出勤後、メロンを冷蔵庫に入れる。
駅の物産コーナーで取り扱われている、贈答用の高級メロンだ。
なかなかの値段だったが、色々と吹っ切れた景気付けと考えて、奮発した。
出勤した係長は、晴斗とも新田とも目を合わさず、挨拶もしなかった。
まるで雑念をかき消そうとするように、内心の声が『あああああ』と低く唸っている。
何も考えないようにしている、といったところだ。
新田は、むしろスッキリした様子で、係長にも普通に挨拶していた。
別れ話は、うまくいったらしい。
萌月焼子は、始業後、しばらくしてから現れた。
「ちょっと寄り道しててね」
会議室でメロンに舌鼓を打ちながら、焼子は晴斗に話しかける。
「喫茶店でさぁ、モーニング食べてたんだけど。
そしたら、すげえ顔した人がさ……今にも死にそうなしょんぼり顔で、写真見てんの。
で、写ってたのがさ、なんとここの不倫係長と不倫新人。
笑っちゃった。
『死ねばいいのに』って呟いてたから、お望み通り、写真を消し炭にしてあげたの。
優しいでしょう?」
晴斗はうなずく。
火種は燃え上がった。
もう、消すことはできない。
「あー、メロンうっま。
そうそう、今日、お茶請けにクッキー焼いてきたんだけど。
諸事情で家に置いてきちゃったんだよねえ。
このメロンさ、まだ余ってるでしょ?
明日も来るから、とっといてよ」
スプーンを向けられて、晴斗はあいまいに笑う。
「もしかしたら、私は、近々退職するかもしれないです」
焼子がスプーンを落とす。
「なんで?」
「ちょっと、職場に居づらくなりそうなので」
「は?」
「メロンの件は、引き継いでおきますので、御心配なく」
「いやいや、そうじゃなくて」
まるで芸人のように首を振る。
「なんなの急に?
やらかしたの?
横領?セクハラ?職務怠慢?」
「一身上の都合です」
「バカじゃないの」
吐き捨てて、焼子は身を乗り出してくる。
「何があったのよ、言ってみ?
なんなら私が燃やしてあげるから」
「それは結構です」
「いいから言えっての!」
ばん、と焼子が机を叩いた。
額の辺りが熱くて、晴斗が手を当てると、前髪が少し焦げていた。
「ムカつくんだよ、あんた。
いつもぶそっとして、何考えてるか分かんなくてさあ。
『何にも言わないけど、実は困ってるんですぅ』みたいな態度やめろよ。
燃やすぞ。
わりと、マジで」
もう燃やしてるじゃん、という言葉は飲み込んだが、焼子の怒りのボルテージは上がっている。
本当に燃やされるかもしれない。
「……係長に、言ったんです。
もう、不倫はやめた方がいいって」
「うん」
「係長の機嫌を損ねました」
「……うん?」
「あなたの話からすると、不倫が奥さんにもバレたようですから。
余計、恨まれるでしょう」
「うん??」
うなずきながら、焼子の頭に疑問符が増える。
「うん、え、そりゃそうなんだけどさ。
だから何?
不倫した係長が悪いじゃん?
なんで、あんたが辞めることになるの?」
「空気が悪くなるので」
「ええ?」
意味が分からないと、焼子の内心が混乱している。
無理もない。
『トラブルになっても、全部燃やせばいい』と、相手の思惑を無視して生きてきた焼子には、しがらみが理解できないのだ。
「え?……つまり、係長から腹いせを受けそうだってこと?」
「係長がどこまで大人げないか分かりませんが、今日の様子では、業務にも影響が出そうです。
そんな職場、私もいたくないですし」
「バカじゃないの」
焼子のムシャクシャは収まらない。
「悪いのは不倫した奴でしょ。
なんであんたが辞めるのよ。
何なの?
係長燃やせばいいの?」
「それこそ、いられなくなるじゃないですか」
「だって……ええ……何それ、何を燃やせばいいの」
「だから、燃やさなくていいんですよ。
……燃やしたって解決できないことが、世の中にはあるんです」
「嘘、そんなわけない。
全部なかったことにする。
奥さん燃やす?
それとも職場を丸ごと燃やしちゃう?」
心なしか、部屋の温度が上がった気がして、晴斗はため息をつく。
このままだと、勝手に燃やされそうだ。
「……そんなものより、他に燃やした方がいいものが、あると思いますよ」
「は?」
「あなたのその力は、もっと有効活用できると思うんです。
例えば、人助けとか。
燃やしたくても、自分では燃やせないものが、世の中にはあふれています。
それを燃やしてあげたらどうですか。
私も手伝いますから。
……職場以外に、居場所があれば……仕事以外に、役目があれば……私も、救われます」
焼子の頭に、いくつも『?』が浮かんでは消えていく。
「えっと……それはつまり……?」
「私が辞めるのは、確定じゃありません。
係長の態度や職場の空気次第では、引き続き働けるかもしれませんし、課長や人事に相談して、配置換えをお願いする手もあります。
もし、辞めざるを得なくなっても、あなたに雇ってもらえればありがたいと思って……
あなたのマネージャーにしてもらえませんか。
『燃やす力』を求めている人を斡旋しますから、2人で人助けを仕事にしたらどうでしょう」
「あんたが、燃やしてほしいものを探して、私が燃やす。
それを人助け兼仕事にするってこと?
あんたが辞めた時の、保険のために」
「そういうことです」
焼子は混乱しながらも、とりあえず、損のない話だと納得したらしい。
「でもさ、燃やしてほしがってる人なんて、どうやって探すのさ。
SNSで『燃やしたいもの募集!』とかするわけ?
胡散臭すぎない?」
晴斗は観念して打ち明ける。
「……私は、人の心の声が……考えていることが聞こえるんです。
だから、探すのは簡単ですよ」
「あ、なんだ。そうなんだ」
あっさり返されて、晴斗は驚く。
「……驚かないんですか?
嫌だって、思わないんですか」
「んー、驚くっていうより、なんか腑に落ちたって感じ。
なんか察しが良すぎたからさ。
……嫌とは、思わないかな。
だって、都合が悪いことを知られても、
私なら、あんたを燃やせるからね」
晴斗は乾いた笑いを漏らす。
受け入れてもらえた。
「いつでも殺せるから」という理由で。
でも、晴斗には分かる。
少なくとも今は、焼子には、晴斗を焼き殺すつもりはない。
殺意が湧けば、晴斗にはすぐ分かる。
……案外、相性は良いのかもしれない。
「では、明日も……例え僕が、職員じゃなくなったとしても……よろしくお願いします」
「おっけー。
じゃ、明日のメロン、よろしくね」
2人は心から笑い合った。
翌日から、2人は、捨てるに捨てられない『しがらみ』を焼き尽くす縁切屋として、活動を始めることになる。
駅の物産コーナーで取り扱われている、贈答用の高級メロンだ。
なかなかの値段だったが、色々と吹っ切れた景気付けと考えて、奮発した。
出勤した係長は、晴斗とも新田とも目を合わさず、挨拶もしなかった。
まるで雑念をかき消そうとするように、内心の声が『あああああ』と低く唸っている。
何も考えないようにしている、といったところだ。
新田は、むしろスッキリした様子で、係長にも普通に挨拶していた。
別れ話は、うまくいったらしい。
萌月焼子は、始業後、しばらくしてから現れた。
「ちょっと寄り道しててね」
会議室でメロンに舌鼓を打ちながら、焼子は晴斗に話しかける。
「喫茶店でさぁ、モーニング食べてたんだけど。
そしたら、すげえ顔した人がさ……今にも死にそうなしょんぼり顔で、写真見てんの。
で、写ってたのがさ、なんとここの不倫係長と不倫新人。
笑っちゃった。
『死ねばいいのに』って呟いてたから、お望み通り、写真を消し炭にしてあげたの。
優しいでしょう?」
晴斗はうなずく。
火種は燃え上がった。
もう、消すことはできない。
「あー、メロンうっま。
そうそう、今日、お茶請けにクッキー焼いてきたんだけど。
諸事情で家に置いてきちゃったんだよねえ。
このメロンさ、まだ余ってるでしょ?
明日も来るから、とっといてよ」
スプーンを向けられて、晴斗はあいまいに笑う。
「もしかしたら、私は、近々退職するかもしれないです」
焼子がスプーンを落とす。
「なんで?」
「ちょっと、職場に居づらくなりそうなので」
「は?」
「メロンの件は、引き継いでおきますので、御心配なく」
「いやいや、そうじゃなくて」
まるで芸人のように首を振る。
「なんなの急に?
やらかしたの?
横領?セクハラ?職務怠慢?」
「一身上の都合です」
「バカじゃないの」
吐き捨てて、焼子は身を乗り出してくる。
「何があったのよ、言ってみ?
なんなら私が燃やしてあげるから」
「それは結構です」
「いいから言えっての!」
ばん、と焼子が机を叩いた。
額の辺りが熱くて、晴斗が手を当てると、前髪が少し焦げていた。
「ムカつくんだよ、あんた。
いつもぶそっとして、何考えてるか分かんなくてさあ。
『何にも言わないけど、実は困ってるんですぅ』みたいな態度やめろよ。
燃やすぞ。
わりと、マジで」
もう燃やしてるじゃん、という言葉は飲み込んだが、焼子の怒りのボルテージは上がっている。
本当に燃やされるかもしれない。
「……係長に、言ったんです。
もう、不倫はやめた方がいいって」
「うん」
「係長の機嫌を損ねました」
「……うん?」
「あなたの話からすると、不倫が奥さんにもバレたようですから。
余計、恨まれるでしょう」
「うん??」
うなずきながら、焼子の頭に疑問符が増える。
「うん、え、そりゃそうなんだけどさ。
だから何?
不倫した係長が悪いじゃん?
なんで、あんたが辞めることになるの?」
「空気が悪くなるので」
「ええ?」
意味が分からないと、焼子の内心が混乱している。
無理もない。
『トラブルになっても、全部燃やせばいい』と、相手の思惑を無視して生きてきた焼子には、しがらみが理解できないのだ。
「え?……つまり、係長から腹いせを受けそうだってこと?」
「係長がどこまで大人げないか分かりませんが、今日の様子では、業務にも影響が出そうです。
そんな職場、私もいたくないですし」
「バカじゃないの」
焼子のムシャクシャは収まらない。
「悪いのは不倫した奴でしょ。
なんであんたが辞めるのよ。
何なの?
係長燃やせばいいの?」
「それこそ、いられなくなるじゃないですか」
「だって……ええ……何それ、何を燃やせばいいの」
「だから、燃やさなくていいんですよ。
……燃やしたって解決できないことが、世の中にはあるんです」
「嘘、そんなわけない。
全部なかったことにする。
奥さん燃やす?
それとも職場を丸ごと燃やしちゃう?」
心なしか、部屋の温度が上がった気がして、晴斗はため息をつく。
このままだと、勝手に燃やされそうだ。
「……そんなものより、他に燃やした方がいいものが、あると思いますよ」
「は?」
「あなたのその力は、もっと有効活用できると思うんです。
例えば、人助けとか。
燃やしたくても、自分では燃やせないものが、世の中にはあふれています。
それを燃やしてあげたらどうですか。
私も手伝いますから。
……職場以外に、居場所があれば……仕事以外に、役目があれば……私も、救われます」
焼子の頭に、いくつも『?』が浮かんでは消えていく。
「えっと……それはつまり……?」
「私が辞めるのは、確定じゃありません。
係長の態度や職場の空気次第では、引き続き働けるかもしれませんし、課長や人事に相談して、配置換えをお願いする手もあります。
もし、辞めざるを得なくなっても、あなたに雇ってもらえればありがたいと思って……
あなたのマネージャーにしてもらえませんか。
『燃やす力』を求めている人を斡旋しますから、2人で人助けを仕事にしたらどうでしょう」
「あんたが、燃やしてほしいものを探して、私が燃やす。
それを人助け兼仕事にするってこと?
あんたが辞めた時の、保険のために」
「そういうことです」
焼子は混乱しながらも、とりあえず、損のない話だと納得したらしい。
「でもさ、燃やしてほしがってる人なんて、どうやって探すのさ。
SNSで『燃やしたいもの募集!』とかするわけ?
胡散臭すぎない?」
晴斗は観念して打ち明ける。
「……私は、人の心の声が……考えていることが聞こえるんです。
だから、探すのは簡単ですよ」
「あ、なんだ。そうなんだ」
あっさり返されて、晴斗は驚く。
「……驚かないんですか?
嫌だって、思わないんですか」
「んー、驚くっていうより、なんか腑に落ちたって感じ。
なんか察しが良すぎたからさ。
……嫌とは、思わないかな。
だって、都合が悪いことを知られても、
私なら、あんたを燃やせるからね」
晴斗は乾いた笑いを漏らす。
受け入れてもらえた。
「いつでも殺せるから」という理由で。
でも、晴斗には分かる。
少なくとも今は、焼子には、晴斗を焼き殺すつもりはない。
殺意が湧けば、晴斗にはすぐ分かる。
……案外、相性は良いのかもしれない。
「では、明日も……例え僕が、職員じゃなくなったとしても……よろしくお願いします」
「おっけー。
じゃ、明日のメロン、よろしくね」
2人は心から笑い合った。
翌日から、2人は、捨てるに捨てられない『しがらみ』を焼き尽くす縁切屋として、活動を始めることになる。



