白龍の部屋は、いつ来ても静かだった。
龍王宮の中でも、ここだけ時間の流れが違う気がする。
「今日は……どこへ?」
私が尋ねると、白龍は少しだけ考えてから答えた。
「一つだけ」
「見ていただきたいものがあります」
その言い方が妙に丁寧で、胸の奥がざわつく。
私は頷いた。
白龍に連れられて歩く廊下は、やけに長く感じた。
やがて辿り着いたのは、これまで見たことのない扉だった。
黒い木でできた重い扉。
龍の紋が刻まれている。
「ここは……?」
白龍は一瞬だけ沈黙し、それから静かに言った。
「あなたの場所です」
「私の?」
白龍は頷く。
「正確には」
「私が、あなたのために残し続けた場所です」
胸が小さく跳ねる。
扉が開く。
その瞬間、息を呑んだ。
広い部屋だった。
けれども豪華さよりも、そこにある“意図”の方が強い。
中央には二つの玉座。
同じ高さ。
同じ大きさ。
並んでいる。
まるで最初から、二人で座ることしか考えられていないように。
「……これ」
声が出ない。
白龍は少しだけ視線を落とした。
「百年前から」
「変えていません」
私はゆっくりと部屋の中へ入る。
床に置かれた地図。
並べられた書類。
そして壁には、見覚えのない文字。
けれどもなぜか、懐かしい。
その一枚に目が止まった。
『婚約式の準備』
手が震えた。
「これ……」
白龍が小さく頷く。
「あなたが書いたものです」
「覚えていませんが」
私は思わず笑ってしまった。
「そんなこと書くんですね、私」
白龍は少しだけ目を細める。
「はい」
「あなたは昔から、私のことばかりでした」
その言葉に、心臓が強く跳ねた。
「……私が?」
「ええ」
白龍は淡々と続ける。
「あなたはいつも、私を選んでくれました」
「誰よりも早く」
「誰よりも迷わず」
私は視線を逸らす。
そんな人だったのだろうか、自分は。
信じられない。
でも――なぜか嫌ではなかった。
その時、机の上に一通の手紙が置かれているのに気付いた。
封筒は古い。
けれども丁寧に保管されている。
『白蛇様へ』
私は固まった。
白龍も、一瞬だけ動きを止める。
「見ても?」
私は尋ねた。
白龍は静かに頷いた。
手紙を開く。
そこには、見覚えのないはずの文字で、こう書かれていた。
『白蛇様へ
今日は少しだけ、寂しかったです。
でも、また会えると信じています。
あなたがそう言ってくれたから。
黒姫』
胸が痛くなる。
理由の分からない痛みだった。
「これ……本当に私が?」
白龍は頷く。
「はい」
「あなたの言葉です」
私は手紙を握りしめる。
分からない。
分からない。
なのに。
どうしてこんなに苦しいのだろう。
「白龍様」
気付けば呼んでいた。
白龍がこちらを見る。
私は続ける。
「私、昔あなたを……」
言葉が詰まる。
分からない。
恋、なのか。
それとも別の何かか。
白龍は少しだけ近づいた。
「思い出さなくていいです」
静かな声だった。
「今のあなたで、十分です」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
でも同時に、もっと苦しくなる。
知らないはずなのに。
この人の声を聞くと、落ち着く。
この距離が、怖いほど自然だ。
私は無意識に呟いた。
「……変ですね」
「何がですか」
「白龍様といると」
「息がしやすいです」
白龍の目がわずかに揺れる。
「それは」
「良いことですか」
私は少し考えてから、小さく笑った。
「分かりません」
「でも嫌じゃないです」
沈黙。
白龍は一瞬だけ目を伏せた。
そして静かに言う。
「それで十分です」
その声が、やけに優しくて。
胸の奥がまた痛くなる。
その時だった。
右腕の痣が、じわりと熱を持った。
「っ……」
視界が揺れる。
白銀の桜。
誰かの泣き声。
手を伸ばす黒髪の少女。
その手を取る白龍。
声が響く。
『必ず迎えに行きます』
頭が痛い。
息が苦しい。
白龍がすぐに支える。
「志穂」
呼ばれる。
でもその声が、遠い記憶と重なる。
黒姫。
その名前が、喉まで上がってくる。
でも――出てこない。
私は息を整える。
「……大丈夫です」
白龍は何も言わない。
ただ、離れない距離にいる。
そのことだけが、妙に安心だった。
私は小さく笑う。
「白龍様」
「はい」
「私」
「あなたのこと」
少し間を置く。
言葉が見つからない。
でも、確かに何かがある。
「嫌いじゃないです」
白龍の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
そしてとても小さく、息を吐くように笑った。
「それは」
「救いですね」
その笑顔を見た瞬間。
胸がきゅっと締め付けられた。
理由は分からない。
でも確かに思った。
——この人を、もっと知りたい。
記憶よりも先に。
心がそう言っていた。
龍王宮の中でも、ここだけ時間の流れが違う気がする。
「今日は……どこへ?」
私が尋ねると、白龍は少しだけ考えてから答えた。
「一つだけ」
「見ていただきたいものがあります」
その言い方が妙に丁寧で、胸の奥がざわつく。
私は頷いた。
白龍に連れられて歩く廊下は、やけに長く感じた。
やがて辿り着いたのは、これまで見たことのない扉だった。
黒い木でできた重い扉。
龍の紋が刻まれている。
「ここは……?」
白龍は一瞬だけ沈黙し、それから静かに言った。
「あなたの場所です」
「私の?」
白龍は頷く。
「正確には」
「私が、あなたのために残し続けた場所です」
胸が小さく跳ねる。
扉が開く。
その瞬間、息を呑んだ。
広い部屋だった。
けれども豪華さよりも、そこにある“意図”の方が強い。
中央には二つの玉座。
同じ高さ。
同じ大きさ。
並んでいる。
まるで最初から、二人で座ることしか考えられていないように。
「……これ」
声が出ない。
白龍は少しだけ視線を落とした。
「百年前から」
「変えていません」
私はゆっくりと部屋の中へ入る。
床に置かれた地図。
並べられた書類。
そして壁には、見覚えのない文字。
けれどもなぜか、懐かしい。
その一枚に目が止まった。
『婚約式の準備』
手が震えた。
「これ……」
白龍が小さく頷く。
「あなたが書いたものです」
「覚えていませんが」
私は思わず笑ってしまった。
「そんなこと書くんですね、私」
白龍は少しだけ目を細める。
「はい」
「あなたは昔から、私のことばかりでした」
その言葉に、心臓が強く跳ねた。
「……私が?」
「ええ」
白龍は淡々と続ける。
「あなたはいつも、私を選んでくれました」
「誰よりも早く」
「誰よりも迷わず」
私は視線を逸らす。
そんな人だったのだろうか、自分は。
信じられない。
でも――なぜか嫌ではなかった。
その時、机の上に一通の手紙が置かれているのに気付いた。
封筒は古い。
けれども丁寧に保管されている。
『白蛇様へ』
私は固まった。
白龍も、一瞬だけ動きを止める。
「見ても?」
私は尋ねた。
白龍は静かに頷いた。
手紙を開く。
そこには、見覚えのないはずの文字で、こう書かれていた。
『白蛇様へ
今日は少しだけ、寂しかったです。
でも、また会えると信じています。
あなたがそう言ってくれたから。
黒姫』
胸が痛くなる。
理由の分からない痛みだった。
「これ……本当に私が?」
白龍は頷く。
「はい」
「あなたの言葉です」
私は手紙を握りしめる。
分からない。
分からない。
なのに。
どうしてこんなに苦しいのだろう。
「白龍様」
気付けば呼んでいた。
白龍がこちらを見る。
私は続ける。
「私、昔あなたを……」
言葉が詰まる。
分からない。
恋、なのか。
それとも別の何かか。
白龍は少しだけ近づいた。
「思い出さなくていいです」
静かな声だった。
「今のあなたで、十分です」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
でも同時に、もっと苦しくなる。
知らないはずなのに。
この人の声を聞くと、落ち着く。
この距離が、怖いほど自然だ。
私は無意識に呟いた。
「……変ですね」
「何がですか」
「白龍様といると」
「息がしやすいです」
白龍の目がわずかに揺れる。
「それは」
「良いことですか」
私は少し考えてから、小さく笑った。
「分かりません」
「でも嫌じゃないです」
沈黙。
白龍は一瞬だけ目を伏せた。
そして静かに言う。
「それで十分です」
その声が、やけに優しくて。
胸の奥がまた痛くなる。
その時だった。
右腕の痣が、じわりと熱を持った。
「っ……」
視界が揺れる。
白銀の桜。
誰かの泣き声。
手を伸ばす黒髪の少女。
その手を取る白龍。
声が響く。
『必ず迎えに行きます』
頭が痛い。
息が苦しい。
白龍がすぐに支える。
「志穂」
呼ばれる。
でもその声が、遠い記憶と重なる。
黒姫。
その名前が、喉まで上がってくる。
でも――出てこない。
私は息を整える。
「……大丈夫です」
白龍は何も言わない。
ただ、離れない距離にいる。
そのことだけが、妙に安心だった。
私は小さく笑う。
「白龍様」
「はい」
「私」
「あなたのこと」
少し間を置く。
言葉が見つからない。
でも、確かに何かがある。
「嫌いじゃないです」
白龍の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
そしてとても小さく、息を吐くように笑った。
「それは」
「救いですね」
その笑顔を見た瞬間。
胸がきゅっと締め付けられた。
理由は分からない。
でも確かに思った。
——この人を、もっと知りたい。
記憶よりも先に。
心がそう言っていた。

