いわくつきの骨董姫

「今は嫌よ。煙草のにおいが残ってるじゃない」
「…………今は? じゃァ何かィ。いつかはそうしてくれるってことか?」
「……まあ、くわえるだけでいいならしてあげる」
「……っっしゃ!」
 
 善が握りしめた拳を力強く振り上げる。
 
「そいつァいい! 明日から捗るってもんだ!」
「ああそう……」
 
 呆れてしまうけれど、そんな楽しみだけで捗るなら安いものか。

「多分、戦うのは明日の夜になるわ。この際だし、明日から全力を注げるよう、悩みとかは色々解消しておきましょう」
「悩み、ねえ……」

 善は自分の掌を握ったり開いたりしながら、眉を寄せた。
 
「悩みってほどじゃねェが、霊力はちと心許ねェな。実戦の勘はだいぶ戻ってきたんだが、こればっかりは鍛錬じゃどうにもならねェからな」
「やっぱり、全盛期の状態に戻すのは大変なの?」
「まァな。だが……」
 
 善はそこで、ちらりと私を見る。
 
「だが、珠希から霊力を注いでもらえば、なんとかなるだろ」
「私から?」

 それならば、少しだけ安心だ。
 私が協力することで、善が戦いに万全に備えられる。
 ただ善を送り出す以外にも、できることがある。
 それなら、私も全力を尽くすまでだ。
 
「じゃあ、霊力を注ぐにはどうすればいいの?」
「一番手っ取り早いのァ、本体を使ってもらうことなんだが……」
 
 善は煙草盆に置かれた本体の煙管を一瞥する。
 
「今は嫌って言われたばっかりだからなァ」
「一番いい方法があるってことは、二番目にいい方法もあるってことでしょ」
「まあ、あるにゃァあるが」
「じゃあ、それを教えて。できるだけ霊力を戻しておいたほうがいいでしょう。羅煌がどれくらい強くなっているかも分からないんだから」

 私は至極真面目に聞いているつもりだけど、善はなぜか、妙にゆっくりとした動きで、ニヤァと口角を上げた。
 
「なにをニヤニヤしてるのよ」
「いやァ、二番目にいい方法、ねェ……?」
「気持ち悪いわね。早く教えなさいな」
 
 私が口を尖らせると、善は少しだけ私との距離を詰めた。
 
「教えるも何も、俺たちァもう、何度もしてるんだがなァ?」
「何度も?」
「あァ。そもそも俺としては、珠希から教わったようなモンだし」
「……私から? どういうことよ?」

 問いかけても、善はますますニヤニヤするばかりで、何も答えない。
 付喪神への霊力の与え方なんて、私がいつ教えたというのだ。
 少し腹が立って、私は善を睨んだ。

「あのね、勿体ぶって焦らしてる場合じゃないでしょ。明日の夜には、羅煌と戦うかもしれないのよ。さっさと――」
 
 言いかけたところで、ふっと視界が陰った。
 
「――ぜ、善?」
 
 いつの間にか、すぐ目の前に善の顔がある。
 そう思った時には、彼の唇が私の耳元へ寄っていた。
 
「こういうのは、焦れったいくらいがイイんだろ?」

 やけに低く、艶っぽい声で囁かれる。
 耳に吐息がかかり、ぞくりと背筋を何かが駆け抜けて――私は理解した。

「思い出したかィ?」
 
 顔を離した善が、にやりと笑う。
 しまった——と思った時には、もう遅かった。
 
「ちょっ――」

 ぐらりと身体が傾く。
 気づけば、私は布団の上に仰向けになっていた。
 すぐ目の前に善がいる。
 
「……アンタ、さてはこれを狙ってたわね?」
「人聞き悪ィぜ。『霊力をくれる』って言ったのァお前さんだろう」
「私は『二番目にいい方法を教えて』って言っただけよ」
「そうだったかァ?」
 
 善は悪びれもせず笑っている。
 けれど、私もなんだかんだ文句を言いつつ、善を押し退けようとは思わなかった。
 明日——この男は、私の手の届かないところへ行ってしまうかもしれないのだ。
 その不安に向き合うためにも、今はできるだけ近くにいたかった。

「なァ、珠希」
 
 善の声から、からかうような響きが消えた。
 私の額に、こつんと善の額が合わさる。
 目を開けば、すぐ近くに灰色の瞳があった。
 先ほどまでのふざけた笑顔はもうない——今度こそ、彼は真剣だった。

「ボロボロになっても、ちゃんとアンタの手元に戻る。俺は絶対に、アンタを一人にしない」

 三百を超える刀たちの怨念を抱えた、神蔵家最強の付喪神——そんな相手と戦って、どれほど傷つくのか。
 勝つことができるのか。
 それは、善にさえ分からない。
 それでも、彼は——。

「……覚えててくれたのね。ちゃんと」
「たりめェだろ」
  
 善の左手が、私の右手に重なる。
 彼の長い指が、私の右手の薬指にはめられたラピスラズリの指輪に触れる。
 善はこの指輪を私に贈った時、私に誓ってくれた。
 一人にしないでと不安がる私に、

『アンタを一人にしない』

 と当たり前のように答えてくれたのだ。
 ……私は、善の後頭部へ手を添えた。

「珠——」
 
 そのまま自分のほうへ引き寄せ、彼と唇を重ねた。
 少し驚いたのか、善の身体がほんの一瞬固まるけれど、すぐに力が抜けた。
 触れ合ったところから、何かがゆっくりと流れていく。
 私は唇を離すと、うっすらと開かれた善の灰色の瞳が、ほんのりと朱色に輝いていた。
 
「私の霊力、好きなだけ持って行って」
 
 善が、目を見開く。
 埋火が息を吹き返すように、彼の瞳が鮮やかな朱色を帯びる。

「だから、ちゃんと帰ってきて」
 
 それが、主人としての私の命令だった。
 やがて善は、どうしようもなく嬉しそうに目を細めた。
 
「あいよ。骨董姫の仰せのままに」
 
 今度は、善のほうから顔を寄せてくる。
 窓からふわりと吹き込んだ春夜の風が、ひんやりと肌を滑り抜けた。