壁掛けの時計の針は午後十時を過ぎたあたりを指していて。
ようやく事務所に帰ってきた。スタジオに入ったのは昼イチだったから我ながらよく働いた。
「樹君、今日はよく頑張ったね。ボイトレの先生も褒めてたよ」
藤堂さんとレッスン室に入り、一息つく。
「ありがとうございます!」
こんな日にレコーディングなんて本当ならば腐ったっていい。
随分前からクリパをしようと友人たちに誘われていたのに、断らざるを得なかった。仕方ない。頭ではわかっている、仕事だから。
しかも自分だけ。ボーカルだからそれも仕方ない。他のみんなはみんなで俺とは違うところで頑張っているのだ、たまたま今日が、クリスマスイブがボーカルである俺の仕事にあたった、というだけだ。
もっとも、東雲さんは昨日だった。それは今日別の仕事が入っていたから。なるべくして今日だったのだ。
「さすが僕が見つけてきた」
「金の卵!」
言葉尻をとってセリフを奪う。
「もう立派に羽ばたいてるけどね」
生意気なガキだと嫌な顔もせずに嬉しそうに笑ってくれる。
藤堂さんは事務所とレーディングスタジオを行ったり来たりで、申し訳ないぐらいに忙しかったのに。
「まだまだです」
僕が見つけた金の卵、いつもそう言って励ましてくれていた。
「もともとの良いところがさらに進化してるって言ってたよ」
歌にはそこそこ自信があって、歌手になりたいと思ってはいた(だからこそ藤堂さんが見つけてくれたのだと思う)。足を引っ張らないよう頑張るつもりで、ちょうどこのレッスン室だ、最初の顔合わせに来たら、見事に誰もいなかった。
あとから来た藤堂さんが驚いてみんなを引きずるように連れてきてくれたけどその時のみんなの視線が今でも忘れられない。
一瞬にして来るのを間違えたと思ったし、この人たちとやっていけないと思った。
興味なさそうに、部外者扱いの視線で。何しに来たのかと、お前の居場所はないと、そう語っていた。
「実は少しコツみたいなのがわかってきたかもって」
今はもう違う。藤堂さんに助けられて、リーダーの凛さんに助けられて、メンバーの一員として認めてもらえている、と思う。メジャーデビュー目前の少し前のことだけど。
それでも一番歳が近い二つ上の飛鳥さんとは未だ衝突が多い。俺のことがやっぱり気に入らないんだと思う。ことあるごとに「苦労知らずのボーカルちゃん」と嫌味を言われる。
「そうなんだ。ますます楽しみだね」
頑張れたのは藤堂さんがいたから。俺を信じて支えてくれたから簡単にやめたりしないと固く誓っていた。
藤堂さんは他のメンバーを悪く言わなかったが俺が悪いと叱ったりもしなかった。熱い心を持っていても冷静な目も持っていて、心が折れそうになった時も俺が納得のいく言葉を選んで諭してくれた。
意地悪をするメンバーが一方的に悪いとは俺も思ってなかった。複雑な気持ちもあったのだろうとは思うから。俺が認められるように頑張るしかないのだと。
ツインボーカルに俺を強く推してくれた(と聞いている)藤堂さんの顔に泥を塗りたくない。この人の采配が間違っていたと思われたくない。
絶対頑張りたい。頑張って、誰よりもたくさん褒めてもらいたい、と思っていた。いや、やっぱり今も思っている。
「そんな樹君に」
……うん。
他の人からどんなにぼろくそに言われても藤堂さんがひとこと褒めてくれるならそれでいい。
穏やかで優しくて、分け隔てなくて、グループのことを常に想っていて、俺を辛抱強く背中を見せることなくずっと支えてくれる人。
それがマネージャーというものなのだろうけども。
「プレゼント」
そう言うと藤堂さんはレッスン室を出て、三分足らずで戻って来た。
小さな紙箱と小さな紙袋を提げて。
「クリスマスイブなのにご家族や友達と過ごせなくてごめんね」
「これ……」
「うん、クリスマスケーキとクリスマスプレゼント」
よく見ると有名洋菓子店のロゴが入った小箱で、紙袋はクリスマス仕様の近所の百貨店のものだ。
「藤堂さんのポケットマネー?」
冗談交じりに言ってみたら。
「そうだよ。だからあんまり高価じゃないんだけど」
「嬉しいです。ありがとうございます!」
嬉しいに決まってる。どんなものだって、藤堂さんがくれるもので嬉しくないものなんて存在しない。
「ホテルはいつものところだよ。フロントには通してあるから。一人のイブになってしまってホントごめんね」
「いえ、ケーキもプレゼントもあるので贅沢なイブです」
仕事で遅くなった時は学校の寮に帰らずに事務所の定宿でもあるすぐ近くのホテルに泊まることになっている。事務所と親と学校との協議の末決まったことだ。
泊まるのは俺一人で藤堂さんはもちろん家へ帰る。
「プレゼント開けていいですか?」
「もちろん」
開けてみせるのが礼儀だろうとかそんなことじゃなく。早く中を見てみたかった。藤堂さんが俺にくれたプレゼント。
……万年筆。高級そうなケースの中で深い青色のボディが上品に光っていた。
「年明け大学受験だし、とはいえ直接は関係ないと思うけど、こういうの一本持っておくと便利かなって」
万年筆なんてもちろん持ってない。ガキがこれまでの人生で使う場面なんてないし。
「大人っぽいですね」
年が明けたって未成年には変わりないが。
「僕も持ってて、すごく書きやすいんだ」
え。
「お揃い?」
「そう。僕は黒だけどね。だからインク切れたら僕のを分けてあげられるよ」
にこやかに笑うけど。
……この人はわかってない。そんなことを言ったら俺が調子に乗ってしまうことを。
俺はわかってるのに。ちゃんとわかってる。このジクジクした気持ちは行き場もなければ吐き出す場もない。
この人は既婚者だから。困らせるつもりもわがままを言うつもりもない。このまま、でいい。
「ありがとうございます。お揃いめちゃめちゃ嬉しいです」
でも俺はガキだからそのまま、思ったことを口にする。どうせ伝わることはないのだから。
「よかった、喜んでもらえて。じゃあそろそろ帰ろうか」
「あ、俺着換えて出ますんで先にどうぞ」
待ってる人がいる。今日はクリスマスイブだ。早く行ってあげてください。
「そう? じゃあお先に。しっかり休むんだよ。何かあったら連絡してね」
「はい。お疲れ様でした」
藤堂さんは残していく俺を少し気にしながらレッスン室を出て行った。
ようやく事務所に帰ってきた。スタジオに入ったのは昼イチだったから我ながらよく働いた。
「樹君、今日はよく頑張ったね。ボイトレの先生も褒めてたよ」
藤堂さんとレッスン室に入り、一息つく。
「ありがとうございます!」
こんな日にレコーディングなんて本当ならば腐ったっていい。
随分前からクリパをしようと友人たちに誘われていたのに、断らざるを得なかった。仕方ない。頭ではわかっている、仕事だから。
しかも自分だけ。ボーカルだからそれも仕方ない。他のみんなはみんなで俺とは違うところで頑張っているのだ、たまたま今日が、クリスマスイブがボーカルである俺の仕事にあたった、というだけだ。
もっとも、東雲さんは昨日だった。それは今日別の仕事が入っていたから。なるべくして今日だったのだ。
「さすが僕が見つけてきた」
「金の卵!」
言葉尻をとってセリフを奪う。
「もう立派に羽ばたいてるけどね」
生意気なガキだと嫌な顔もせずに嬉しそうに笑ってくれる。
藤堂さんは事務所とレーディングスタジオを行ったり来たりで、申し訳ないぐらいに忙しかったのに。
「まだまだです」
僕が見つけた金の卵、いつもそう言って励ましてくれていた。
「もともとの良いところがさらに進化してるって言ってたよ」
歌にはそこそこ自信があって、歌手になりたいと思ってはいた(だからこそ藤堂さんが見つけてくれたのだと思う)。足を引っ張らないよう頑張るつもりで、ちょうどこのレッスン室だ、最初の顔合わせに来たら、見事に誰もいなかった。
あとから来た藤堂さんが驚いてみんなを引きずるように連れてきてくれたけどその時のみんなの視線が今でも忘れられない。
一瞬にして来るのを間違えたと思ったし、この人たちとやっていけないと思った。
興味なさそうに、部外者扱いの視線で。何しに来たのかと、お前の居場所はないと、そう語っていた。
「実は少しコツみたいなのがわかってきたかもって」
今はもう違う。藤堂さんに助けられて、リーダーの凛さんに助けられて、メンバーの一員として認めてもらえている、と思う。メジャーデビュー目前の少し前のことだけど。
それでも一番歳が近い二つ上の飛鳥さんとは未だ衝突が多い。俺のことがやっぱり気に入らないんだと思う。ことあるごとに「苦労知らずのボーカルちゃん」と嫌味を言われる。
「そうなんだ。ますます楽しみだね」
頑張れたのは藤堂さんがいたから。俺を信じて支えてくれたから簡単にやめたりしないと固く誓っていた。
藤堂さんは他のメンバーを悪く言わなかったが俺が悪いと叱ったりもしなかった。熱い心を持っていても冷静な目も持っていて、心が折れそうになった時も俺が納得のいく言葉を選んで諭してくれた。
意地悪をするメンバーが一方的に悪いとは俺も思ってなかった。複雑な気持ちもあったのだろうとは思うから。俺が認められるように頑張るしかないのだと。
ツインボーカルに俺を強く推してくれた(と聞いている)藤堂さんの顔に泥を塗りたくない。この人の采配が間違っていたと思われたくない。
絶対頑張りたい。頑張って、誰よりもたくさん褒めてもらいたい、と思っていた。いや、やっぱり今も思っている。
「そんな樹君に」
……うん。
他の人からどんなにぼろくそに言われても藤堂さんがひとこと褒めてくれるならそれでいい。
穏やかで優しくて、分け隔てなくて、グループのことを常に想っていて、俺を辛抱強く背中を見せることなくずっと支えてくれる人。
それがマネージャーというものなのだろうけども。
「プレゼント」
そう言うと藤堂さんはレッスン室を出て、三分足らずで戻って来た。
小さな紙箱と小さな紙袋を提げて。
「クリスマスイブなのにご家族や友達と過ごせなくてごめんね」
「これ……」
「うん、クリスマスケーキとクリスマスプレゼント」
よく見ると有名洋菓子店のロゴが入った小箱で、紙袋はクリスマス仕様の近所の百貨店のものだ。
「藤堂さんのポケットマネー?」
冗談交じりに言ってみたら。
「そうだよ。だからあんまり高価じゃないんだけど」
「嬉しいです。ありがとうございます!」
嬉しいに決まってる。どんなものだって、藤堂さんがくれるもので嬉しくないものなんて存在しない。
「ホテルはいつものところだよ。フロントには通してあるから。一人のイブになってしまってホントごめんね」
「いえ、ケーキもプレゼントもあるので贅沢なイブです」
仕事で遅くなった時は学校の寮に帰らずに事務所の定宿でもあるすぐ近くのホテルに泊まることになっている。事務所と親と学校との協議の末決まったことだ。
泊まるのは俺一人で藤堂さんはもちろん家へ帰る。
「プレゼント開けていいですか?」
「もちろん」
開けてみせるのが礼儀だろうとかそんなことじゃなく。早く中を見てみたかった。藤堂さんが俺にくれたプレゼント。
……万年筆。高級そうなケースの中で深い青色のボディが上品に光っていた。
「年明け大学受験だし、とはいえ直接は関係ないと思うけど、こういうの一本持っておくと便利かなって」
万年筆なんてもちろん持ってない。ガキがこれまでの人生で使う場面なんてないし。
「大人っぽいですね」
年が明けたって未成年には変わりないが。
「僕も持ってて、すごく書きやすいんだ」
え。
「お揃い?」
「そう。僕は黒だけどね。だからインク切れたら僕のを分けてあげられるよ」
にこやかに笑うけど。
……この人はわかってない。そんなことを言ったら俺が調子に乗ってしまうことを。
俺はわかってるのに。ちゃんとわかってる。このジクジクした気持ちは行き場もなければ吐き出す場もない。
この人は既婚者だから。困らせるつもりもわがままを言うつもりもない。このまま、でいい。
「ありがとうございます。お揃いめちゃめちゃ嬉しいです」
でも俺はガキだからそのまま、思ったことを口にする。どうせ伝わることはないのだから。
「よかった、喜んでもらえて。じゃあそろそろ帰ろうか」
「あ、俺着換えて出ますんで先にどうぞ」
待ってる人がいる。今日はクリスマスイブだ。早く行ってあげてください。
「そう? じゃあお先に。しっかり休むんだよ。何かあったら連絡してね」
「はい。お疲れ様でした」
藤堂さんは残していく俺を少し気にしながらレッスン室を出て行った。

