私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。

「瑠璃お姉様、瑠璃お姉様! 見てみて! 新商品ですって! 何かしら何かしら。とても気になるわ! さっそく店に入りましょう!」
「ま……待って、沙良さん」

 朝食を食べずに街に出た瑠璃は、元気いっぱいの沙良に振り回されていた。
 というのも、宗次郎が出かける前に、たっぷりお小遣いを持たせたためだ。

『沙良と瑠璃ちゃんがお出かけ? そうか。ではお小遣いをあげなくてはね』
『わかってるじゃない! お父様』
『沙良、今日は護衛をつけなさい。香月となら二人でもいいけれど』
『じゃあ私が瑠璃ちゃんと行こうかなぁ』

 美月が会話に割って入れば、沙良は瑠璃を抱きしめて叫んだ。

『駄目! 私と瑠璃お姉様のでえとを邪魔しないで!』
『でえと?』
『大好きな人と一緒にお出かけするのを、異国ではでえと、というんでしょう? 沙良は賢いから知っているの!』

 沙良が賢いかどうか不明である。
 ただとりあえず、瑠璃は沙良が楽しそうにしているのを見るのは嫌いではなかった。
 くるくると表情の変わる沙良は、見ているだけで心が明るくなる。

「瑠璃お姉様、これ、塩が入った飴ですって」
「塩が?」

 それは珍しい。
 街頭で物売りをしていた男の話を、沙良はうんうんと聞いていた。

「砂糖は使っていなくって、麦芽糖?の飴に、塩が入っているんですって」
「……どうして塩が入っているの?」
「このなかに入っている塩は、うちの地方の縁起物なんでさあ。厄を除ける塩ってね。それを飴で包んでいるってわけさ」

 男の言葉を聞いて、沙良はさっとお金を取り出した。

「面白い! 買ったわ!」

 この姿を誰が見て、沙良がこの国の御三家である一條家唯一の姫だとわかるだろうか。沙良は思い切りが良すぎた。

「面白いから沢山買うわ! これ、全部頂戴!!!」

 ただその姿を見て、瑠璃は何故か香月との買い物を思い出した。

(もしかして……案外、似てる?)

 買い物の時の豪快さは、二人はよく似ているのかもしれなかった。


「本当に、塩が入ってる」

 大量に購入した塩飴は、護衛の人間に持たせて沙良は数個だけ手に載せていた。
 一つ口に含んで、沙良は「瑠璃お姉様にも」と渡してきた。瑠璃も食べてみる。甘みだけではなく塩の味が、口の中に広がる。
 瑠璃は、その味を確かめながら――。

「でも、これは良い品かもしれない」

 ぽつり、呟いた。

「どうして?」
「昔、こんな話を聞いたの。人の汗には塩が含まれていて、夏の時期になると体を崩すのは、水だけではなく塩も足りなくなるからだって」

 この話を瑠璃にしたのは、勿論伊織である。

「そういえば、そんな話をお父様たちが話しているのを聞いたことがある気がするわ……」
「だからもしかしたら、これからの季節、警邏隊の方々にお配りしたら喜ばれるかもしれない」
「じゃあ沙良のお買い物が、みんなの役に立つかもしれないってこと?」
「そういうことになるのかも?」

 瑠璃がそう言えば、沙良は頬を緩ませた。なんだかとても嬉しそうだ。

「えへへ」
「沙良さん、どうしたの?」
「だって、ちょっと嬉しくなって。私が役に立てるかもしれないっていうのもそうだけど、瑠璃お姉様がみんなのこと、ちゃんと考えてくれる人なんだなあって思って!」



 その後も、沙良の買い物は続いた。
 途中、瑠璃は疲れてしまって、護衛を一人瑠璃につけてから、沙良とは別れて木陰で休むことにした。
 文明開化、街の発展はいいが、街に明かりを灯す街頭は長く続いていても、逆に緑は少ないように瑠璃は感じた。
 ふう、とようやく見つけた木陰に腰を下ろすと、そこには先客がいた。

「瑠璃様、別の場所をお探ししましょうか」
「いえ、構いません」

 護衛が瑠璃に声をかける。

「……?」

 瑠璃は、その老人を見て少しだけ違和感を覚えた。顔や髪、爪はきちんと手入れされているのに、服だけがういている。まるで貴人が、身をやつしているかのようだ。

(いいえ。まさかね)

 瑠璃はほとんど外に出たことがないので、御三家の娘でありながら、この国の重鎮であろうと顔を全く知らない。
 ただ、目の前の人間が誰であろうと構わなかった。瑠璃は、老人に声をかけた。

「もしかして、お加減が悪いのですか」

 木陰で一人休んでいた老人は、瑠璃の声にゆるゆると瞼を押し上げた。
 少しだけ上がった息、赤い顔に、汗――この症状を、瑠璃は知ってる。

「突然申し訳ありません。もしかしたら貴方は『日射病』、という病かもしれません」
「きみ、は――」
「症状が緩和する可能性のあるものをお渡ししますので、少々お待ちください」

 瑠璃はそう言うと、沙良との買い物中から、瓶のラムネと塩飴を取り出した。瑠璃は、護衛にラムネのガラス玉をあけてもらった。

「すみません。この飴と飲み物を、よければお召し上がりください。飴には塩が入っているので、今貴方から汗で失われた塩分を補ってくれるはずです。飲み物は、本当はお水をお渡ししたかったのですが、私はこのあたりに疎くて。かわりに、こちらを差し上げます。これは、『ラムネ』という飲み物です。冷たくて、しゅわしゅわとしていてとても美味しいです。あまりお口に合わなかったら申し訳ないのですが、こういうときは甘いものも必要だと伊織様が仰っていて――」

 瑠璃は、伊織の名前を出してからぱっと口を覆った。

「いえ、以前人からそう聞きました」

 男は力のない手で瑠璃からそれを受け取ると、ごきゅごきゅと勢いよくラムネを飲んでから、飴を口に含んだ。

「ありがとう。君のおかげで、生き返る感じがするよ」

 感謝の言葉を述べられて、瑠璃はニコッと笑った。

「まだ穏やかな気候ではございますが、水分と塩分はとってください。睡眠の不足も、お体にはよくないかもしれませんから」

 それから、青い手巾を老人に渡す。

「これは?」
「汗をかいていらっしゃるので、よければこちらを使ってください」
「この刺繍は? こんな立派なものを、私に渡していいのか?」

 老人は、手巾の刺繍が気になるようだった。

「それは、私がさしたものです。父への贈り物をと思ったのですが、あまりうまくいかなくて。今は自分で使っているのです」

 瑠璃の言葉は嘘だった。
 だってそれは父である和臣のために、瑠璃が精一杯の心を込めて大事に縫ったものなのだから。

「ですので、よければどうぞそのままお持ちください」

 でも、元々は誰かに渡すために作ったものだ。自分の手元にあるより、この老人に使われる方がいいだろう。
 男は瑠璃に微笑まれ、その笑顔がうつったように笑うと、その手巾で額を拭った。

「……君は、本当にいい子だな」

 それから少しして、沙良が自分を呼んで手を振る姿が見えて、瑠璃は立ち上がった。

「瑠璃お姉様〜! お待たせ!」

 護衛に荷物を運ばせて、沙良は何一つ持っていない。沙良は今日もしっかり、『自由なお嬢様』を体現していた。

「ごめんなさい。どうしてもいきたいお店があって」
「いいの。私も、ちょうど人がいたからずっと話をしていたの」
「人?」

 沙良は、瑠璃の言葉に首を傾げた。

「そう。あそこにおじいさんが――」

 瑠璃は、そう言って木陰を指さした。だが――。

「……どこにもいないけれど」

 そこにはもう、人影一つ見当たらなかった。

「あら、いつたってしまわれたのかしら。もう、いらっしゃらないみたい」

 瑠璃は、別れを告げられなかったことが、少しだけ名残惜しく思った。