「憎んでいい、ですって? 馬鹿言わないで。紫玄はアンタをそう簡単に憎めないのよ」
一回吐き出したら、もう止まらなくなった。
不満や苛立ちが次々押し寄せては、口から勢いよく出ていく。
「憎むってアンタが思ってる以上にしんどいのよ。信じること以上にずっと消耗するの。三十年も憎み続けて疲れてるところに、さらに憎んでいいなんて言われて、ああそうですかと受け入れる奴がどこにいるのよ」
羅煌たちと同じように、紫玄だってこの三十年、ずっと苦しかったはずだ。
憧れていた人が、自害を望んだ。
慕っていた師匠が、その人を壊した。
それを嘘で隠された。
縋る気持ちを振り払われた。
師匠を憎むことを強要された。
自分が信じたいものを否定しなければならないなんて、どれだけつらかったことか。
「真相を聞いて、その上でどうするかは紫玄次第よ。アンタが決めていいことじゃない。わかったわね、この唐変木」
「は、はい……」
私から一気にまくし立てられて、善は見事に面食らっていた。
多分、紫玄も軽く引いていただろうけれど、この際もうなんでもいい。
「紫玄。貴方、善を殴ってみたら?」
「…………は?」
紫玄が、ぽかんと口を開けた。
古蘭も目を丸くして、私の顔を見ている。
善に至っては、何を言われたのか理解できないという顔をしていた。
「一発くらい、この馬鹿を思い切りぶん殴ってみたらどう? って言ってるのよ」
「はあ!?」
「珠希様!?」
ようやく意味を理解したらしい。
紫玄は古蘭と一緒に、素っ頓狂な声を上げる。
「ユエ子様にも立ち会っていただきましょう。それなら誰も文句は言えないでしょう?」
「わらわも巻き添えかえ……」
「お、お待ちくだされ、三倉殿。先ほどから何を仰っているのですか!?」
「だって貴方、言いたいことが山ほどあるでしょうに、全然言葉にできてないじゃない。もう見てられないわ」
「そ、それは……」
紫玄がぐっと言葉を詰まらせる。
ユエ子様は呆れたようにため息をつく。
けれど、私は本気だった。
紫玄はもう、怒っているのか、悲しんでいるのか、自分でも分からないのだろう。
これほどぐちゃぐちゃに絡まった感情を、今すぐ綺麗な言葉にしろという方が無理な話だ。
「一発殴ってスッキリさせればいいじゃない。話し合いでどうにもならない時は、暴力でさくっと解決しましょう。もちろん、後で戦う時に支障が出ない程度にね」
すると、ユエ子様がやれやれとかぶりを振った。
「まあ、よかろう。三十年も拗らせた師弟喧嘩じゃ。拳ひとつで多少なりとも片がつくなら、安いものよ」
「ゆ、ユエ子様まで……!?」
思わぬ援護射撃に、紫玄が唖然とする。
善はしばらく私とユエ子様を見比べていたけれど、やがて諦めたように肩を竦めた。
「だそうだぜ、紫玄」
ユエ子様が座敷牢の格子の鍵を開けると、善はぬっと立ち上がり、扉をくぐって出てきた。
「……師匠。本当に、よろしいのですか」
目の前に立った紫玄が問えば、善はいつものように口角を吊り上げ、自分の頬を指先で軽く叩いた。
「おう、思い切りやってくれや」
その笑みを見た途端、紫玄の顔がくしゃりと歪んだ。
古蘭も不安そうに兄を見つめている。
やがて紫玄は、ゆっくりと善に近づいた。
「……それがしは」
握りしめた拳が震えていた。
「それがしは、貴方を信じていたのです。羅煌様を壊すはずがないと。何か理由があるはずだと……最後まで、そう信じていた……!」
「あァ」
「なのに貴方は……何も仰らなかった! 余計な詮索をするなと、笑って……!」
善は何も言い返さない。
紫玄が拳を振りかぶった次の瞬間、鈍い音が座敷牢に響いた。
殴り抜かれた善の顔が、横へと弾かれる。
「お師様っ!」
古蘭が思わず声を上げる。
けれど、善は倒れず、よろめきもしなかった。
それを見て、紫玄の何かが決定的に崩壊した。
「——それがしは、貴方を憎みたくなどなかったのです!」
紫玄の頬には、涙が伝っていた。
三十年間溜め込んでいたものが、ようやく堰を切ったようだった。
紫玄はしばらく俯いたまま肩を震わせ、それから乱暴に袖で目元を拭った。
「……カカッ、いい拳になったじゃねェか。昔ァ、腰が入ってねェって何度怒鳴ったか分からなかったがなァ」
切れた口の端を舌で舐め、満足そうに笑う善。
今言うことか、と私は横から口を出してしまいそうになったけれど、すんでのところで飲み込んだ。
紫玄はしばらく息を荒げ、肩を震わせていた。
「どう? 善を殴って、少しはすっきりできた?」
しばらくしたところで、私は紫玄に声をかける。
彼は私の問いかけにしばし考え込んだ後、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「……少しは」
「そう。よかったわ。じゃあ古蘭。ちょっと本体を借りるわね」
「えっ?」
古蘭の返事を待たず、私は彼女が帯に差し込んでいた鉄扇をサッと手に取った。
私の唐突な行動に、ぽかんと口を開けている紫玄と古蘭。
「善。歯を食いしばっておきなさい。私の腕力でも、そこそこの威力は出るはずだから」
「……え? あの、珠希? 珠希さん? なんでそこでアンタまで参加するんだ?」
「アンタの自己満足な自己犠牲に、私がムカついたからよ」
「珠希様!? わ、私の本体でお師様を叩くのですか!?」
「大丈夫、私は貴方たちと違って非力だから」
古蘭の悲鳴を聞き流しながら、私は鉄扇を両手で握った。
善がじり、と後ずさる。
「お、おい。待て待て。紫玄の一発で禊は済んだだろ!?」
「紫玄の分はね。次は私の分よ」
「お前さん、さてはそれが目的だったんじゃねェのか!?」
四の五のやかましい善に、私は問答無用で鉄扇を振り下ろした。
ゴンッ! と、景気のいい音が響く。
「い゛っっっっ!?」
私の振るった鉄扇は、善の頭のてっぺんへ綺麗に叩き込まれた。
善は涙目で頭を抱えて蹲り、古蘭が「あああ……!」とうろたえ、紫玄は口を開けて呆然としている。
「いってェ! お前さん非力じゃなかったのかよ!?」
「道具の使い方が上手いのよ、私は」
「そこで骨董姫の才覚を発揮すんな!」
私はふん、と鼻を鳴らしてから、鉄扇を古蘭へ返した。
「ありがとう、古蘭。とても使いやすかったわ」
「は、はい……それは何よりでございます……?」
受け取った古蘭も、どう反応すればいいのか分からないらしい。
ユエ子様は一連の騒動を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……意外と荒っぽいのじゃな、『骨董姫』とは」
「遊郭あがりですもの。ご勘弁くださいませ」
頭を押さえながら、「うう〜、痛ェ〜……」と呻いている善を、私は真っ直ぐ見返した。
「善。アンタがしようとしたことも、分からないではないわ」
善が頭をさすっていた手を止める。
「仲間たちの最期を、これ以上傷つけたくなかったんでしょう。その気持ちまで否定するつもりはないわ」
「……珠希」
「でも、それとこれとは話が別」
私はぴしゃりと言い切った。
「アンタ自身を粗末にしていい理由にはならないし、アンタを慕ってる人たちの気持ちを無下にしていい理由にもならない」
「う……」
善は返す言葉もないようだった。
きっと、三十年前の善は、それが最善だと思ったのだろう。
羅煌たちの名誉を守るために、自分がすべてを背負えばいい。
自分一人が悪人になれば、それで済むのだと。
けれど、そのせいで傷ついた人たちが、こうして目の前にいる。
「これからは勝手に一人で背負う前に、ちゃんと周りに相談しなさい。少なくとも今のアンタには、主人がいるんだから」
善はしばらく呆然と私の顔を見つめていたけれど、やがて、その灰色の瞳がふっと柔らかく細められた。
「……へェい」
善はどこか照れくさそうに笑って、子供のような返事をした。
一回吐き出したら、もう止まらなくなった。
不満や苛立ちが次々押し寄せては、口から勢いよく出ていく。
「憎むってアンタが思ってる以上にしんどいのよ。信じること以上にずっと消耗するの。三十年も憎み続けて疲れてるところに、さらに憎んでいいなんて言われて、ああそうですかと受け入れる奴がどこにいるのよ」
羅煌たちと同じように、紫玄だってこの三十年、ずっと苦しかったはずだ。
憧れていた人が、自害を望んだ。
慕っていた師匠が、その人を壊した。
それを嘘で隠された。
縋る気持ちを振り払われた。
師匠を憎むことを強要された。
自分が信じたいものを否定しなければならないなんて、どれだけつらかったことか。
「真相を聞いて、その上でどうするかは紫玄次第よ。アンタが決めていいことじゃない。わかったわね、この唐変木」
「は、はい……」
私から一気にまくし立てられて、善は見事に面食らっていた。
多分、紫玄も軽く引いていただろうけれど、この際もうなんでもいい。
「紫玄。貴方、善を殴ってみたら?」
「…………は?」
紫玄が、ぽかんと口を開けた。
古蘭も目を丸くして、私の顔を見ている。
善に至っては、何を言われたのか理解できないという顔をしていた。
「一発くらい、この馬鹿を思い切りぶん殴ってみたらどう? って言ってるのよ」
「はあ!?」
「珠希様!?」
ようやく意味を理解したらしい。
紫玄は古蘭と一緒に、素っ頓狂な声を上げる。
「ユエ子様にも立ち会っていただきましょう。それなら誰も文句は言えないでしょう?」
「わらわも巻き添えかえ……」
「お、お待ちくだされ、三倉殿。先ほどから何を仰っているのですか!?」
「だって貴方、言いたいことが山ほどあるでしょうに、全然言葉にできてないじゃない。もう見てられないわ」
「そ、それは……」
紫玄がぐっと言葉を詰まらせる。
ユエ子様は呆れたようにため息をつく。
けれど、私は本気だった。
紫玄はもう、怒っているのか、悲しんでいるのか、自分でも分からないのだろう。
これほどぐちゃぐちゃに絡まった感情を、今すぐ綺麗な言葉にしろという方が無理な話だ。
「一発殴ってスッキリさせればいいじゃない。話し合いでどうにもならない時は、暴力でさくっと解決しましょう。もちろん、後で戦う時に支障が出ない程度にね」
すると、ユエ子様がやれやれとかぶりを振った。
「まあ、よかろう。三十年も拗らせた師弟喧嘩じゃ。拳ひとつで多少なりとも片がつくなら、安いものよ」
「ゆ、ユエ子様まで……!?」
思わぬ援護射撃に、紫玄が唖然とする。
善はしばらく私とユエ子様を見比べていたけれど、やがて諦めたように肩を竦めた。
「だそうだぜ、紫玄」
ユエ子様が座敷牢の格子の鍵を開けると、善はぬっと立ち上がり、扉をくぐって出てきた。
「……師匠。本当に、よろしいのですか」
目の前に立った紫玄が問えば、善はいつものように口角を吊り上げ、自分の頬を指先で軽く叩いた。
「おう、思い切りやってくれや」
その笑みを見た途端、紫玄の顔がくしゃりと歪んだ。
古蘭も不安そうに兄を見つめている。
やがて紫玄は、ゆっくりと善に近づいた。
「……それがしは」
握りしめた拳が震えていた。
「それがしは、貴方を信じていたのです。羅煌様を壊すはずがないと。何か理由があるはずだと……最後まで、そう信じていた……!」
「あァ」
「なのに貴方は……何も仰らなかった! 余計な詮索をするなと、笑って……!」
善は何も言い返さない。
紫玄が拳を振りかぶった次の瞬間、鈍い音が座敷牢に響いた。
殴り抜かれた善の顔が、横へと弾かれる。
「お師様っ!」
古蘭が思わず声を上げる。
けれど、善は倒れず、よろめきもしなかった。
それを見て、紫玄の何かが決定的に崩壊した。
「——それがしは、貴方を憎みたくなどなかったのです!」
紫玄の頬には、涙が伝っていた。
三十年間溜め込んでいたものが、ようやく堰を切ったようだった。
紫玄はしばらく俯いたまま肩を震わせ、それから乱暴に袖で目元を拭った。
「……カカッ、いい拳になったじゃねェか。昔ァ、腰が入ってねェって何度怒鳴ったか分からなかったがなァ」
切れた口の端を舌で舐め、満足そうに笑う善。
今言うことか、と私は横から口を出してしまいそうになったけれど、すんでのところで飲み込んだ。
紫玄はしばらく息を荒げ、肩を震わせていた。
「どう? 善を殴って、少しはすっきりできた?」
しばらくしたところで、私は紫玄に声をかける。
彼は私の問いかけにしばし考え込んだ後、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「……少しは」
「そう。よかったわ。じゃあ古蘭。ちょっと本体を借りるわね」
「えっ?」
古蘭の返事を待たず、私は彼女が帯に差し込んでいた鉄扇をサッと手に取った。
私の唐突な行動に、ぽかんと口を開けている紫玄と古蘭。
「善。歯を食いしばっておきなさい。私の腕力でも、そこそこの威力は出るはずだから」
「……え? あの、珠希? 珠希さん? なんでそこでアンタまで参加するんだ?」
「アンタの自己満足な自己犠牲に、私がムカついたからよ」
「珠希様!? わ、私の本体でお師様を叩くのですか!?」
「大丈夫、私は貴方たちと違って非力だから」
古蘭の悲鳴を聞き流しながら、私は鉄扇を両手で握った。
善がじり、と後ずさる。
「お、おい。待て待て。紫玄の一発で禊は済んだだろ!?」
「紫玄の分はね。次は私の分よ」
「お前さん、さてはそれが目的だったんじゃねェのか!?」
四の五のやかましい善に、私は問答無用で鉄扇を振り下ろした。
ゴンッ! と、景気のいい音が響く。
「い゛っっっっ!?」
私の振るった鉄扇は、善の頭のてっぺんへ綺麗に叩き込まれた。
善は涙目で頭を抱えて蹲り、古蘭が「あああ……!」とうろたえ、紫玄は口を開けて呆然としている。
「いってェ! お前さん非力じゃなかったのかよ!?」
「道具の使い方が上手いのよ、私は」
「そこで骨董姫の才覚を発揮すんな!」
私はふん、と鼻を鳴らしてから、鉄扇を古蘭へ返した。
「ありがとう、古蘭。とても使いやすかったわ」
「は、はい……それは何よりでございます……?」
受け取った古蘭も、どう反応すればいいのか分からないらしい。
ユエ子様は一連の騒動を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……意外と荒っぽいのじゃな、『骨董姫』とは」
「遊郭あがりですもの。ご勘弁くださいませ」
頭を押さえながら、「うう〜、痛ェ〜……」と呻いている善を、私は真っ直ぐ見返した。
「善。アンタがしようとしたことも、分からないではないわ」
善が頭をさすっていた手を止める。
「仲間たちの最期を、これ以上傷つけたくなかったんでしょう。その気持ちまで否定するつもりはないわ」
「……珠希」
「でも、それとこれとは話が別」
私はぴしゃりと言い切った。
「アンタ自身を粗末にしていい理由にはならないし、アンタを慕ってる人たちの気持ちを無下にしていい理由にもならない」
「う……」
善は返す言葉もないようだった。
きっと、三十年前の善は、それが最善だと思ったのだろう。
羅煌たちの名誉を守るために、自分がすべてを背負えばいい。
自分一人が悪人になれば、それで済むのだと。
けれど、そのせいで傷ついた人たちが、こうして目の前にいる。
「これからは勝手に一人で背負う前に、ちゃんと周りに相談しなさい。少なくとも今のアンタには、主人がいるんだから」
善はしばらく呆然と私の顔を見つめていたけれど、やがて、その灰色の瞳がふっと柔らかく細められた。
「……へェい」
善はどこか照れくさそうに笑って、子供のような返事をした。

