「え、これ、すごくね? ちゃんとみんな書いてくれてる」
晩飯を食って風呂も済ませてから、多田の部屋をノックした。夏休みに多田と約束したみんなのサインを渡すためだ。
手渡した色紙はエスブレ7人分と、なぜだか藤堂さんの署名、事務所のゴム印が押してある特別仕様というか、本物のサインだと証明してるような色紙になっていた。
7人のサインを書いた後、藤堂さんが一度引き取って、事務所の封筒に入った状態で俺の手元に戻ってきた。お決まりの文句と言うか、絶対に転売はしないように伝えてね、と言って。
多田は嬉しそうに色紙を裏表眺めて(ゴム印と藤堂さんの署名は裏にある)いた。
「桐谷の、カッコ可愛いじゃん、ちっちゃなハートが飛んでるし。これってさ、練習すんの?」
「俺のは何の面白みもないけど、それなりにするよ……」
恥ずかしいことを訊いてくる。
Kiriって少し崩して書いてその隣にもう一つiを筆記体で書いて頭の点の代わりにハートが書いてある、俺のサインはそんなに練習しなくても書ける代物だ。
最初、ハートはついてなかったのだ。凛さんが何か簡単で寂し過ぎるな、とか言って、瑞希さんがハートつけようよ、って言いだして、これになったのだ。
ちなみに瑞希さんと凛さんと東雲さんと海斗さんのサインはめちゃくちゃカッコいい。瑞希さんは書き慣れていて、凛さんはスポーツ選手のようなぐしゃぐしゃっとした感じだけど書き方がカッコよくて、東雲さんは優しくて暖かみを感じるサイン、海斗さんは筆記体の流れるような美しいサイン。
京さんと飛鳥さんは、どちらかというと普通に名前を書きました、という感じ。
実は、ファンの人にサインをしたことがまだない。そもそもがサインはしない方針らしく、アルバム全曲購入特典のブックレットに小さくみんなのが載るのが初めてになる。
この色紙、そういえばみんなフルネームで書いてある。メンバーのフルネームはまだ非公開なのに、だ。俺だけキリって書いてる……えぇ、フルネームで書けばよかったかな。
「多田、マネージャーから転売はしないようお願いしますって、言われてる」
しないとわかっているが、藤堂さんに言われた以上、伝えるのが筋だ。
「わかってるよ、当たり前じゃん。家宝に、って言ってんのにそんなことせんよ」
うん、わかってる。
「俺さ、S-Bulletのアルバム買って母親に送ったんだよ。そしたらファンクラブはないのか、ってSNS探しに行ってたわ」
「え……」
「あ、もちろん桐谷のことは言ってない。俺が今ハマってるって言って渡したんだよ。あの人フットワーク軽くてさ、ライブも行きそうな感じ」
わははと多田は笑った。
「ファンクラブは……まだそんな話ないからあっても先になると思うよ」
ファンクラブか……できるんだろうか。藤堂さんの言う数字、だよな、それも。
「ありがと、多田」
聴いてくれた多田のお母さんにも感謝だ。
「頑張ってる奴は応援したいじゃん、一年間一緒の部屋で過ごした仲なんだしさ」
飄々としてるが、多田は優しい。医学部を受けるって言ってた。意外と子供受けするような先生になるのかもしれないな。
「そう言えば今年の文化祭はさ、さすがにステージ出れないよな?」
「うん」
言えば絶対止められるだろうし、押し切って出る勇気もない。特に今は大事な時だ、俺自身もエスブレも。問題になって学校を退学になるわけにはいかない。
思えば楽しかった。一年前、何者でもなかった俺は演歌歌手の真似をして文化祭のステージで歌った。友達も一番前で見てくれて大きめのうちわをノリで振ってくれた。
「多田は執行部の仕事がまだあるんだっけ?」
「そう。新執行部と一緒に。最後の仕事が文化祭」
そして受験勉強の最後のあがきに突入だ。3年生はもう何の仕事もなくなって。
「一年間、お疲れ様。執行部なんてほんとすごいよ。立候補だったよな、頭が下がる」
俺なんか抜け出してカラオケ通いしてばっかりで。
「いや違うんだよ、立候補っていうか、数合わせに半ば強制的でさ。樫木関連でお礼を兼ねてっていうか……」
「でも、できない奴に仕事は振らないだろ? 多田はちゃんと評価されてたんだよ」
「いやホントにそんな理由じゃないんだよ、評価されようもないし。俺がポンコツでも他が優秀だからいいんだけどさ」
桜野に北見、副会長は二年生だ。多田の言い方だとそいつもできる奴なのだろう。
「あ、そういや、俺今日ちょうど生クリームメロンパン買ったんだけど、持ってく?」
多田は机の上のレジ袋を手に取った。
相部屋の頃、多田が下界(要は寮を出て、街へ行くこと。学校も寮も小山の上にあるので、昔からそう呼ばれている)に行ったら必ず買ってきていた菓子パン。
デパ地下パンで、メロンパンにたっぷり生クリームが挟んである。これがめちゃくちゃ美味しいのだ。俺の分も買ってきてくれていて。久しぶりにその名を聞いた。
今は部屋が違うから、当然お裾分けもない。三年になって個室になると、約束して飯に行くとか風呂に行くとかしないと本当に会わなくなるのだ。
「でも俺、財布持ってきてないわ」
色紙だけ渡せればいいやと、財布や携帯は部屋に置いてきたんだった。
「や、いいよ。食べ尽くして一個しかやれないし」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
ふと腕時計をみると、そろそろ藤堂さんに定時連絡しなければならない時間だった。監視……かどうかは分からないけど気にかけてくれて、テキストメッセージで構わないから毎日連絡するようにと言われている。
……きっと監視もあるな。
スカウトを受けて最初の頃、アルバイトも夜遊びも禁止だと言われていたのに、こっそり寮を抜け出して夜の街に出かけたことがあって。そういう時に限って藤堂さんと凛さんにばったり出会って、こんな時間に一人で何をしてるんだとその場で怒られた。
こんな時間って言っても夜の9時過ぎで、歌の練習で通ってるカラオケ屋に向かっている途中だった。凛さんには頭ごなしに怒られて、藤堂さんにはこんこんと諭された。トラブルや怪我、タレントとしてちゃんと考えてほしい、特にグループだからと。
もちろんそれ以来、歌の練習は寮の部屋とか実家とか、事務所のレッスン室でやっている。そして定時に連絡を入れることを藤堂さんと約束したのだ。何かを報告するということではなく、所在確認というか、生存確認というか。
多田にはそれぐらいは言っても構わないだろうと、マネージャーへの定時連絡の時間だからと言って生クリームメロンパンを手に多田の部屋を後にした。
自分の部屋へ戻る道すがらぼんやりと思う。
遠いところまで来たなと。周りのみんなは変わってない、俺だけ。今ここにいる俺が本当の姿で、フードを目深に被って姿を偽って歌っているのは仮の姿。のはずなのに、ここにいる俺もガラス板で仕切られみんなから遠ざかって。
多田にだって、手を伸ばせば触れられるはずなのに届かない気がする。
本当の俺と偽りの俺が一つになったとしても、もどかしさや寂しさを感じるこの距離はゼロになることはないのかもしれない、もう。
そう言えば、俺、みんなのサイン持ってない。欲しかったな。いつか、書いてもらおうっと。
晩飯を食って風呂も済ませてから、多田の部屋をノックした。夏休みに多田と約束したみんなのサインを渡すためだ。
手渡した色紙はエスブレ7人分と、なぜだか藤堂さんの署名、事務所のゴム印が押してある特別仕様というか、本物のサインだと証明してるような色紙になっていた。
7人のサインを書いた後、藤堂さんが一度引き取って、事務所の封筒に入った状態で俺の手元に戻ってきた。お決まりの文句と言うか、絶対に転売はしないように伝えてね、と言って。
多田は嬉しそうに色紙を裏表眺めて(ゴム印と藤堂さんの署名は裏にある)いた。
「桐谷の、カッコ可愛いじゃん、ちっちゃなハートが飛んでるし。これってさ、練習すんの?」
「俺のは何の面白みもないけど、それなりにするよ……」
恥ずかしいことを訊いてくる。
Kiriって少し崩して書いてその隣にもう一つiを筆記体で書いて頭の点の代わりにハートが書いてある、俺のサインはそんなに練習しなくても書ける代物だ。
最初、ハートはついてなかったのだ。凛さんが何か簡単で寂し過ぎるな、とか言って、瑞希さんがハートつけようよ、って言いだして、これになったのだ。
ちなみに瑞希さんと凛さんと東雲さんと海斗さんのサインはめちゃくちゃカッコいい。瑞希さんは書き慣れていて、凛さんはスポーツ選手のようなぐしゃぐしゃっとした感じだけど書き方がカッコよくて、東雲さんは優しくて暖かみを感じるサイン、海斗さんは筆記体の流れるような美しいサイン。
京さんと飛鳥さんは、どちらかというと普通に名前を書きました、という感じ。
実は、ファンの人にサインをしたことがまだない。そもそもがサインはしない方針らしく、アルバム全曲購入特典のブックレットに小さくみんなのが載るのが初めてになる。
この色紙、そういえばみんなフルネームで書いてある。メンバーのフルネームはまだ非公開なのに、だ。俺だけキリって書いてる……えぇ、フルネームで書けばよかったかな。
「多田、マネージャーから転売はしないようお願いしますって、言われてる」
しないとわかっているが、藤堂さんに言われた以上、伝えるのが筋だ。
「わかってるよ、当たり前じゃん。家宝に、って言ってんのにそんなことせんよ」
うん、わかってる。
「俺さ、S-Bulletのアルバム買って母親に送ったんだよ。そしたらファンクラブはないのか、ってSNS探しに行ってたわ」
「え……」
「あ、もちろん桐谷のことは言ってない。俺が今ハマってるって言って渡したんだよ。あの人フットワーク軽くてさ、ライブも行きそうな感じ」
わははと多田は笑った。
「ファンクラブは……まだそんな話ないからあっても先になると思うよ」
ファンクラブか……できるんだろうか。藤堂さんの言う数字、だよな、それも。
「ありがと、多田」
聴いてくれた多田のお母さんにも感謝だ。
「頑張ってる奴は応援したいじゃん、一年間一緒の部屋で過ごした仲なんだしさ」
飄々としてるが、多田は優しい。医学部を受けるって言ってた。意外と子供受けするような先生になるのかもしれないな。
「そう言えば今年の文化祭はさ、さすがにステージ出れないよな?」
「うん」
言えば絶対止められるだろうし、押し切って出る勇気もない。特に今は大事な時だ、俺自身もエスブレも。問題になって学校を退学になるわけにはいかない。
思えば楽しかった。一年前、何者でもなかった俺は演歌歌手の真似をして文化祭のステージで歌った。友達も一番前で見てくれて大きめのうちわをノリで振ってくれた。
「多田は執行部の仕事がまだあるんだっけ?」
「そう。新執行部と一緒に。最後の仕事が文化祭」
そして受験勉強の最後のあがきに突入だ。3年生はもう何の仕事もなくなって。
「一年間、お疲れ様。執行部なんてほんとすごいよ。立候補だったよな、頭が下がる」
俺なんか抜け出してカラオケ通いしてばっかりで。
「いや違うんだよ、立候補っていうか、数合わせに半ば強制的でさ。樫木関連でお礼を兼ねてっていうか……」
「でも、できない奴に仕事は振らないだろ? 多田はちゃんと評価されてたんだよ」
「いやホントにそんな理由じゃないんだよ、評価されようもないし。俺がポンコツでも他が優秀だからいいんだけどさ」
桜野に北見、副会長は二年生だ。多田の言い方だとそいつもできる奴なのだろう。
「あ、そういや、俺今日ちょうど生クリームメロンパン買ったんだけど、持ってく?」
多田は机の上のレジ袋を手に取った。
相部屋の頃、多田が下界(要は寮を出て、街へ行くこと。学校も寮も小山の上にあるので、昔からそう呼ばれている)に行ったら必ず買ってきていた菓子パン。
デパ地下パンで、メロンパンにたっぷり生クリームが挟んである。これがめちゃくちゃ美味しいのだ。俺の分も買ってきてくれていて。久しぶりにその名を聞いた。
今は部屋が違うから、当然お裾分けもない。三年になって個室になると、約束して飯に行くとか風呂に行くとかしないと本当に会わなくなるのだ。
「でも俺、財布持ってきてないわ」
色紙だけ渡せればいいやと、財布や携帯は部屋に置いてきたんだった。
「や、いいよ。食べ尽くして一個しかやれないし」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
ふと腕時計をみると、そろそろ藤堂さんに定時連絡しなければならない時間だった。監視……かどうかは分からないけど気にかけてくれて、テキストメッセージで構わないから毎日連絡するようにと言われている。
……きっと監視もあるな。
スカウトを受けて最初の頃、アルバイトも夜遊びも禁止だと言われていたのに、こっそり寮を抜け出して夜の街に出かけたことがあって。そういう時に限って藤堂さんと凛さんにばったり出会って、こんな時間に一人で何をしてるんだとその場で怒られた。
こんな時間って言っても夜の9時過ぎで、歌の練習で通ってるカラオケ屋に向かっている途中だった。凛さんには頭ごなしに怒られて、藤堂さんにはこんこんと諭された。トラブルや怪我、タレントとしてちゃんと考えてほしい、特にグループだからと。
もちろんそれ以来、歌の練習は寮の部屋とか実家とか、事務所のレッスン室でやっている。そして定時に連絡を入れることを藤堂さんと約束したのだ。何かを報告するということではなく、所在確認というか、生存確認というか。
多田にはそれぐらいは言っても構わないだろうと、マネージャーへの定時連絡の時間だからと言って生クリームメロンパンを手に多田の部屋を後にした。
自分の部屋へ戻る道すがらぼんやりと思う。
遠いところまで来たなと。周りのみんなは変わってない、俺だけ。今ここにいる俺が本当の姿で、フードを目深に被って姿を偽って歌っているのは仮の姿。のはずなのに、ここにいる俺もガラス板で仕切られみんなから遠ざかって。
多田にだって、手を伸ばせば触れられるはずなのに届かない気がする。
本当の俺と偽りの俺が一つになったとしても、もどかしさや寂しさを感じるこの距離はゼロになることはないのかもしれない、もう。
そう言えば、俺、みんなのサイン持ってない。欲しかったな。いつか、書いてもらおうっと。
