私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

 瑠璃が一條家の庭に木を植えて、たまに香月の願い通り、食事を作るようになってから少しして。
 瑠璃はその日、沙良から部屋から出してもらえなかった。

 朝から部屋にご飯が運ばれてきて、障子や襖を開けることさえ出来なかった。瑠璃が厠へ行こうとすると目隠しをするといい、手を引くから一緒に行こうと沙良は言う。

「? 沙良さん。私に何か見られたくないことでもあるの?」

 瑠璃が沙良に尋ねると、沙良はだらだらと汗をかいて、外を見ようとした瑠璃の目を手で覆った。

「る……瑠璃お姉様は、今日はお部屋から出たら駄目なの!」

 どうやら、やはり何かあるらしい。
 沙良のことだから、自分に対して悪いことではないと思うけれど――瑠璃はそう思って、ふうと息を吐いて糸車で糸を紡いだ。
 カラカラと糸車を回せば、沙良は最初はそばで見ていたけれど、途中眠くなってしまったのか、瑠璃に寄りかかるようにして寝息を立て始めた。瑠璃はそんな彼女を見て苦笑いして、彼女を膝枕してそっとその頭を撫でた。

 瑠璃の頭は丸みを帯びていて、彼女が子どものころ、大切にされていたことを瑠璃に教えてくれた。
 もしかしたら泣き虫だったのかもしれないし、あまり眠らない子どもだったのかもしれない。ただ確実なのは、彼女が愛されて育ったということ。そして同時に、怒るときはしっかり怒られてきただろう、ということだ。
 宗次郎は沙良に甘いようできちんと一線は引いているし、香月は兄として駄目なところは駄目だと沙良に教えている。伊織は――怒るのは二人に任せて居そうだが、彼女に豊富な知識を与えてはいそうだ。

 三人の母と二人の兄と父。
 瑠璃は、一條家の屋敷は、まるで幸せな『箱庭』のようだと思った。
 伊織の母については瑠璃はまだわからなかったが、少なくとも彼らの笑顔を壊すような行いはこれまではなかったのだろう。

(なんて、「幸せ」なのだろう)

 警邏隊での出来事を思えば、「外の世界」に出れば身分の問題がつきまとう。
 知識人との交流もできる、そんな知識を母からも教わっていそうな伊織と、平民上がりで元警邏隊の母を持つ香月とでは、世間の目が違う。

(でも、香月様は――)

 香月は、一條伊織という人間を、心から尊敬しているように見えた。
 兄として、人として。
 敬える人間であるという彼の想いが、瑠璃は香月と話しているだけで伝わってきた。

(……だから)

 沙良が言うように、もし亡くなった人間が、その人間を愛したものの心の中で生き続けるならば、瑠璃はその記憶と思いを共有出来る人間となら、伊織という人間を共に心の中で生かし続けられるような気がした。
 一條伊織という人を忘れないまま、共に前に進めるような気がした。

「…………」

 それから、どのくらいの時間が流れたのだろう。
 いつの間にか、瑠璃は眠ってしまっていたらしい。布団から起きて目を覚ますと、外はだいぶ暗くなっていた。
 瑠璃が部屋からでようとすると。

「おはようございます。瑠璃さん」
「!?」

 香月が部屋の外で待っていたようで、声をかけられた瑠璃は思わずよろけた。

「危ない!」

 腰に腕を回して、香月は瑠璃の体を支えた。二人の視線が交差する。

「香月、さ、ま……」
「……瑠璃さん」

 瑠璃は、胸が苦しかった。それから、何故か今は香月の唇にやたらと目がいってしまう。

(私、いったい、どうして――)

 二人の距離が、近づきかけたその時――。

「瑠璃お姉様! 沙良が迎えに来ましたよ!」

 沙良が元気よく現れて、瑠璃と香月は勢いよく離れた。

「あら? 香月お兄様と瑠璃お姉様、顔を赤くされてどうしたの?」
 
 沙良は顔色の変化には気付いても、心の機微にまでは気づけなかったらしい。純粋そうな子どもの目で二人を見つめた沙良は、瑠璃と香月、両方の手を引いた。

「とりあえず、二人とも行きましょう!」



 瑠璃が連れてこられたのは、一條家の庭で、一番大きな木だった。
 なんでも宗次郎の木らしく、瑠璃は、自分のルリミノキと比べて、大きいなあと思って木を見上げた。

「今日は、お姉様に特別な『まほう』をお見せするわ!」

 沙良はそう言うと、二人を木の前に立たせて、ぱちんと指を鳴らした。
 その瞬間――。

「……わあ!」

 瑠璃は、思わず声を上げた。
 光だ。
 夜に灯る無数の光が、木を覆っている。

「綺麗……」

 それはまるで、瑠璃が子どものころ憧れた、『まほう』そのもの。

「でしょう?」

 沙良は、自慢げに笑った。

「これって――」
「『電気』、です」
「あ! 香月お兄様ひどい! 沙良が言うつもりだったのに!」
 
 だが、先に香月にこたえられて、沙良は少し怒っていた。

「美月お母様の力は雷なの。それで、ね。お父様のツテでそういうものを研究してる方がいて――最近はやりの『でんき』?っていうやつで、飾りつけてみたの!」

 木を飾る光る紐の先は、美月が持っていた。どうやらその紐に美月が何かをしているらしい。

 瑠璃と街に出たときに一度離れたのは、その相手似合うためだったらしい。瑠璃は、沙良の話を聞いて納得した。ただのわがままで、瑠璃の離れたわけではなかったのだ。

「沙良は、新しいものが昔から好きなようで。ただ、『電気』が最近この国に取り入れられているのは事実です。現在、街には『街灯』が導入されていますが、今後は『街路樹』の植樹も検討されているそうです」
「木を道に植えるのですか?」
 
 瑠璃は、その話を聞いて、とあることを思いついた。

「いつかもし、その街路樹にこのような飾りがされて居たら、それはどんなに、美しい光景なのでしょう」

 暗い道に光が灯る。
 それだけでも心が暖かくなるのに、ましてやそれが、木に飾りつけられた明かりならば――。

「きっと、とても綺麗でしょうね」

 瑠璃がそう言って香月を見て笑うと、香月は瑠璃の笑顔を見てピタッと動きを止めた。

「素敵! 流石瑠璃お姉様! 瑠璃お姉様はわかってくださるのね!」
「私も電気の有用性は理解している。だが、今はまだ問題が多いのも事実だろう?」
「わかってないわね。香月お兄様! 失敗を恐れていたら、前に進む前に世界においていかれてしまうわ。いい? 自由な発想こそが世界を変えるの! 沙良は常に、世界を見ているの!!!」

 沙良はそう言って、小さな小箱を開いた。

「それでね、こんなものも用意してみたの」

 箱のなかに入っていたのは、銀色の2つの指輪だった。

「この明かりと指輪が、沙良から瑠璃お姉様への誕生日の贈り物よ。他の国では、夫婦は指輪を交換するそうなの。左手の薬指につけるとも聞いたわ」
「……私たちはすでに、祝言をあげている」
「別に何度したっていいじゃない! いと思ったら取り入れる! それが沙良式!」

 沙良はそう言うと、香月に小箱を押し付けた。香月は、「ふーっ」と息を吐くと、指輪を一つ取って箱を沙良に返し、優しい手つきで瑠璃の手を取った。
 真剣そうな、香月の瞳。
 少し伏せられた彼の瞳は、夜に輝く光を浴びて、長い睫毛の下に影ができているように瑠璃には見えた。

「瑠璃さん。もしいつか、貴方が許してくださるなら――」

 香月は瑠璃の指に、銀の指輪をとおした。

「その時は、今度は私が選んだ指輪を、改めてこの指に嵌めてください」

 光を帯びて輝く銀の指輪。
 瑠璃が、心臓を高鳴らせて指輪を見ていると、沙良はそんな瑠璃の肩をがしっと掴んだ。

「瑠璃お姉様。何をしているの。はやく香月お兄様の手にも、指輪をはめなくちゃ」
「え?」
「言ったでしょう? 『交換』だと。香月お兄様か瑠璃お姉様に、瑠璃お姉様が香月お兄様に指輪をはめてあげるの! これが決まりだって沙良は聞いたわ!」
「ええ!?」

 瑠璃は、どうしようかと迷った。香月と、同じものを身につける? そんなことが許されるのだろうか。それでは、まるで――。

(本当に仲のよい夫婦みたい)

 瑠璃と香月は、良心が決めた結婚で、本当の瑠璃の許嫁は、ずっと香月の兄である伊織だった。
 瑠璃は、伊織を愛していた。瑠璃は伊織を、一生忘れられないと思う。
 ――なのに。

「香月様――」  

(まるで、夜の魔法にかかったみたい)

 今日は、やけに綺麗な夜で。
 その光に誘われるように、瑠璃は沙良の持つ小箱から、銀の指輪を取った。

「お手を、お借りしてもよろしいですか?」

 香月の手は、瑠璃の想像より大きくて硬かった。
 きっとこの手で、彼はこれまでたくさんの人を救ってきたのだろうと瑠璃は思った。
 そしてその中に、きっと自分は含まれているのだろうと。
 短い沈黙が、その場を支配していた。瑠璃が香月の指に銀の指輪を通すと、香月は今にも震えそうな声で、瑠璃に礼を言った。

「……ありがとうございます。瑠璃さん」

 瑠璃は、自分の行動が「正解」だったか本当のところまだ分からなかった。ただ、香月が喜んでくれているように見えたから。「よかった」と、瑠璃はそう思った。

 だが、『電気』が新しいものであるという事実は変わりなく。
 瑠璃と香月が指輪の交換を終えたところで、バチッという音がして、突然『電気』が炎を立てて燃えだした。

「あっ。まずい! お父様の木が燃えてるわ!」
「お前は何やってるんだ」

 ぎゃあぎゃあと沙良が騒いでいたら、屋敷の中から見ていたらしい宗次郎が駆けつける。
 その瞬間、木を大量の水が覆い火は鎮火した。
 だが宗次郎は、沙良が逃げられないようしっかり彼女の服の襟を掴んでいた。

「えへ。お父様」
「沙良。――お前は一度そこに正座なさい」
「あ……。やだ、怒らないでお父様っ! 沙良は、沙良は心から二人のために――」
「だからといって、その後のことを考えていなかったのは許されない。お前に必要なのは、お説教ではなくお父様とのお勉強みたいだね」
「ヤ〜〜! 勉強はヤ〜〜〜〜っ!!!」

 沙良は、宗次郎に捕まったままバタバタと暴れていた。だが、一條家の当主から逃れられるわけもなく。

「騒がしくしてしまい、申し訳ありません……」
「はは……」

 香月と瑠璃は、二人で沙良が叱られるところを見ることになった。
 でも宗次郎と沙良の声は、いつしか笑い声へと変わる。
 結局のところ、この家の人間は仲が良いのだ。
 そんな様子を見て、香月が言った。

「瑠璃さん。――何があっても、貴方は私が守ります」



(でも、先ほどの大量の水は――)

 それから食事を終えて部屋に戻る途中、瑠璃は火を鎮火した水について考えていた。

 異能は、親子で遺伝しやすい。
 この屋敷の中で、瑠璃が知る水の異能使う人間は唯一人。

(水を使えたのは伊織様。なら、まさか……)

「今日もまた、随分騒がしかったわね」
「詩織……様……」

 瑠璃は、この屋敷に来てほとんど顔を合わせることのない継母に頭を下げた。

「ごめんなさい。顔を上げて。……私の言い方が悪かったわね。私は別に、貴方のことを責めたいわけじゃないの」

 瑠璃には、その言葉は詩織の本心に聞こえた。

「そもそもこの婚姻は、一條の屋敷に引き取るためのものだったのだから。貴方のお父上があの人に頼んでね」
「それは……一体どういうことなのでしょうか?」

(私を引き取るため? お父様が宗次郎お義父様に頼んだ? それは――何のために……?)

「これ以上は、私の口からは言えないわ」

 瑠璃はわからなかった。
 だって自分は、父に嫌われているはずなのに。

「私は、あの子はまだ生きていると信じている。でもこれ以上、貴方の人生にあの子を巻き込むつもりはないわ。もしかしたらこの家にとっては、伊織より香月が継いだほうがいいのかもしれないのだし」

「詩織様……」

 『一條詩織』は、伊織の実の母だ。その彼女から警邏隊の人間と同じ言葉を聞いて、瑠璃はぎゅっと拳を握りしめた。
 詩織はそんな瑠璃の行動を、静かに目を伏せて見つめた。

「まあ、いいわ。今日は、それだけを伝えたくて。香月と沙良はいい子だから、二人とは仲良くなさい」

 詩織はそう言うと、瑠璃をおいて足音もなく廊下を歩いて去ってしまった。