龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

「コハクがいない!」
子供たちの顔は真っ青だった。
私は周囲を見回す。
空中庭園。
花畑。
噴水。
どこにも小さな龍の姿は見えない。
護衛たちも動き始めた。
「宮殿内を捜索!」
「外縁部も確認しろ!」
空気が慌ただしくなる。
私は胸の奥が妙にざわついた。
右腕の痣が熱い。
封印の間で光った時と同じ感覚だった。
「……あれ?」
耳元で風が鳴る。
違う。
風じゃない。
誰かの声。
小さな。
泣きそうな声。
『こわい……』
私は思わず振り返った。
誰もいない。
でも聞こえた。
確かに。
『たすけて……』
心臓が跳ねる。
私は無意識に歩き出した。
「黒姫様?」
護衛が呼び止める。
けれども足は止まらない。
なぜか分かる。
どこにいるのか。
どこへ行けばいいのか。
私は花畑を抜ける。
長い橋を渡る。
空中庭園の外れへ向かう。
そこには、誰も近寄らない崖があった。
足元の先は雲海。
落ちればどうなるのか分からない。
そして、その先端に小さな龍族の子供が座っていた。
銀色の髪。
小さな角。
泣き腫らした目。
「コハク……?」
少年が顔を上げる。
驚いたように目を見開いた。
「黒姫様……」
その声は震えていた。
私はゆっくりと近づく。
「どうしたの?」
コハクは俯いた。
「怒られるから」
「何を?」
「龍化できないんだ」
私は立ち止まった。
龍化。
龍族が龍の姿になることだろう。
コハクは涙をこぼした。
「みんなできるのに」
「ぼくだけできない」
「失敗ばっかり」
小さな拳が震えていた。
「だから隠れてた」
私は胸が痛くなった。
その顔はどこか昔の自分に似ていた。
学校で馴染めなくて。
居場所がなくて。
何もできないと思っていた頃の私に。
「コハク」
私は崖の隣に腰を下ろした。
「私も何もできないよ」
「え?」
「みんなに女王だって言われてるけど全然分からないし、毎日失敗してる」
コハクがこちらを見る。
「でも黒姫様すごいじゃん」
私は苦笑した。
「全然すごくないよ。むしろ困ってばかり」
しばらく沈黙が続く。
やがて。
コハクが小さく言った。
「じゃあ、一緒だ」
私は笑った。
「そうだね」
その瞬間だった。
ふわりと風が吹く。
温かい風。
コハクの身体が淡く光った。
「あれ?」
少年は驚いた。
光はどんどん強くなる。
そして、小さな銀龍が現れた。
「できた……」
コハク自身が一番驚いていた。
「できた!」
次の瞬間。
飛び上がる。
本当に飛んだ。
空を。
嬉しそうに。
自由に。
「できたー!!」
遠くから護衛たちの歓声が聞こえた。
私は思わず笑った。
その時、背後から拍手が聞こえた。
振り返る。
白龍だった。
いつから見ていたのだろう。
白龍は静かに微笑む。
「やはりあなたですね」
「え?」
「黒姫は昔から」
「民の心を軽くするのが得意でした」
私は言葉を失う。
白龍の目は優しかった。
懐かしいものを見るように。
愛おしいものを見るように。
その視線が少し照れくさい。
すると白龍が近づく。
そして、私の髪に触れた。
一枚の花びらを摘まみ取る。
「付いていました」
距離が近い。
近すぎる。
私は固まる。
白龍は全く気付いていないらしい。
天然だった。
たぶん。
その時だった。
遠くから怒鳴り声が聞こえた。
「志穂ぉぉぉぉ!」
闇龗神だった。
「崖に近づくなと何度言えば分かる!」
「言われてません!」
「今言った!」
理不尽だった。
その様子を見て。
コハクが笑う。
子供たちも笑う。
白龍も少しだけ笑った。
その光景を見て。
私は思った。
もけれどもたらここは、私の居場所なのかもしれない。