『橘瑠璃』が、実は白藤家が探していた最愛の娘の子どもだった。
この話は、帝都にまたたく間に広まった。
不義の子。捨てられた子どもの娘。
御三家に属しながら、どこか穢れた存在のようにかげで語られていた瑠璃は、一躍時の人となった。
それが判明したきっかけが、朱桜帝が街で体を崩していた時に、瑠璃がラムネと塩飴、そして刺繍入りの手巾を手渡したことだということが世に知らされ、その手巾には白藤家の『治癒』の力があったことが明らかになり――結果として瑠璃は、無能という汚名も注ぐことが出来た。
「ああ、本当によくに似ている。見なさい。本当に、お前の若いころにそっくりだ」
そして瑠璃は、白藤家の当主夫婦からの溺愛を一身に受けることになった。
「ええ、本当ね。私の若いころに、本当によく似ているわ」
老夫婦は、瑠璃を見て本当に幸せそうに笑っていて、瑠璃は二人からなかなか一條家に帰してもらえなかった。
「ねえ、見て。この蝶、とても綺麗でしょう? この蝶はね、白藤家の治癒の力を好むの。ある意味私たちが花で、彼らはその蜜を吸っているのね。だからあの日、貴方が蝶に囲まれている姿を見て――私は、貴方があの子の娘だってすぐにわかったわ」
老婆――祖母の話を聞いて、瑠璃はふと疑問に思ったことを尋ねた。
「母を探すときに、蝶を使おうというお考えはなかったのでしょうか?」
「それは、勿論考えたわ。でも、この子たちはある意味私たちの眷属であり家族なの。白藤の人間があまり外に出られない理由と同じ。この子たちもまた、治癒の力を持っている。だからね、この子たちは外には出られない。それが『決まり』なの。ただ昔ね、一度私も蝶を使って探そうとしたことはあるの。ただ、その時はもう橘家の方と出会ったあとだったのかもしれないわ。蝶は、あの子を探せなかったの」
確かに、和臣と出会った後なら、瑠璃と母は殆ど外出していなかったので、辿れなかったも無理はない。
「でも、こうやってあの子の娘には会えた。私、今、とても幸せよ」
「……お祖母様」
シワシワの手で抱きしめれてそう呼べば、老夫婦は感激して瑠璃をさらに強く抱きしめた。
「ああ! なんて愛しい子なんだ。どうか儂のことも、お祖父様と呼んでおくれ!」
二人に挟まれて、瑠璃は自分が押しつぶされてしまうのではないかと少し怖くなった。
「それで? 貴方は今、一條家に居るのよね?」
少しして落ち着いてから、瑠璃は二人に、近況について聞かれた。
「一條家の次男坊、だったか。確か、優れた異能を持つと聞いた。だが、あの男の息子だからなあ……」
「宗次郎様ですか?」
瑠璃がその名前を口にすると、瑠璃の祖父はかっと目を見開いた。
「そうだあの男! 昔から女ったらしで、美人がいたらすぐ口説く。あまつさえ、この国の発展に寄与してくれるであろうと儂や陛下が目をかけていた女さえ妻にして――本当に、何を考えておるのだ! あのちゃらんぽらんは!」
「ちゃらんぽらん」
瑠璃はつい言葉を繰り返した。
そして、少し不思議に思う。
(そんな実務で有能そうな方……一條家にいたかしら?)
詩織は家系での婚姻だという話だったはずだし、美月は元警邏隊。残るのは――。
(まさか双葉様、ではない……よね?)
ぐだぐだで娘に甘く、食事と睡眠のことしか頭になさそうな彼女が国を率いる立場として期待されていた姿を、瑠璃は全く想像出来なかった。
「一條家の方々には、とても大切にしていただいています。実は、屋敷には私の木を植えていただきましたし、毎月香月様からはお小遣いをいただいていて、沙良さんとはよく買い物に――」
「何だと! なら儂も小遣いをやろう! この庭に木を植えよう! 一條家には負けてられん!」
「その、お金は香月様にいただいているので……」
着物だって、香月が喜んでくれるなら、瑠璃は香月が自分が選んだものを着ていたかった。
だが、香月が与えてくれるものだけを頼りにして生きていたいと瑠璃が思っても、宗次郎も朱桜帝も祖父も、瑠璃に物を与えがりだった。
「いくらだ! いくらもらっている!? 儂がその二倍……いや三倍……。十倍だそう! だから、この屋敷に――」
「あなた。すでに嫁いでいる大人の女性に、そんな事を言ってはいけませんよ」
そんな話をしているうちに、瑠璃には迎えが来たらしい。
香月が迎えに来たと聞いて、瑠璃は慌てて身支度を整えた。
数日ぶりにあった香月は、仕事の帰りなのか隊服に身を包んでいた。
「お待たせしました。香月様」
「……一條家の小僧」
瑠璃の祖父は、そう呟いて香月を睨んだ。
「お前がこの子と婚姻を結んだことは理解する。だがな。この子は、私がずっと探していた娘の子だ。一條家の嫁になったとしても、今後はこの屋敷に瑠璃には顔を出してもらうからな」
「……それを、瑠璃さんがお望みなのですか」
香月は、静かに尋ねた。
「当たり前だろう! この子は、白藤の子だ。『治癒』の力を持つ、正当な血筋の娘なんだ。誰にももう、この子のことを悪くは言わせない!」
老人の啖呵を聞いて、香月は瑠璃を見て尋ねた。
「瑠璃さんも、ここにとどまることをお望みですか?」
「その……。私は、ずっと母の血縁は居ないと、私を愛してくれる家族はいないのだと思って育ちました。だから祖父母とは、これからも共にありたいです」
「……そうですか。貴方がそれをお望みなら、私は受け入れます」
香月はそう言うと、瑠璃の予想していなかった言葉を口にした。
「瑠璃さん。――私と、離縁してください」
「………………え?」
瑠璃は、香月の突然の申し出に、時が止まったのかとさえ思った。
頭の中がぐちゃぐちゃで言葉が出ない。
どうして、どうして、どうして――ただその言葉だけが、瑠璃を支配する。
「何を……。君は、この子の夫ではないのか! 操を捧げた妻になんてことを!」
何も言えない瑠璃の代わりに、彼女の祖父が香月に怒鳴る。
「いいえ、違います」
だが香月は冷静に、老人に事実を述べた。
「彼女は、元々兄の許婚。だから私は、彼女とは祝言を上げても、まだ床は共にしておりません」
■
「忌々しい!」
――夜。
橘家の屋敷で、宮子は瑠璃について取り上げられた記事を読んで憤慨した。
「きゃあっ!」
宮子は怒りに任せて、それらを払った。
母に挨拶のために部屋を訪れようとした一霞は、母の声と物音、床に散らばった記事を見て絶句した。
【一條瑠璃、その母は白藤家の行方不明の令嬢と判明!】
【陛下を助けた令嬢の正体――そのきっかけは刺繍?】
【朱桜帝からの奇跡の少女への贈り物。命の恩人への寵愛か?】
【白藤家当主、孫娘を溺愛。次期当主の行方は?】
どれもこれも、一霞がこれまで貶めてきた姉をもてはやすものばかり。瑠璃が愛されていると世間に知らしめるものばかり。
「あの女が白藤家の娘? お父様が、あの女の娘を寵愛ですって?」
暗い部屋、蝋燭の明かりの中で、その女は妖しく笑う。
「こんなことならあの時」
一霞には母の影が、グニャグニャと蠢いているように見えた。
「ちゃんと、娘も殺しておくんだった」
この話は、帝都にまたたく間に広まった。
不義の子。捨てられた子どもの娘。
御三家に属しながら、どこか穢れた存在のようにかげで語られていた瑠璃は、一躍時の人となった。
それが判明したきっかけが、朱桜帝が街で体を崩していた時に、瑠璃がラムネと塩飴、そして刺繍入りの手巾を手渡したことだということが世に知らされ、その手巾には白藤家の『治癒』の力があったことが明らかになり――結果として瑠璃は、無能という汚名も注ぐことが出来た。
「ああ、本当によくに似ている。見なさい。本当に、お前の若いころにそっくりだ」
そして瑠璃は、白藤家の当主夫婦からの溺愛を一身に受けることになった。
「ええ、本当ね。私の若いころに、本当によく似ているわ」
老夫婦は、瑠璃を見て本当に幸せそうに笑っていて、瑠璃は二人からなかなか一條家に帰してもらえなかった。
「ねえ、見て。この蝶、とても綺麗でしょう? この蝶はね、白藤家の治癒の力を好むの。ある意味私たちが花で、彼らはその蜜を吸っているのね。だからあの日、貴方が蝶に囲まれている姿を見て――私は、貴方があの子の娘だってすぐにわかったわ」
老婆――祖母の話を聞いて、瑠璃はふと疑問に思ったことを尋ねた。
「母を探すときに、蝶を使おうというお考えはなかったのでしょうか?」
「それは、勿論考えたわ。でも、この子たちはある意味私たちの眷属であり家族なの。白藤の人間があまり外に出られない理由と同じ。この子たちもまた、治癒の力を持っている。だからね、この子たちは外には出られない。それが『決まり』なの。ただ昔ね、一度私も蝶を使って探そうとしたことはあるの。ただ、その時はもう橘家の方と出会ったあとだったのかもしれないわ。蝶は、あの子を探せなかったの」
確かに、和臣と出会った後なら、瑠璃と母は殆ど外出していなかったので、辿れなかったも無理はない。
「でも、こうやってあの子の娘には会えた。私、今、とても幸せよ」
「……お祖母様」
シワシワの手で抱きしめれてそう呼べば、老夫婦は感激して瑠璃をさらに強く抱きしめた。
「ああ! なんて愛しい子なんだ。どうか儂のことも、お祖父様と呼んでおくれ!」
二人に挟まれて、瑠璃は自分が押しつぶされてしまうのではないかと少し怖くなった。
「それで? 貴方は今、一條家に居るのよね?」
少しして落ち着いてから、瑠璃は二人に、近況について聞かれた。
「一條家の次男坊、だったか。確か、優れた異能を持つと聞いた。だが、あの男の息子だからなあ……」
「宗次郎様ですか?」
瑠璃がその名前を口にすると、瑠璃の祖父はかっと目を見開いた。
「そうだあの男! 昔から女ったらしで、美人がいたらすぐ口説く。あまつさえ、この国の発展に寄与してくれるであろうと儂や陛下が目をかけていた女さえ妻にして――本当に、何を考えておるのだ! あのちゃらんぽらんは!」
「ちゃらんぽらん」
瑠璃はつい言葉を繰り返した。
そして、少し不思議に思う。
(そんな実務で有能そうな方……一條家にいたかしら?)
詩織は家系での婚姻だという話だったはずだし、美月は元警邏隊。残るのは――。
(まさか双葉様、ではない……よね?)
ぐだぐだで娘に甘く、食事と睡眠のことしか頭になさそうな彼女が国を率いる立場として期待されていた姿を、瑠璃は全く想像出来なかった。
「一條家の方々には、とても大切にしていただいています。実は、屋敷には私の木を植えていただきましたし、毎月香月様からはお小遣いをいただいていて、沙良さんとはよく買い物に――」
「何だと! なら儂も小遣いをやろう! この庭に木を植えよう! 一條家には負けてられん!」
「その、お金は香月様にいただいているので……」
着物だって、香月が喜んでくれるなら、瑠璃は香月が自分が選んだものを着ていたかった。
だが、香月が与えてくれるものだけを頼りにして生きていたいと瑠璃が思っても、宗次郎も朱桜帝も祖父も、瑠璃に物を与えがりだった。
「いくらだ! いくらもらっている!? 儂がその二倍……いや三倍……。十倍だそう! だから、この屋敷に――」
「あなた。すでに嫁いでいる大人の女性に、そんな事を言ってはいけませんよ」
そんな話をしているうちに、瑠璃には迎えが来たらしい。
香月が迎えに来たと聞いて、瑠璃は慌てて身支度を整えた。
数日ぶりにあった香月は、仕事の帰りなのか隊服に身を包んでいた。
「お待たせしました。香月様」
「……一條家の小僧」
瑠璃の祖父は、そう呟いて香月を睨んだ。
「お前がこの子と婚姻を結んだことは理解する。だがな。この子は、私がずっと探していた娘の子だ。一條家の嫁になったとしても、今後はこの屋敷に瑠璃には顔を出してもらうからな」
「……それを、瑠璃さんがお望みなのですか」
香月は、静かに尋ねた。
「当たり前だろう! この子は、白藤の子だ。『治癒』の力を持つ、正当な血筋の娘なんだ。誰にももう、この子のことを悪くは言わせない!」
老人の啖呵を聞いて、香月は瑠璃を見て尋ねた。
「瑠璃さんも、ここにとどまることをお望みですか?」
「その……。私は、ずっと母の血縁は居ないと、私を愛してくれる家族はいないのだと思って育ちました。だから祖父母とは、これからも共にありたいです」
「……そうですか。貴方がそれをお望みなら、私は受け入れます」
香月はそう言うと、瑠璃の予想していなかった言葉を口にした。
「瑠璃さん。――私と、離縁してください」
「………………え?」
瑠璃は、香月の突然の申し出に、時が止まったのかとさえ思った。
頭の中がぐちゃぐちゃで言葉が出ない。
どうして、どうして、どうして――ただその言葉だけが、瑠璃を支配する。
「何を……。君は、この子の夫ではないのか! 操を捧げた妻になんてことを!」
何も言えない瑠璃の代わりに、彼女の祖父が香月に怒鳴る。
「いいえ、違います」
だが香月は冷静に、老人に事実を述べた。
「彼女は、元々兄の許婚。だから私は、彼女とは祝言を上げても、まだ床は共にしておりません」
■
「忌々しい!」
――夜。
橘家の屋敷で、宮子は瑠璃について取り上げられた記事を読んで憤慨した。
「きゃあっ!」
宮子は怒りに任せて、それらを払った。
母に挨拶のために部屋を訪れようとした一霞は、母の声と物音、床に散らばった記事を見て絶句した。
【一條瑠璃、その母は白藤家の行方不明の令嬢と判明!】
【陛下を助けた令嬢の正体――そのきっかけは刺繍?】
【朱桜帝からの奇跡の少女への贈り物。命の恩人への寵愛か?】
【白藤家当主、孫娘を溺愛。次期当主の行方は?】
どれもこれも、一霞がこれまで貶めてきた姉をもてはやすものばかり。瑠璃が愛されていると世間に知らしめるものばかり。
「あの女が白藤家の娘? お父様が、あの女の娘を寵愛ですって?」
暗い部屋、蝋燭の明かりの中で、その女は妖しく笑う。
「こんなことならあの時」
一霞には母の影が、グニャグニャと蠢いているように見えた。
「ちゃんと、娘も殺しておくんだった」

