君の音が届くまで

「うわ、すっげー綺麗な人……」

隣にいた佐藤が、ひくっと顔を引きつらせて前方を指差す。

人混みでごった返す購買のカウンター前。焼きそばパンやメロンパンを奪い合う男子たちの騒音を、そこだけ綺麗に弾き飛ばしたような、異質な空間があった。

サラサラとした色素の薄い髪に、驚くほど色白の肌。
昨日、俺の脳みそをさんざん掻き乱したあの端正な横顔が、お札を片手にぽつんと突っ立っている。

「……あ」

喉の奥で、無意識に声が漏れた。
間違いない。音楽室の、あの人だ。

浮世離れした存在感を放つその人は、2年の先輩たちに囲まれて穏やかに微笑んでいた。学年しか分からない、名前も知らない。なのに、視線がどうしても外せない。

「あ、あの」

自分でも驚くほど、衝動的に後ろの女子たちを振り返っていた。

「園田先輩って……有名な人なの?」

いきなり話しかけられた女子たちは、顔を真っ赤にして固まった。だけど今の俺には、彼女たちの動揺を気にする余裕なんてなかった。ただ、あの人が知りたかった。

「そっ……園田先輩は、あの綺麗なお顔だけじゃなくて、コンクールで何度も賞を取ってる天才ピアニスト……です……!」

天才……ピアニスト。

呟いたその言葉が、やけに重く脳裏に響く。
ただの部活の暇つぶしでも、ちょっとピアノが上手いだけの先輩でもない。住む世界が違うレベルの本物の天才。

圧倒されている俺の視線の先で、その天才ピアニスト様は、お札を握りしめたまま完全にフリーズしていた。

「……園田、お前、財布だけ持って突っ立ってても買えねーぞ」
「おばちゃん、早く注文聞いてあげてー!」

周りの先輩たちに苦笑いされながら、園田先輩はパチパチと瞬きをして、購買のカウンターをじっと見つめている。

「……ん。あの、焼きそばパン、まだありますか」
「園田くん、焼きそばパンはとっくに売り切れたよ! 残ってんのはジャムパンだけ!」
「……そうですか。じゃあ、ジャムパンを……」

あんなに神聖で、触れたら壊れそうな音を奏でる指先が、今は購買のおばちゃんから律儀にジャムパンを受け取っている。
そのあまりにも無防備で、どこか抜けた姿に、俺は目には園田先輩だけが異様に鮮明に映っていた。

「おーーい、凛? お前まじでどうしたんだよ。」
「…っえ」
「だーかーらー、焼きそばパン売り切れだって」
「あ、あぁ…まじか」

佐藤の声が遠く聞こえる。
天才ピアニスト。園田先輩。
ジャムパンを胸に抱えて、満足そうに人混みをすり抜けていくその後ろ姿を、俺はやっぱり、目で追うことしかできなかった。