私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

 妖魔を帝都に入れないために、香月たちはついに動いた。
 瑠璃と沙良は肩を寄せ合って、香月の無事を祈っていた。
 一條家の三夫人と宗次郎は、香月に何かあったにすぐ対応できるよう、一條の屋敷に火を焚いて、連絡を待っていた。
 
 帝都には、警邏隊が対峙した妖魔の残りが侵入したときに備え、人々は一切の外出を禁じられた。
 道を歩く人間は一人もいない静かな夜。
 瑠璃は、部屋の隅でセイラの手を握っている伊織を見つめてから、朱桜帝から返却された髪飾りを見た。

「お姉様、それはなあに?」

 今の少女がつけるには、少し古めかしい髪飾り。
 瑠璃は、髪飾りを撫でながら目を瞑った。

「これは、お母様の遺品なの。……お母様が生きていらした、唯一の証」
「唯一の……? 他にはないの?」

 紫乃が妖魔に食い殺されたとはいえ、遺品がのこっていないのはおかしい。
 沙良が尋ねれば、瑠璃は苦笑いした。

「これ以外、もうどこにもないの。……全部、全部燃えてしまった」

 正確に言えば、あれは付け火だったのだと瑠璃は考えていた。

「母が亡くなってから、私とお母様が暮らしていた場所は、全部燃えてしまったの」

 母の思い出。母との記憶。
 その全部がなくなってしまったとき、瑠璃は本当に悲しかった。

「お父様はお母様が亡くなってから、私のことを忘れてしまった。そんな中、火事が起きて。だからこの髪飾りが、私にとって唯一、私が生きていいと思える証になった」
「生きていいと思える、証……?」

 沙良は、「わからない」という顔をしていた。
 それは仕方のないことだと瑠璃は思った。
 沙良は生まれてからずっと愛されて育った女の子で、瑠璃のように愛されない痛みなどきっと知らない。

「でもね、一度この髪飾りを、私はなくしてしまったの。大雪の日だった。当時は伊織様との婚約があって、一條家と橘のお屋敷を移動する中で、失くしてしまったのだとおもった。……当時の私はまだ子どもで。この世の終わりくらい、泣いたことを覚えているわ」

 雪だ。
 その日は珍しく、帝都には大雪が降っていた。
 僅かな時間で振り積もった雪は全ての地面を覆い隠し、幼い瑠璃は、その光景に絶望した。

『いや……いや! おかあさま、いなくならないで! るりを……るりを、ひとりにしないで』

 雪で覆われた道を、必死に何度も歩く。
 だが、何度歩いても見つからない。

『るりをおいて行かないで。おかあさま……おかあさま!』

 瑠璃は、必死に雪で覆われた地面を掘った。
 しかし何度必死に雪を払っても、すぐにまた空から降る雪が、瑠璃の努力を全てなかったものにしてしまう。
 大雪の日に、わざわざ外を歩くものなどいない。
 だから真っ白い世界に、瑠璃は一人きり。
 小さな手を真っ赤に染めながら、雪をかいて、そのときに地面に爪があたって指に血が滲んでも、瑠璃の慟哭を聞いて、慰めてくれる人間なんていやしなかった。
 許婚はいたとしても、それは所詮愛がない、親が決めた取り決めに過ぎない。

『おかあさまがいなくなったら、るりはどうしたらいいの』

 瑠璃の涙は、寒さのあまり凍ってしまいそうだった。瑠璃は、それでもいいと思った。

 瑠璃の母は瑠璃を守るために死んだのだから。そのせいで、父は自分を愛してくれないのだから。だとしたら、この世界に愛してくれる人がいないとしたら、自分の命に何の価値があるというのか。
 ならば、ならばいっそ。
 自分はもう、この世界から――。

『おねがい。どこに居るの? はやく、はやくでてきてよ。おかあさま……』

 胸が張り裂けそうなほど痛かった。
 その日のことを、瑠璃は不安になるたびに思い出す。

「髪飾りが見つからないなら、死んでしまいたいと思っていた。でもね、朝起きたらなんと屋敷に届いていたの。話によると、『一條家の若君が届けてくださった』って。……私はそれを聞いて、伊織様のことを思い出した。だから、死なないことにしたの。生きようと思ったの。こんな大雪の日に、私のために、一生懸命母の髪飾りを探してくれた。私を愛してくれる人がこの世界にいてくれるなら――私はどんなに悲しくても、もう少しだけ『生きていよう』と思ったの」

 瑠璃はその時に、この世界に愛というものがあると信じてみたくなった。
 でも、もうその伊織はいない。
 『一條伊織』にその記憶はないのだ。今の彼は、自分の命を救ってくれたセイラの手を握っている。

 沙良は、涙をこらえながら話す瑠璃の話を聞いて、思いもよらぬ言葉を口にした。

「待って。それ、違うわ! その髪飾りを探して届けたのは、伊織お兄様ではなく香月お兄様よ!」