私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

「では、僕たちは先に帰ろうか」
「瑠璃さんを、宜しくお願いします。父上」
「勿論、わかっているさ」

 全てのことが終わったものの、瑠璃は香月とすぐ帰宅することはできなかった。香月は次期当主兼警邏隊隊長として、これから仕事があるらしい。
 瑠璃が一條家に戻るとそこには父である和臣がおり、一霞の血で血まみれの瑠璃を見てすぐさま駆け寄ってきた。

「瑠璃……!」

 自分の名前を呼ぶ父の声は、瑠璃には何故か確かに愛を感じた。

「血まみれじゃないか。どこか、本当に怪我はないのか」
「私は、平気です」

 これまでなら近付こうとしなかったはずの父が、心配そうに瑠璃の体をペタペタ触りながら確認している。

(驚いた。これが……本当に私のお父様なの?)

 取り乱した父を見たのは、瑠璃は生まれて初めてだった。

「こらこら和臣。瑠璃ちゃんが困っているだろう」

 そんな和臣を、宗次郎が瑠璃から引き剥がす。

「和臣。君、仕方はなかったとは言えこれまで誤解させるようなことしかしてないんだから、まずはそこから話をするべきだろう」
「あ……ああ、そうだな」

 宗次郎に諭され、和臣はまず、瑠璃に頭を下げた。

「すまなかった」

 その声は、心の底から後悔しているように瑠璃には聞こえた。

「私はずっと、お前をあの屋敷で、蔑ろにしてきた。恨まれても仕方が無い。……それは、勿論理解している」
 ただ、と和臣は続けた。

「でも、どうか分かっていてほしい。私はもう……お前まで、失いたくなかったんだ」

「え?」
 父の言葉は、まるで母の死の原因は宮子だったと、最初からわかっていたかのように瑠璃には聞こえた。

「瑠璃ちゃん。実は、和臣は最初から知っていたんだ。紫乃さんの死は、あの女によって仕組まれたものだった。最愛の女性が死んで悲しみに暮れていた和臣は、あの女がこう口にするのを聞いたそうだ。『一緒に殺すつもりだったのに』、と。まさか、当時から妖魔を操っていたのを知ったのは今日が初めてだったけれど」

 宗次郎は、言葉足らずの和臣のために瑠璃に教えてくれた。

「その言葉を聞いたあと、和臣はすぐに僕に連絡してきたよ。どうか君を引き取って守ってほしいと。でも、理由なく君を屋敷に迎えたら、あの女はまだ君に執着するかもしれない。だからね、それまでは和臣の力で守られた橘の屋敷で、君を守ることにしたんだ」

 それが、瑠璃が離れで一人暮らすことになったわけ。

「和臣は、君に興味のないふりをするしかなかった。君への関心が少しでもあるとあの女に思われたら、また君の命を狙ってくるかもしれない。……だから和臣は、無関心を貫くしかなかった」

「私はずっと、お父様に疎まれているものだとばかり思っていました。だって私は、私のせいで――お母様は死んだのだから」

 瑠璃が悲しい声で呟くと、すぐさま和臣が否定した。

「そんなはずがないだろう! 紫乃が、紫乃が命がけで守った最愛の娘を、何故私が憎むと言うんだ!」

 和臣は叫んだあとに、瑠璃から視線をそらして左手で頭を抑えた。

「そう。本当は違ったんだよ。和臣はずっと、君を愛していた。だから……君の心を傷つけたとしても、君が生きていられる道を選んだんだ」
「……」

 瑠璃は実感がわかなかった。
 父が? 自分を愛していた?
 そんな素振り、一切なかったはずなのに。

「ちなみに――実は和臣が用意した誕生日の贈り物、瑠璃ちゃんは実は受け取っていたと気づいていた?」
「え?」
「たとえば伊織からもらった糸車。あれは、もともとは和臣が用意したものだったんだよ。君の母君の使っていたものは、燃えてしまったんだろう?」

 瑠璃は伊織から誕生日などに贈り物をもらってきたが、中でも一番嬉しかったのがその糸車だった。
 ――それを送ってくれたのが、本当は伊織ではなく父だった?

「本当に、お父様が……?」
「……私からは渡せないが、せめてお前に渡せたらと思って」

 和臣は、やはり瑠璃と視線を合わせるのが苦手のようだった。
 瑠璃は和臣の不器用なところが、何故か香月と重なって見てた。

「私は本当は、紫乃とだけ結婚するつもりだった。私は……私は、お前の母以外、誰もいらなかった」

 そういったあと、和臣は慌ててこうつけ足した。

「も、勿論! その子どもである瑠璃、お前もだ。あの双子は、そもそも薬を飲まされて私は紫乃だと思って――」

 一歩間違えば一生口をきいてもらえなさそうな誤解を生む言葉を口にした和臣は、コホンと一つ咳払いして瑠璃の肩に手を置いた。

「私のことを、嫌ってくれても構わない。でも、これだけは忘れないでくれ。お前は、この世界に望まれて生まれてきたんだ。私と、私の愛した女性の、ただ一人の娘として」

『子どもの一番の親孝行は親より長生きして、幸せになること』
 かつて愛されないことを嘆いた時、沙良は瑠璃にこう言った。

 瑠璃は父の言葉を聞いて、ついにそのことを尋ねることにした。
 ずっと、聞けなかったこと。
 ずっと、聞きたかったこと。

「お父様は、本当に私のことを愛していらっしゃるのですか?」

 和臣は大きく首肯した。

「私が愛した女性は、お前の母唯一人。そして今は――その娘であるお前を、同じくらいに愛している」

「では、お母様のことを教えてください。お父様が知るお母様のことを、お二人が出会ったときのことを。私は、もっとたくさん知りたいのです」

 失った時間を取り戻すために。
 瑠璃の提案に、和臣は涙をこぼした。

「ああ……話そう。お前が望むことは、これからは全部叶えてやる!」

 瑠璃の周囲の人間に、瑠璃に尽くしたがる大人がまた一人増えた瞬間だった。



 父との会話を終えてから、瑠璃は考えたことがあった。

(お父様は、一霞と凛桜を、もう表で大切に扱うことはないかもしれない。二人は、帝に処刑された姫の娘。一霞は、凛桜と自分を守るために、ずっと私にひどい行いをしてきた。でも、最後は……一霞は、私のために、命を懸けて守ってくれた)

 そして、と瑠璃は思う。

(――私は、愛されない痛みを、子どものころからよく知っている)

 瑠璃は、母の髪飾りをぎゅっと握った。



「瑠璃様」
 瑠璃により凛桜とともに一條家に連れてこられた一霞は、瑠璃を見るとそう言って頭を下げた。

「これまでの暴言や暴挙の数々、ここにお詫び申し上げます。そして、凛桜を助けていただいたこと――本当に、ありがとうございました」

 庭の土の上に膝をつき、頭をこすりつけるように一霞に頭を下げられた瑠璃は、一霞を立ち上がらせて言った。

「一霞。もう貴方は、私をお姉様とは呼んでくれないの?」
「え?」

 一霞は、瑠璃の言葉に目を丸くしていた。

「で、でも私……これまでたくさんひどいこと」
「貴方のこれまでの私への暴言と行動、すべて水に流します」

 瑠璃はそういったあとに、少しだけ一霞から視線をそらした。

「それは、その……。流石に、お母様の遺品を燃やしたのは一生許せないかもしれないけれど……!」

 でも、一つだけはまだこの世界に残ってる。
 それが、瑠璃と香月を結びつけたことを思うと、瑠璃は妹の罪をどこまで問うていいのか悩んだ。

「? 紫乃お義母様のお使いだった品ですか? それでしたら、お母様に見つからないところで私が保管しておりますが……」
「……え?」

 今度は瑠璃が、返ってきた言葉に目を大きく見開いた。

「お母様に全て燃やすよう言われましたが、どうしても出来なくて。その、大きいものはさすがに隠れて移動させることは難しかったので、全部は保管できていないかもしれないのですが――……」

 瑠璃が母の髪飾りに執着したのは、それがたった一つ残されたものだったからだ。それが瑠璃が伊織を愛した理由となり、今は最愛の相手を思う理由になった。
 でも本当は、まだこの世界に、それらは残っていたのだとしたら――。
 何という運命の巡り合わせだろう。
 一霞の行いが、全ての今に繋がっているようではないか。

「お……お姉様?」

 瑠璃は、一霞の体を抱きしめた。

(この子は、『彼女』とは違う。この子は、ちゃんと――誰かを思いやれる子だ)

「ありがとう、一霞。私の、大切なものを守ってくれて」
「え? あ、あの、私は……」

 瑠璃の前では威張り腐っているように見えた一霞だが、宮子や和臣から愛を表現されたことなどなかったのだろう。瑠璃からの抱擁に、一霞は顔を赤くしていた。

「瑠璃お姉様〜!」

 そこに、沙良がやってくる。

「良かった。ご無事だったのね! 突然お父様と行ってしまわれて、本当に心配したんだから! それで、ねえお姉様。あの光、お姉様の力って本当なの?」
「ええ、本当よ」
「流石は沙良のお姉様! すごいわ! あんな力も使えるなんて!」

 沙良は、家族の全員の無事を聞いたのかご機嫌らしかった。

「貴方は、私が変わっても変わらないのね……」

 瑠璃は、そんな沙良を見て何故かホッとしてしまった。強大な力を前にすれば、簡単に人は態度を変える。
 でもきっと、沙良はそうじゃない。

「当然です。私は、生きているだけで宝と言われて育ちましたので! 瑠璃お姉様は、生きていらっしゃるだけで私の大切なお姉様です!」

 いつものように抱きつこうとしたところで、沙良は違和感に気がついた。

「ところで、この子は結局誰なのですか?」
「この子は、私の妹の一霞よ」
「え……っ!? ではこの子が、瑠璃お姉様を虐めていたという、あの性格の悪い腹違いの妹!?」

 改めて大声で言われて、一霞がびくっと体を震わせる。

「一霞にもいろいろ事情があったの。……でも、もう全部終わったから。だから、今は大丈夫よ」
「瑠璃お姉様は優しすぎるわ! あんなことされて許すなんて。どうして!? 沙良にも教えてください。そして、その子じゃなくて沙良にももっと構ってください。沙良だって、瑠璃お姉様の可愛い妹なんだから!」
「はいはい」

 元気いっぱいに言われたら、何もかもがどうでもよくなってしまう。
 天性の明るさに救わると思ってしまうのは、沙良の魅力なのかもしれないと瑠璃は思った。
 やはり、眩しすぎる太陽みたいだ。

「あのお姉様……? この方は……?」

 瑠璃の腕のなかにいた一霞が、恐る恐る瑠璃にたずねた。借りてきた猫のように自分の手のなかで縮こまっている今の一霞は、瑠璃には不思議と可愛らしく見えた。
 存外自分と一霞《いもうと》は、人見知りをしやすい点でよく似ているのかもしれない、と思う。

「私は一條沙良! 一條家の末の姫にして、伊織お兄様と香月お兄様、そして瑠璃お姉様の可愛い可愛い妹よ!」

 自分でそれを言うのか、と周囲の人間の誰もが思った。

「橘一霞! いくら仲直りしたっていっても、瑠璃お姉様と一番仲良しの、可愛い妹の座は貴方には渡さないわ!」

 腕を組んで、ふふんと鼻を鳴らす。
 やりたい放題の沙良を前に、瑠璃はついに、母が亡くなってから初めて、大きな声を上げて笑ってしまった。