私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

「香月お兄様ったら、あんなに張り切っちゃって。そりゃあまあ、昔から格好良かったのは確かだけど! あんなに女の子にきゃあきゃあ言われちゃって! 腹が立つわ」

 このパレードが行われるまで、香月のことを知らなかった人間が兄を褒めることに、沙良は複雑な思いがあるらしかった。

(でも、実は私も、香月様がこんなに強いと知ったのは最近だわ)

 兄の一條伊織が目立つ存在だったせいか、香月は常に、彼の影のような存在だった。
 伊織が『王子』なら香月は『騎士』。
 伊織が光なら香月は影。
 二人の印象は、最初から正反対だ。
 
「瑠璃お姉様も腹が立たない!? 香月お兄様ってば、瑠璃お姉様がわざわざ見に行ってあげたのに、笑顔一つ見せないなんて! あの兄の目は節穴なの!?」
「……」

 目はあったと思うが、視線をそらされたとは瑠璃は言えなかった。

「まあいいわ。瑠璃お姉様! 今日はね、特別な市が出ているの。ほら、外からの船を止めることにしたせいで、暫く舶来の品を手に入れるのが難しくなりそうでしょう? だからね、せめて今日だけは、はやくまた同じ日常が送れますように、という願いも込めて市が開かれているの!」

 沙良に案内されるがまま、その場所についた瑠璃は目を見張った。
 瑠璃がこれまで見たことのないような色彩、柄、生き物――。
 知らない世界を生きる人々の文化が、そこにはあった。

「ね、すごいでしょ? よかった! 今日は、ため込んでたお小遣い全部持ってきたの!」
「全部!?」
「そう! そして勿論瑠璃お姉様の分もあるわ!」

 瑠璃は思わず叫んでしまった。
 宗次郎は沙良に甘いので、かなりの金額を渡していることは明白だ。

「さあ! 今日はたくさん買い物をする日よ!」

 香月が仕事でそばにいない今、もう沙良をとめることのできる人間はこの場にはいなかった。



 市に店を出していた人間の肌の色はさまざまだった。桜霞国は以前より船の受け入れを増やしたとは聞いていたが、瑠璃は彼らに直に接することは初めてで、自分との違いを観察してしまったら変に思われないかと、ずっと少し目線を下げて話していた。

 肌の色だけではない。髪も、目の色も、言葉も違う。そのどれもが新鮮で、それは伊織が教えてくれた、『外の世界』そのものだった。

『この世界は、きっと僕が思っているよりずっと広い。僕は、それを知りたい。いろんなものを、この目で見てみたいんだ』
 
 いつもは穏やかで知的な伊織が、唯一瑠璃の前で見せた少年のような瞳。
 その瞳のきらめきの先にあるものが、今目の前に広がっている。

「こちらの商品はおいくらですか」
『ーーーーーー』
「そちらの代金はーーです」

 瑠璃が尋ねれば、通訳を介して言葉が返ってくる。
 瑠璃は買い物を楽しんでいた。
 そして、かつて伊織が教えてくれた幾何学模様によく似た柄の布を売っている店を見て、瑠璃は尋ねた。

「こちらの商品はおいくらですか」
「それは、ーーです」

 沢山の布がぶら下がった向こう側。
 瑠璃は、その声を聞いて耳を疑った。
 何故ならその声を、瑠璃はよく知っていたからだ。

 聞き間違えるはずがない。顔が見えなくても、声だけでわかってしまう。
 だって彼は、ずっと思い焦がれていた相手だ。

「伊織様……?」

(愛している。愛している。愛してる! ずっと……ずっと会いたかった)
 
『瑠璃はずっと、伊織様の帰りを、心からお待ちしておりました』
 伊織が帰ってきたら、そう言おうと心に決めていたのに、瑠璃はその瞬間、何故か言葉が喉から上手く出なかった。

「どうして、どうして伊織お兄様が……!?」

 そんな瑠璃を、パレードを終えた香月の手を引いていいた沙良が見つけ、呆然として呟く。

「あに……うえ?」

 香月も、信じられないものを見た、という表情だ。
 そして香月は、店が壊れるのも厭わずにその男に掴みかかった。

「何故、何故貴方がここにいる!? 生きているのに……生きていたならどうして!?」

 警邏隊の服を着た香月の行動に、周囲の視線が一気に集まる。

「駄目! やめてください。香月様!」
『やめて! ライに手を出さないで!』
 
 瑠璃が香月の体に抱きついて叫んだのと同時、女性の声がして、彼女は伊織の体を庇った。
 二人の手には、おそろいの銀の指輪が嵌っていた。
 香月は、その指輪を見て地を這うような声で伊織に尋ねた。

「その女性は誰ですか。何故……何故瑠璃さんという人がありながら、貴方は――!」

 だがその香月の問いを、伊織は遮った。

「すみません。僕の名前は、『いおり』というのですか?」
「は……?」
 
 瑠璃と香月と沙良は、伊織によく似た男の言葉に開いた口が塞がらなかった。

「私は半年ほど前に大怪我をして――その前の、一切の記憶がないのです」