いわくつきの骨董姫

「痺れたぜ。男相手に簪ブッ刺すたァ、なかなかやるじゃねェか」

 唇の隙間から白い煙を零しつつ、百丸様は私を抱え、ひらりと橋の上に舞い戻った。

「……私、夢でも見てるのかしら……」

 まるで、雲の上に乗って帰ってきた気分だ。
 今の私は多分、相当間抜けな顔をしている。
 
「ところがどっこい。現実なんだなァ、これが」

 百丸様は私を橋の上に下ろすと、私の頬を指でつついた。
 少し硬い指先の感触と、内側のほのかな熱が伝わってくる。
 私に、これは現実に起きていることだ、と教えてくる。
 すると、それを見ていた柿本が、悲鳴を上げるように叫んだ。
 
「てめえぇっ……! 玉樟に気安く触るんじゃねえ!」
「あン? てめェこそ汚ェ手で玉樟に触んな」

 百丸様は柿本に言い返しながら、自分が着ていた羽織を私の肩にサッと着せた。
 いつの間に冷えていたのか――たった一枚の羽織が、驚くほど温かい。

「うるせぇ! そいつは俺の女だぞ!」
「おーおー、そいつァめでてェ妄想だ。冗談言うんなら鏡見てからにしな」

 百丸様は哀れとでも言わんばかりに眉尻を下げ、肩をすくめた。

「てめェみたいな素寒貧(すかんぴん)のド三一(さんぴん)がよ、玉樟に指一本触れようってのが、そもそもの間違いなんだよ」
「俺は! 俺は玉樟を愛しているんだ!」
「結構、結構。で、愛ってのは女の首を絞めることかィ? 随分お行儀の悪ィ愛だなァ、ええ?」
「俺は悪くねぇ! その女が俺を受け入れねぇのが――!」
「抜かすなよ、豚野郎」

 唾を飛ばしながら筋違いな怒りをぶちまける柿本。
 それを静かに、けれどビリビリ響くような低い声で牽制(けんせい)する百丸様。

「てめェが愛してんのァ自分だけだろうが。
 散々女を傷つけたくせして『愛してる』なんざァ、虫がよすぎんだよ、ドブカスが」

 最後の彼の罵声は、地鳴りのように重く鳴り響いた。
 それは、まさしく殺気だった――柿本は、目の前の男の気迫に、完全に()されていた。

「ぐぎ、ぎ……ッ! おい、赤鬼! さっさとこの野郎を殺せ!!」

 柿本は歯ぎしりをしながら、先ほどから後ろで棒立ちになっている赤鬼に命令した。
 しかし、赤鬼は大きな目を丸くして、「えっ!?」とでも言うようにうろたえた。

「な、何してやがる! 早く動け!」
「む、うう……?」

 赤鬼は情けない声を漏らしながら、どうしていいのか分からず困惑している。
 その仕草が、かえって痛々しかった。
 彼は人を傷つけるような存在ではない――そのことが、見ているだけで分かる。

「ふざけんな、この役立たずがあっ!」

 柿本は怒りに任せて赤鬼の(すね)を思いきり蹴りつけた。

「ぎゃんっ!?」

 赤鬼が高い声を上げて、その場にうずくまる。
 両手で脛を押さえ呻き、涙をぽろぽろとこぼしている。
 その姿は、鬼というより怯えた子供だ。

「てめえ、泣く暇があったら働けッ!」

 柿本はなおも罵声を浴びせ、転がる赤鬼の頭をさらに蹴り上げた。
 乾いた音が響く。陶器を蹴ったような鈍い衝撃音だった。

「やめなさい! 痛がってるでしょう!」

 私が叫んでも、柿本は止まらなかった。
 足を振り上げ、何度も何度も赤鬼を蹴り続け――

「――やめろって言ってんだろがァ!!」

 とうとう激怒した百丸様が声を上げ、柿本を片手で突き飛ばした。
 巨大なゴム(まり)のような体つきの柿本は、まるで棍棒でぶん殴られたかのように後ろへ吹っ飛ぶ。
 欄干に頭をぶつけたのか、柿本はほんの少し呻いたきり、動かなくなった。

「大丈夫かィ、坊主?」

 百丸様はしゃがみこみ、泣きじゃくる赤鬼の頭を優しく撫でた。
 うつむいている赤鬼の目には、大粒の涙が浮かんでいる。

「よしよし。ったく……人間ってのァ、どうしてこう雑なんだろうな……ん?」

 なにかに気づいた百丸様が、赤鬼の頭を覗き込む。
 そして、すぐさま「ああ!?」と声を上げた。

「なんてこったィ! お前さん、ひび入ってるじゃねェか!」
「……ひび?」
 
 どういうことだ、何が起きているのだ、と私も近づいて覗いてみる。
 すると、赤鬼の頭の上に、朱塗りの盃が乗っているのに気づいた。
 伏せられた格好のそれには、よく見ると小さなひびが入っている。

「貴方……どうして盃なんて持っているの?」
「お? 玉樟は初めて見たかィ? こいつァな、盃の付喪神(つくもがみ)だよ」
「付喪神……って、作られて百年経った道具に宿っているとかいう、あの?」
「おうよ」

 私は呆気にとられた。
 付喪神なんて、昔話や伝承の中だけのものだと思っていた。
 物に心があることは理解していたけれど、まさか、本当に……

「付喪神って、本当にいたんだ……」
「いたのさ。アンタの周りにだって、たくさん」

 呆然と突っ立った私のほうへ、百丸様がちらりと視線を寄越した。
 
「アンタが今まで話していた道具たち――あれァみんな、付喪神の子供みてェなモンだ」

 それを聞いて、私はすとんと腑に落ちた。
 私が今まで触れてきた者たちの正体。
 初めて遭遇した赤鬼(このこ)に対して、不安や恐怖を一切感じなかった理由。
 ――長らく探していた答えの一つに出会えたような、奇妙な安堵。

「人と同じで、物にも心がある。
 丹精込めて作られた物、長く使い込まれた物、丁寧に手入れされた物――
 人の愛着を受ければ受けるほど、物の心は磨かれ、魂に昇華する。
 それが、俺たち付喪神だ」

 私は彼の言葉を黙って聞いていた、けれど。

「待って。今、俺たち(・・・)って言った?」
「言った」

 百丸様はふわぁっと煙を吐きつつ、片目を瞑ってみせた。
 まさか、そんな、でも、けれど――
 
「百丸様……貴方、まさか――」
「おい! なにイチャついてんだ、てめぇら!!」

 私が肝心なことを聞く前に、意識を取り戻した柿本が怒鳴り声をあげた。
 百丸様の艶っぽい微笑みが、「チッ」という舌打ちと共に仏頂面に変わる。

「てンめェ……今いいところだったろうがよォ……!!」

 いい雰囲気を台無しにされ、百丸様のこめかみには青筋が浮かんでいた。

「お前もだ! なんでそいつに懐いてやがる!」

 柿本は赤鬼にも人差し指を向けながら喚く。
 赤鬼はすでに泣き止み、百丸様のすぐそばで小さく座っていた。
 頭の上の盃を撫でられながら、どこか安心しきった表情をしている。

「お前は俺の蔵から出てきたんだ! 最初に見つけたのは俺なんだから、俺が主人だろうが!」

 赤鬼を威圧するように怒鳴る柿本だが、赤鬼はすでに百丸様にべったりだ。
 自分を蹴った柿本のことは、完全に敵と認識したらしい。
 百丸様にしがみついたまま、ぶんぶん首を横に振って拒絶している。

「ち、ちくしょう……! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……!」

 孤立無援のこの状況で、柿本は怒りのぶつけどころも分からず地団駄を踏んでいた。
 そんな柿本に、百丸様がさらに追い討ちをかける。

「まだ分からねェか? てめェは男としても人間としても下の下だって言ってんだよ」

 百丸様の『下の下』という物言いは、特に効いたらしい。
 柿本はとうとう限界を超えたのか、

「上等じゃねぇか……てめぇらまとめてブッ殺してやる!」

 と懐に隠していたらしい小刀を引き抜き、その切っ先をこちらに向ける。
 刃物という明確な凶器を前に、私は戦慄した。
 しかし、百丸様はそれでも平静を保っている。

「――三倉珠希」

 百丸様が、私の名を口にする。
 花魁としての名ではなく、私の真の名を。

「約束だ。俺の秘密を教えてやる」
「……今、この状況で?」
「今だからだ。まァ見てな」

 修羅場に不似合いな笑みを浮かべる彼に、刃を構えた柿本など眼中にない。
 それが柿本の怒りをさらに煽った。

「無視するなアアアア!!」

 激昂し、小刀を握りしめて迫ってくる柿本。
 しかし、柿本の小刀が彼に触れようとしたとき、百丸様の身に信じられないことが起こった。
 小刀の先が到達したかと思った瞬間――百丸様の姿が、ふわっと消えたのだ。
 空中をぷかぷか漂っていた煙が、一陣の風でたちどころにかき消されたかのように――百丸様の形は一瞬で消えてしまった。

「なッ……ふんぎゃ!」

 柿本はなにもない空間に前傾姿勢のまま突っ込み、そのまま顔面から転倒した。

「野郎、どこいきやが――ッ!?」
「ここだよォ」

 体を起こした柿本は、背後に突然現れた百丸様に耳打ちされ、「ひぃっ!?」と後ずさった。
 やはり、何度見ても見間違いではない――百丸様は自由自在に、自分の体を煙へと変えている。
 奇術師のような立ち回りに圧倒されている私に、彼は笑いかける。

「俺ァ付喪神――刃を持たない民草(たみくさ)のために生まれた、喧嘩(けんか)煙管(きせる)の付喪神だ」

 百丸様は口に咥えていた煙管を高く掲げた。
 月明かりで(やわ)く輝く、銀の胴体。
 無骨で、目を引く装飾はないけれど――それでも、紛れもない時代物だった。