君の音が届くまで

「じゃあ、部活頑張ってね」

鞄を持ち直して、園田先輩はそのまま、何事もなかったかのように校舎の中へ入っていった。
サラサラとした髪が朝の光に揺れて、最後までおそろしく綺麗だった。

「まじで園田って妖精様かもしれないなー」

横でノートを抱えて大喜びしている飯田先輩の声が、どこか遠くで響く。

「……っ」
「あ、ちょ、何すんだよ!」

訳も分からず、俺はムキになって飯田先輩の手からノートを奪い取っていた。我ながらどうかしている。

ペラペラとページをめくると、驚くほど丁寧で、少し小さめの、綺麗な文字が整然と並んでいた。その表紙の隅に書かれた文字が、やけに眩しくて目を細める。

「園田……藍……」
「藍って名前、かわいいよなー。しかもあいつにめっちゃ似合うっつーか」
「……なんか先輩、やけに機嫌いいですね」

そう返す俺の口調は、自分でも引くほどトゲを含んでいた。

「当たり前だろ! 宿題の悲劇から救われた上に、実際に話すと園田マジでやべぇわ。なんか、妖艶っつーか」

そんなの、俺の方がとっくに知ってる……

そんな自分の不純な感情にも、ますますイライラしてくる。まだ入学して間もないし、自分のことなんて知らないのなんて当たり前のことだ。落ち着け。しかも、相手は男だぞ……!!

「……チッ……」
「あ、おい!ノート返せよ!!」

無意識に舌打ちを零しながら、飯田先輩の胸元に強引にノートを押し返す。
「おい、どうしたんだよ!」と後ろで先輩が騒いでいるが、今の俺にはそれを気にする余裕すらなかった。

ドカドカと乱暴な足取りで昇降口へ向かいながら、頭の中は、俺を映さなかったあの綺麗な瞳のことでいっぱいになっていた。

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昼休み、俺はいつも通り窓際の席で、佐藤たちと机をくっつけて弁当を食べていた。

何組の誰が可愛いだの、あの先輩が美人だの、いつもなら大好物のはずの話題が飛び交っている。なのに今の俺は、そんな話これっぽっちも聞きたくなかった。

「で、ぶっちゃけ凛は誰が可愛いと思うわけ?」
「えー、興味ねーし」
「嘘つけ! この前、3年の高橋先輩可愛いって言ってただろ」
「そうだっけ」

あー、クソ、イライラする。
朝からずっと頭の片隅にあの人が居座っていて、何を食べても味がしない。ここまでくると、自分が何に対してこんなにイライラしているのかすら分からなくなってくる。

「つか凛、まじで最近上の空じゃん。女のこと考えてねーなら、何考えてんだよ」

佐藤の突っ込みに、俺の導火線がぷつりと切れた。

「園田先輩とか可愛いわー」

半分やけくそになって、冗談っぽく両手を頭の後ろに組んで言い放ってみる。

「……は?」

一瞬にして、机の周りの空気がピキリと凍りついた。
佐藤をはじめ、さっきまでキャッキャと女子の話をしていた男連中が、一斉に手を止めて信じられないものを見るような目で俺を見てくる。

「まぁ、モテすぎると異性に興味無くなるってよく聞く話だし……」
「バカ、冗談に決まってんだろ」

格好つけて鼻で笑って否定しながらも、口にした瞬間に心臓が妙な跳ね方をした。

でも、あいつらの中に園田先輩を「可愛い」と賛同してくる奴が一人もいなかったことに、ホッとしている自分もいた。
あの人の魅力を自分以外の男に理解されるのが、無性に嫌だったんだ。

冗談だ。冗談に決まっている。男を可愛いなんて、正気の沙汰じゃない。

それなのに、脳裏に浮かぶのはあのサラサラとした髪と、儚いほどに綺麗な横顔、そして『飯田君の後輩?』と冷たく言い放ったあの唇だった。