いわくつきの骨董姫

「どうしたの、こんな時間に」
 
 問いかける私に対して、善よりも先にユエ子様が淡々と答えた。
 
「こやつが、どうしてもそなたの茶が飲みたいと言うのでな」
「おうとも。丸一日牢屋にぶち込まれた上に、珠希をお預けされてんだぜ。茶の一杯くらいおねだりしても罰は当たらねェだろうよ」
 
 私は予想だにしなかった返答に、思わず瞬きを繰り返した。
 
「……は? じゃあ、なに? アンタ、私のお茶を飲むためだけに、ユエ子様へ監視を頼んで出てきたの?」
「悪ィな、調査で疲れて早く寝たいだろうに。夜更けじゃねェと都合が悪ィモンで」
 
 善はヘラリと笑いながら頬をかく。
 その隣で、ユエ子様は呆れたような表情で腕組をしていた。
 
「すまんな。落武者と戦うこやつの士気を上げるためじゃ、淹れてやってくれ」
「士気、ですか……」

 お茶の一杯で、士気が上がるものだろうか……と疑問に思ったのは、ほんの一瞬。
 けれど、すぐに思い直した。
 人間からの贈り物に宿った霊力は、付喪神にとってなによりも嬉しいのだと、善は以前言っていた。
 
「……ええ、分かりました。少しお待ちくださいな」
 
 それなら、いつも以上に丁寧に、丹念に淹れてあげるべきだろう。
 夜更けで空気もほんのり肌寒いし、体が温まるよう、熱めに淹れてあげよう。
 私はあれこれと考えながら、茶器とお茶っ葉を用意した。
 
 ほどなくして、急須の中で蒸らされたお茶っ葉が、みずみずしい香りの湯気を立て始める。
 温めた湯のみに注ぎ入れたところで、私たちは四人で縁側に並び、夜風に当たりながらお茶を口にした。

「ほんに美味よのう。わらわもそなたの茶が気に入ったぞ、珠希よ」
「ありがとう存じます」
 
 庭には月明かりが降り注ぎ、夜露の匂いがお茶の香りと混ざり合う。
 古蘭は湯呑みを両手で包み込みながら、おずおずと呟いた。
 
「こんな夜更けにお茶をいただくなんて、初めてです。兄様に怒られてしまいます……」
「じゃあ今夜は特別ね。兄様には秘密よ?」

 私は口の前で人差し指を立て、悪戯っぽく片目をつむる。
 ここぞとばかりに可愛こぶる私に、古蘭は温和な笑みを浮かべながら、
 
「はい、承知いたしました」

 と返した。
 善はそんな私たちのやり取りを眺めながら、静かに茶を啜っていた。
 
「ふう……やっぱ珠希の茶は美味ェなァ。腹の底から温まるぜ」
「とか言いつつ、私をさっきから注視しているのはなに?」
「お月見ならぬ、お嫁見の最中だ」
「……呆れた」
 
 けれど、いつも通りの善の一言を聞いて、私は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

「お師様は……そんなご冗談も仰るようになったのですね」
「あら、前は違ったの?」
「はい。以前は厳しいお方で、お稽古のときは特に容赦がなくて……でもそれは、私たちがいざという時に困らないよう、あえて厳しくしてくださっていたのだと、今は分かります」

 私は「ふーん?」と善のほうを見る。
 すると、彼は「カカ」とだけ笑って、軽くそっぽを向いた。
 多分、照れ隠しだろう。
 
(本当は、他にも聞きたいことが山ほどあるんだけど……)
 
 羅煌との関係、事件の真相、善が何を隠しているのか。
 けれど、ユエ子様も古蘭もいるこの場で、ズバリと切り出すことはできない。
 今はただ、この束の間の静かな時間を味わうしかなかった。

「少し失礼するわね」

 しばらくして、私が立ち上がると、古蘭もそれに合わせて腰を浮かせた。

「いいのよ。古蘭はそのまま座ってて」
「ですが、真夜中ですし、何かあったら……」
「大丈夫よ、すぐそこの厠に行くだけだから」
 
 一応は監視役でもあるからなのか、それとも彼女が単に過保護すぎるのか。
 ピッタリついてこようとする古蘭の肩をそっと押して、彼女を座らせる。
 
「安心して。すぐに戻るし、怪しいこともしないわ」
「あ、怪しいことなんて……! ……分かりました、お気をつけください」
「ええ、ありがとう」
 
 私は軽く会釈をしてから、月明かりの差す庭へと歩き出した。
 庭石や池が淡く輝き、夜風が草木を揺らし、虫の音が静かに響く。
 私は離れから少し歩いたところで立ち止まり、小さく息をついた。

(……やっぱり、善のことを聞きたかったな)

 振り返れば、縁側の明かりがまだ見える。
 もう少しだけ、できれば善と二人きりで話したかった。
 このまま牢に戻すのは、あまりに惜しい。
 私は右手にはめたままのラピスラズリの指輪に触れながら、どうしたものかと思案していた。
 その時だった。

「――三倉殿」

 不意に、男から声を掛けられた。
 生垣の陰から現れたのは、二十代半ばほどの男性の骨董守が二人。
 話した記憶はないけれど、顔を見た記憶はあった。
 ……そうだ、昨日の会合を終えた後に、善を牢に連れていった骨董守たちだ。

「……何かご用ですか?」

 私が少し身構えながら尋ねると、一人がにこりと口角を上げた。

「いえいえ、せっかく桜花郷の花街を賑わせた花魁が来ていると聞いたので」
「少しくらい、お相手をしていただけないかと思って」
「……はあ?」

 ……まさか、こんなところでこんな手合いの奴に遭遇するなんて。
 女の勘というやつで、最初から何となく察していたけれど、それでも本当に当たるとは思わなかった。
 私は無表情を貫いたまま、

「お断りします」

 と、静かに突っぱねた。

「まあ、そんなことを仰らず。こんな狭い離れに追いやられて、貴方もさぞ退屈しておいででしょう」
「あいにく、私は骨董守としてのお仕事で忙しいのです。『大人のお遊び』がしたいなら、いくつかお店を教えて差し上げますけれど」

 包み隠さず言ってやると、彼らは少しだけ動揺したようだった。
 けれど、かえって下心を隠す必要はないと思ったのか、男たちはさらにあからさまな笑みを貼りつけて、一歩近づいた。

「貴方だって、もう何人も男を相手にしてきたんでしょう?」
「今さら一人や二人増えたところで、ねえ?」

 ああ、どんなに時間が経っても、この手の言葉は不愉快なものだ。
 遊郭にいた頃は、何度も浴びせられたというのに。
 怒りよりも先に、彼らへの呆れと軽蔑が勝った。

「そういうことはせめて、私に釣り合う格をお持ちになってから仰ってくださいな。貴方たちのような無粋な方に、元花魁の相手はまだ早くてよ?」

 そうして侮蔑を込めて返すと、それまでにやにやと笑っていた男たちが、見事に硬直した。

「……当主の座についたからって、所詮は情婦でしょう。穢れた体のくせして偉そうに」

 矜恃を傷つけられたのがよほど痛かったのか、かなり強いお返しが来た。
 けれど、こちらはそんな罵詈雑言など慣れているし、痛くも痒くもない。
 さて、どう追い返してやろうか——と、次の言葉を考えていたその時。

「おやめください」
 
 凛とした声を上げ、古蘭が私の前に滑り込む。
 私の帰りが遅いと、心配して来てくれたのだろうか。
 彼女は男たちを見据えて、毅然と言い放った。

「三倉家のご当主たる珠希様に対して無礼です。いくら骨董守様でも、護衛として見過ごす訳には参りません」

 けれど、男たちはなおも、彼女を鼻で笑った。

「君も付喪神のくせに偉そうだな。ユエ子様の命令で護衛をしているだけなのに」
「別に、お前が代わりに相手をしてくれてもいいんだぞ?」
「……っ」

 きゅ、と握りしめられた古蘭の手が、不快そうに震えている。
 それを見て、追い打ちをかける男たち。

「いいじゃないか。人間様のお役に立てるなら、付喪神冥利だろう? 俺たちも退屈しなきゃ付喪神でも構わないぞ」

 あまりに下賎な言葉に、私の中で何かが切れた。

「アンタたち、いい加減になさ――」

 と、口を開いた瞬間。

「相手なら俺がしてやろうか?」

 という低く渋い声が、夜気を裂いた。
 男たちの視線が、私たちの後ろへと向く。
 月明かりの庭を、トントンと軽い足音で歩いてくるのは、善だった。

「お、よく見たらお前ら。カカ、昨日は可愛がってくれてありがとよォ」
「え、煙羅っ……」
「なぜ牢から出ている!?」

 と軽く後ずさりする男たち。
 その歩数分だけ、善は彼らと距離を詰めていく。

「おら、退屈しなきゃ付喪神でも構わねェんだろ? 俺も暇だったんだ、今なら一晩中好きなだけ遊べるぜ? なァ?」

 善は相変わらず手を拘束されたままだけど、まるで檻から出された猛獣のような、恐ろしい迫力があった。
 手が使えなくとも、その顎で彼らの喉を食いちぎってしまえそうだ。

「お、お前……! 人間に危害を加えたら、ユエ子様が……」
「わらわが、何じゃ?」

 さらに――善の後方から、少女の声が聞こえてくる。
 男たちにとっては、何より恐ろしく絶望的な声だったことだろう。

「ゆ、ユエ子様……これは、その……」
「言い訳はよい。大体の察しはつくでな」

 ユエ子様は静かに男たちを見回した。
 小柄な少女の姿なのに、彼女は一瞥するだけで、場の空気を凍りつかせた。
 男たちの顔がみるみる青くなっていく。

「三倉家当主を侮辱し、護衛の付喪神にまで狼藉を働こうとするとは、大したものじゃな。そうやって他の者にも手を出していたのかえ?」
   
 淡々とした声だった。
 けれど、その静けさが却って、男たちをさらに震え上がらせている。
 善は隣で肩を揺らし、「カカ」と愉快そうに笑っていた。

「もう夜更けじゃ、この場で大騒ぎはしとうない。わらわの部屋で待っておれ。わらわが戻るまでいなかったら……その時は、分かっておるな?」
 
 ユエ子様は男たちから目を逸らさないまま、そう告げた。
 男たちは死人のように真っ白な顔をしながら、「は、はい……」と蚊の鳴くような声で返事をした。
 
「では、疾(と)く去るがよい」
 
 二人は転ぶように頭を下げ、その場から逃げるように去っていく。
 しばらくして、元通りの静寂が戻ってくる。
 善が私と古蘭のほうへ向き直りながら尋ねる。

「大丈夫かィ、お二人さん」
「大丈夫よ。助けに入ってくれてありがとう」
「申し訳ございません、お師様。私が護衛としてついていながら、あのような……」
「んにゃ、付喪神の立場でしっかり言い返しただけ、上等だよ」 

 その声音には、先ほどまでの獰猛さは欠片もない。
 いつもどおりの善だった。
 すると、少し間を置いて、今度はユエ子様が私たちに頭を下げた。

「二人とも、すまなかった。彼奴(きゃつ)らに無礼な行いを許してしもうたのは、わらわの失態じゃ。詫びにはならんが、こちらで厳しく処罰するゆえ……」
「ユエ子様! そんな、私にまで……」
「ユエ子様のせいではありませんわ。どうか頭をお下げにならないでください」

 私たちが慌てて止めると、ユエ子様は苦々しい表情をしながらも、頭を上げた。

「大変なもんだねェ、神蔵家の当主ってのも」
「なにを他人事のように……そなたも、彼奴らに何かされたような口ぶりであったが?」
「カカッ」

 どうやら、図星だったらしい。
 けれど、善はわざとらしく口笛を吹いて、それ以上は何も語らなかった。
 ユエ子様は小さく咳払いをした。
 
「さて、煙羅よ。もう十分かえ?」
「おう。珠希の茶はやっぱり美味かった。これで一晩寝床を共にできるなら言うことなしだったんだが……」
「調子に乗るでない、馬鹿者め」
 
 相変わらずの冗談を言う善を見て、私は呆れ半分に笑ってしまう。
 
「……本当に、それだけのために来たの?」
「あァ。デケェ戦の前には、好きなモンで腹を満たしとく。そういうことさね」
「……そう。でも、まだ調べなければいけないことがあるから、どうか早まらないでね」
「あいよ、ご主人様。んじゃ、お休み」
「ええ。……お休み」

 ユエ子様に促されて、善は踵を返す。
 その背中を見て、私はなんだか、不安になった。 
 ——もしかして、善の姿を見