「いやはや、本当に美しい姫にございますなあ」
「こんなに美しかったからこそ、家に隠していらっしゃったのですね」
夕刻からの花嫁行列を終え、瑠璃は一條家の屋敷での形式的な儀式の後の宴席で、ずっと黙りこくっていた。
公爵家ということもあり、大きな広間には沢山の親族が集まり、豪華な食事に皆舌鼓を打っている。
白無垢から色打掛に着替えた瑠璃は、いたたまれない気持ちになりながら、隣の席に座る夫を横目に見た。
伊織の弟『一條香月』は、生真面目な顔をして笑み一つ見せない。こちらに話しかける素振りもなく、瑠璃は彼の考えが全く読めなかった。
(やっぱりこの方は、伊織様とは全く似ていらっしゃらない……)
伊織であれば、にっこりと優しく瑠璃に微笑んで、偶にふざけたことでも言って場を盛り上げたはずだ。兄弟でこうも違うのか――瑠璃はそう思って、少し悲しくなってしまった。
「本当に。瑠璃様を娶ることが出来る香月様は幸せ者ですな」
「違いない。違いない!」
「……」
周囲の大人たちが褒め称えても、香月は無反応だ。だがその様子は、どこか瑠璃は、自分の父にも似ているような気がした。
ちら、と瑠璃が父の和臣を見れば、すすめられるがままに黙って酒を煽っていた。
瑠璃の記憶では、父は滅多に酒を飲まないはずなのに、珍しいこともあったものである。
(お父様は、何を考えていらっしゃるのでしょう……)
離れのあばら家に置いていた娘の結婚なんて、父にとってはどうでもいいことだろうに。
意外にも、父の様子がいつもと違うことが瑠璃は不思議だった。そして、瑠璃が宴の人間を観察していると、一人の男がこちらに向かって手を振っていることに瑠璃は気がついた。
(伊織様のお父様とはほとんどお会いしたことがなかったけれど、なぜ私に手をお振りに……?)
一條宗次郎。伊織に何処か似た義理の父は何故かニッコリ微笑むと、こちらに手を振っていた。そして、それに気付いた一霞は、明らかに嫌そうな顔をして瑠璃の方を見た。それを気付いて、何故か宗次郎は更に楽しそうなご様子だ。瑠璃は、義理の父が何をしたいのか全く分からなかった。
(……とりあえず、お義父様には嫌われてはいない)
これまで一條の屋敷を訪れても、口下手な瑠璃がちゃんと話したことがあるのは伊織くらいだった。
だからこそ、自分のことを受け入れてくれそうな人間が居たことに、瑠璃はほっと胸を撫で下ろした。
■
「お部屋は、もう整えてありますので」
宴席の後、女たちに婚礼の衣装をすっかり脱がされた瑠璃は、褥のひかれた部屋に通され、一人頭を悩ませていた。
婚礼のために結われた髪をやっと解くことができ、瑠璃は安堵とともに、どっと不安が押し寄せてきた。
(どうしよう。ずっと、伊織様と迎える初夜を夢見ていたはずだったのに、突然相手が変わって頭も身体も整理しきれない……)
一條香月という人間を、瑠璃はよく知らない。
瑠璃の過去の記憶の香月は、目が合ったと思い瑠璃が挨拶をしようと思っても、すぐに顔を背けて踵を返してしまう姿ばかりだ。そんな香月を見て、いつも伊織は困ったように笑っていた。
(駄目。思い出しては駄目)
太陽のように明るかった伊織。義父譲りの少し明るい髪色だった伊織に対し、香月は夜を思わせる黒髪だ。太陽と月。二人の風貌と雰囲気は、それと似て真逆だった。
瑠璃は、心を落ち着かせるためにふーーっと息を吐いた。
大丈夫。大丈夫だ。今日は初夜だが、相手は一條家の若君。手荒な真似をするはずがない。
瑠璃は、部屋の外に浮かぶ人影を見た。初夜ということもあり、香月との初夜の指南をした女が控えていた。
(大丈夫。大丈夫……)
殺されはしない。痛みはあるかもそれないが、そんなことはこれまでの自分の人生に比べたらまだマシだと言い聞かせる。少なくとも、この家にはあの義父がいるのだ。実の父さえ自分に笑いかけてくれない橘の屋敷よりは、まだ生きやすいに違いない。
瑠璃がそう自分に言い聞かせていると、廊下を歩く足音が近づいてきた。音は部屋の前で止まると、部屋の外で待つ人間と話をしているようだった。
「お前たちは下がれ」
「しかし、香月様」
「私の命が聞けないのか」
「……かしこまりました」
香月だ。
一條香月は、あろうことか瑠璃と香月の初夜を見守るお役目を与えられた者たちを、部屋から遠ざけてしまった。
瑠璃が呆然とする中、香月は部屋の中に入ってくると、はあと一つため息を吐いた。
瑠璃は混乱した。
(どうしよう。どうしよう。では私は、今夜はもうこの方と二人なの?)
香月のため息の理由がわからないことも、の不安を助長する。
(ああ。やはりそうなのだ。香月様は、私との婚姻を望んでいなかったのだ)
兄嫁となるはずだった女を、兄が死んだからと娶れと言われて喜ぶ男がいるはずがない。
瑠璃は、家が決めたこの結婚の「不幸」が己だけではないと気付いて、体をこわばらせた。
暴力を振るわれるかもしれない。ひどい暴言を浴びせられるかもしれない。彼の期待に応えられなかったら? つまらない女だと思われて、実家に帰れと言われてしまったら――?
そんな瑠璃の心配を他所に、香月は瑠璃の姿を見ると、そっと膝を折って彼女に手を伸ばした。
その仕草は、伊織と似ているのに、ただ一つだけ心に浮かぶのは。
(――怖い)
「助けて。伊織様……っ!」
目をぎゅっと瞑って、瑠璃はついそう叫んでいた。
瑠璃の言葉に、香月は動きをとめる。
いつまでたっても彼が触れてこないことに気づいた瑠璃は、恐る恐る瞼をあけて、目の前の男を見た。
(どうして……?)
瑠璃には何故か香月が、ひどく傷ついているように見えた。
黒曜石のような瞳は、今は部屋の明かりを映して、少し揺れているようにも見える。
香月は今や、この国を守る、武の家系のただ一人の若君だ。その香月が、取るにならない瑠璃の言葉一つで、動揺するなどあり得ないのに――。
「……申し訳ありません。貴方を、怖がらせてしまいました」
香月はそういうと、伸ばしていた手を下ろした。
(彼は、私に怒らないの……?)
「私は、貴方を抱くつもりはありません」
軽く目を伏せて、香月は瑠璃に言った。
「貴方が兄を愛していたことは知っています。これは家同士の取り決め。――貴方は、私のことを愛さずとも構いません。突然相手が変わって、さぞ驚かれたことでしょう。……ただ、今夜この部屋から私だけ出ると妙な噂がたつかもしれませんので、せめて今日だけは、共に部屋で過ごすことをお許しください」
香月はそう言うと、褥ではなくそばに置かれた屏風の向こうへと言ってしまった。
瑠璃は香月に話しかけることもできず、暫く褥のうえで悩んだ後――婚礼の儀で疲れた体を休めるために眠りについた。
「こんなに美しかったからこそ、家に隠していらっしゃったのですね」
夕刻からの花嫁行列を終え、瑠璃は一條家の屋敷での形式的な儀式の後の宴席で、ずっと黙りこくっていた。
公爵家ということもあり、大きな広間には沢山の親族が集まり、豪華な食事に皆舌鼓を打っている。
白無垢から色打掛に着替えた瑠璃は、いたたまれない気持ちになりながら、隣の席に座る夫を横目に見た。
伊織の弟『一條香月』は、生真面目な顔をして笑み一つ見せない。こちらに話しかける素振りもなく、瑠璃は彼の考えが全く読めなかった。
(やっぱりこの方は、伊織様とは全く似ていらっしゃらない……)
伊織であれば、にっこりと優しく瑠璃に微笑んで、偶にふざけたことでも言って場を盛り上げたはずだ。兄弟でこうも違うのか――瑠璃はそう思って、少し悲しくなってしまった。
「本当に。瑠璃様を娶ることが出来る香月様は幸せ者ですな」
「違いない。違いない!」
「……」
周囲の大人たちが褒め称えても、香月は無反応だ。だがその様子は、どこか瑠璃は、自分の父にも似ているような気がした。
ちら、と瑠璃が父の和臣を見れば、すすめられるがままに黙って酒を煽っていた。
瑠璃の記憶では、父は滅多に酒を飲まないはずなのに、珍しいこともあったものである。
(お父様は、何を考えていらっしゃるのでしょう……)
離れのあばら家に置いていた娘の結婚なんて、父にとってはどうでもいいことだろうに。
意外にも、父の様子がいつもと違うことが瑠璃は不思議だった。そして、瑠璃が宴の人間を観察していると、一人の男がこちらに向かって手を振っていることに瑠璃は気がついた。
(伊織様のお父様とはほとんどお会いしたことがなかったけれど、なぜ私に手をお振りに……?)
一條宗次郎。伊織に何処か似た義理の父は何故かニッコリ微笑むと、こちらに手を振っていた。そして、それに気付いた一霞は、明らかに嫌そうな顔をして瑠璃の方を見た。それを気付いて、何故か宗次郎は更に楽しそうなご様子だ。瑠璃は、義理の父が何をしたいのか全く分からなかった。
(……とりあえず、お義父様には嫌われてはいない)
これまで一條の屋敷を訪れても、口下手な瑠璃がちゃんと話したことがあるのは伊織くらいだった。
だからこそ、自分のことを受け入れてくれそうな人間が居たことに、瑠璃はほっと胸を撫で下ろした。
■
「お部屋は、もう整えてありますので」
宴席の後、女たちに婚礼の衣装をすっかり脱がされた瑠璃は、褥のひかれた部屋に通され、一人頭を悩ませていた。
婚礼のために結われた髪をやっと解くことができ、瑠璃は安堵とともに、どっと不安が押し寄せてきた。
(どうしよう。ずっと、伊織様と迎える初夜を夢見ていたはずだったのに、突然相手が変わって頭も身体も整理しきれない……)
一條香月という人間を、瑠璃はよく知らない。
瑠璃の過去の記憶の香月は、目が合ったと思い瑠璃が挨拶をしようと思っても、すぐに顔を背けて踵を返してしまう姿ばかりだ。そんな香月を見て、いつも伊織は困ったように笑っていた。
(駄目。思い出しては駄目)
太陽のように明るかった伊織。義父譲りの少し明るい髪色だった伊織に対し、香月は夜を思わせる黒髪だ。太陽と月。二人の風貌と雰囲気は、それと似て真逆だった。
瑠璃は、心を落ち着かせるためにふーーっと息を吐いた。
大丈夫。大丈夫だ。今日は初夜だが、相手は一條家の若君。手荒な真似をするはずがない。
瑠璃は、部屋の外に浮かぶ人影を見た。初夜ということもあり、香月との初夜の指南をした女が控えていた。
(大丈夫。大丈夫……)
殺されはしない。痛みはあるかもそれないが、そんなことはこれまでの自分の人生に比べたらまだマシだと言い聞かせる。少なくとも、この家にはあの義父がいるのだ。実の父さえ自分に笑いかけてくれない橘の屋敷よりは、まだ生きやすいに違いない。
瑠璃がそう自分に言い聞かせていると、廊下を歩く足音が近づいてきた。音は部屋の前で止まると、部屋の外で待つ人間と話をしているようだった。
「お前たちは下がれ」
「しかし、香月様」
「私の命が聞けないのか」
「……かしこまりました」
香月だ。
一條香月は、あろうことか瑠璃と香月の初夜を見守るお役目を与えられた者たちを、部屋から遠ざけてしまった。
瑠璃が呆然とする中、香月は部屋の中に入ってくると、はあと一つため息を吐いた。
瑠璃は混乱した。
(どうしよう。どうしよう。では私は、今夜はもうこの方と二人なの?)
香月のため息の理由がわからないことも、の不安を助長する。
(ああ。やはりそうなのだ。香月様は、私との婚姻を望んでいなかったのだ)
兄嫁となるはずだった女を、兄が死んだからと娶れと言われて喜ぶ男がいるはずがない。
瑠璃は、家が決めたこの結婚の「不幸」が己だけではないと気付いて、体をこわばらせた。
暴力を振るわれるかもしれない。ひどい暴言を浴びせられるかもしれない。彼の期待に応えられなかったら? つまらない女だと思われて、実家に帰れと言われてしまったら――?
そんな瑠璃の心配を他所に、香月は瑠璃の姿を見ると、そっと膝を折って彼女に手を伸ばした。
その仕草は、伊織と似ているのに、ただ一つだけ心に浮かぶのは。
(――怖い)
「助けて。伊織様……っ!」
目をぎゅっと瞑って、瑠璃はついそう叫んでいた。
瑠璃の言葉に、香月は動きをとめる。
いつまでたっても彼が触れてこないことに気づいた瑠璃は、恐る恐る瞼をあけて、目の前の男を見た。
(どうして……?)
瑠璃には何故か香月が、ひどく傷ついているように見えた。
黒曜石のような瞳は、今は部屋の明かりを映して、少し揺れているようにも見える。
香月は今や、この国を守る、武の家系のただ一人の若君だ。その香月が、取るにならない瑠璃の言葉一つで、動揺するなどあり得ないのに――。
「……申し訳ありません。貴方を、怖がらせてしまいました」
香月はそういうと、伸ばしていた手を下ろした。
(彼は、私に怒らないの……?)
「私は、貴方を抱くつもりはありません」
軽く目を伏せて、香月は瑠璃に言った。
「貴方が兄を愛していたことは知っています。これは家同士の取り決め。――貴方は、私のことを愛さずとも構いません。突然相手が変わって、さぞ驚かれたことでしょう。……ただ、今夜この部屋から私だけ出ると妙な噂がたつかもしれませんので、せめて今日だけは、共に部屋で過ごすことをお許しください」
香月はそう言うと、褥ではなくそばに置かれた屏風の向こうへと言ってしまった。
瑠璃は香月に話しかけることもできず、暫く褥のうえで悩んだ後――婚礼の儀で疲れた体を休めるために眠りについた。

