目が覚めた瞬間、胸の奥に小さな違和感が残っていた。
夢を見ていたはずなのに、その内容だけがすり抜けている。
ただ、ひとつだけ。
“泣いていた誰か”の感覚だけが残っていた。
「起きましたか」
白龍の声で、現実に引き戻される。
いつもの穏やかな声。
けれども今日は、その響きが少しだけ遠く感じた。
「……おはようございます」
私はゆっくり身体を起こす。
白龍はすぐに視線を逸らさず、静かに私を見ていた。
まるで確認するように。
「何か、見ましたか」
その問いかけに、私は一瞬迷う。
「夢……だと思います」
そう答えると、白龍の瞳がわずかに揺れた。
ほんの一瞬だけ。
「どんな夢でしたか」
「……覚えていません」
正確には、“思い出せない”というより“合っていない気がする”だった。
白龍はそれ以上聞かなかった。
ただ静かに頷くだけだった。
その沈黙が、逆に気になった。
朝食の間も、白龍は変わらなかった。
優しく、距離が近くて、過剰なくらいに気を配ってくる。
なのに。
どこかが、噛み合わない。
「白龍様」
私は思わず声をかける。
「はい」
「私、昔の記憶……少しずつ戻っているんですよね?」
白龍は一瞬だけ手を止めた。
そして、いつも通り答える。
「ええ」
「確実に」
その“確実に”が引っかかった。
私は視線を落とす。
「じゃあ、安心していいんですよね」
自分でもよく分からない言葉が出る。
白龍はすぐに頷いた。
「はい」
その一言だけ。
けれども胸の奥の違和感は消えなかった。
昼前、私は一人で回廊を歩いていた。
白銀の桜が舞う道。
何度も見たはずの景色なのに、今日はやけに“知らない”気がする。
ふと足が止まる。
その瞬間、また頭の奥が痛んだ。
黒い空間。
誰かの叫び声。
手を伸ばす黒姫。
そして――
その手を取らない白龍。
「っ……」
私はその場にしゃがみ込む。
息が荒くなる。
「違う……」
小さく呟く。
でも何が違うのか分からない。
背後から気配。
白龍だった。
「志穂」
すぐに支えられる。
温かい。
安心するはずの温度。
なのに、少しだけ怖い。
「無理はしないでください」
白龍の声は優しい。
完璧に、いつも通り。
それが余計に引っかかる。
「白龍様」
私は顔を上げる。
「私たちって……本当に“あの時”別れたんですよね?」
一瞬、空気が止まった。
白龍の瞳が、ほんのわずかに細くなる。
すぐに戻る。
「ええ」
短い返事。
「じゃあ」
私は続ける。
「どうして私は、“泣いていた記憶”ばかり思い出すんですか」
白龍は答えなかった。
初めてだった。
風が止む。
桜が落ちる音だけが響く。
「志穂」
白龍が静かに言う。
「それは」
そこで一度、言葉が切れる。
そして続ける。
「あなたの記憶が、まだ完全ではないからです」
私はその言葉を聞きながら、胸の奥に引っかかるものを感じていた。
“完全ではない”
それは本当だろうか。
違う。
何かが違う。
私は立ち上がる。
白龍を見る。
「白龍様」
「はい」
「私……何か、大事なことを忘れてませんか」
その瞬間。
白龍の表情が、ほんの一瞬だけ消えた。
感情のない空白。
すぐに戻る。
「いいえ」
「何も」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥の違和感が、少しだけ形を持った。
私はゆっくり笑う。
「そうですか」
でも心の中では、はっきり思っていた。
――この人は、何かを隠している。
白銀の桜が舞う中で。
私の“記憶”だけが、少しずつ別の形にずれていく。
夢を見ていたはずなのに、その内容だけがすり抜けている。
ただ、ひとつだけ。
“泣いていた誰か”の感覚だけが残っていた。
「起きましたか」
白龍の声で、現実に引き戻される。
いつもの穏やかな声。
けれども今日は、その響きが少しだけ遠く感じた。
「……おはようございます」
私はゆっくり身体を起こす。
白龍はすぐに視線を逸らさず、静かに私を見ていた。
まるで確認するように。
「何か、見ましたか」
その問いかけに、私は一瞬迷う。
「夢……だと思います」
そう答えると、白龍の瞳がわずかに揺れた。
ほんの一瞬だけ。
「どんな夢でしたか」
「……覚えていません」
正確には、“思い出せない”というより“合っていない気がする”だった。
白龍はそれ以上聞かなかった。
ただ静かに頷くだけだった。
その沈黙が、逆に気になった。
朝食の間も、白龍は変わらなかった。
優しく、距離が近くて、過剰なくらいに気を配ってくる。
なのに。
どこかが、噛み合わない。
「白龍様」
私は思わず声をかける。
「はい」
「私、昔の記憶……少しずつ戻っているんですよね?」
白龍は一瞬だけ手を止めた。
そして、いつも通り答える。
「ええ」
「確実に」
その“確実に”が引っかかった。
私は視線を落とす。
「じゃあ、安心していいんですよね」
自分でもよく分からない言葉が出る。
白龍はすぐに頷いた。
「はい」
その一言だけ。
けれども胸の奥の違和感は消えなかった。
昼前、私は一人で回廊を歩いていた。
白銀の桜が舞う道。
何度も見たはずの景色なのに、今日はやけに“知らない”気がする。
ふと足が止まる。
その瞬間、また頭の奥が痛んだ。
黒い空間。
誰かの叫び声。
手を伸ばす黒姫。
そして――
その手を取らない白龍。
「っ……」
私はその場にしゃがみ込む。
息が荒くなる。
「違う……」
小さく呟く。
でも何が違うのか分からない。
背後から気配。
白龍だった。
「志穂」
すぐに支えられる。
温かい。
安心するはずの温度。
なのに、少しだけ怖い。
「無理はしないでください」
白龍の声は優しい。
完璧に、いつも通り。
それが余計に引っかかる。
「白龍様」
私は顔を上げる。
「私たちって……本当に“あの時”別れたんですよね?」
一瞬、空気が止まった。
白龍の瞳が、ほんのわずかに細くなる。
すぐに戻る。
「ええ」
短い返事。
「じゃあ」
私は続ける。
「どうして私は、“泣いていた記憶”ばかり思い出すんですか」
白龍は答えなかった。
初めてだった。
風が止む。
桜が落ちる音だけが響く。
「志穂」
白龍が静かに言う。
「それは」
そこで一度、言葉が切れる。
そして続ける。
「あなたの記憶が、まだ完全ではないからです」
私はその言葉を聞きながら、胸の奥に引っかかるものを感じていた。
“完全ではない”
それは本当だろうか。
違う。
何かが違う。
私は立ち上がる。
白龍を見る。
「白龍様」
「はい」
「私……何か、大事なことを忘れてませんか」
その瞬間。
白龍の表情が、ほんの一瞬だけ消えた。
感情のない空白。
すぐに戻る。
「いいえ」
「何も」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥の違和感が、少しだけ形を持った。
私はゆっくり笑う。
「そうですか」
でも心の中では、はっきり思っていた。
――この人は、何かを隠している。
白銀の桜が舞う中で。
私の“記憶”だけが、少しずつ別の形にずれていく。

