私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

 香月を待つ間、沙良は知り合いの隊員に挨拶をしてくると瑠璃を置いて離れてしまった。
 瑠璃は用意された椅子に座り、香月の姿を思い出していた。
 
(本当に――綺麗、だった)

 瑠璃は異能が使えない。
 瑠璃は父の命令であまり家から出ずに暮らしてきたので、異能を使う人間を殆ど見たことがなかった。でも、そんな瑠璃にもわかる。香月のあれは「別格」だ。
 帝都を守る警邏隊はより有能な人間であるはずなのに、それを一瞬で倒してしまうなんて――まるで、建国神話に出てくるような一條家の祖先そのもののようだ。
 
「『その光の防壁は妖魔から人を守り、その刀は一閃で全ての妖魔をなぎ倒し、その祈りは天へ届き、人々の傷を癒したもう』」

 それが、建国神話に記された御三家の祖先の話。

 天孫である建国の君主は、異能の他に『強化』の異能を持っていたとされ、初代御三家の活躍は皇家の力もあってこそだと瑠璃は思うが、とは言っても作り話だと思っていたような力を目にすると、少し心が浮き足立ってしまう。
 それにしても――。

「……香月様のお体を初めてちゃんと見た気がするわ」

 逞しい腕。
 香月とはあまり交流がなかったが、彼はあまり肌を見せないような格好ばかりしている印象が瑠璃にはあった。隊服だって、最初は全身を隠すような外套を身に着けていたし、だから、まさかいつもより肌を晒した姿で刀を振るう姿を見ることになろうとは――。

(私は……私は一体何を思い出しているの!)

 瑠璃は、ぶんぶん頭を振って香月の姿を忘れようと努力した。だが、意識すればするほど、彼の姿が頭に浮かんでしまう。

 黒曜石の瞳は、異能を使うときはその瞳に青い炎が写っうつて見えた。それはただただ美しく、瑠璃はその瞳に、吸い寄せられるような魅力を感じてしまった。

(違う。この感情は――)

 伊織が死んだと知らされた昨年の冬から、はや約半年の月日が流れた。
 だが、長い間結婚の約束をしていたのだ。それを思えば、たかが半年。こんな短い期間で、伊織以外の誰かに一瞬でも心を奪われることは、瑠璃は罪のように思った。
 
(駄目。駄目よ。私がこんなことを思っては駄目。だって伊織様は、本当に優しい人だったのに。あの方が私の心を守ってくれからこそ、私はこれまで生きてこれたのに)

 瑠璃はそう思い、綺麗に刺繍の施された髪飾りをそっと胸に抱いた。

「お母様――……」

 瑠璃が、そうつぶやいたとき。
 瑠璃は、二人組の隊員が、話をしながら自分に近付いてくる音を聞いた。

「流石香月様だよな。最近第一隊の隊長になられたが、今では全員が彼の腕を認めているとか」
「それって、伊織様の隊だろ? 隊長に殿務めさせて死なせといて、もうその弟に従っているのか? 確か伊織様が存命のときは、香月様に反発していたんじゃなかったのか」

 二人の男たちは、香月と伊織について話をしているようだった。

「あの実力じゃ認めるしかないだろ。伊織様もお可哀想だよなあ。伊織様ではなく香月様が任に当たっていたら、死なずに済んだだろうに」
「確かに。一條の長男が仲間を守るために殿をつとめたといえば聞こえはいいが、本当にあれは無駄死にだったよな」
「まあ、あの頃は伊織様の――第一隊が一番大変な仕事を担っていたからな。香月様なら、無傷で生還されただろう。にしても、香月様も香月様だよなあ。あんなお力を隠されてたなんて、さっさと兄を倒して第一隊の隊長になってくださってたら――。ほかの隊員も、無傷で帰還できただろうに」
「お家そうどうか何かはしらないが、下っ端の俺たちからすればいい迷惑だよな。才能ある弟より、血筋のいい兄を優先したツケなんてさ。伊織様も、さっさと自分には無理だってあきらめて、香月様に譲ってしまわれたらよかったのに」
「はは。確かに。ま、結局は正しい人間が最後は継いだわけだが」
「そうだな。違いない」
 
 男たちは、そう言って笑っていた。
 伊織の死を、瑠璃の最愛の人の死を、彼の思いや祈りを、踏みにじるような言葉を口にして。

「どういうことですか。どうして……どうして伊織様と同じ立場である方々が、伊織様のことを悪くおっしゃるのですか!」

 瑠璃は、耐えきれずに涙をこぼしながら叫んでいた。

「あの方は……あの方はこの国を、隊の方々を守るために命を落とされたのに! どうして同志である筈の貴方がたが、そのような言葉を口にできるのですか!」

 突然現れた女。
 瑠璃の慟哭のような叱責に、男たちは狼狽した。

「なんだこの女。なんでここに女がいるんだ?」
「いや待てこの人、もしかして沙良様と一緒にいた――」
「お待たせしました。瑠璃さん」

 するとそこへ、身なりを整えた香月がやってきた。
 香月は、瑠璃が泣いているのをみると、その肩を抱いて自分の方へ引き寄せて、目にも留まらぬ速さで刀を抜いて男たちに切っ先を突きつけた。

「瑠璃さんを泣かせたのはお前たちか」

 怒りを孕んだ低い声。ぼう、っと、刀に青い炎が宿る。それはバチバチという弾けるような音を立て、男たちは震え上がった。

「ひえっ!」
「す、すいません。お、俺たちはただ、伊織様より香月様のほうが俺たちの隊長には相応しいと――」

 男の言葉を聞いて、香月の手が一瞬微かに震えた。

「兄は――兄は、最期まで立派に戦った。第一隊の隊員も、兄がいたから全員が生還できたんだ。その兄を侮辱するというなら」

 香月の瞳には、炎が宿る。

「――天が許しても、私が絶対に許さない」

「し……失礼しましたっ!!!」

 男たちは、脱兎のごとく去っていく。
 香月は、その姿を見て瑠璃から離れ刀をおさめた。

「申し訳ありません。部下に失言があったようです」
「い、いえ……!」

 香月は、瑠璃のために頭を下げた。

「でも、兄のために怒ってくださって、ありがとうございました」

 その声には、確かに感謝の心があるように瑠璃には聞こえた。

「……すいません。この件について、隊内での確認を行いたいので、待っていただいていたのに申し訳ありませんが、今日は妹と帰っていただけますか?」
 


「瑠璃お姉様! 瑠璃お姉様ってば」

(気分が晴れない)

 短い距離だったが、香月は瑠璃のために馬車を手配した。
 沙良は、心ここにあらず、という瑠璃に、何度も呼びかけていた。

「わかったわ。……私がいない間に、香月お兄様に、何かあったのね」
「……え!?」

 一人考え込んでいた瑠璃だったが、香月の名前にハッと我に返る。

「勿論わかっているわ。お二人はもう夫婦なのだから、人の目がなくなれば口付けの一つや二つくらい――」

 瑠璃は、沙良の言葉に顔を真っ赤に染めた。
(く、口付け!? 伊織様とすらしたことがないのに!)

「ち、ちがう!」
「では、何があったの?」

 にこ、と沙良は笑顔で瑠璃に尋ねてきた。
 香月同様沙良には勝てない。瑠璃は諦めて、かわりに気になっていたことを沙良に尋ねることにした。

「香月様が、伊織様より優れていたというのは本当?」
「……それは、本当」

 沙良は、静かに頷いた。

「さっきも話したように、香月お兄様はとにかく規格外なの。お父様も歴代で最も強いと言われていたけれど、香月お兄様とでは比べものにならない。ましてや、伊織お兄様なら……」

 つまり伊織は、宗次郎よりも弱かった。
 でも、困難な任務に向かったのは伊織だった、ともとれる発言だった。

「誰も、伊織様を止めなかったの?」
「違う! 確かに、香月お兄様をという声もあったそうだけど――あの任務は、お父様が代わりに行くつもりだったの。でも伊織お兄様が、自分が行くって仰ったの」

 つまり伊織の死は、彼が望んだ行動の末の結果だったということだ。

「瑠璃お姉様にはわかっていて欲しいの。私たちは誰も、伊織お兄様の死なんて望んでなかった。お兄様たちのことも、二人が仲が悪いとは、私は一度だって思ったことはなかった」

 沙良の声には熱がこもっていた。

「性格は全く似ていなかったけれど、お互いにお互いを思い合っていたように見えた。香月お兄様は伊織お兄様を兄として敬っていたし、伊織お兄様は、香月お兄様のことを認めていらした。……でも、どうしても、お母様のことがあったから……」

 沙良は、ぎゅっと拳を強く握りしめた。

「伊織お兄様のお母様――良家の子女である詩織お母様と違って、香月お兄様のお母様、美月お母様は、元は警邏隊の出なの。天能――つまり、爵位のない平民の中から、天から授かった異能を持つ人で、美月お母様はその能力の高さを評価され、女でありながら警邏隊に入った。でも、あそこは基本男社会で、問題も増えたらしくて……。お父様は、そんな彼女を妻に迎えた」

 女性の社会進出。
 海外との交流が行われる中、閉鎖的だったこの国も少しずつ変わろうとしているが、旧態依然とした考え方は今も少なからず存在する。

「賛否両論あったそうよ。ただ、結局治癒の力を持つ白藤家か、武の一條家を選ぶよう陛下から命が下って、美月お母様はお父様を選んだと聞いているわ」

 美月は少し変わっているが美しい女性だ。
 そんな彼女が男だらけの空間で一人あり続けるのは、今日のことを思えば難しかったのかもしれないと瑠璃は思った。

「瑠璃お姉様は――伊織お兄様のことが、今も気になる?」
「そ、それは……」

 瑠璃は返答に困った。

「仕方ないと思うわ。私だって忘れられないんだもの」

 だが沙良は、そう言って瑠璃の手を取った。

「伊織兄様が亡くなったって聞いたときね、家族のみんな、受け入れられなかった。でもね、お父様が仰ったの。自分たちはこの国を守る一條家の人間なんだって」

 その声は、今にも震えてしまいそうだった。

「いつ誰が死んでもおかしくない。それをまとめる立場の自分たちが、家族の死を悲しみ続けてはいけない、って。……だから」

 沙良は、顔を上げて瑠璃にいつものように明るく笑った。

「悲しいけれど、とっても、とって悲しかったけれど、私たちはみんなで、一緒に前を向くことにしたの」

 瑠璃にはその姿が、武家の家門である一條の姫として相応しく見えた。

「沙良さん……」
「伊織お兄様のこと、私もみんなも大好きだったけど……。でもね? 私は香月お兄様も、とってもいいお兄様だと思うの。あんまり表情変わらないし、笑った顔は私もほとんど見たことないけれど、意外とまめな所あるし。だから……だから」

 瑠璃の手を握る沙良の手の力が強くなる。

「瑠璃お姉様には香月お兄様のこと、少しずつでもいいから、好きになってほしいの」

「……」
 瑠璃は、沙良の言葉にすぐに頷けなかった。
 頷いてしまえば、伊織という存在が、自分の中から消えてしまいそうに感じた。

「ごめんなさい!」
 沙良は、返事をしない瑠璃にすぐさま頭を下げた。

「夫婦のことに口出ししたら駄目だってお父様たちには言われてたけど、でも……私、香月お兄様にも幸せになって欲しくて」
「……うん」

(沙良さんは、本当に良い子なんだろう。愛されて、大事にされて育った。だから、誰よりも家族を愛しているのね)
 瑠璃は、そんな沙良を少しだけ眩しく思った。

「沙良さんがそう言うなら、香月様は良い人なのね」
「瑠璃お姉様!」
「きゃっ!」

 沙良は、感極まった、という顔をして瑠璃にガバっと抱きついた。

「ごめんなさい。驚かせてしまった?」
「い、いえ……」

 嘘だ。ここまで直球な愛情表現をされたのは、瑠璃は初めてで驚いてしまった。
 沙良は、表情の硬い瑠璃を見てそっと離れた。
 代わりにまた手を握る。

「でも、無理はしないでほしいの。沙良は! 瑠璃お姉様にも笑っていて欲しいんです」

 本当に、太陽のような子だ。瑠璃はそう思った。
 沙良がいるだけで、周りの空気が明るくなる。

「香月お兄様が瑠璃お姉様にひどいことをしたら、沙良にこっそり教えて! お母様たちと協力して、こってり叱ってやるんだから!」

 力強く拳を握る沙良。瑠璃は、思わずクスクス笑ってしまった。

「瑠璃お姉様、どうして笑うの!! 嘘じゃないのに。沙良は本気なんですからねっ!」
「ええ。勿論。分かっているわ」

 そしてその日の夕方、香月は瑠璃たちが帰宅してからしばらくして家に帰ってきた。

「ただいま帰りました」
「おかえりなさいませ。香月様」

 香月を出迎えた瑠璃に、香月はそっと包みを渡した。

「瑠璃さん。お誕生日、おめでとうございます」

 瑠璃は、予想していなかった香月の言葉に目を丸くして固まってしまった。

「え……?」
「瑠璃お姉様……今日、誕生日だったの……!?」
「そうだったの?」

 沙良と美月が、すぐに瑠璃に尋ねる。

「はい……実は……」

 でもまさか、祝ってもらえるなんて思っていなかった。

(――お母様が亡くなってから、初めて伊織様以外に祝いの品をもらったかもしれない)

 父さえくれなかった。

「よければ包を開けてください。もし、お気に召さないようなら、別の品を贈りますので」

 瑠璃は香月に言われて包みを開けた。なかに入っていたのは、美しい黒漆の簪だった。
 蝶のような螺鈿と青い花は、まるで香月の刀を思い出させるような色合いだ。

(どうしよう。……私、「嬉しい」だなんて)

 瑠璃は、そっと簪を胸に抱きながら、心の底がつきりと痛むのを感じた。
 だが、その感傷をかき消すような大声が、沙良から発せられる。

「香月お兄様ずるい! 抜け駆けじゃない!」

 さきほどはまめな所が長所だと褒めていたはずの沙良は、今は香月のまめさにご機嫌斜めのようである。

「瑠璃お姉様、待ってて! 私、必ず香月お兄様より素敵な品を用意してみせるんだから!」