「瑠璃お姉様、本当に一人で大丈夫なの?」
「ええ。それに、今日は父の祝の日だから。他の日にはできないの」
それから少しして、瑠璃は橘の屋敷に一人で戻ることにした。
本来なら里帰りは、嫁いでから数日の後に行うものだ。ただ瑠璃は、継母のこともあり形式通りの「里帰り」はせず、父の祝いの日に家に戻ることになった。
(大丈夫。大丈夫よ)
本当のことを言えば、香月にはついてきて欲しかったが、仕事で忙しい彼に、自分のために時間を欲しいとは瑠璃はなかなか言い出せなかった。
そして前日、「明日は父の祝いのために家に帰ります」と言ったところ、瑠璃は香月に謝られてしまった。
きちんと伝えていれば、香月は時間を作るつもりはあったらしい。
家同士が決めた、兄の身代わりの結婚だというのに、香月は本当に優しい夫だと瑠璃は思った。
「どうぞ、こちらでお待ちください」
久々に橘の屋敷の門をくぐれば、一條に嫁入りしたおかげか、瑠璃は母屋に通された。
粗末な作りの離れと違い、橋がかけられ、庭には大きな池があり魚が泳いでいた。
春の花々が咲き、鳥の声が聞こえる。
実に「御三家」の――帝が愛する皇家の姫を迎え入れた男の屋敷に相応しい光景だ。
自分がいかにこの屋敷で疎まれていたか突きつけられるような美しさに、瑠璃は喉の奥が少し痛くなった。
そして、これから会う父を思い、心が少し沈む。
(お父様は、私なんてどうでもいいとお思いなのに、私が今日ここに来ることに、意味はあったのかしら)
香月を連れてこなかったのは――連れてこれなかったのは、香月に自分の生家での立場を知られたくなかったからかもしれないと瑠璃は思った。
瑠璃は、自分は親や家族に虐げられてきた存在だと、優しい婚家の人々に知られたくなかった。
(きっと、幻滅されてしまうわ)
誰かの優しさを享受しながら、己の弱さを隠すなんて、醜い人間の行いだ――瑠璃が、そう己のことを責めていたとき。
「……お姉様?」
可愛らしい少女の声が、瑠璃を呼んだ。
「姉様」
つづいて、可愛らしい少年の声。
「……一霞、凛桜」
瑠璃は、腹違いの双子の名前を呼んだ。
「お姉様、戻っていらしたの?」
一霞の声は、心なしか弾んでいるように瑠璃には聞こえた。
「ええ。お父様のお祝いのために今日だけね」
だがその声は、瑠璃の返答によってすぐに沈む。
「そうよね。お姉様には、里帰りなんて必要ないものね」
一霞の声は、拗ねているような、責めるような――どちらとも捉えがたい声音だった。
「ま、まあお姉様のような人なんて、婚家で大事にされているはずがないけれど! どうせ、これまでのように屋敷の端にでも追いやられているのでしょう? 親のいない無能のお姉様なんて、それがお似合いよね。……て、あら?」
じろじろと瑠璃を見て、ぐるぐる周りを回っていた一霞は、瑠璃の髪に刺さった香月からの簪をみてピタリと動きをとめる。
一霞の声には、一切の感情が籠もっていなかった。
「その簪は、どうされたの」
綺麗で、上品で、丁寧に作られた簪。
送り主の愛情がこもったような最上級の逸品。
瑠璃によく似合う、瑠璃の名前の色に似た、花の咲く髪飾り。
「これは、香月様からいただいたの」
瑠璃は嬉しくて、ついそう答えてしまった。
「誕生日の、お祝いに」
貴方はここにいていいんだと、自分は貴方を大切にすると、そう告げるかのような贈り物に触れて、瑠璃は綺麗に笑った。
「一條家の方々は、みんな良い方よ。こんな私を、家族として認めてくださっているわ。だから私今、とても幸せなの」
正直なことを言うと、瑠璃はここに来るのが少し怖かった。
でも、今の自分にはこの簪があるのだと思うと、瑠璃は不思議と笑えた。
そして気付く。
もう自分の居場所は、心の拠り所は、橘ではなく一條のあの屋敷にあるのだと――。
「……どうして姉様が、そんな顔をして笑うの」
一霞は何故か、今にも泣いてしまいそうな声でそう呟いた。
小さな体をぷるぷる震わせて、皺ができるのに服を強く掴んで、一霞は自分の感情を、必死に心のうちに留めようとしているかのようにすら瑠璃には見えた。
「一霞?」
いくら自分に酷い仕打ちをして来たとはいえ、相手は沙良より年下の妹。
瑠璃が一霞を心配して名前を呼べば、びくっと一霞は体を震わせた。
「……一霞」
怖がらせないように優しく名前を呼んで手を伸ばす。だがその時、妖しい花の香りがどこからか漂ってきた。
――薔薇の香り。
継母である宮子が、おそらくそばに来ているのだろう。
瑠璃がそう思いながらも一霞を心配していると、一霞は目元を拭ってからいつものように振る舞った。
「な、なんでもないわ!」
「でも」
「なんでもないったら!」
一霞は、瑠璃の手を振り払う。
その瞬間、瑠璃が今日の日のために用意した品が板の上に落ちた。
「これは……?」
「それは、お父様のお祝いに――」
藤の花と橘の花。
藤は――瑠璃の母、紫乃に因む花で、紫乃は生前、父から贈られたという藤や橘の花のあしらわれたものを大事にしていた。
瑠璃の母は身寄りがなく、和臣のために高価なものを用意することは叶わなかった。ただ糸を紡いで、自ら手を動かして和臣に贈り物を作っていた。
今日は父の祝い。
瑠璃は、母が父にしていたように、父にそれを贈りたかった。
「糸から作って、私が刺繍をしたの。昔、お母様に教わったから」
瑠璃がそう言うと、一霞の表情がまた曇った。
「……なんで」
「一霞? ……やめて一霞!」
一霞はあろうことか、瑠璃が和臣のために用意した手巾を池に投げ入れてしまった。
(せっかくお父様のために作ったのに!)
瑠璃は、橋の欄干に足をかけて池の中へと飛び降りた。
「まあ、なんてこと!」
「誰か! 人を呼べ!」
「女が池に飛び入ったぞ!」
屋敷に勤める使用人たちが声を上げる。
「何の騒ぎなの」
「いったいどうしたんだ」
瑠璃は手巾を見つけてホッと息を吐いたが、使用人たちの声で、和臣と継母の宮子が来てしまった。
「一霞、凛桜。なにがあった?」
「それは……」
和臣の問いに、一霞は視線をそらした。
「凛桜。説明なさい」
続いて、宮子が凛桜に尋ねる。
「姉様が、突然お一人で池に飛び込まれました」
凛桜は一霞を指差して淡々と言った。
(この子は、そばで見ていたはずなのに)
瑠璃は、凛桜に裏切られた思いがした。
「瑠璃」
「お父様――」
せめて、父のために作った贈り物を渡したかった。だが、和臣は瑠璃の手にあるものを一瞥してから、それから瑠璃に背を向けた。
「もう、いい。お前はもう、この家には戻ってくるな」
■
(どうして、こうなってしまうのだろう)
替えの着物さえ用意されず、濡れ鼠のように濡れた体を拭く布は、橘家の使用人ではなく門の前で待ってくれていた一條家の馬車の御者だった。
彼は瑠璃に尻に敷くようにと自身の服を渡すと、すぐさま一條の屋敷へと馬車を走らせてくれた。
「瑠璃お姉様!? どうしてこんなに濡れてるの!?」
「さあ、早く入って! すぐに湯を用意するわ!」
瑠璃が一條家に戻った時、誰も瑠璃のことを責めなかった。ただ、体を震わせる瑠璃のために、屋敷中の人間が動いてくれていた。
「瑠璃お姉様……」
沙良はずっと、黙って瑠璃のそばについていた。
(結局、渡せなかった。私は、渡せなかったんだ……)
呆然としていた瑠璃は、屋敷の人間たちに世話をされながら湯に浸かり、新しく綺麗な着物を着せられた。
ようやく意識が浮上して瑠璃が顔を上げると、瑠璃は、瑠璃のことを心配そうに見つめる沢山の瞳と目があった。
「えっと……その」
「良かった。ずっと声をかけても反応がないから、心配していたのよ」
「瑠璃お姉様ーー! 一体誰にいじめられたのですか! 瑠璃お姉様をこんなに悲しませるなんて、そんな奴、最低最悪です!!!」
がばっと瑠璃に抱きついた沙良は、何故かわんわん泣いていた。
(まるで、私の代わりに泣いてくれているみたい)
瑠璃は、沙良を安心させるためにそっとその背を撫でた。ぽんぽんと、赤子をあやすように背を叩く。そうしていると、不思議と瑠璃は、自分の心が落ち着いていくのを感じた。
沙良に少しだけ体温の高い体が、今は何故か心地良い。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
「ぐずっ。……でも、お姉様、よんでも……ぜんぜんはんのう、なくて……っ! だから、さらは、さらはぁ……っ」
ひっくひっくと、子どものように泣く。それは、瑠璃がこれまでの人生で一度しか体験したことのない泣き方だ。
沙良の姿に、その日を思い出しかけた時――廊下を走る音が聞こえたかと思うと、瑠璃の部屋の扉が、豪快に開かれた。
「瑠璃さん!」
どうやら走ってきたらしい。
大人数を相手にしても息一つ乱していなかったはずの香月は、今は髪が乱したまま、その額には汗が滲んでいた。
「大丈夫ですか!? 一体、何があったのですか!」
しかしそう言った後に、香月は深く瑠璃に頭を下げた。
「……本当に、申し訳ありません。私が、一緒にいかなかったばっかりに」
「香月様のせいでは……」
――全部、自分一人のせいだ。
そう思ってしまった瑠璃に、香月は瑠璃の目を見てこう言った。
「もし、宜しければ。今日の償いをする機会を、私に与えてくださいませんか?」
「ええ。それに、今日は父の祝の日だから。他の日にはできないの」
それから少しして、瑠璃は橘の屋敷に一人で戻ることにした。
本来なら里帰りは、嫁いでから数日の後に行うものだ。ただ瑠璃は、継母のこともあり形式通りの「里帰り」はせず、父の祝いの日に家に戻ることになった。
(大丈夫。大丈夫よ)
本当のことを言えば、香月にはついてきて欲しかったが、仕事で忙しい彼に、自分のために時間を欲しいとは瑠璃はなかなか言い出せなかった。
そして前日、「明日は父の祝いのために家に帰ります」と言ったところ、瑠璃は香月に謝られてしまった。
きちんと伝えていれば、香月は時間を作るつもりはあったらしい。
家同士が決めた、兄の身代わりの結婚だというのに、香月は本当に優しい夫だと瑠璃は思った。
「どうぞ、こちらでお待ちください」
久々に橘の屋敷の門をくぐれば、一條に嫁入りしたおかげか、瑠璃は母屋に通された。
粗末な作りの離れと違い、橋がかけられ、庭には大きな池があり魚が泳いでいた。
春の花々が咲き、鳥の声が聞こえる。
実に「御三家」の――帝が愛する皇家の姫を迎え入れた男の屋敷に相応しい光景だ。
自分がいかにこの屋敷で疎まれていたか突きつけられるような美しさに、瑠璃は喉の奥が少し痛くなった。
そして、これから会う父を思い、心が少し沈む。
(お父様は、私なんてどうでもいいとお思いなのに、私が今日ここに来ることに、意味はあったのかしら)
香月を連れてこなかったのは――連れてこれなかったのは、香月に自分の生家での立場を知られたくなかったからかもしれないと瑠璃は思った。
瑠璃は、自分は親や家族に虐げられてきた存在だと、優しい婚家の人々に知られたくなかった。
(きっと、幻滅されてしまうわ)
誰かの優しさを享受しながら、己の弱さを隠すなんて、醜い人間の行いだ――瑠璃が、そう己のことを責めていたとき。
「……お姉様?」
可愛らしい少女の声が、瑠璃を呼んだ。
「姉様」
つづいて、可愛らしい少年の声。
「……一霞、凛桜」
瑠璃は、腹違いの双子の名前を呼んだ。
「お姉様、戻っていらしたの?」
一霞の声は、心なしか弾んでいるように瑠璃には聞こえた。
「ええ。お父様のお祝いのために今日だけね」
だがその声は、瑠璃の返答によってすぐに沈む。
「そうよね。お姉様には、里帰りなんて必要ないものね」
一霞の声は、拗ねているような、責めるような――どちらとも捉えがたい声音だった。
「ま、まあお姉様のような人なんて、婚家で大事にされているはずがないけれど! どうせ、これまでのように屋敷の端にでも追いやられているのでしょう? 親のいない無能のお姉様なんて、それがお似合いよね。……て、あら?」
じろじろと瑠璃を見て、ぐるぐる周りを回っていた一霞は、瑠璃の髪に刺さった香月からの簪をみてピタリと動きをとめる。
一霞の声には、一切の感情が籠もっていなかった。
「その簪は、どうされたの」
綺麗で、上品で、丁寧に作られた簪。
送り主の愛情がこもったような最上級の逸品。
瑠璃によく似合う、瑠璃の名前の色に似た、花の咲く髪飾り。
「これは、香月様からいただいたの」
瑠璃は嬉しくて、ついそう答えてしまった。
「誕生日の、お祝いに」
貴方はここにいていいんだと、自分は貴方を大切にすると、そう告げるかのような贈り物に触れて、瑠璃は綺麗に笑った。
「一條家の方々は、みんな良い方よ。こんな私を、家族として認めてくださっているわ。だから私今、とても幸せなの」
正直なことを言うと、瑠璃はここに来るのが少し怖かった。
でも、今の自分にはこの簪があるのだと思うと、瑠璃は不思議と笑えた。
そして気付く。
もう自分の居場所は、心の拠り所は、橘ではなく一條のあの屋敷にあるのだと――。
「……どうして姉様が、そんな顔をして笑うの」
一霞は何故か、今にも泣いてしまいそうな声でそう呟いた。
小さな体をぷるぷる震わせて、皺ができるのに服を強く掴んで、一霞は自分の感情を、必死に心のうちに留めようとしているかのようにすら瑠璃には見えた。
「一霞?」
いくら自分に酷い仕打ちをして来たとはいえ、相手は沙良より年下の妹。
瑠璃が一霞を心配して名前を呼べば、びくっと一霞は体を震わせた。
「……一霞」
怖がらせないように優しく名前を呼んで手を伸ばす。だがその時、妖しい花の香りがどこからか漂ってきた。
――薔薇の香り。
継母である宮子が、おそらくそばに来ているのだろう。
瑠璃がそう思いながらも一霞を心配していると、一霞は目元を拭ってからいつものように振る舞った。
「な、なんでもないわ!」
「でも」
「なんでもないったら!」
一霞は、瑠璃の手を振り払う。
その瞬間、瑠璃が今日の日のために用意した品が板の上に落ちた。
「これは……?」
「それは、お父様のお祝いに――」
藤の花と橘の花。
藤は――瑠璃の母、紫乃に因む花で、紫乃は生前、父から贈られたという藤や橘の花のあしらわれたものを大事にしていた。
瑠璃の母は身寄りがなく、和臣のために高価なものを用意することは叶わなかった。ただ糸を紡いで、自ら手を動かして和臣に贈り物を作っていた。
今日は父の祝い。
瑠璃は、母が父にしていたように、父にそれを贈りたかった。
「糸から作って、私が刺繍をしたの。昔、お母様に教わったから」
瑠璃がそう言うと、一霞の表情がまた曇った。
「……なんで」
「一霞? ……やめて一霞!」
一霞はあろうことか、瑠璃が和臣のために用意した手巾を池に投げ入れてしまった。
(せっかくお父様のために作ったのに!)
瑠璃は、橋の欄干に足をかけて池の中へと飛び降りた。
「まあ、なんてこと!」
「誰か! 人を呼べ!」
「女が池に飛び入ったぞ!」
屋敷に勤める使用人たちが声を上げる。
「何の騒ぎなの」
「いったいどうしたんだ」
瑠璃は手巾を見つけてホッと息を吐いたが、使用人たちの声で、和臣と継母の宮子が来てしまった。
「一霞、凛桜。なにがあった?」
「それは……」
和臣の問いに、一霞は視線をそらした。
「凛桜。説明なさい」
続いて、宮子が凛桜に尋ねる。
「姉様が、突然お一人で池に飛び込まれました」
凛桜は一霞を指差して淡々と言った。
(この子は、そばで見ていたはずなのに)
瑠璃は、凛桜に裏切られた思いがした。
「瑠璃」
「お父様――」
せめて、父のために作った贈り物を渡したかった。だが、和臣は瑠璃の手にあるものを一瞥してから、それから瑠璃に背を向けた。
「もう、いい。お前はもう、この家には戻ってくるな」
■
(どうして、こうなってしまうのだろう)
替えの着物さえ用意されず、濡れ鼠のように濡れた体を拭く布は、橘家の使用人ではなく門の前で待ってくれていた一條家の馬車の御者だった。
彼は瑠璃に尻に敷くようにと自身の服を渡すと、すぐさま一條の屋敷へと馬車を走らせてくれた。
「瑠璃お姉様!? どうしてこんなに濡れてるの!?」
「さあ、早く入って! すぐに湯を用意するわ!」
瑠璃が一條家に戻った時、誰も瑠璃のことを責めなかった。ただ、体を震わせる瑠璃のために、屋敷中の人間が動いてくれていた。
「瑠璃お姉様……」
沙良はずっと、黙って瑠璃のそばについていた。
(結局、渡せなかった。私は、渡せなかったんだ……)
呆然としていた瑠璃は、屋敷の人間たちに世話をされながら湯に浸かり、新しく綺麗な着物を着せられた。
ようやく意識が浮上して瑠璃が顔を上げると、瑠璃は、瑠璃のことを心配そうに見つめる沢山の瞳と目があった。
「えっと……その」
「良かった。ずっと声をかけても反応がないから、心配していたのよ」
「瑠璃お姉様ーー! 一体誰にいじめられたのですか! 瑠璃お姉様をこんなに悲しませるなんて、そんな奴、最低最悪です!!!」
がばっと瑠璃に抱きついた沙良は、何故かわんわん泣いていた。
(まるで、私の代わりに泣いてくれているみたい)
瑠璃は、沙良を安心させるためにそっとその背を撫でた。ぽんぽんと、赤子をあやすように背を叩く。そうしていると、不思議と瑠璃は、自分の心が落ち着いていくのを感じた。
沙良に少しだけ体温の高い体が、今は何故か心地良い。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
「ぐずっ。……でも、お姉様、よんでも……ぜんぜんはんのう、なくて……っ! だから、さらは、さらはぁ……っ」
ひっくひっくと、子どものように泣く。それは、瑠璃がこれまでの人生で一度しか体験したことのない泣き方だ。
沙良の姿に、その日を思い出しかけた時――廊下を走る音が聞こえたかと思うと、瑠璃の部屋の扉が、豪快に開かれた。
「瑠璃さん!」
どうやら走ってきたらしい。
大人数を相手にしても息一つ乱していなかったはずの香月は、今は髪が乱したまま、その額には汗が滲んでいた。
「大丈夫ですか!? 一体、何があったのですか!」
しかしそう言った後に、香月は深く瑠璃に頭を下げた。
「……本当に、申し訳ありません。私が、一緒にいかなかったばっかりに」
「香月様のせいでは……」
――全部、自分一人のせいだ。
そう思ってしまった瑠璃に、香月は瑠璃の目を見てこう言った。
「もし、宜しければ。今日の償いをする機会を、私に与えてくださいませんか?」

