夜が明ける前の雲海は、色を失っていた。
白でも黒でもない、曖昧な灰の世界。
その中に、ひとつだけ“明確な気配”があった。
空が鳴る。
それは雷ではない。
もっと深い場所で、何かが目を覚ました音だった。
白龍が立ち上がる。
その動きだけで、空気が変わる。
「来ます」
短い言葉。
それだけで、胸の奥が緊張する。
次の瞬間。
雲が裂けた。
黒い龍。
巨大な影が、空を切り裂いて降りてくる。
けれどもそれは恐怖ではなく、“圧”だった。
生き物としての格の違い。
やがてその影は、人の形を取る。
黒衣の男。
黒龍。
彼は地面に降り立つと、周囲を一度だけ見渡し、ため息をついた。
「……相変わらず息苦しい場所だな、ここは」
白龍は冷静に言う。
「無断で入るのはやめてください」
黒龍は鼻で笑う。
「入れてるのはお前だろ」
そのやり取りは、古くから続いている関係のようだった。
私は一歩下がる。
「えっと……」
黒龍の視線がこちらに向く。
一瞬だけ、空気が変わる。
「……ああ」
低い声。
「やっぱり戻ってきてるな」
その言葉に、胸が跳ねる。
「戻ってきてる……?」
黒龍は白龍を見ずに言う。
「無理やり思い出させてるだろ」
白龍の表情が、ほんのわずかに変わる。
けれども否定はしない。
沈黙。
その沈黙が答えだった。
私は混乱する。
「思い出させてる……って、どういうことですか」
黒龍は少しだけ私に近づく。
白龍の空気がわずかに動く。
けれども黒龍は気にしない。
「お前さ」
私を見る。
「全部“自然に戻ってる”と思ってるか?」
言葉が刺さる。
「違うのか……」
黒龍は短く言う。
「違う」
その一言が、やけに重かった。
白龍が低く言う。
「黒龍」
警告のような声。
黒龍はそれを無視する。
そして私にだけ視線を向ける。
「お前の記憶は、壊れてる」
「正確には“壊されたまま戻されてる”」
呼吸が止まる。
「壊された……?」
白龍の気配が一瞬だけ鋭くなる。
「それ以上は言うな」
黒龍はようやく白龍を見る。
そして、静かに言う。
「お前がそれを言うのか」
空気が張り詰める。
私はその中心に取り残される。
「……何が、起きてるんですか」
黒龍は少しだけ沈黙し、それから言う。
「黒姫の物語は、正しくない」
その言葉で、世界が揺れた気がした。
白龍が一歩近づく。
「志穂、それは今関係ありません」
その声は優しいのに、拒絶されていた。
黒龍は小さく笑う。
「ほらな」
「守ってるつもりで、閉じ込めてる」
私は混乱する。
どちらが正しいのか分からない。
白龍の手が、そっと私の肩に触れる。
優しい。
でも、離れられない温度。
「信じてください」
白龍の声。
「あなたはここにいていい」
その言葉は安心なのに、なぜか怖かった。
黒龍が背を向ける。
「まあいい」
「選ぶのはこいつだ」
そして最後に、振り返らずに言う。
「ただし」
空気が締まる。
「“白龍の愛”は、優しさだけじゃない」
その言葉だけを残して、黒龍は消えた。
静寂。
白龍の手が、少しだけ強くなる。
私はその手を見つめる。
(優しさだけじゃない)
その言葉が、頭の中で反響していた。
そして初めて気づく。
私はまだ、この世界の“本当の形”を知らない。
黒龍が消えたあとも、空気は重かった。
白龍の手が、私の肩に触れたまま離れない。
優しいのに、なぜか少しだけ息が詰まる。
「白龍様……」
そう呼んだ瞬間だった。
空間が、もう一度だけ裂けた。
「待てぇぇぇぇぇ!!!!」
今度はさっきの冷たい気配じゃない。
感情がそのまま飛び出したような声だった。
雲を突き破って、黒龍が戻ってくる。
着地は少し乱暴で、地面がわずかに揺れた。
「今のは無し! 今の全部無し!! 帰るタイミング間違えた!!」
私は固まる。
白龍も一瞬だけ無言になる。
黒龍は私を見る。
そして――
「娘ちゃぁぁぁぁぁん!!!!」
空気が止まった。
「えっ」
次の瞬間、黒龍は私の方へ全力で駆け寄ってきた。
さっきの威圧感はどこにもない。
ただの情緒が崩れた存在だった。
「ちょっと待て!!何その顔!! 泣いてただろ!?絶対泣いてただろ!! 白龍に泣かされてない!?大丈夫!?!?」
「え、いや……」
私は後ずさる。
黒龍は止まらない。
「昔からそうなんだよお前は!! 熱出しても黙るし! 我慢するし!! そういうとこ全部直ってないじゃん!!」
白龍が静かに言う。
「黒龍」
その一言で空気が少し戻る。
けれども黒龍は止まらない。
「うるさい黙れ白龍!! 今は娘だろ!!」
白龍が一瞬だけ黙る。
私は思わず言う。
「娘……?」
黒龍は即答する。
「娘だろ!!!!!!」
「違いますよね……?」
その瞬間、黒龍は固まる。
そして一秒だけ真顔になる。
「……あれ?」
小さく呟く。
「違ったっけ……?」
白龍がため息をつく。
「違います」
黒龍は頭を抱える。
「やばい……記憶が混ざってる……」
それでも、また私を見る。
「でも可愛いからいいや」
即復活だった。
白龍の手が少しだけ強くなる。
その変化に気づく。
黒龍はそれを見てニヤッと笑う。
「ほらな。もう独占してる」
白龍は静かに言う。
「当然です」
黒龍は笑う。
私は完全に置いていかれている。
それでも――なぜか少しだけ怖くない。
ただひとつだけ分かる。
この人たちの“愛し方”は、普通じゃない。
白でも黒でもない、曖昧な灰の世界。
その中に、ひとつだけ“明確な気配”があった。
空が鳴る。
それは雷ではない。
もっと深い場所で、何かが目を覚ました音だった。
白龍が立ち上がる。
その動きだけで、空気が変わる。
「来ます」
短い言葉。
それだけで、胸の奥が緊張する。
次の瞬間。
雲が裂けた。
黒い龍。
巨大な影が、空を切り裂いて降りてくる。
けれどもそれは恐怖ではなく、“圧”だった。
生き物としての格の違い。
やがてその影は、人の形を取る。
黒衣の男。
黒龍。
彼は地面に降り立つと、周囲を一度だけ見渡し、ため息をついた。
「……相変わらず息苦しい場所だな、ここは」
白龍は冷静に言う。
「無断で入るのはやめてください」
黒龍は鼻で笑う。
「入れてるのはお前だろ」
そのやり取りは、古くから続いている関係のようだった。
私は一歩下がる。
「えっと……」
黒龍の視線がこちらに向く。
一瞬だけ、空気が変わる。
「……ああ」
低い声。
「やっぱり戻ってきてるな」
その言葉に、胸が跳ねる。
「戻ってきてる……?」
黒龍は白龍を見ずに言う。
「無理やり思い出させてるだろ」
白龍の表情が、ほんのわずかに変わる。
けれども否定はしない。
沈黙。
その沈黙が答えだった。
私は混乱する。
「思い出させてる……って、どういうことですか」
黒龍は少しだけ私に近づく。
白龍の空気がわずかに動く。
けれども黒龍は気にしない。
「お前さ」
私を見る。
「全部“自然に戻ってる”と思ってるか?」
言葉が刺さる。
「違うのか……」
黒龍は短く言う。
「違う」
その一言が、やけに重かった。
白龍が低く言う。
「黒龍」
警告のような声。
黒龍はそれを無視する。
そして私にだけ視線を向ける。
「お前の記憶は、壊れてる」
「正確には“壊されたまま戻されてる”」
呼吸が止まる。
「壊された……?」
白龍の気配が一瞬だけ鋭くなる。
「それ以上は言うな」
黒龍はようやく白龍を見る。
そして、静かに言う。
「お前がそれを言うのか」
空気が張り詰める。
私はその中心に取り残される。
「……何が、起きてるんですか」
黒龍は少しだけ沈黙し、それから言う。
「黒姫の物語は、正しくない」
その言葉で、世界が揺れた気がした。
白龍が一歩近づく。
「志穂、それは今関係ありません」
その声は優しいのに、拒絶されていた。
黒龍は小さく笑う。
「ほらな」
「守ってるつもりで、閉じ込めてる」
私は混乱する。
どちらが正しいのか分からない。
白龍の手が、そっと私の肩に触れる。
優しい。
でも、離れられない温度。
「信じてください」
白龍の声。
「あなたはここにいていい」
その言葉は安心なのに、なぜか怖かった。
黒龍が背を向ける。
「まあいい」
「選ぶのはこいつだ」
そして最後に、振り返らずに言う。
「ただし」
空気が締まる。
「“白龍の愛”は、優しさだけじゃない」
その言葉だけを残して、黒龍は消えた。
静寂。
白龍の手が、少しだけ強くなる。
私はその手を見つめる。
(優しさだけじゃない)
その言葉が、頭の中で反響していた。
そして初めて気づく。
私はまだ、この世界の“本当の形”を知らない。
黒龍が消えたあとも、空気は重かった。
白龍の手が、私の肩に触れたまま離れない。
優しいのに、なぜか少しだけ息が詰まる。
「白龍様……」
そう呼んだ瞬間だった。
空間が、もう一度だけ裂けた。
「待てぇぇぇぇぇ!!!!」
今度はさっきの冷たい気配じゃない。
感情がそのまま飛び出したような声だった。
雲を突き破って、黒龍が戻ってくる。
着地は少し乱暴で、地面がわずかに揺れた。
「今のは無し! 今の全部無し!! 帰るタイミング間違えた!!」
私は固まる。
白龍も一瞬だけ無言になる。
黒龍は私を見る。
そして――
「娘ちゃぁぁぁぁぁん!!!!」
空気が止まった。
「えっ」
次の瞬間、黒龍は私の方へ全力で駆け寄ってきた。
さっきの威圧感はどこにもない。
ただの情緒が崩れた存在だった。
「ちょっと待て!!何その顔!! 泣いてただろ!?絶対泣いてただろ!! 白龍に泣かされてない!?大丈夫!?!?」
「え、いや……」
私は後ずさる。
黒龍は止まらない。
「昔からそうなんだよお前は!! 熱出しても黙るし! 我慢するし!! そういうとこ全部直ってないじゃん!!」
白龍が静かに言う。
「黒龍」
その一言で空気が少し戻る。
けれども黒龍は止まらない。
「うるさい黙れ白龍!! 今は娘だろ!!」
白龍が一瞬だけ黙る。
私は思わず言う。
「娘……?」
黒龍は即答する。
「娘だろ!!!!!!」
「違いますよね……?」
その瞬間、黒龍は固まる。
そして一秒だけ真顔になる。
「……あれ?」
小さく呟く。
「違ったっけ……?」
白龍がため息をつく。
「違います」
黒龍は頭を抱える。
「やばい……記憶が混ざってる……」
それでも、また私を見る。
「でも可愛いからいいや」
即復活だった。
白龍の手が少しだけ強くなる。
その変化に気づく。
黒龍はそれを見てニヤッと笑う。
「ほらな。もう独占してる」
白龍は静かに言う。
「当然です」
黒龍は笑う。
私は完全に置いていかれている。
それでも――なぜか少しだけ怖くない。
ただひとつだけ分かる。
この人たちの“愛し方”は、普通じゃない。

