていくんですか」
白龍が一瞬だけ息を止める。
そして、ゆっくり言う。
「置いてはいません」
その言葉は優しい。
でも、どこか決定事項の響きだった。
その時。
空気がわずかに歪む。
「やっぱりここか」
低い声。
黒龍ではない。
でも、同じ“圧”がある。
白龍の目が鋭くなる。
「……来るなと言ったはずです」
雲の奥から現れたのは、影だった。
人でも龍でもない、境界のような存在。
輪郭が揺れている。
「契約の管理者か」
白龍の声が低くなる。
私は息をのむ。
「管理者……?」
影は私を見る。
そして、ゆっくり言う。
「“黒姫”の契約は、まだ完了していない」
その一言で、世界が冷える。
白龍が一歩前に出る。
完全に“守る姿勢”。
「彼女に触れるな」
影は小さく笑う。
「守っているつもりか」
その瞬間、視界が揺れる。
頭の奥で、また別の声がする。
――黒姫。
今度ははっきりと。
逃げられないほどに。
私は思わず頭を押さえる。
「っ……」
白龍がすぐに支える。
「志穂!」
でも、その声も遠い。
記憶が、また“落ちてくる”。
病院ではない。
もっと古い場所。
雲の上でもない。
黒い水。
白い光。
そして――誰かの手。
「契約は、終わっていない」
誰の声か分からない。
でも、それだけは確かだった。
私は息を乱しながら呟く。
「……終わってない?」
影が静かに頷く。
「そうだ」
「彼女はまだ、“途中”だ」
白龍の手に、少しだけ力が入る。
その強さが、逆に怖い。
私は初めて気づく。
白龍は“守っている”のではなく、
“終わらせないようにしている”
その意味が分からないまま、静かに終わる。
さっきまで確かにそこにいた黒龍の気配も、もう感じない。
残っているのは、白龍の沈黙だけ。
白龍は私の隣に立ったまま、動かない。
まるで“何も起きていない”と言い張るみたいに。
でも、それがいちばん不自然だった。
「白龍様」
呼ぶと、すぐに返事が来る。
「はい」
その声はいつも通り優しい。
けれども今は、その優しさが少しだけ怖い。
私はゆっくり息を吸う。
「契約って……本当に何なんですか」
白龍の指先が、ほんのわずかに動いた。
それだけは分かる。
この話は、触れてはいけない領域に入っている。
「志穂」
名前を呼ばれる。
それだけで、少しだけ胸が緩むのが悔しい。
「その話は、今はしない方がいい」
「今は、って何ですか」
私は言葉を切らない。
「いつならいいんですか」
白龍は答えない。
沈黙。
その沈黙が、答えの形をしている。
私は一歩だけ近づく。
「白龍様は、私に全部教える気はないんですか」
白龍はようやく目を伏せる。
そして、静かに言う。
「全部を知ることは、あなたの負担になります」
「負担って……」
私は笑ってしまう。
「もう十分重いですよ」
その瞬間、白龍の瞳がわずかに揺れる。
私は続ける。
「人間だった頃の記憶も、龍界のことも、黒龍の言葉も。全部、中途半端にしか分からないのに」
声が少し震える。
「それでも、私だけ置いていくんですか」
白龍が一瞬だけ息を止める。
そして、ゆっくり言う。
「置いてはいません」
その言葉は優しい。
でも、どこか決定事項の響きだった。
その時。
空気がわずかに歪む。
「やっぱりここか」
低い声。
黒龍ではない。
でも、同じ“圧”がある。
白龍の目が鋭くなる。
「……来るなと言ったはずです」
雲の奥から現れたのは、影だった。
人でも龍でもない、境界のような存在。
輪郭が揺れている。
「契約の管理者か」
白龍の声が低くなる。
私は息をのむ。
「管理者……?」
影は私を見る。
そして、ゆっくり言う。
「“黒姫”の契約は、まだ完了していない」
その一言で、世界が冷える。
白龍が一歩前に出る。
完全に“守る姿勢”。
「彼女に触れるな」
影は小さく笑う。
「守っているつもりか」
その瞬間、視界が揺れる。
頭の奥で、また別の声がする。
――黒姫。
今度ははっきりと。
逃げられないほどに。
私は思わず頭を押さえる。
「っ……」
白龍がすぐに支える。
「志穂!」
でも、その声も遠い。
記憶が、また“落ちてくる”。
病院ではない。
もっと古い場所。
雲の上でもない。
黒い水。
白い光。
そして――誰かの手。
「契約は、終わっていない」
誰の声か分からない。
でも、それだけは確かだった。
私は息を乱しながら呟く。
「……終わってない?」
影が静かに頷く。
「そうだ」
「彼女はまだ、“途中”だ」
白龍の手に、少しだけ力が入る。
その強さが、逆に怖い。
私は初めて気づく。
白龍は“守っている”のではなく、
“終わらせないようにしている”
その意味が分からないまま、静かに終わる。

