宗次郎に香月の忘れた弁当を渡された瑠璃は、沙良と一緒に町に出ることになった。
『一條沙良』――第三夫人の娘だという一條家の子どもの紅一点は、二人の兄とはまるきり似ておらず、明るく快活な少女だった。
彼女がひとこと喋るだけで、周りの空気が明るくなる。沙良の声、言葉、表情の何もかもが、自分と沙良が、まったく異なる類の人間だと瑠璃に思わせた。
「そういえば、瑠璃お姉様はこれまで、あまり外出はされてこなかったのですか?」
沙良の質問に、瑠璃は一瞬頭が真っ白になった。
この場合、何と答えるのが正解なのか――香月の妹である沙良に、つまらない女だと思われていやしないか。
「え……ええ。私は、家のなかで過ごすことが多かったから」
瑠璃の言葉は本当で、同時に嘘だった。
橘の家で、一人のけ者にされていた瑠璃は、母亡き後に外に出るのに相応しい服もろくになく、僅かな銭も無かったから外に出ていなかっただけである。
(『あの事件』があってから、お父様には外出は控えろと言われていたし――)
瑠璃が、しゅんと肩を落とすと、沙良は瑠璃の手を取って、太陽のように笑った。
「だったら、これから沢山新しいものを知れるのね。沙良、瑠璃お姉様と一緒にこれからお出かけするのがとても楽しみだわ!」
あまりに眩しい。
瑠璃は、沙良の笑顔を前にして、思わず少しだけ目を細めた。
「あ。着いた。瑠璃お姉様、ここが警邏隊の訓練場です!」
一條家が管理してきたということもあり、場所は屋敷から近かったらしい。
大きな門を前に、瑠璃はごくりと唾を飲み込んだ。
■
「お名前と証明を」
門の入口には、門番がいた。
「一條沙良です。香月お兄様の忘れ物を届けに来ました」
沙良はそう言うと、宗次郎に家を出るときに渡された印籠を門番に見せた。
「それは?」
「一応警邏隊なので。変な人が入ってこないよう、身分証が必要なのです」
「印籠なのは、何か理由があるの?」
「これはただのお父様の趣味です」
(『趣味』……?)
瑠璃は首を傾げた。
宗次郎という人間が、瑠璃は未だに掴めなかった。大人なのに、随分と茶目っ気があるというか――。
しかし、考え込み立ち止まる瑠璃の手を、沙良はぐいっと掴んだ。
「さあ、瑠璃お姉様! 早速香月お兄様の元へと参りましょう!」
「え? あ。沙良さん!」
門をくぐると、警邏隊ということもあり、中には警邏隊の黒い隊服を身に着けた男たちがいた。
許婚だった宗次郎の隊服を、瑠璃は一度だけ見たことがある。その時の伊織を思い出して、瑠璃は痛みに思わず胸に手を当てた。
(伊織、様……)
だが、沙良は瑠璃の気持ちなど相変わらず何も分かっていないようで、兄を探しつつ他の隊員たちを観察していた。
そして沙良は、瑠璃にとんでもない話をしてきた。
「ねえ、瑠璃お姉様。やっぱり制服って、数割増しにかっこよく見えると思わない? 帽子をかぶっているとなおさら」
「そ……そうかしら?」
正直、これまで伊織以外の男に興味を抱けなかった瑠璃からすれば、他のどの男も同じに見える。
「そうよ。でも、なんでかしら。やっぱり、働く男というのがいいのかしら?」
だが、沙良は真剣な顔をして考え込んでいた。
(制服に……帽子。それは、そんなにいいものかしら?)
警邏隊の隊服は、所謂桜霞国の昔ながらの服とは異なる「洋服」に属するものだ。
海の向こう側、という意味があるそうで、最近他国との交流でその文化が流入したのである。
黒地に、おそらく階級などにより装飾などが少し異なる隊服は、無能力者と異能を操る警邏隊の人間を一目で見分けるためのものでもあるらしい。
瑠璃はそう、伊織にかつて教えてもらったことを思い出した。
「……あ。ねえ、瑠璃お姉様。あの人かっこいいわ」
沙良は、好みの男を見つけたらしく、楽しそうにこそこそと瑠璃に耳打ちした。相手の男も見られていると分かったのか、ニコっと笑って帽子を外した。
すると、帽子の下から綺麗な逆蛍が現れ、沙良の表情が固まった。
「わ……わかったわ瑠璃お姉様。帽子をかぶった制服の男がかっこよく見えるのは、私服のダサさと帽子で顔が隠れるからだわ!」
沙良は熱弁した。瑠璃は、沙良の発言に同意しかねて顔を青ざめさせた。
(こんな……こんなに周りが男性しかいないときに、そんな話をしないで……!)
失礼がすぎる。
(どうしたらいいの? こんな事を言って、私たちを守ってくださる隊員の方々に悪く思われたら……)
瑠璃は、沙良の言動に困りつつ周囲に聞き耳を立てることにした。すると、予想外な声が聞こえてきて瑠璃は違う意味で怖くなった。
「なんだなんだ。誰だ? あの女性は」
「美人だな」
「綺麗な髪だな」
「沙良様とご一緒だぞ」
「彼女はどこのご令嬢だ?」
男たちの言葉は、まさか、自分のことを言っているのだろうか。
そう思って、瑠璃はどうしようもない気恥ずかしさに襲われた。
(穴があったらはいりたい! 私は、なんて自意識過剰なの!)
自分なんかが褒められるはずがないのに、幻聴としか思えない言葉の羅列に、瑠璃は己を恥じた。
(きっと私は今、自分が言われたい言葉を心に浮かべているのね)
つい先日まであばら屋でひとり暮らしていたくせに、少し質のいい服を着ただけで、他人に評価されるなんて思い上がりもいいところだ。
そう、瑠璃の気持ちが盛り下がろうとしたところで、遠くから知った声が聞こえて瑠璃は顔を上げた。
「……沙良!」
香月だ。
瑠璃の夫は、少し焦った様子で二人の姿を見つけて走ってきた。
「ここで何をしている! こんなところに来て風紀を乱すな!」
(……これが、お仕事の時の香月様)
瑠璃は、その姿に目を奪われてしまった。
黒い隊服は、香月の黒い髪によく合っていた。しかも、香月の隊服の上に、黒い外套を羽織っていた。外套の内側には銀の糸で刺繍が施されているのか、それは香月が動くたびにキラキラと光って見えた。
(きれ、い……)
白地に金の装飾の施された鞘の刀を佩いていた伊織とは違い、香月は無地の黒い鞘の刀を佩いていた。ただ、柄の部分にこだわりがあるのか、黒い刀のその場所だけが、青い糸が巻かれていた。
「ふーん。香月お兄様ったら、そんなこと言っていいの? 今日は、私だけじゃないんだからね?」
沙良はそう言うと、ぼうっと香月を見つめていた瑠璃を香月に突き出した。
突然視線があって、二人は顔を赤らめる。
「る……瑠璃さんがどうしてここに!? いえ、それより何故沙良とご一緒に――」
「宗次郎お父様から、香月様にこちらを届けるようにと」
瑠璃は、風呂敷に包んだ弁当を香月に差し出した。
「え……?」
香月は、一瞬呆けた顔をして、少しの間の後に自分の忘れ物に気づいたのか、はっと思い出したような顔をした。
「香月お兄様ったら、忘れ物をしたのなんて子どものとき以来じゃない? 瑠璃お姉様をお嫁に迎えて、少し気が抜けてしまわれたのかしら?」
「沙良、お前は――」
くすくす、と笑う沙良に、香月は反論しようとして、視界に瑠璃の姿をとらえてコホンと咳払いした。
「いえ、すいません。瑠璃さんありがとうございます」
「あはは。お兄様ってば、おもしろーい!」
沙良は、瑠璃に対して丁寧に接する香月を前にけらけらと笑って手を叩いた。
「沙良。お前はもう少し、落ち着きというものを覚えなさい」
「嫌。そしたら、香月お兄様をからかえないじゃない。あ、そういえば、お父様から文を預かっていたんだったわ」
沙良は懐から文を取り出すと、香月に渡した。香月は文を広げてから、中身を読み進めていくうちにどんどん表情が暗くなっていくのが、そばで見ていた瑠璃には手に取るようにわかった。
「あの人は……」
香月は、はあと一つため息を吐くと、文をもとに戻して、風呂敷の弁当と文を近くの隊員に預けると、瑠璃に手を差し出した。
「――お手を。私が、これから中を案内します」
どうやらこの案内は、宗次郎の指示によるものらしいことは、瑠璃にはすぐに分かった。
だって香月の耳は、慣れないことをしているせいか、真っ赤に染まっていたのだから。
『一條沙良』――第三夫人の娘だという一條家の子どもの紅一点は、二人の兄とはまるきり似ておらず、明るく快活な少女だった。
彼女がひとこと喋るだけで、周りの空気が明るくなる。沙良の声、言葉、表情の何もかもが、自分と沙良が、まったく異なる類の人間だと瑠璃に思わせた。
「そういえば、瑠璃お姉様はこれまで、あまり外出はされてこなかったのですか?」
沙良の質問に、瑠璃は一瞬頭が真っ白になった。
この場合、何と答えるのが正解なのか――香月の妹である沙良に、つまらない女だと思われていやしないか。
「え……ええ。私は、家のなかで過ごすことが多かったから」
瑠璃の言葉は本当で、同時に嘘だった。
橘の家で、一人のけ者にされていた瑠璃は、母亡き後に外に出るのに相応しい服もろくになく、僅かな銭も無かったから外に出ていなかっただけである。
(『あの事件』があってから、お父様には外出は控えろと言われていたし――)
瑠璃が、しゅんと肩を落とすと、沙良は瑠璃の手を取って、太陽のように笑った。
「だったら、これから沢山新しいものを知れるのね。沙良、瑠璃お姉様と一緒にこれからお出かけするのがとても楽しみだわ!」
あまりに眩しい。
瑠璃は、沙良の笑顔を前にして、思わず少しだけ目を細めた。
「あ。着いた。瑠璃お姉様、ここが警邏隊の訓練場です!」
一條家が管理してきたということもあり、場所は屋敷から近かったらしい。
大きな門を前に、瑠璃はごくりと唾を飲み込んだ。
■
「お名前と証明を」
門の入口には、門番がいた。
「一條沙良です。香月お兄様の忘れ物を届けに来ました」
沙良はそう言うと、宗次郎に家を出るときに渡された印籠を門番に見せた。
「それは?」
「一応警邏隊なので。変な人が入ってこないよう、身分証が必要なのです」
「印籠なのは、何か理由があるの?」
「これはただのお父様の趣味です」
(『趣味』……?)
瑠璃は首を傾げた。
宗次郎という人間が、瑠璃は未だに掴めなかった。大人なのに、随分と茶目っ気があるというか――。
しかし、考え込み立ち止まる瑠璃の手を、沙良はぐいっと掴んだ。
「さあ、瑠璃お姉様! 早速香月お兄様の元へと参りましょう!」
「え? あ。沙良さん!」
門をくぐると、警邏隊ということもあり、中には警邏隊の黒い隊服を身に着けた男たちがいた。
許婚だった宗次郎の隊服を、瑠璃は一度だけ見たことがある。その時の伊織を思い出して、瑠璃は痛みに思わず胸に手を当てた。
(伊織、様……)
だが、沙良は瑠璃の気持ちなど相変わらず何も分かっていないようで、兄を探しつつ他の隊員たちを観察していた。
そして沙良は、瑠璃にとんでもない話をしてきた。
「ねえ、瑠璃お姉様。やっぱり制服って、数割増しにかっこよく見えると思わない? 帽子をかぶっているとなおさら」
「そ……そうかしら?」
正直、これまで伊織以外の男に興味を抱けなかった瑠璃からすれば、他のどの男も同じに見える。
「そうよ。でも、なんでかしら。やっぱり、働く男というのがいいのかしら?」
だが、沙良は真剣な顔をして考え込んでいた。
(制服に……帽子。それは、そんなにいいものかしら?)
警邏隊の隊服は、所謂桜霞国の昔ながらの服とは異なる「洋服」に属するものだ。
海の向こう側、という意味があるそうで、最近他国との交流でその文化が流入したのである。
黒地に、おそらく階級などにより装飾などが少し異なる隊服は、無能力者と異能を操る警邏隊の人間を一目で見分けるためのものでもあるらしい。
瑠璃はそう、伊織にかつて教えてもらったことを思い出した。
「……あ。ねえ、瑠璃お姉様。あの人かっこいいわ」
沙良は、好みの男を見つけたらしく、楽しそうにこそこそと瑠璃に耳打ちした。相手の男も見られていると分かったのか、ニコっと笑って帽子を外した。
すると、帽子の下から綺麗な逆蛍が現れ、沙良の表情が固まった。
「わ……わかったわ瑠璃お姉様。帽子をかぶった制服の男がかっこよく見えるのは、私服のダサさと帽子で顔が隠れるからだわ!」
沙良は熱弁した。瑠璃は、沙良の発言に同意しかねて顔を青ざめさせた。
(こんな……こんなに周りが男性しかいないときに、そんな話をしないで……!)
失礼がすぎる。
(どうしたらいいの? こんな事を言って、私たちを守ってくださる隊員の方々に悪く思われたら……)
瑠璃は、沙良の言動に困りつつ周囲に聞き耳を立てることにした。すると、予想外な声が聞こえてきて瑠璃は違う意味で怖くなった。
「なんだなんだ。誰だ? あの女性は」
「美人だな」
「綺麗な髪だな」
「沙良様とご一緒だぞ」
「彼女はどこのご令嬢だ?」
男たちの言葉は、まさか、自分のことを言っているのだろうか。
そう思って、瑠璃はどうしようもない気恥ずかしさに襲われた。
(穴があったらはいりたい! 私は、なんて自意識過剰なの!)
自分なんかが褒められるはずがないのに、幻聴としか思えない言葉の羅列に、瑠璃は己を恥じた。
(きっと私は今、自分が言われたい言葉を心に浮かべているのね)
つい先日まであばら屋でひとり暮らしていたくせに、少し質のいい服を着ただけで、他人に評価されるなんて思い上がりもいいところだ。
そう、瑠璃の気持ちが盛り下がろうとしたところで、遠くから知った声が聞こえて瑠璃は顔を上げた。
「……沙良!」
香月だ。
瑠璃の夫は、少し焦った様子で二人の姿を見つけて走ってきた。
「ここで何をしている! こんなところに来て風紀を乱すな!」
(……これが、お仕事の時の香月様)
瑠璃は、その姿に目を奪われてしまった。
黒い隊服は、香月の黒い髪によく合っていた。しかも、香月の隊服の上に、黒い外套を羽織っていた。外套の内側には銀の糸で刺繍が施されているのか、それは香月が動くたびにキラキラと光って見えた。
(きれ、い……)
白地に金の装飾の施された鞘の刀を佩いていた伊織とは違い、香月は無地の黒い鞘の刀を佩いていた。ただ、柄の部分にこだわりがあるのか、黒い刀のその場所だけが、青い糸が巻かれていた。
「ふーん。香月お兄様ったら、そんなこと言っていいの? 今日は、私だけじゃないんだからね?」
沙良はそう言うと、ぼうっと香月を見つめていた瑠璃を香月に突き出した。
突然視線があって、二人は顔を赤らめる。
「る……瑠璃さんがどうしてここに!? いえ、それより何故沙良とご一緒に――」
「宗次郎お父様から、香月様にこちらを届けるようにと」
瑠璃は、風呂敷に包んだ弁当を香月に差し出した。
「え……?」
香月は、一瞬呆けた顔をして、少しの間の後に自分の忘れ物に気づいたのか、はっと思い出したような顔をした。
「香月お兄様ったら、忘れ物をしたのなんて子どものとき以来じゃない? 瑠璃お姉様をお嫁に迎えて、少し気が抜けてしまわれたのかしら?」
「沙良、お前は――」
くすくす、と笑う沙良に、香月は反論しようとして、視界に瑠璃の姿をとらえてコホンと咳払いした。
「いえ、すいません。瑠璃さんありがとうございます」
「あはは。お兄様ってば、おもしろーい!」
沙良は、瑠璃に対して丁寧に接する香月を前にけらけらと笑って手を叩いた。
「沙良。お前はもう少し、落ち着きというものを覚えなさい」
「嫌。そしたら、香月お兄様をからかえないじゃない。あ、そういえば、お父様から文を預かっていたんだったわ」
沙良は懐から文を取り出すと、香月に渡した。香月は文を広げてから、中身を読み進めていくうちにどんどん表情が暗くなっていくのが、そばで見ていた瑠璃には手に取るようにわかった。
「あの人は……」
香月は、はあと一つため息を吐くと、文をもとに戻して、風呂敷の弁当と文を近くの隊員に預けると、瑠璃に手を差し出した。
「――お手を。私が、これから中を案内します」
どうやらこの案内は、宗次郎の指示によるものらしいことは、瑠璃にはすぐに分かった。
だって香月の耳は、慣れないことをしているせいか、真っ赤に染まっていたのだから。

