私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

 雪だ。
 その日は珍しく、帝都には大雪が降っていた。
 僅かな時間で振り積もった雪は全ての地面を覆い隠し、幼い瑠璃は、その光景に絶望した。

『いや……いや! おかあさま、いなくならないで! るりを……るりを、ひとりにしないで』

 雪で覆われた道を、必死に何度も歩く。
 だが、何度歩いても見つからない。

『るりをおいて行かないで。おかあさま……おかあさま!』

 瑠璃は、必死に雪で覆われた地面を掘った。
 しかし何度必死に雪を払っても、すぐにまた空から降る雪が、瑠璃の努力を全てなかったものにしてしまう。
 大雪の日に、わざわざ外を歩くものなどいない。
 だから真っ白い世界に、瑠璃は一人きり。
 小さな手を真っ赤に染めながら、雪をかいて、そのときに地面に爪があたって指に血が滲んでも、瑠璃の慟哭を聞いて、慰めてくれる人間なんていやしなかった。
 許婚はいたとしても、それは所詮愛がない、親が決めた取り決めに過ぎない。

『おかあさまがいなくなったら、るりはどうしたらいいの』

 瑠璃の涙は、寒さのあまり凍ってしまいそうだった。瑠璃は、それでもいいと思った。

 瑠璃の母は瑠璃を守るために死んだのだから。そのせいで、父は自分を愛してくれないのだから。だとしたら、この世界に愛してくれる人がいないとしたら、自分の命に何の価値があるというのか。
 ならば、ならばいっそ。
 自分はもう、この世界から――。

『おねがい。どこに居るの? はやく、はやくでてきてよ。おかあさま……』

 胸が張り裂けそうなほど痛かった。目を覚ましたら、目から涙がこぼれていた。

「おかあ、さま……」

 朝、目を覚ました瑠璃は愛しい人を呼んで、それから枕元においていた、命より大切なものを見てほっと息を吐いた。

 大丈夫。大丈夫だ。
 『お母様』はここにいる。ここにある。
 だってあの日、あの大雪の日に、彼がちゃんと見つけてくれたのだから。
 瑠璃は、髪飾りを胸にいだいて、それから彼の名前をつぶやいた。

「……伊織、様」



「わかったわ。胃袋をつかむというやつね!」

 その日は朝朝食を食べてから、沙良と話をして何をするか決めることにした。
 今日は香月が昼過ぎに帰ってくるらしく、瑠璃は香月のために、沙良と料理を作ることにした。
 というのも、朝早く起きて夫の料理を作るべきなのだと思っていたけれど、一條家には専門の料理人がいるため、基本美月たちが作ることはないらしい。

 よって、瑠璃が作る必要もなかったのだが、宗次郎の「妻の手料理はたまに食べるとすごく元気をもらえる」という話を聞いて、瑠璃は自分を大切にしてくれる婚家の礼も兼ね、手料理を振る舞うことにしたのだ。

 といっても、瑠璃が料理が得意かというと話は違う。なんせ、料理をするための食料がなかったのだから、0から1を作るのは難しかったのだ。
 だが、今は目の前に大量の食べ物がある。
 瑠璃がどうしようかと悩んでいると、沙良は何も考えていないような顔でポイポイと鍋に食材を入れていく。

「沙良さん、さっきから何を作っているの?」
「これはね、闇鍋よ」
「やみ……なべ?」

 瑠璃は、思わず聞き返してしまった。

「闇鍋というのはね、この世界のイデア――混沌というカオスを体現しているの。宇宙という名のドリームなのよ!」

 最早、知っている横文字を並べたいだけにしか聞こえない。瑠璃は少し引いてしまった。

(おそらく、伊織様が沙良さんに色々吹き込んだのね。そして、沙良さんは覚えた言葉を沢山使いたいお年頃なのでしょう……)

「うちの家の男は胃袋が丈夫だから! 何を入れてもお腹を壊すことはないわ! だから、瑠璃お姉様が何を作っても、香月お兄様とお父様が必ず完食してくれると思うわ!」

(……本当に、大丈夫なのかしら)

 瑠璃は不安を覚えながらも、自分も野菜を切ることにした。でもまあ確かに、鍋ならば失敗はないだろう。

「では、あれを作りましょう」



 香月は予定通り、昼過ぎに帰宅した。
 兄が帰宅したのを確認してから、沙良はすぐに鍋を運ばせた。
 家族全員が囲めるような大きな台がおかれ、その中心に二つの鍋が鎮座する。
 その鍋の下には、赤い石の入った鉄のかごが置かれていた。

「これは?」
「ああ。それは、魔石だよ」
「……え!?」

 瑠璃は、宗次郎と石を交互に見た。
 妖魔の退治で唯一人間が得ることができるのは、妖魔が落とす『魔石』と呼ばれるものだ。
 その石は不思議な力を宿しており、炎・水・氷など、さまざまな属性を持っていると、瑠璃は伊織に聞いたことがあった。
 だが、やはり石の解析が進んでいないこともあり、安全性の観点から、市場にはまだ降りてはいないらしく、よってその殆どは、武を司る一條家や、守護を司る橘家で保管されている。
 そう。保管されている――はずなのに。

「いやあ! なんでも、使えるものは使わなきゃね!」

 一條家で、なんと魔石は鍋を卓上で温める道具として利用されているようだった。

「ちなみに、うちの家は氷の異能が使えなくても魔石で氷が作れるの。夏はとても便利なの」

 瑠璃は、武家の人間の心の強さを見た気がした。
 何があっても対処すればどうにかなる、という精神なのだろう。

「じゃじゃーん! 今日のご飯は沙良と瑠璃お姉様の手作りなの! 嬉しいでしょ! 香月お兄様!」
「……」

 香月は、沙良の挑発に乗らずに無言を貫いた。

「これが瑠璃お姉様のお鍋です!」

 沙良は、そう言って鍋の蓋を空けた。
 
「おお。これはまた、風流だね」

 宗次郎は、瑠璃の鍋をほめてくれた。

「でしょう! 瑠璃お姉様の、とってもとっても可愛いの!」

 瑠璃の鍋は、いたって普通のただの鍋だ。唯一瑠璃が努力したところを挙げるなら、飾り切りで鍋に花を咲かせたことくらいだ。

「瑠璃さんは、やっぱり手先が器用ですよね」
「上手上手! すごいわ。丁寧な仕事よ」
「美味しそう……」

 香月、美月、双葉からも高評価だ。
 瑠璃の鍋から、それぞれの取り皿に料理が取り分けられる。
 瑠璃は、胸をどきどきさせながら、彼らの反応を反応を待った。
 
「美味しい」
 最初にそう言ってくれたのは香月だった。

「うん。とっても美味しい。瑠璃ちゃんが丁寧に作ってくれたのが分かる味をしているよ」
「やっぱり料理って性格が出るわよねえ。汁までおいしいわ」
「うん。……いい味」
「流石、瑠璃お姉様だわ!」

 その他の四人も高評価だ。瑠璃は、ほっと胸をなで下ろした。

「ありがとうございます。いつもお世話になっているので、少しでも何か恩返しができたらと」

 瑠璃がそう言って微笑めば、美月と宗次郎、そして双葉が子供にするように瑠璃の頭を撫でた。

「瑠璃ちゃんはもううちの子なんだから、そう気を使うことはないんだ。そうだ。これからは毎月お小遣いをあげよう。それで、好きなものを何でも買いなさい。いやでも、可愛くお願いされるのも悪くないな。よし。お父様が、なんでもお願いを聞いてあげるから、欲しいものがあれば言いなさい!」 

「お父様、その言い方はちょっと気持ち悪いわ。でも、瑠璃お姉様のお小遣いには賛成! お姉様のお出かけのたびにお父様にお願いするより、毎月ちゃんともらえたほうが楽だもの」

 思春期の娘は父に対して厳しかった。  
 だがその攻防に、香月が終止符を打った。

「いえ、彼女の生活費は私が出します。彼女は、私の妻なので」
「ほう? それで?? お前は、それで瑠璃さんに何を望むんだ?」
「別に、対価を望むつもりはありませんが……。いや、でも……」

 香月は、瑠璃をちらりと見て照れたような表情で言った。

「その、もしよろしければ。ときおりこれからも、瑠璃さんの料理も食べたいかもしれません」

 すると、沙良が香月に噛みついた。

「香月お兄様の嘘つき。本当は、毎日食べたいとか思ってるんでしょ?」
「瑠璃さんの負担になるようなことはしたくない」
「ほら、やっぱりそうなんじゃない。お兄様のムッツリ」
「くだらないことをいう口は縫い合わせてしまおうか」
「そんな! 家庭内暴力反対!」

 沙良が、さっと香月から逃げる。
 一條家ではよくある茶番なのかもしれない。美月や宗次郎は、そのやり取りを咎める様子はまったくなかった。
 ただ宗次郎は、もう一つの鍋が気になるらしく沙良に尋ねた。

「ところで沙良、お前が作った方の鍋はまだあけられていないようだが?」
「あ、そうだった!」

 沙良は、鍋つかみを出にはめて、意気揚々と蓋を開き――。

「じゃあ、次は沙良の鍋も――」

 無言で、そっと閉じた。
 ――異臭。
 瑠璃は、見間違いだったかと目をこすった。
 おかしい。今確かに、どす黒い紫色の食べを見たような気が――。

「沙良、言いなさい。お前、この中に何を入れた?」

 宗次郎は、顔は笑っていたが、声は笑っていなかった。

「え、えーっと、身体によさそうなものとか、甘いものとか、辛いものとか、しょっぱいものとかあ……。と、とにかく美味しい食べ物をたくさん入れてみたの!」

 宗次郎と香月は、沙良のこたえを聞いて同時に「はあ」とため息を吐いた。

「な、なんで二人ともそんな反応をするのっ! だって、美味しいものを全部混ぜたら美味しいと思うでしょ!?」
「「そんなわけがないだろう」」

 香月と宗次郎の声が被った。

「ところで沙良……。この鍋、一体どうするつもりだい?」
「それは〜勿論身体もお腹も丈夫なお父様とお兄様に」
「駄目だ。反省するため、罰として自分で食べなさい。食べ終わるまで食事は普通の抜きだ」
「ひどい! 沙良が具合悪くなってもいいっていうの!? みんなと同じご飯が食べられなくても我慢しろっていうの!?」
「そんなものを自分の父と兄に食べさせようとしたことを反省しなさい。あと、食材を大事にできないのは、人として駄目だろう」
「やぁーだー!」
「はい。ここに座りなさい。正座」

 宗次郎は沙良を無理やり鍋の前に座らせた。
 瑠璃は沙良と目があった。

 涙目。
 可愛い義妹が、こちらを見ている!!!
 瑠璃は良心が痛んで、そっと手を挙げた。

「沙良さん……あの、私も――」
 だがその手を、宗次郎はそっと下げさせた。

「手を貸したら駄目。瑠璃ちゃん、これは教育なんだ。こういうのはね、ちゃんと駄目だって、大人が教えてあげなきゃいけないんだよ。子供の頃にやらないと、取り返しがつかないからね」
「父上」
「ありがとう。香月」
「う……おいしくない……うう……」

 沙良は、香月に盛られた闇鍋の中身をポロポロと涙を流しながら食べていた。

「じゃあ、次をついでこようか」
 
 だが、よほどあまずかったのか、一皿食べて沙良は暴れ出した。

「もうやだ! 沙良は頑張ったの! もうしないから許して!」
「駄目だ」
「沙良全部食べられない! だからもう、明日もみんなとご飯食べられないんだああ!」

 沙良は、えっぐえっぐと泣き出してしまった。

「沙良、悲しくて、もう一生ご飯食べられないかもしれない……」

 沙良が、そう口にした瞬間。
 黙って見ていた双葉が鍋を抱えたかと思うと、そのままごっきゅごっきゅと具まで全部飲み干した。
 予想外の出来事だったのか、これにはさすがの宗次郎と香月も固まっていた。

「まさか……全部飲んだの? お母様」
「残すのは、よくない。でも、沙良はもう反省した」
「うわーん! お母様あああああ!」

 このやりとりだけ見れば、感動の親子の一場面である。だが、すべての始まりは、父と兄に押しつけるつもりで沙良が作った地獄の鍋である。

(なんだか……素直に感動できない)

 瑠璃は、双葉の娘への愛と食欲に狂気を感じた。