龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

白龍の視線が、私から外れない。
優しいのに、逃げ道がない。
その矛盾に、胸が少しだけ苦しくなる。
「白龍様」
呼びかけると、すぐに返事が来る。
「はい」
でも、さっきまでの会話はそこで切れてしまう。
黒龍の言葉。
契約。
そして“恋愛ではない理由”。
それだけが、頭の中で何度も反響していた。
「さっきの話……」
私はゆっくり続ける。
「続き、聞いてもいいですか」
白龍のまつ毛がわずかに揺れる。
ほんの一瞬だけ。
そして静かに言う。
「必要ありません」
その言葉は、もう慣れてきたはずだった。
でも今日は違った。
「どうしてですか」
声が少しだけ強くなる。
「私はもう、何も知らないままでいたくないです」
白龍は一歩だけ近づく。
その距離に、思わず呼吸が止まる。
「志穂」
その声はいつも通り優しい。
でも、少しだけ重い。
「知らないほうがいいことがあります」
「それは……誰のためですか」
自分でも驚くくらい、言葉が出ていた。
白龍は一瞬だけ黙る。
そして視線を逸らす。
「あなたのためです」
その答えが、一番怖かった。
私は小さく笑ってしまう。
「それ、ずるいです」
白龍は否定しない。
ただ静かに立っている。
その時だった。
廊下の奥から、空気が変わる。
黒龍の気配。
「おい」
声が低い。
「またやってるのか」
白龍の空気が一瞬で変わる。
冷たくなる。
「入るなと言ったはずです」
黒龍はため息をつきながら現れる。
「無理だろ」
「この空気で放置できるわけない」
そして、私を見る。
少しだけ目を細める。
「志穂」
今度は軽くない呼び方。
「お前さ」
「どこまで“優しさ”信じてる?」
私は答えられない。
黒龍は白龍を見続ける。
「こいつの優しさはな」
「“選んだ結果”じゃない」
白龍の目が鋭くなる。
「黒龍」
黒龍は止まらない。
「止めても無駄だろ」
「もうここまで来てる」
私は一歩後ずさる。
「やめてください……」
声が震える。
黒龍は一瞬だけ沈黙する。
そして、低く言う。
「契約ってのはな。恋愛の形じゃない」
その一言で、空気が完全に止まる。
白龍が動く。
でも黒龍の方が早い。
「白龍は――」
その瞬間。
白龍の手が空間を切り裂く。
音が消える。
黒龍の声が途中で途切れる。
沈黙。
風がない。
雲が動かない。
白龍が静かに言う。
「これ以上は私が止めます」
黒龍はその場で止まりながら白龍を見る。
そして、少しだけ笑う。
「……やっぱりな」
その笑いは、諦めでも怒りでもなかった。
私は気づいてしまう。
この二人は争っているのではない。
“同じ何かを守っている”
ただ、その方法が違うだけだ。
白龍が私を見る。
その瞳は、やっぱり優しい。
でも今は少しだけ、怖いほど静かだった。
「志穂」
「あなたは、ここにいてください」
その言葉は命令ではない。
でも拒否もできない。
私はただ、小さく頷くしかなかった。
そして胸の奥で、はっきり思う。
(私はまだ、“契約”を何も知らない)
(でも、知らないままではもう戻れない)