龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

白龍に案内されたのは、龍王宮の最奥にある私室だった。
「入ってもいいのですか?」
私が尋ねると、白龍は少しだけ微笑んだ。
「あなたになら」
その言葉に胸が少しだけ高鳴る。
部屋の中は意外にも質素だった。
豪華な装飾品は少なく、本棚や机が整然と並んでいる。
けれども、部屋の奥にだけ異質なものがあった。
大きな保管庫。
まるで宝物庫のような扉だった。
「これは……?」
私が見上げると、白龍はしばらく黙り込んだ。
そして静かに言った。
「あなたのものです」
「私の?」
白龍は頷く。
私は恐る恐る扉を開いた。
そして息を呑んだ。
中には無数の品々が並んでいた。
簪。
髪紐。
扇子。
文箱。
着物。
小さな飾り物。
どれも大切に保存されている。
まるで持ち主が昨日まで使っていたかのように。
「すごい……」
思わず呟く。
白龍は少し照れたように目を伏せた。
「捨てられませんでした」
私はゆっくりと棚へ近付く。
そこに一通の手紙があった。
見覚えのない文字。
けれどもなぜか懐かしい。
封にはこう書かれていた。
『白蛇様へ』
胸が大きく跳ねる。
私はそっと手紙を開いた。
『白蛇様へ
今日のお団子はとても美味しかったです。
今度は私がお弁当を作ります。
また桜を見に行きましょう。
黒姫』
短い手紙だった。
けれども。
そこに書かれているのは幸せな日常だった。
私は思わず振り返る。
「これ……」
白龍は静かに頷く。
「あなたが書いた手紙です」
「読んでいたんですか?」
「何度も」
「百年間?」
白龍は迷わなかった。
「百年間」
私は言葉を失った。
百年。
再び思った。
人間なら世代も過ぎている。
その長い時間をこの人は一人で、ずっと……。
私は手紙を胸に抱く。
そして自然に言葉がこぼれた。
「待たせてしまいましたね」
その瞬間だった。
白龍の表情が揺らいだ。
今まで見たことがないほど。
大きく。
深く。
揺らいだ。
「違います」
声が震えている。
私は驚いた。
白龍は少し俯いた。
「待つことは苦ではありませんでした」
静かな声だった。
けれども。
その声には百年分の想いが込められていた。
「約束でしたから」
私は黙って聞いていた。
白龍は続ける。
「ただ……」
そこで言葉が途切れる。
長い沈黙。
やがて絞り出すような声が響いた。
「もう二度と会えないのかと思いました」
私は息を呑んだ。
白龍は顔を伏せている。
肩がわずかに震えていた。
「それだけが怖かった」
ぽたり。
雫が落ちた。
私は目を見開く。
涙だった。
白龍自身も驚いたように目を閉じる。
龍王。
誰よりも強い存在。
誰よりも威厳のある存在。
そんな彼が。
初めて涙を流していた。
「白龍様……」
私は思わず名前を呼ぶ。
白龍は苦笑した。
「情けないですね」
「百年も経っているのに」
私は首を振った。
情けなくなんてない。
そんなはずがない。
白龍はゆっくりと顔を上げる。
金色の瞳が潤んでいた。
そして百年間言えなかった言葉を口にする。
「おかえりなさい」
声が震える。
「本当に……」
また涙がこぼれた。
「おかえりなさい」
その言葉を聞いた瞬間。
胸が締め付けられた。
記憶はまだ戻っていない。
それでも分かった。
この人は。
ずっと一人で待っていたのだ。
私はゆっくりと近付く。
そして自分から白龍を抱き締めた。
白龍の身体が僅かに強張る。
驚いているらしい。
私はそっと背中へ手を回した。
「ただいま」
小さく呟く。
その瞬間。
白龍は私を抱き締め返した。
壊れ物を扱うように。
大切な宝物を抱くように。
静かに。
優しく。
窓の外では白銀の桜が揺れていた。
百年越しの春が。
ようやく訪れたのだった。