「……明後日以降の予定は藤堂さん待ちってことで、今日はこれで解散」
「お疲れ様でした」
礼儀はちゃんとする。エスブレのルールにより、ここはいい加減にはならない。ちゃんと立ち止まり頭を下げて終わる。リーダーの凛さんも例外ではない。威張り散らして俺たちを見下ろしてる、なんてこともなくきちんと互いに礼を尽くして終わる。
いよいよか、呼ばれるんだな。
「お先っす」
「じゃあ、おさきにー」
と次々にレッスン室を出ていく。
みんな事務所の寮で一緒に生活している、なんてことはないので、これからそれぞれプライベートの用事があったりするのだろう。俺と飛鳥さん、学生組は実家暮らし、これもエスブレルール。何も不満はないので問題なし。あとの人たちは一人暮らし、かな、多分。
東雲さんも出て行って、俺と凛さんが残る。
「お、樹は居残り練習か? 藤堂さんにちゃんと連絡しとけよ? あまり遅くならんように」
帰り支度ができたらしい凛さんは自分のバッグを手に取り立ち上がる。
え……。
「じゃ、お疲れさん」
え。
凛さんがレッスン室を出ていく。
ちょっと待って。
俺は?
ドアが閉まって。
嫌だ。
待って。
カバンを整える振りをしながら中腰で待っていた俺は、這うように足がもつれながらも急いでレッスン室を出て凛さんを追う。
「凛さんっ」
「ん? どした?」
いつも通りで。
振り返った凛さんは。
少し笑みもあって。笑ってる? 怒ってない?
……。
俺はもしかして。
もう……。
嫌だ。
「凛さん、お話、が」
「ん? 今か?」
「はい……」
凛さんの反応がわからない。全然想定されてない感じで。でも今じゃなかったから一体いつに。
「100番でいいか?」
……100番とはここの防音室となっている個室をさす言葉で、いくつかある個室の部屋番号が101番から振られているためにそう呼ばれている。ちなみにレッスン室は001番から。
話をするのに大きな部屋はいらない、確かに。これからここを使う人たちもいるかもしれないし。
レッスン室や個室に鍵はない。予約優先ではあるものの、空室であれば誰でも使える。
ちょうど目の前の個室が空いていたのでそこに入ることになり。……凛さんと飛鳥さんが話をしてた部屋だ。
「で、どうした、樹」
丸椅子に腰を下ろした、やっぱりいつも通りの凛さんで。俺が何を話すかなんて一ミリも想像できていない感じだ。
どんどん体が重くなっていくのを感じながら、椅子に座る勇気もないまま俺の視線は下がっていった。
「……すみませんでした」
もう手遅れなんじゃないかという気もしてきた。これから何を言ったって。
「ん? 何の話だよ。お前、何かやらかしたか?」
やらかしてませんか、俺。忘れるほどに大したことじゃなかったのですか。
生意気言って飛鳥さんを怒らせたことも、いつまでも和解せずに無視されたままで空気を悪くしてたことも、大したことじゃなかったらしい。
「……」
忘れるほどに、俺は、存在が薄くて、何をやっても大したことじゃなくて、グループに少しも影響がなくて。
「樹?」
凛さんと目を合わせられない。
飛鳥さんと会議で……と言って、そんなこと知らない、と言われたら、もう終わりだ。
「……」
一年頑張ってきたつもりだった。追いついたなんて思ったことは一度もないけど、これ以上引き離されないよう必死だった。必死だからいいというわけじゃない。ちゃんと成果を出さなければ何の意味もない。過程じゃなく結果。
エスブレのみんなに認めてもらえなければ意味がない。ちゃんとエスブレの枠にお前は入ってる、と思ってもらえなければ。
「力不足なのはわかって、います」
頑張っても、まだ足りない。
「樹?」
でも。
「俺なりに頑張って……そんなのは何の意味もないのはわかっています」
ここにいたい。
「樹? どうした」
手遅れだとしても、あと一ミリぐらいはエスブレのドアは開いているかもしれない。
「もっと頑張ります、歌もダンスも死に物狂いで練習します」
今こじ開けないと、もうきっと。
「俺はエスブレに、いたいです」
鼻先がつんと痛くなって、ダメだと思う前に目に涙が溜まった。
「いさせてください」
声がかすれて、ブレて。
「お願いします」
床にぼたぼたと涙が落ちた。勝手に溢れては落ちていく。
「お願いします」
直立不動で頭を下げる。
「た、くさん努、力しま、す……っ」
小さな嗚咽が邪魔をする。
「おい。お前は何を言ってるんだ。誰か何か言ったのか? 飛鳥か?」
凛さんが立ち上がり俺の顔を覗き込もうとする。今更でも顔を見られたくない、子供じゃあるまいし、いい歳してみっともなく泣く姿を見せたくない。
ちゃんとお願いしないといけないのに。めそめそと泣くような情けない自分を。
「ち、がっ……いま……っ……誰、も何っ、も言っ、て、ませ……」
違う。凛さんが何も言わないから。今だって飛鳥さんの名前を最初に挙げる。
飛鳥さんが一番でも大事でもいい。俺はここにいたい。
「お願い、しま――」
……言葉の途中で腰を強く引かれ、凛さんにハグされていた。頭ごと凛さんの胸の中にいて。
「馬鹿、勝手に泣くな」
そう言った凛さんの腕の、指の力が強くなる。
「す、すみま、せ……でも……っ」
涙が凛さんのシャツを濡らす。駄目だ、離れないと。わずかにしか動かせない手でやんわり押し返す。
も、さらに強く凛さんの腕に力が入る。
「でもじゃない、お前が初めてここに来た日から今までずっとお前はエスブレのメンバーだ。誰にも否定させない」
力強い声が部屋に響く。
「でも、俺は、まだまだ努力がっ、足り、なくて……っ。だ、から、凛さ……んに、見放され、て……っ」
口にするともっと辛くなって、目頭が更に熱くなっていく。泣きたいわけじゃないのに、流れていく涙を止められない。
「何で俺がお前を見放すんだ。努力を続けるお前を見放すわけがない」
「でっ、でも、俺は、呼ばれ、なくて……」
その瞬間、ぐいっと肩を掴まれ、引き離された。
「……飛鳥か」
そう言って凛さんは手を放し、俺はそのままよろけてすぐ後ろにある壁に背中がぶつかる。
「俺のせいだな」
凛さんが一歩、離れてしまった距離を詰める。
「ちが、いま、す……」
せいとか、そういうことじゃない、けど。
「……悪かった。頼むから泣くな」
右手を伸ばし、俺の頭を撫でる。いつものくしゃくしゃやがしがしじゃなくて、滑るように撫でて。
……あ。
左手を壁について、ぐっと、影になるほど凛さんが近付いて。
右手が頬まで降りてきて。
……な、に……? これ、何……?
「泣かれるのが一番堪える」
凛さんの親指がゆっくりと唇に触れて。
……身体が固まった。唇なんて人に触れられたことなんか一度もなくて。指一本すら動かない。
見上げた凛さんの目が、今まで見たことのない色で。伏し目がちで、光が見えなくて。
違う。いつもと。凛さん、じゃない。こんなことしない。知らない。怖い。
凛さんの顔が近付いてくる。
「……う」
思わず目をぎゅっと閉じて息を止めた。
……一秒、二秒たって。
「すまん……気を付けて帰れ」
凛さんの静かな声が聞こえ、目の前の気配が消える。
そして目を開けた時には、部屋のドアが閉まる音だけだった。
「な、なに……?」
壁をずるずると滑り落ちて。
涙はいつの間にか乾いていて。
「お疲れ様でした」
礼儀はちゃんとする。エスブレのルールにより、ここはいい加減にはならない。ちゃんと立ち止まり頭を下げて終わる。リーダーの凛さんも例外ではない。威張り散らして俺たちを見下ろしてる、なんてこともなくきちんと互いに礼を尽くして終わる。
いよいよか、呼ばれるんだな。
「お先っす」
「じゃあ、おさきにー」
と次々にレッスン室を出ていく。
みんな事務所の寮で一緒に生活している、なんてことはないので、これからそれぞれプライベートの用事があったりするのだろう。俺と飛鳥さん、学生組は実家暮らし、これもエスブレルール。何も不満はないので問題なし。あとの人たちは一人暮らし、かな、多分。
東雲さんも出て行って、俺と凛さんが残る。
「お、樹は居残り練習か? 藤堂さんにちゃんと連絡しとけよ? あまり遅くならんように」
帰り支度ができたらしい凛さんは自分のバッグを手に取り立ち上がる。
え……。
「じゃ、お疲れさん」
え。
凛さんがレッスン室を出ていく。
ちょっと待って。
俺は?
ドアが閉まって。
嫌だ。
待って。
カバンを整える振りをしながら中腰で待っていた俺は、這うように足がもつれながらも急いでレッスン室を出て凛さんを追う。
「凛さんっ」
「ん? どした?」
いつも通りで。
振り返った凛さんは。
少し笑みもあって。笑ってる? 怒ってない?
……。
俺はもしかして。
もう……。
嫌だ。
「凛さん、お話、が」
「ん? 今か?」
「はい……」
凛さんの反応がわからない。全然想定されてない感じで。でも今じゃなかったから一体いつに。
「100番でいいか?」
……100番とはここの防音室となっている個室をさす言葉で、いくつかある個室の部屋番号が101番から振られているためにそう呼ばれている。ちなみにレッスン室は001番から。
話をするのに大きな部屋はいらない、確かに。これからここを使う人たちもいるかもしれないし。
レッスン室や個室に鍵はない。予約優先ではあるものの、空室であれば誰でも使える。
ちょうど目の前の個室が空いていたのでそこに入ることになり。……凛さんと飛鳥さんが話をしてた部屋だ。
「で、どうした、樹」
丸椅子に腰を下ろした、やっぱりいつも通りの凛さんで。俺が何を話すかなんて一ミリも想像できていない感じだ。
どんどん体が重くなっていくのを感じながら、椅子に座る勇気もないまま俺の視線は下がっていった。
「……すみませんでした」
もう手遅れなんじゃないかという気もしてきた。これから何を言ったって。
「ん? 何の話だよ。お前、何かやらかしたか?」
やらかしてませんか、俺。忘れるほどに大したことじゃなかったのですか。
生意気言って飛鳥さんを怒らせたことも、いつまでも和解せずに無視されたままで空気を悪くしてたことも、大したことじゃなかったらしい。
「……」
忘れるほどに、俺は、存在が薄くて、何をやっても大したことじゃなくて、グループに少しも影響がなくて。
「樹?」
凛さんと目を合わせられない。
飛鳥さんと会議で……と言って、そんなこと知らない、と言われたら、もう終わりだ。
「……」
一年頑張ってきたつもりだった。追いついたなんて思ったことは一度もないけど、これ以上引き離されないよう必死だった。必死だからいいというわけじゃない。ちゃんと成果を出さなければ何の意味もない。過程じゃなく結果。
エスブレのみんなに認めてもらえなければ意味がない。ちゃんとエスブレの枠にお前は入ってる、と思ってもらえなければ。
「力不足なのはわかって、います」
頑張っても、まだ足りない。
「樹?」
でも。
「俺なりに頑張って……そんなのは何の意味もないのはわかっています」
ここにいたい。
「樹? どうした」
手遅れだとしても、あと一ミリぐらいはエスブレのドアは開いているかもしれない。
「もっと頑張ります、歌もダンスも死に物狂いで練習します」
今こじ開けないと、もうきっと。
「俺はエスブレに、いたいです」
鼻先がつんと痛くなって、ダメだと思う前に目に涙が溜まった。
「いさせてください」
声がかすれて、ブレて。
「お願いします」
床にぼたぼたと涙が落ちた。勝手に溢れては落ちていく。
「お願いします」
直立不動で頭を下げる。
「た、くさん努、力しま、す……っ」
小さな嗚咽が邪魔をする。
「おい。お前は何を言ってるんだ。誰か何か言ったのか? 飛鳥か?」
凛さんが立ち上がり俺の顔を覗き込もうとする。今更でも顔を見られたくない、子供じゃあるまいし、いい歳してみっともなく泣く姿を見せたくない。
ちゃんとお願いしないといけないのに。めそめそと泣くような情けない自分を。
「ち、がっ……いま……っ……誰、も何っ、も言っ、て、ませ……」
違う。凛さんが何も言わないから。今だって飛鳥さんの名前を最初に挙げる。
飛鳥さんが一番でも大事でもいい。俺はここにいたい。
「お願い、しま――」
……言葉の途中で腰を強く引かれ、凛さんにハグされていた。頭ごと凛さんの胸の中にいて。
「馬鹿、勝手に泣くな」
そう言った凛さんの腕の、指の力が強くなる。
「す、すみま、せ……でも……っ」
涙が凛さんのシャツを濡らす。駄目だ、離れないと。わずかにしか動かせない手でやんわり押し返す。
も、さらに強く凛さんの腕に力が入る。
「でもじゃない、お前が初めてここに来た日から今までずっとお前はエスブレのメンバーだ。誰にも否定させない」
力強い声が部屋に響く。
「でも、俺は、まだまだ努力がっ、足り、なくて……っ。だ、から、凛さ……んに、見放され、て……っ」
口にするともっと辛くなって、目頭が更に熱くなっていく。泣きたいわけじゃないのに、流れていく涙を止められない。
「何で俺がお前を見放すんだ。努力を続けるお前を見放すわけがない」
「でっ、でも、俺は、呼ばれ、なくて……」
その瞬間、ぐいっと肩を掴まれ、引き離された。
「……飛鳥か」
そう言って凛さんは手を放し、俺はそのままよろけてすぐ後ろにある壁に背中がぶつかる。
「俺のせいだな」
凛さんが一歩、離れてしまった距離を詰める。
「ちが、いま、す……」
せいとか、そういうことじゃない、けど。
「……悪かった。頼むから泣くな」
右手を伸ばし、俺の頭を撫でる。いつものくしゃくしゃやがしがしじゃなくて、滑るように撫でて。
……あ。
左手を壁について、ぐっと、影になるほど凛さんが近付いて。
右手が頬まで降りてきて。
……な、に……? これ、何……?
「泣かれるのが一番堪える」
凛さんの親指がゆっくりと唇に触れて。
……身体が固まった。唇なんて人に触れられたことなんか一度もなくて。指一本すら動かない。
見上げた凛さんの目が、今まで見たことのない色で。伏し目がちで、光が見えなくて。
違う。いつもと。凛さん、じゃない。こんなことしない。知らない。怖い。
凛さんの顔が近付いてくる。
「……う」
思わず目をぎゅっと閉じて息を止めた。
……一秒、二秒たって。
「すまん……気を付けて帰れ」
凛さんの静かな声が聞こえ、目の前の気配が消える。
そして目を開けた時には、部屋のドアが閉まる音だけだった。
「な、なに……?」
壁をずるずると滑り落ちて。
涙はいつの間にか乾いていて。



