いわくつきの骨董姫

「煙羅。面を上げよ」

 神蔵家の大広間に、老女の低い声が響いた。
 俺は言われたとおり、畳へ伏せていた顔を上げる。
 正面の上座に座っているのは、神蔵家三十四代目当主——神蔵ユエ子。
 白髪をきっちりと結い上げた、小柄な老婆だった。
 その左右には、神蔵家の重鎮や骨董守たちがずらりと並んでいる。
 誰も彼も、俺を見る目に怒りや嫌悪を滲ませていた。
 当然だろう。
 神蔵家が何百年にもわたって守り続けてきた刀を、俺は一夜にして壊したのだから。

「今一度、そなた自身の口から聞こう」

 ユエ子は皺の刻まれた顔を厳しく引き締め、俺を見据える。

「神蔵家が管理していた刀剣三百余振り。そのすべてを破壊したのは、そなたで相違ないか」
「あァ」
「なにゆえ?」
「喧嘩だよ」

 俺は、できるだけ軽く答えた。

「羅煌の野郎とは昔っから反りが合わなくてな。いつものように喧嘩してるうちに頭ァ来て、取り巻きもまとめてぶっ壊した。それだけだ」
「それだけ、だと!?」

 重鎮の一人が怒声を上げた。
 それを皮切りに、他の骨董守たちも次々に喚きだす。

「三百もの付喪神を殺しておいて、それだけとは何事か!」
「かねてより軽薄な奴とは思っていたが、まさかここまで粗暴な愚か者だったとは……!」
「羅煌は神蔵家最強の刀ぞ! その配下も皆、幾度となく骨董守を救ってきた功労者だ! それをくだらぬ諍いで失わせるとは!」
「神蔵家最強の護身具が聞いて呆れる! 恥を知れ、煙羅! この同胞殺しめ!」

 罵声が次々と飛んでくる。
 俺は何も言わなかった。
 言い返すことも、頭を下げることもしなかった。
 ただ、ニヤニヤと不興を煽る笑みを浮かべて、黙って聞いていた。

「静粛にせよ」

 ユエ子がただひと言、言い放つ。
 すると、喚いていた骨董守たちは、水を打ったように静まり返った。

「煙羅。わらわの目を見よ」
 
 言われるまま、俺はユエ子を見る。
 この婆との付き合いも長い。
 彼女が俺の言葉を額面どおりに受け取っていないことは明白だった。

「もう一度問う。本当に、そなた一人の意思でやったのじゃな?」
「あァ」

 ユエ子の鋭い眼光が、俺の奥底を見透かそうとする。

「誰かに頼まれたわけでもなく」
「あァ」
「誰かを庇っているわけでもない、と?」
「しつけェんだよ」

 俺はわざと口角を吊り上げた。

「俺が腹ァ立てて、勝手にぶっ壊した。それだけだ。何度も言わせんな」

 長い沈黙の中、互いに睨み合う。
 先に折れたのは、ユエ子だった。

「……もうよい。もう聞くまい」

 ユエ子は諦めたように息を吐く。
 そして、一層凛々しく険しい面持ちで、言い渡した。
 
「此度の煙羅の行い、到底看過できるものではない。同胞を大量に破壊した煙羅もまた、破壊処分とするのが妥当であろう」

 まァそうなるだろうな、と俺は目を伏せる。
 ところが、ユエ子の話はまだ続いた。

「——されどじゃ。煙羅は長きにわたり、神蔵家の守護を務めてきた。幾度となく骨董守の命を救い、数多の怪異を退け、神蔵家に尽くした功もまた、疑いようのない事実」

 ざわざわ、と広間の空気が動揺に包まれる。
 しかし、ユエ子は構わず続ける。

「ゆえに——此度に限り、破壊処分は免ずる」
「ユエ子様!」

 案の定、重鎮の一人が声を上げた。

「三百もの同胞を破壊するなど、今までにない大罪ですぞ! 本当に、煙羅を許すおつもりですか!?」
「口を挟むな。まだ話の途中じゃ」

 ユエ子の一喝で、再び場が静まった。

「煙羅よ。そなたは神蔵家の管理から外す。今後は神蔵の名を背負うことも、この地へ立ち入ることも許さぬ」

 ユエ子は俺をまっすぐ見据えた。

「喧嘩煙管・煙羅。そなたを神蔵家より永久追放とする」

 予想もしない判決だった。
 俺はしばらく黙ってユエ子を見つめたが、その判断を変えるつもりは一切ないらしい。

「へいへい。謹んでお受けいたしますよっと」

 あえて、ニヤリと笑みを浮かべて、俺は頭を下げた。

 *

 神蔵家から去ると言っても、手荷物はほとんどなかった。
 本体の煙管と、着古した着物、本当にそれくらいだ。
 三十年以上も暮らした場所だというのに、いざ出て行くとなれば呆気ないものだ。
 俺は屋敷を背にして、さっさと歩き出す。

(さて、これからどうしたものか……)

 主人もおらず、行くあてもない。
 神蔵の庇護まで失った以上、この霊体だっていつまで保つか分からない。
 それならそれで、予定より少し遅れて逝くだけだ。

「——師匠!」

 門の手前までやってきたところで、聞き慣れた青年の声が背中から飛んできた。
 足を止めて振り返ると、紫玄がこちらへ駆けてきていた。
 その少し後ろを、古蘭も追いかけてくる。

「師匠、お待ちください……!」

 息を切らせながら俺の前まで来た紫玄は、泣きそうな顔をしていた。
 古蘭も同じだった。
 今にも涙がこぼれそうな目で、俺を見上げている。

「なんでェ。見送りならいらねェぞ」
「違います!」

 紫玄が声を張り上げた。

「最後に……最後に、もう一度だけお聞かせください。本当に……本当に、羅煌様たちを、ただ喧嘩の末に壊されたのですか?」

 予想どおりの質問だった。
 俺はあえて億劫そうな態度で「そう言ってんだろ」と返した。
 しかし、紫玄はやはり頑固にすがりついた。

「嘘です! 師匠が、羅煌様たちを、そんな理由で壊すはずがありません!」

 信頼に満ちた言葉は、思った以上に胸へ刺さった。
 激情を抑えられない紫玄を、古蘭が心配そうに見ている。

「確かに、師匠と羅煌様は、よく争っておられました。ですが……貴方が羅煌様を信頼しておられたことも、羅煌様が貴方に背中を預けていたことも、事実のはず! それに、いくら師匠でも、三百もの刀を相手にして、無傷でいられるはずがない!」

 紫玄は必死だった。
 俺の嘘の穴など、最初から分かっていたのだろう。

「何か……理由があったのでしょう? どうか、本当のことを教えてください……!」
 
 一歩、紫玄が俺へ近づく。 
 声はもうおぼつかないのに、それでも紫玄は、無理やり押し出すように言った。

「私は……貴方を信じたいのです」

 ああ、これだからこの甘ちゃんは。
 こうなるのが分かっていたから、俺は早く出て行きたかったのだ。

「お師様……私からもお願いいたします。どうか……どうか、本当のことをお聞かせください」
 
 紫玄と古蘭は、俺を信じるに違いないから。
 必死に引き止めようとするに決まっているから。
 そうされる前に、そそくさと消えようとしたのだ。
 こうなるくらいなら、責められたほうがずっとマシだった。

「……余計な詮索をすんじゃねェよ」
「え……?」

 二人の顔を見たくなくて、ふっと顔を背けた。 
 同時に、脳裏に羅煌の顔が浮かんだ。
 久しぶりに見た、ひどく穏やかな、解放感に満ちたような笑顔。
 俺は小さく息を吐いた。

「喧嘩して、勢い余って壊した。それでおしまいなんだよ、この話は」

 振り切るようにして歩き出したところで、再び紫玄が涙声で叫んだ。

「貴方は、そんなことをする人ではないでしょう……!? 道具が感情に振り回されるなと我らに教えたのは、貴方じゃないですか!」
「……カカ! 青臭ェうえに女々しい奴だな! まだそんなこと覚えてたのかよ」
 
 紫玄は、それ以上何も言わなかった。
 乱れた呼吸の音だけが、微かに聞こえてくる。

「お前らが信じてたのは、カッコつけたがりのダセェ大人だ。本当の俺は、喧嘩っ早いただの荒くれ野郎だよ」

 だから、お前たちは俺をしっかり憎んでおけ。
 こんな男に師事していたことなど忘れてしまえ。
 ——願いは口にせずに、俺は再び歩き出した。

「お待ちください、師匠!」
「お師様、待って……!」

 紫玄と古蘭はなおも呼び止めようとする。
 それでも、もう二度と振り返るまいと思った。
 振り返れば、何もかも話してしまいそうだった。
 こいつらが信じてくれている俺でいたくなってしまいそうだった。
 けれど、それだけはするわけにはいかない。
 俺はこの真実を、なんとしてでも墓まで持っていかなければならないのだから。