儀式の翌日、龍王宮はいつもより静かだった。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
「今日は外に出ましょう」
白龍がそう言ったのは、朝の支度が終わった頃だった。
「外……ですか?」
「あなたの記憶が揺れているようなので」
さらりと言われて、思わず言葉が詰まる。
見透かされている気がした。
連れてこられたのは、雲の海が一望できる回廊だった。
白銀の光がゆっくりと流れ、遠くで龍たちが空を巡っている。
「ここは、昔からある場所です」
白龍が言う。
「あなたがよく来ていた」
「……私が?」
首をかしげると、彼は小さく頷いた。
「そうです」
「あなたは、ここでよく空を見ていました」
私は柵に近づく。
風が強い。
でも、不思議と怖くない。
むしろ、胸の奥が少しだけ温かい。
「白龍様」
「はい」
「私、昔のこと……ほとんど覚えていません」
正直な言葉だった。
白龍はすぐに答えない。
少し間を置いてから、静かに言った。
「それでも構いません」
その声は優しかった。
風が強くなる。
白銀の雲が揺れる。
その瞬間――
視界が一瞬だけ歪んだ。
黒い空。
泣いている少女。
伸ばされた手。
「黒姫」
誰かの声。
「っ……」
思わず膝に力が入る。
白龍の手がすぐに支える。
「無理をする必要はありません」
「今はまだ」
その声がやけに近い。
安心するのに、なぜか苦しい。
「白龍様」
私は小さく息を吐いた。
「昔の私って、どんな人だったんですか」
問いかけると、彼は少しだけ視線を逸らした。
「……強い人でした」
「優しくて」
「少しだけ頑固で」
それだけ言って、言葉を止める。
「それだけですか?」
私が尋ねると、白龍はほんのわずかに微笑んだ。
「それ以上は」
「今のあなたが知る必要はありません」
その言い方が、妙に引っかかる。
知っているのに、隠しているような。
私は回廊の先を見た。
雲の奥に、何かが見えた気がした。
白い光。
黒い影。
そして、差し伸べられた手。
「……誰?」
思わず声が漏れる。
白龍の視線が一瞬だけ鋭くなる。
けれどもすぐに戻る。
「気のせいです」
そう言った。
「白龍様」
「はい」
「私、本当に“戻ってきた”んですか?」
白龍は少しだけ沈黙した。
そして、静かに答える。
「はい」
「正確には」
「やっと帰ってきたのです」
その言葉に、胸の奥が不思議と静かになる。
怖いはずなのに。
不安なはずなのに。
この人の声だけは、信じてもいい気がした。
風が止む。
雲が静かに流れる。
白龍が少しだけ距離を縮めた。
「今日は戻りましょう」
「はい」
私は頷く。
歩き出す直前、もう一度だけ振り返る。
雲の奥に、ほんの一瞬だけ。
黒い翼が見えた気がした。
でも、それはすぐに消えた。
白龍が隣で言う。
「気にしないでください」
私は少しだけ笑う。
「はい」
でも心のどこかで思っていた。
――私は、まだ何かを思い出していない。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
「今日は外に出ましょう」
白龍がそう言ったのは、朝の支度が終わった頃だった。
「外……ですか?」
「あなたの記憶が揺れているようなので」
さらりと言われて、思わず言葉が詰まる。
見透かされている気がした。
連れてこられたのは、雲の海が一望できる回廊だった。
白銀の光がゆっくりと流れ、遠くで龍たちが空を巡っている。
「ここは、昔からある場所です」
白龍が言う。
「あなたがよく来ていた」
「……私が?」
首をかしげると、彼は小さく頷いた。
「そうです」
「あなたは、ここでよく空を見ていました」
私は柵に近づく。
風が強い。
でも、不思議と怖くない。
むしろ、胸の奥が少しだけ温かい。
「白龍様」
「はい」
「私、昔のこと……ほとんど覚えていません」
正直な言葉だった。
白龍はすぐに答えない。
少し間を置いてから、静かに言った。
「それでも構いません」
その声は優しかった。
風が強くなる。
白銀の雲が揺れる。
その瞬間――
視界が一瞬だけ歪んだ。
黒い空。
泣いている少女。
伸ばされた手。
「黒姫」
誰かの声。
「っ……」
思わず膝に力が入る。
白龍の手がすぐに支える。
「無理をする必要はありません」
「今はまだ」
その声がやけに近い。
安心するのに、なぜか苦しい。
「白龍様」
私は小さく息を吐いた。
「昔の私って、どんな人だったんですか」
問いかけると、彼は少しだけ視線を逸らした。
「……強い人でした」
「優しくて」
「少しだけ頑固で」
それだけ言って、言葉を止める。
「それだけですか?」
私が尋ねると、白龍はほんのわずかに微笑んだ。
「それ以上は」
「今のあなたが知る必要はありません」
その言い方が、妙に引っかかる。
知っているのに、隠しているような。
私は回廊の先を見た。
雲の奥に、何かが見えた気がした。
白い光。
黒い影。
そして、差し伸べられた手。
「……誰?」
思わず声が漏れる。
白龍の視線が一瞬だけ鋭くなる。
けれどもすぐに戻る。
「気のせいです」
そう言った。
「白龍様」
「はい」
「私、本当に“戻ってきた”んですか?」
白龍は少しだけ沈黙した。
そして、静かに答える。
「はい」
「正確には」
「やっと帰ってきたのです」
その言葉に、胸の奥が不思議と静かになる。
怖いはずなのに。
不安なはずなのに。
この人の声だけは、信じてもいい気がした。
風が止む。
雲が静かに流れる。
白龍が少しだけ距離を縮めた。
「今日は戻りましょう」
「はい」
私は頷く。
歩き出す直前、もう一度だけ振り返る。
雲の奥に、ほんの一瞬だけ。
黒い翼が見えた気がした。
でも、それはすぐに消えた。
白龍が隣で言う。
「気にしないでください」
私は少しだけ笑う。
「はい」
でも心のどこかで思っていた。
――私は、まだ何かを思い出していない。

