「瑠璃お姉様に、陛下からお呼び出し!?」
それは、突然のことだった。
瑠璃は現在の帝――朱桜帝からの命を受け、内裏へと向かうことになった。
「父上。この件について、何かご存じのことは?」
「いや……僕も、何も聞いていないよ」
香月が険しい顔で尋ねる。だが、宗次郎は首を横に振るだけだった。
「とりあえず、身なりを整えなくては。誰か、彼女を着替えさせてくれ」
■
(陛下は、私に何のご用だろう?)
瑠璃は、宗次郎と馬車に揺られながら、考えていた。瑠璃は和臣の娘だが、宮中で行われる儀式などについても何も知らない。腹違いの一霞なら、祖父なのだから面識はあるだろうが、橘の屋敷に閉じ込められていた瑠璃が、時の帝を知るわけがない。
「緊張してる?」
宗次郎が瑠璃に尋ねる。
「大丈夫。何があっても、僕が瑠璃ちゃんを香月の代わりに守ってあげるからね」
宗次郎はそう言うと、瑠璃を安心させるために優しく微笑んだ。
馬車は道を進み、やがて大きな門をくぐる。そして車寄せに馬車が止まると、宗次郎は先に降りて瑠璃に手を貸してくれた。
「どうぞ、こちらへ」
瑠璃は、案内されるままに廊下を歩いた。
桜霞国の内裏の構造は、千年も昔から殆どその姿を変えていないことで有名だ。
それには、橘家の異能も関わっている。どうやら橘家の異能は、守護された空間の温度や環境を適切に保つ機能もあるらしく、夏であろうと少し暑く、冬であっても寒さは感じるが、雪が降っても凍えるほどは寒くないのだという。
だから、空間と空間の仕切りに、障子や襖ではなく、御簾《みす》や几帳《きちょう》と呼ばれるものが、今も使われている。
そして、瑠璃が案内された部屋においても――空間の仕切りには、御簾が使われていた。
(どうしよう。私は、どうしたらいいの?)
御簾の仕組みでは、暗い方からは明るいほうが見えるが、明るい方からは暗い方が見えない。
つまり、朱桜帝からは瑠璃たちが見えても、瑠璃たちからは彼が見えないのだ。
頭を下げた瑠璃に対し、彼は言った。
「面《おもて》を上げよ」
瑠璃は、その声に聞き覚えがあるような気がした。
(まさか、この声はあの時の――)
「先日は世話になった。そなたのお陰で、随分と体が良くなった。処置は正しかったと褒めていたよ」
瑠璃は驚いた。それではやはり、あの日瑠璃が助けた老人は――。
「あの時のおじいさんが陛下!?」
瑠璃は、つい感情を声に出してしまい口を抑えた。珍しく、宗次郎が瑠璃を見て驚いていた。
「おじいさん! あっはっは。そうかそうか。確かにそなたから見たら、儂は『おじいさん』だろうなあ」
御簾の向こうから、笑い声が聞こえる。宗次郎は、すぐに頭を下げた。
「陛下! 申し訳ございません。彼女は宮中のことには不慣れでして、どうか――」
「良い良い。命の恩人を、こんなことで咎めたりなどせぬ」
その時、御簾の向こうから人が現れた。
『その老人』は、綺麗に整えられた顔と手に、不似合いな服を着ていた。だが今、古めかしい袍《ほう》に身を包む男は、彼がこの国の絶対的な権力者であることを瑠璃に理解させるには十分だった。
「改めて礼を言おう。――橘瑠璃」
■
「陛下、本当によろしいのですか?」
瑠璃はその後、何故か朱桜帝と庭で共にお茶をすることになった。
「良い良い。――いや、やはりお前は下がっておれ。儂は、彼女と話がある」
しかも、頼みの綱であった宗次郎とも離され、瑠璃は不安で胸が苦しくなった。
「その表情を見るに、あの男は、そなたの信頼を得ているようだ。そして、一條の屋敷で、そなたの処遇は悪くないのだろう」
「……はい。大変良くしていただいています」
瑠璃は、隠すことなく答えた。
どうせ、瑠璃が隠したとしても表情や仕草でわかってしまうなら、嘘偽りなく答えるべきだと彼女は判断した。
「そうか。……そうか。それなら良かった」
朱桜帝は、何故か瑠璃の返答に胸を撫で下ろしていた。
「実はな、ずっと気がかりだったのだ。昔、そなたの父に末の姫を嫁がせてから、そなたの母が亡くなってから」
瑠璃は、その言葉を聞いてうまく声が出なくなった。
「末の姫に、儂は全てを与えてた。子どもは数人生まれたが、姫は一人だけで。好奇心の塊のような子で――そう、ちょうど、今の一條の末の姫によく似ていた」
瑠璃には、宮子の幼少期が沙良に似ていたなんて想像もつかなかった。
瑠璃の知る宮子は、冷たくて、全く笑いもしない。
(違う。沙良さんとあの人は、全然似てなんかない!)
だが、どうしてそれを伝えることができるだろう。
時の帝に、『貴方の娘は性格が悪いが、沙良は少し我儘でよく問題は起こすが、性格が良い』、と?
――出来るわけがない。
「当時の儂は、少し体調を崩していて、あの子のことがどうしても不安だったのだ。だから、一番信頼できる男に、あの子のことを頼みたかった。……そのせいで、そなたたち親子を傷つけてしまったことを、心から謝罪する」
「い、いえ……!? そんな、陛下。頭をお上げください!」
この国の頂点にある男に突然頭を下げられて、瑠璃は仰天した。
「……ずっと、気がかりだった。この人生で、私がした一番の過ちは、それではないかとさえ思っていた。だが、あの男は私が補償を申し出ても、何も受け取ろうとはしなかった」
あの男というのは、父和臣のことだろうと瑠璃は思った。
「だから、そなたが立派に育ち、今幸せに暮らしてくれているなら、儂は心から嬉しいのだ」
「……ありがとうございます」
瑠璃は、素直に礼を言った。
継母たち親子の件で瑠璃はこれまでつらい思いをしてきたが、目の前の老人を責め立てるのは、瑠璃には出来なかった。
「それに、そなたには命まで助けてもらった。だから、儂は恩返しがしたいのだ。一條の屋敷で心穏に暮らしているなら、それでよい。そのうえで、儂からも贈り物をしよう。そなたが望むものを与えよう」
「いえ、特に贈り物は……。すでにたくさんいただいているので」
「おや、そうか? そなたも意外と豪胆だな。儂からの賜り物を断るとは」
「そんなつもりは!」
瑠璃は思わず声を上げた。
目上の人間と接する機会が少なかったせいで、何が正解かがわからない。
「では――そなたの本当の家族を探す、というのはどうか?」
瑠璃は、その申し出を聞いてすぐに言葉の阿弥が理解できなかった。
瑠璃は、不義の子と言われてきた。まさか、そのことを指摘されているのではと。
「わ、わ、わたしは……っ。わたしは、お父様の子で!」
息が乱れる。呼吸がうまく出来ない。ひゅうひゅう、と息が漏れて、言葉がうまく紡げない。
「こらこら、落ち着きなさい!」
朱桜帝は、瑠璃の口を手巾で覆った。すると、瑠璃は不思議とうまく呼吸ができるようになった。
「儂が言っているのはそれではない。……そなたは、紛れもなくあの男の娘だ。だがそなたの母は、出自がわからないと聞いている」
その通りだ。だからこそ瑠璃は、瑠璃の母である紫乃は、宮子姫という存在の前に太刀打ちができなかった。
「実はもしかしたら、そなたの母の出自がわかるかもしれないのだ。もしそなたが望むなら、そなたの母に連なるものを、どうか儂に預けてはくれないだろうか?」
瑠璃は、過呼吸の後に少しずつ覚醒する意識のなかで――少し迷った後に、瑠璃が持つ母に連なる唯一の品を、帝に手渡した。
「ありがとう。必ず、儂がそなたの家族を見つけよう」
それは、突然のことだった。
瑠璃は現在の帝――朱桜帝からの命を受け、内裏へと向かうことになった。
「父上。この件について、何かご存じのことは?」
「いや……僕も、何も聞いていないよ」
香月が険しい顔で尋ねる。だが、宗次郎は首を横に振るだけだった。
「とりあえず、身なりを整えなくては。誰か、彼女を着替えさせてくれ」
■
(陛下は、私に何のご用だろう?)
瑠璃は、宗次郎と馬車に揺られながら、考えていた。瑠璃は和臣の娘だが、宮中で行われる儀式などについても何も知らない。腹違いの一霞なら、祖父なのだから面識はあるだろうが、橘の屋敷に閉じ込められていた瑠璃が、時の帝を知るわけがない。
「緊張してる?」
宗次郎が瑠璃に尋ねる。
「大丈夫。何があっても、僕が瑠璃ちゃんを香月の代わりに守ってあげるからね」
宗次郎はそう言うと、瑠璃を安心させるために優しく微笑んだ。
馬車は道を進み、やがて大きな門をくぐる。そして車寄せに馬車が止まると、宗次郎は先に降りて瑠璃に手を貸してくれた。
「どうぞ、こちらへ」
瑠璃は、案内されるままに廊下を歩いた。
桜霞国の内裏の構造は、千年も昔から殆どその姿を変えていないことで有名だ。
それには、橘家の異能も関わっている。どうやら橘家の異能は、守護された空間の温度や環境を適切に保つ機能もあるらしく、夏であろうと少し暑く、冬であっても寒さは感じるが、雪が降っても凍えるほどは寒くないのだという。
だから、空間と空間の仕切りに、障子や襖ではなく、御簾《みす》や几帳《きちょう》と呼ばれるものが、今も使われている。
そして、瑠璃が案内された部屋においても――空間の仕切りには、御簾が使われていた。
(どうしよう。私は、どうしたらいいの?)
御簾の仕組みでは、暗い方からは明るいほうが見えるが、明るい方からは暗い方が見えない。
つまり、朱桜帝からは瑠璃たちが見えても、瑠璃たちからは彼が見えないのだ。
頭を下げた瑠璃に対し、彼は言った。
「面《おもて》を上げよ」
瑠璃は、その声に聞き覚えがあるような気がした。
(まさか、この声はあの時の――)
「先日は世話になった。そなたのお陰で、随分と体が良くなった。処置は正しかったと褒めていたよ」
瑠璃は驚いた。それではやはり、あの日瑠璃が助けた老人は――。
「あの時のおじいさんが陛下!?」
瑠璃は、つい感情を声に出してしまい口を抑えた。珍しく、宗次郎が瑠璃を見て驚いていた。
「おじいさん! あっはっは。そうかそうか。確かにそなたから見たら、儂は『おじいさん』だろうなあ」
御簾の向こうから、笑い声が聞こえる。宗次郎は、すぐに頭を下げた。
「陛下! 申し訳ございません。彼女は宮中のことには不慣れでして、どうか――」
「良い良い。命の恩人を、こんなことで咎めたりなどせぬ」
その時、御簾の向こうから人が現れた。
『その老人』は、綺麗に整えられた顔と手に、不似合いな服を着ていた。だが今、古めかしい袍《ほう》に身を包む男は、彼がこの国の絶対的な権力者であることを瑠璃に理解させるには十分だった。
「改めて礼を言おう。――橘瑠璃」
■
「陛下、本当によろしいのですか?」
瑠璃はその後、何故か朱桜帝と庭で共にお茶をすることになった。
「良い良い。――いや、やはりお前は下がっておれ。儂は、彼女と話がある」
しかも、頼みの綱であった宗次郎とも離され、瑠璃は不安で胸が苦しくなった。
「その表情を見るに、あの男は、そなたの信頼を得ているようだ。そして、一條の屋敷で、そなたの処遇は悪くないのだろう」
「……はい。大変良くしていただいています」
瑠璃は、隠すことなく答えた。
どうせ、瑠璃が隠したとしても表情や仕草でわかってしまうなら、嘘偽りなく答えるべきだと彼女は判断した。
「そうか。……そうか。それなら良かった」
朱桜帝は、何故か瑠璃の返答に胸を撫で下ろしていた。
「実はな、ずっと気がかりだったのだ。昔、そなたの父に末の姫を嫁がせてから、そなたの母が亡くなってから」
瑠璃は、その言葉を聞いてうまく声が出なくなった。
「末の姫に、儂は全てを与えてた。子どもは数人生まれたが、姫は一人だけで。好奇心の塊のような子で――そう、ちょうど、今の一條の末の姫によく似ていた」
瑠璃には、宮子の幼少期が沙良に似ていたなんて想像もつかなかった。
瑠璃の知る宮子は、冷たくて、全く笑いもしない。
(違う。沙良さんとあの人は、全然似てなんかない!)
だが、どうしてそれを伝えることができるだろう。
時の帝に、『貴方の娘は性格が悪いが、沙良は少し我儘でよく問題は起こすが、性格が良い』、と?
――出来るわけがない。
「当時の儂は、少し体調を崩していて、あの子のことがどうしても不安だったのだ。だから、一番信頼できる男に、あの子のことを頼みたかった。……そのせいで、そなたたち親子を傷つけてしまったことを、心から謝罪する」
「い、いえ……!? そんな、陛下。頭をお上げください!」
この国の頂点にある男に突然頭を下げられて、瑠璃は仰天した。
「……ずっと、気がかりだった。この人生で、私がした一番の過ちは、それではないかとさえ思っていた。だが、あの男は私が補償を申し出ても、何も受け取ろうとはしなかった」
あの男というのは、父和臣のことだろうと瑠璃は思った。
「だから、そなたが立派に育ち、今幸せに暮らしてくれているなら、儂は心から嬉しいのだ」
「……ありがとうございます」
瑠璃は、素直に礼を言った。
継母たち親子の件で瑠璃はこれまでつらい思いをしてきたが、目の前の老人を責め立てるのは、瑠璃には出来なかった。
「それに、そなたには命まで助けてもらった。だから、儂は恩返しがしたいのだ。一條の屋敷で心穏に暮らしているなら、それでよい。そのうえで、儂からも贈り物をしよう。そなたが望むものを与えよう」
「いえ、特に贈り物は……。すでにたくさんいただいているので」
「おや、そうか? そなたも意外と豪胆だな。儂からの賜り物を断るとは」
「そんなつもりは!」
瑠璃は思わず声を上げた。
目上の人間と接する機会が少なかったせいで、何が正解かがわからない。
「では――そなたの本当の家族を探す、というのはどうか?」
瑠璃は、その申し出を聞いてすぐに言葉の阿弥が理解できなかった。
瑠璃は、不義の子と言われてきた。まさか、そのことを指摘されているのではと。
「わ、わ、わたしは……っ。わたしは、お父様の子で!」
息が乱れる。呼吸がうまく出来ない。ひゅうひゅう、と息が漏れて、言葉がうまく紡げない。
「こらこら、落ち着きなさい!」
朱桜帝は、瑠璃の口を手巾で覆った。すると、瑠璃は不思議とうまく呼吸ができるようになった。
「儂が言っているのはそれではない。……そなたは、紛れもなくあの男の娘だ。だがそなたの母は、出自がわからないと聞いている」
その通りだ。だからこそ瑠璃は、瑠璃の母である紫乃は、宮子姫という存在の前に太刀打ちができなかった。
「実はもしかしたら、そなたの母の出自がわかるかもしれないのだ。もしそなたが望むなら、そなたの母に連なるものを、どうか儂に預けてはくれないだろうか?」
瑠璃は、過呼吸の後に少しずつ覚醒する意識のなかで――少し迷った後に、瑠璃が持つ母に連なる唯一の品を、帝に手渡した。
「ありがとう。必ず、儂がそなたの家族を見つけよう」

