いわくつきの骨董姫

「なに、これ」

 あの日の学校帰り、私は自宅から家財が運び出されている光景を目の当たりにしていた。
 働き蟻たちが行列をなして、落ち葉などを巣に運んでいくように――知らない大人たちが、他でもない私の家から、勝手に物を運び出しているのだ。
 あまりに突飛な光景に、私はしばらく唖然としていたけれど、

「やめて」「離して」「助けて」――

 という家財たちの悲鳴を聞いて、我に返った。

「何してるの! どうしてうちの物を持っていくの!? やめて!」

 私は大人たちに向かって叫び、止めようとする。
 けれど、誰も私のことを意に介さなかった。
 当時八歳の私の力では、大人たちの行動を無理やり止められるわけもない。
 私の大切な友人たちが、目の前で次々攫われていく。

「やめて、もう持っていかないで……! 奪わないでよお……!」

 その場に泣き崩れる私の肩を、誰かがそっと叩く。

「止めてはなりませんよ、珠希。お前の父母はもういないのです。
 いなくなった人間の物を残しておいては、邪魔で仕方ありませんからね」

 諭すような声のするほうへ振り返ると、そこには優しく微笑みかける叔母がいた。
 天女のように柔らかな笑顔を浮かべる叔母に、

「どうして……? どうして、そんな酷いことを言うの……?」

 と、嗚咽をもらしながら言う私。
 彼女は私の小さな体を抱きすくめ、耳元に唇を寄せる。

「だって、この家はもうわたくしたちのものですから。もちろん、この家にいたお前もね」

 その瞬間、背筋が凍りついた。
 香油の匂いのする冷たい指が、私の腕を強く掴む。

「いや……! 離して! いやあああぁっ!」

 叫んでも誰も助けてくれなかった。
 八歳の私は、そのまま叔母に連れて行かれ――家も、名前も、何もかもを失った。

 *

「――き。珠希。そろそろ着くぜ」
「……ん」

 隣に座っていた善が、肩にもたれていた私をそっと起こす。
 目を開ければ、路面電車の車窓と、乗客のいない座席が視界に映った。

(昔の夢、か……)

 大人になった今も、たまに見る悪夢。
 叔父夫婦に勝手に家に上がり込まれて、家財たちを売り払われてしまったときの記憶。
 当時の衝撃と悲しみは、あまりにも強烈にこびりついていて、未だに忘れることができなかった。

「あまり顔色がよくねェな。酔っちまったかィ?」
「ううん、平気。大丈夫よ」

 長旅で疲れていたからか――あるいは、故郷の空気に触れたからか。
 いずれにしても、寝覚めが悪い。
 私は気晴らしに、窓の外へ目をやった。

「この街もずいぶん変わったわねえ……」
「忙しないご時世だ、十年も経ちゃァ変わるさ」

 見慣れたはずの通りは、西洋風の建物が軒を連ね、行き交う人波も倍増していた。
 善と私だけを乗せた路面電車は、帝都・桜花郷から遠く離れた港湾都市・錦花郷(きんかきょう)を走っている。
 幕府の頃から交易で栄えたこの街は、今や紡績と鉄鋼の都。
 帝都に肩を並べる賑わいぶりから、人々は『大錦花(だいきんか)』と呼んでいる。
 善の会社の拠点は、この街の外れにあるのだと言う。
 路面電車が終点に着くと、善はひと足先に電車を降り、

「ほれ、珠希。足元に水溜まりがあるから気をつけな」

 と、私の手を取って車外へ導く。 
 辺りは閑静な住宅街。
 けれど、降り立った瞬間、ほのかな排気のにおいが鼻をついた。

「街が栄えるのはいいけど、工場が増えすぎね。
 こんなに遠い場所まで来たのに、排気の臭いがするわ……」
「まあまあ、もう少し行けばマシになるから、辛抱してくれ」

 善は私の疲れを感じ取っているのか、歩きつつも私を気遣ってくれる。

「悪ィなァ。珠希も煙々術で連れて来れりゃよかったんだが、さすがに二人乗りでこの距離を移動するのは骨が折れてな。面目ねェ」
「気にしないで。列車の旅もけっこう楽しかったから」

 青々とした田園や、レンガ造りの町並み――十数年ぶりに見る花街の外の世界は、まぶしいほど美しかった。
 おまけに善は話上手なので、長旅も退屈しなかった。
 寝台列車と路面電車を乗り継いで、十時間あまり――確かに疲れはしたけれど、旅にはつきものだから仕方がない。

「家に帰ったら、とびきり美味いモンを用意してあるからな。
 うちの奴らも、早く骨董姫様に会いたくてウズウズしてるだろうよ」
「あら、そんなに? 貴方の家族って、どんな方たちかしら」
「カッカッ、そいつは着いてからのお楽しみだ。
 ま、お前さんなら、あいつらともすぐ仲良くできるだろうさ」

 住宅街を抜け、雑木林を少し歩いた先に、善の住まいはあった。
 門をくぐり抜けた先の庭は、ほどよく手入れされ、家は昔ながらの木造平屋。
 広々としているが、金持ちらしい華美さはなく、平凡な温もりがあった。

「こう言ってはなんだけど……社長の家にしてはずいぶん質素ね」
「寝食する場所は落ち着いているほうがいいんでな。豪華な屋敷じゃなくてガッカリしたかィ?」
「いいえ。私もこういう家のほうが好きよ」

 夕陽に照らされた縁側の床板は、橙色に染まっている。
 ガラリと扉を開け、玄関に入ると、どこか懐かしいにおいを感じた。
 花街で嗅いでいた酒や白粉のにおいは一切ない――障子紙や木材、畳のい草などの、日常生活のにおいだ。

「ただいまァ! 壱丸(いちまる)、いるかィ?」
「あっ、しゃちょー! おかえりなさい!」

 善が誰かに呼びかけると、奥からトテトテと小さな足音が近づいてきた。
 次の瞬間、障子の影から、丸い頭と短い足をした可愛らしい子犬が飛び出してくる。
 白い体に黒のぶち模様、牡丹柄の前掛けをした、なんとも縁起のよさそうな見た目だ。

「……え? お、お嬢様?」

 すると、私を見つけた子犬が、動揺しながらこちらを見上げ、つぶらな瞳を潤ませる。
 瞬間、私の中を電撃のようなものが駆け抜ける。
 それは喋る子犬に驚いたからではなく、強い既視感のようなものを覚えたからだ。

「貴方……もしかして、三倉家にいた、犬張子のお守り……?」
  
 ――そう、幼い日の実家。
 茶箪笥(ちゃだんす)の上に鎮座していた、犬張子の置物。
 私のことをいつも見つめ、話してくれていたあの子の、可愛い顔と声だ。
 子犬は私の声を聞くと、耳をピョン! と立て、ちぎれんばかりの勢いで尻尾を振り、私の膝へ飛びついてくる。

「珠希さま、珠希さま! やっぱり本物だぁ〜!」

 子犬はふわふわの触り心地で、あの頃の硬い質感とは全く違う。
 けれど、鼻をくすぐるにおいからは、あの頃と全く同じ温もりが感じられた。

「どうして貴方がここに……!?」
「しゃちょーが捨てられかけていたぼくを拾ってくれたんです!
 それで、しゃちょーから霊力を分けてもらって、ぼくも付喪神になりました!」

 そう答えながら、子犬は善のほうを振り返った。
 善も驚いた顔をしている。

「おいおい、アンタの家のモンだったのかィ? こりゃとんでもねェ縁だなァ」
「ええ、本当に。まさか、こんなところで再会できるなんて……」

 胸の奥がじんわりと熱くなっていく。
 奪われた家、失われた日々――優しい記憶のひとかけらが今、手の中に戻ってきたようだった。

「じゃあ、壱丸って名前は……」
「はい! しゃちょーに拾われた時につけてもらったのです!
 ご主人様とはぐれちゃったけど、めげずにまた一からはじめよう、って!」

 壱丸――と私は小さく声に出してみる。
 初めて聞くのに、不思議と愛着が湧いてくる名前だ。

「いい名前をもらったのね。響きも貴方にぴったりだわ」
「へへへ、ありがとうございます!」

 ふわふわの体をもう一度、ぎゅっと抱きしめる。
 古ぼけてしまっていた記憶が、少しずつ形を取り戻していくようだった。