龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

朝の龍界は、静かすぎて現実感が薄い。
雲海の上に広がる空はどこまでも澄んでいて、時間の流れすら曖昧だった。
その中心に、龍王宮の大広間がある。
「本日は、正式な儀を執り行います」
白龍の声はいつも通り落ち着いていた。
けれども、今日は少しだけ距離が近い気がした。
「儀式……そんなに大事なんですか?」
そう尋ねると、白龍は一瞬だけ目を細めた。
「ええ」
「あなたの立場を、この世界に固定するためのものです」
「立場……」
その言葉が、妙に重く胸に残る。


大広間に入ると、すでに龍族たちが揃っていた。
赤、青、金、黒――
人の姿を取りながらも、その存在感は圧倒的だった。
一斉に、膝をつく。
「龍王妃様」
声が揃うと、空気が震えた。
私は思わず息を呑む。
「……私、本当にそんな存在なんですか」
白龍は迷いなく答えた。
「はい」
「最初から」
その言葉が、なぜか胸に刺さる。
儀式が始まる。
玉座の間に、二つの光輪が浮かんでいた。
白銀と黒金。
それはまるで、最初から一対として存在していたもののようだった。
「龍王と龍王妃の誓約を、ここに再認証する」
老いた龍が宣言する。
空気が張り詰める。
「龍王」
「誓いを」
白龍は一歩前へ出る。
その背中を見ているだけで、胸が静かに騒ぐ。
彼は振り返らないまま、言った。
「私は」
「この者を永遠に離さない」
一瞬で空気が変わった。
龍族たちが息を呑む。
けれども白龍の声は揺れない。
ただ当然のように、そこにあった。
視線がこちらに向く。
「龍王妃」
心臓が跳ねる。
「誓いを」
私は一歩進み出た。
なぜか怖くなかった。
むしろ、昔からこう言うべきだった気がする。
言葉が喉に上がる。
「私は――」
一瞬、視界が揺れた。
白銀の桜。
泣いているのは誰か。
差し伸べられた手。
でもすぐに消える。
私は息を吸い直す。
そしてはっきりと言った。
「この人の隣にいます」
「どんな時も」
沈黙が落ちる。
白龍がわずかに目を見開いた。
次の瞬間、光輪が強く輝いた。
白銀と黒金が絡み合い、一つの紋章へと変わる。
「契約成立」
その声とともに、空間が震えた。
龍族たちが一斉に頭を下げる。
「龍王妃、万歳」
「龍王、万歳」
祝福の声。
それは命令でも儀礼でもなく、確かな承認だった。


儀式が終わると、外の空気が一気に柔らかくなる。
白銀の桜が舞っていた。
白龍が隣に並ぶ。
「疲れましたか」
「少しだけ」
そう答えると、彼はすぐに言った。
「では休みます」
「……儀式より優先なんですか?」
「当然です」
即答だった。
思わず笑ってしまう。


風が吹く。
桜が頬をかすめる。
その瞬間、また一瞬だけ視界が揺れた。
知らない景色。
知らない声。
『必ず守る』
胸が痛む。
私は立ち止まる。
白龍はすぐに気づく。
「どうしました」
「いえ……」
私は首を振った。
「少し、懐かしいだけです」
白龍は何も言わない。
ただ、半歩だけ距離を詰めた。
「それは」
「良いことですか」
その問いに、私は少し考える。
そして答えた。
「分かりません」
でも、不思議と怖くはなかった。
白龍は小さく頷く。
「それでいいです」
雲の上の国は、静かに続いている。
その中心で私は確かに思う。
――ここが、私の居場所なのだと。