「ユエ子様。煙羅の羅煌の『羅』の字には、なにか意味があるのですか?」
私はかねてから気になっていたことを、ユエ子様に聞いてみる。
ユエ子様は「うむ」と頷いた。
「神蔵家では、特に秀でた能力を持つ付喪神に称号を授けるのが決まりでな。『羅』の称号は、特に武道に長けた付喪神に授けられる称号なのじゃ」
なるほど、だから善は、修羅のごとき強さを誇る喧嘩煙管として、『煙羅』と名付けられたということか。
神蔵家の中で、『羅』の字は勲章の役割を果たしているということらしい。
「かつての神蔵家には、『羅』の称号を持つ付喪神が二人おったからの。それで、煙羅と羅煌は『双羅』と呼ばれたのじゃ」
——神蔵家の双羅。
最強と呼ばれた二人の激突は、どうしても免れないのだろうか。
私は今もなお、弟子たちと組手を続けている善を見た。
「おらおらァ! もっと腰入れろィ!」
善は相変わらず、楽しそうに二人と殴り合っている。
あまりにも、いつも通りだ。
かつての戦友との戦いに備えている者が浮かべる表情として、あまりにも相応しくない。
「善は、怖くないのかしら……」
「怖いわけねえだろう」
私の呟きを即座に否定したのは、傍らでゆったりとお茶を啜っていた陶継様だった。
「あれは筋金入りの喧嘩好きさ。相手が剣の達人だろうが、ビビるわけがねえ。むしろ血が滾る、なんて言いそうなもんだよ」
陶継様の悪口じみた言葉に、ユエ子様も賛同した。
「幕府時代の民衆にとっては、刀とは否応にも畏怖の念を抱かせるモノじゃ。付喪神にとっても、それは同じこと。しかし、煙羅にはそれが通用せん」
ユエ子様はお茶をひと口啜って、さらに続ける。
「あやつの初代持ち主は、武士に斬られることも恐れず、喧嘩をふっかけておったそうじゃからな。その無鉄砲ぶりが、煙羅の強さの本質なのじゃ」
刀である羅煌を恐れず、口喧嘩もしていた煙羅。
だからこそ、羅煌もまた彼を信頼し、実力を認め、最期を託したのだろう。
——それなのに、彼はまだ終わっていなかったのだ。
煙羅に破壊され、最期を与えられたにもかかわらず、今もなお怪異となって帝都をさまよっている。
——《我が主……》
羅煌の低い声が、ずっと私の頭にこびりついている。
……彼はあの時、何を私に伝えようとしていたのだろう。
あの時は、『骨董守や付喪神を狙う落武者を、どうすれば討てるのか』ということばかり考えていた。
けれど——今になって思い返せば、あの声には敵意などなかった。
むしろ、切羽詰まった、必死な声だった。
何かを伝えたくて、それでも言葉にできなくて――ようやく見つけた誰かに縋るような、そんな声だった気がする。
「……やっぱり、羅煌は」
気づけば、声に出ていた。
ユエ子様と陶継様が、同時にこちらを見る。
「彼は、終わらせてほしいのだと思います」
都合のいい解釈なのかもしれないけれど、私にはどうしても、そうとしか思えなかった。
「私を頼ってきた理由は、まだ分かりません。どうして私を『我が主』と呼んだのかも。でも……善から聞いた羅煌の人柄が本当なら、少なくとも彼自身は、これ以上誰かを傷つけたいとは思っていないはずです」
忠義に厚く、仲間の頭として、最後まで皆を見送った刀。
そんな彼が、自らの意思で神蔵家の人たちを殺しているとは、どうしても考えられないのだ。
「陶継様のお話が正しければ、羅煌は今も三百を超える刀たちを抑えているのでしょう。でも、彼一人の力では限界がある。だから助力を乞うために、善との過去を私に託したのだと思います」
していることは違うけれど、考えていることは同じだろう。
皆を率いる頭として、責任を持って介錯する。
暴れようとする刀たちを、抑え込もうとする。
それでも、月がない夜は抗いきれずに暴れてしまう。
だから、藁にもすがる思いで私に託した。
「……落武者の暴走を止められるのは、善しかいないから」
その言葉を口にした途端、胸にズッシリと重い塊がのしかかったようだった。
奇しくも状況は三十年前と同じ——羅煌は、自分を終わらせてくれる相手として、再び善を選んだ。
けれど、今度は羅煌一人ではない。
三百を超える刀の怨念を抱え込んだ怪異を相手にしなければいけないのだ。
「……嫌な顔をするのう」
「え?」
「煙羅を見ておる、そなたの顔じゃ。これまでにないほど曇りきっておる」
そんなことはありません、とは言えなかった。
「……恐ろしいのです。善が絶対に無事で帰ってこられる保証は、どこにもありませんから」
「まあ……そうであろうな」
ユエ子様には申し訳ないけれど、今回ばかりは不安が大きすぎるのだ。
それこそ、いつものように表情で隠すことなんてできないほどに。
それでも、私が「羅煌を終わらせてこい」と命じれば、彼は迷いなく死地に向かうのだろう。
きっと、笑って「任せろ」と応じるに違いない。
——けれどもし、私の命令のせいで善が壊れてしまったら。
——私は、その事実に耐えられるのだろうか。
私はそれが怖くてたまらなかった。
私はかねてから気になっていたことを、ユエ子様に聞いてみる。
ユエ子様は「うむ」と頷いた。
「神蔵家では、特に秀でた能力を持つ付喪神に称号を授けるのが決まりでな。『羅』の称号は、特に武道に長けた付喪神に授けられる称号なのじゃ」
なるほど、だから善は、修羅のごとき強さを誇る喧嘩煙管として、『煙羅』と名付けられたということか。
神蔵家の中で、『羅』の字は勲章の役割を果たしているということらしい。
「かつての神蔵家には、『羅』の称号を持つ付喪神が二人おったからの。それで、煙羅と羅煌は『双羅』と呼ばれたのじゃ」
——神蔵家の双羅。
最強と呼ばれた二人の激突は、どうしても免れないのだろうか。
私は今もなお、弟子たちと組手を続けている善を見た。
「おらおらァ! もっと腰入れろィ!」
善は相変わらず、楽しそうに二人と殴り合っている。
あまりにも、いつも通りだ。
かつての戦友との戦いに備えている者が浮かべる表情として、あまりにも相応しくない。
「善は、怖くないのかしら……」
「怖いわけねえだろう」
私の呟きを即座に否定したのは、傍らでゆったりとお茶を啜っていた陶継様だった。
「あれは筋金入りの喧嘩好きさ。相手が剣の達人だろうが、ビビるわけがねえ。むしろ血が滾る、なんて言いそうなもんだよ」
陶継様の悪口じみた言葉に、ユエ子様も賛同した。
「幕府時代の民衆にとっては、刀とは否応にも畏怖の念を抱かせるモノじゃ。付喪神にとっても、それは同じこと。しかし、煙羅にはそれが通用せん」
ユエ子様はお茶をひと口啜って、さらに続ける。
「あやつの初代持ち主は、武士に斬られることも恐れず、喧嘩をふっかけておったそうじゃからな。その無鉄砲ぶりが、煙羅の強さの本質なのじゃ」
刀である羅煌を恐れず、口喧嘩もしていた煙羅。
だからこそ、羅煌もまた彼を信頼し、実力を認め、最期を託したのだろう。
——それなのに、彼はまだ終わっていなかったのだ。
煙羅に破壊され、最期を与えられたにもかかわらず、今もなお怪異となって帝都をさまよっている。
——《我が主……》
羅煌の低い声が、ずっと私の頭にこびりついている。
……彼はあの時、何を私に伝えようとしていたのだろう。
あの時は、『骨董守や付喪神を狙う落武者を、どうすれば討てるのか』ということばかり考えていた。
けれど——今になって思い返せば、あの声には敵意などなかった。
むしろ、切羽詰まった、必死な声だった。
何かを伝えたくて、それでも言葉にできなくて――ようやく見つけた誰かに縋るような、そんな声だった気がする。
「……やっぱり、羅煌は」
気づけば、声に出ていた。
ユエ子様と陶継様が、同時にこちらを見る。
「彼は、終わらせてほしいのだと思います」
都合のいい解釈なのかもしれないけれど、私にはどうしても、そうとしか思えなかった。
「私を頼ってきた理由は、まだ分かりません。どうして私を『我が主』と呼んだのかも。でも……善から聞いた羅煌の人柄が本当なら、少なくとも彼自身は、これ以上誰かを傷つけたいとは思っていないはずです」
忠義に厚く、仲間の頭として、最後まで皆を見送った刀。
そんな彼が、自らの意思で神蔵家の人たちを殺しているとは、どうしても考えられないのだ。
「陶継様のお話が正しければ、羅煌は今も三百を超える刀たちを抑えているのでしょう。でも、彼一人の力では限界がある。だから助力を乞うために、善との過去を私に託したのだと思います」
していることは違うけれど、考えていることは同じだろう。
皆を率いる頭として、責任を持って介錯する。
暴れようとする刀たちを、抑え込もうとする。
それでも、月がない夜は抗いきれずに暴れてしまう。
だから、藁にもすがる思いで私に託した。
「……落武者の暴走を止められるのは、善しかいないから」
その言葉を口にした途端、胸にズッシリと重い塊がのしかかったようだった。
奇しくも状況は三十年前と同じ——羅煌は、自分を終わらせてくれる相手として、再び善を選んだ。
けれど、今度は羅煌一人ではない。
三百を超える刀の怨念を抱え込んだ怪異を相手にしなければいけないのだ。
「……嫌な顔をするのう」
「え?」
「煙羅を見ておる、そなたの顔じゃ。これまでにないほど曇りきっておる」
そんなことはありません、とは言えなかった。
「……恐ろしいのです。善が絶対に無事で帰ってこられる保証は、どこにもありませんから」
「まあ……そうであろうな」
ユエ子様には申し訳ないけれど、今回ばかりは不安が大きすぎるのだ。
それこそ、いつものように表情で隠すことなんてできないほどに。
それでも、私が「羅煌を終わらせてこい」と命じれば、彼は迷いなく死地に向かうのだろう。
きっと、笑って「任せろ」と応じるに違いない。
——けれどもし、私の命令のせいで善が壊れてしまったら。
——私は、その事実に耐えられるのだろうか。
私はそれが怖くてたまらなかった。

