いわくつきの骨董姫

 神蔵家の離れの部屋に戻るなり、私は古蘭を座布団へ座らせ、彼女の乱れた髪を櫛で整えた。
 白檀のような、ほのかに甘い香りを放つ黒髪に触れていると、普段からマメに手入れされているのが分かる。
 私はその髪を丁寧に編んでお団子を作り、不自然に切れた箇所を隠すように固定した。

「これでいいかしら? 切られたところは、これで目立たなくなったと思うけれど……」

 古蘭からもお団子が見えるよう、姿見と手鏡の位置を調節する。
 すると、古蘭は私が結い上げたお団子に触れて、ほう、と感心していた。
 
「さすがのお手並みですね。美容にも余念がないとは」
「そんな大したものじゃないわよ」
 
 古蘭は鏡を見つめたまま、小さく微笑んでいた。
 まるで幼い女の子のような横顔を見ていると、なおさら胸が痛んだ。 

「ごめんなさいね、古蘭。私を庇ったせいで、こんなに切られてしまって」
「心配ございません。霊力が回復すれば、元へ戻りますので」
「そういう問題じゃないのよ」

 またしてもきょとんとする古蘭に、私はあえて真面目な顔をして言い聞かせる。

「せっかく綺麗にしていた髪を切られたら、貴方だって悲しいでしょう?」
「……そう、ですね。全く惜しくないと言えば、嘘になります」

 けれど、と古蘭はなんでもないと言うような微笑みを浮かべた。

「正直、髪が切れたことは、私にとってさほど大きな問題ではないのです。それよりも、珠希様を少しでも危険から守れたことに、安心しております」

 もっとも、最後は助けられてしまいましたが。
 ……と、恥じ入るように俯く古蘭。
 私は彼女を見て、思わずため息をついた。
 善といい、この子といい、どうして付喪神たちは、自分のことにかけてはとことん無頓着なのだろう。
 そんな私の不満を見透かしたように、古蘭はさらに続けた。
 
「私はあくまで道具で、まして身を護る武器ですから。兄様からも、お師様(しさま)——煙羅様からも、人間のために身を呈する覚悟を持つよう、教わってきました。だから、これくらいは本当に何ともありません」
「それは……そうかもしれないけれど」
 
 彼女の価値観を否定するつもりはない。
 彼女も鉄扇の付喪神——人間を守る武器として育てられてきたからこそ、こういった言葉が自然と出てくるのだろう。
 守れたことに安心している、という台詞に、嘘偽りがあるとは思わない。
 ……けれど。

「やっぱり駄目よ。だって、髪は女の命だもの。自分の髪の毛も大事にできないようじゃ、いつかいらない大怪我をするわよ」

 彼女だって、この綺麗な髪を保つために、色々な工夫をしていたはずだ。
 お花の髪飾りまでつけて、とても可愛く仕上がっていたのに、それを私のためにあっさりと犠牲にしてしまうなんて。

「……ふふふっ。こんなに優しく扱ってもらえたのは、初めてかもしれません」

 真剣にお説教をする私に、古蘭はなぜか、少し照れたように笑った。
 そして、私の顔をまっすぐ見て、どこか誓いを立てるように言った。

「分かりました。貴方様がこの髪を気に入ってくださるのなら、私も大事にいたします。次こそは切られることがないように」
「髪だけじゃなくて、心も体もね」
 
 古蘭は結い直された髪へ触れながら、「はい」と返事をした。
 ふう、とひと息ついたところで、私はふとあることを思い出した。
 
「そういえば気になっていたのだけど、羅煌と紫玄は、どういう関係だったの?」
「兄様と、羅煌様、ですか?」
「ええ。紫玄が善に師事していて、善は羅煌とよく喧嘩していた、というところまでは聞いたのだけど……それ以上のことはまだ知らないの」
 
 すると、古蘭は少しだけ目を伏せ、細く静かに息を吐いた。
 
「そうですね……羅煌様は、兄様の憧れの方でした」

 古蘭の声音は、昔を懐かしむような、どこか穏やかなものだった。
 
「羅煌様は神蔵家最強の刀。かたやお師様は神蔵家最強の護身具。武士の道具と、庶民の道具ですから、なかなか反りが合わないようで、よく言い争いをしておられました。兄様なんて、いつも仲裁に駆り出されてしまって……」

 ……なんだか、想像にかたくない気がするのはどうしてだろう。
 特に、羅煌には会ったことすらないのに——二人がボコボコに争っている姿や、間に入って困っている紫玄の姿が、なぜか自然と目に浮かぶ。
 
「でも、実際の戦いになると、お二人はまるで別人でした。言葉を交わさずとも、お互いが次に何をするか分かっているのです。もう何十年も呼吸を合わせてきたかのような、見事な戦いぶりで……見ているだけで、お二人がお互いに信頼しているのが分かるのです」
 
 私は相槌を打ちつつ、過去の善を想像してみる。
 あの洗練された太刀筋と、豪快な拳が繰り出される様は、味方からすると実に頼もしかったことだろう。
 軽薄そうに見えて義理堅い善が、背中を預け、信頼していた相手。
 羅煌はきっと、素晴らしい付喪神だったに違いない。
 
「兄様と私は、お二人の背中を見て育ちました。煙羅様からは戦いを教わり、羅煌様からは心構えを教わったのです。……だから、でしょうね」

 古蘭は自嘲するような、儚げな笑みを浮かべる。
 
「先ほど、落武者に遭遇した時も……兄様に容赦するなと言われたのに、私は肝心なところで怯んでしまった。兄様の動きも、いつもよりぎこちなくて……」

 私の素人目では分からなかったけれど、古蘭も紫玄も、落武者に対して本領を発揮できていなかったらしい。
 紫玄がとても悔しそうな表情をしていたのも頷ける。
 
「三十年前のあの日、例の事件が起きた時も——特に兄様は、誰よりも驚いて、深く悲しんだことでしょう」

 古蘭の声が、暗く沈む。 
 私は黙って、彼女の話に耳を傾けた。
 
「お師様の追放が決まるその日まで、兄様はずっと『煙羅様が羅煌様たちを壊すはずがない』と申しておりました」
「それで、善に会いに行ったのね?」
「はい。私も、兄様について行きました。……きっと、縋るような気持ちだったのだと思います」
 
 ――煙羅様、どうしてですか。
 ——貴方が羅煌様と争う理由など、あるはずがありません。
 ——何か事情がおありなのでしょう。どうか教えてください。
 
 古蘭は、かつての紫玄が紡いだ言葉を、一言一句正確に……手元の本を読み上げるように言った。
 その時のことを、彼女は今もはっきり覚えているのだろう。
 
「けれど、お師様は笑いながら仰ったのです。『余計な詮索はするな』、と」
「……それだけ、だったの?」
「はい」
 
 古蘭は苦々しい表情で頷く。
 
「『喧嘩して、勢い余って壊した。ただそれだけだ』、と……それ以上は、何も教えてくれませんでした。最強と謳われた羅煌様や、配下の刀たちを無傷で壊すなんて、いくらお師様でも無理だと分かるのに」

 喧嘩の弾みで壊してしまったなら、善も反撃を受けて怪我をしていたはず。
 にもかかわらず、善は無傷で、刀たちだけが壊されていた。
 ——確かに、喧嘩の末の(こわ)し合いと断定するのは、無理がある。
  
「以来、兄様はずっと苦しんでおります。神蔵家の一員として、仲間を破壊したお師様を憎まなければいけないのに、どうしても憎みきれなくて……」
 
 善が何も語らなかったから、紫玄も自分で答えを出すしかなかったのだろう。
 それでも、彼は『善が刀たちを壊した』という事実を消化しきれなかった。
 その苦しみは、今や善にぶつけることでしかやり過ごせなくなっている。
 けれど、善はそれすら笑って受け止めるから、彼もどうしていいのか分からないのだ。
 
「兄様も本当は、お師様のことを信じたいのです。きっと、私よりも……誰よりも」
「報われない話ね」

 紫玄は、善を最後まで信じようとした。
 対して、善は最後まで嘘を貫いた。
 真実をすべて自分の中にしまい込んで、弟子の信頼を自ら裏切って。
 ……そこまでして、善は何を隠しているのだろう。
 胸の奥まで侵食するように、大きな疑問が根を下ろしていくのを、私は感じていた。
 ……その時だった。

「……ユエ子様?」

 先に気づいたのは、古蘭だった。
 古蘭が視線を向ける先——縁側の方向へ、私も目を向ける。
 すると、庭の向こうから、人影が二つ近づいてくるのが見えた。
 手前を歩く小柄な人影は、ユエ子様。
 そして、その後ろには。
 
「……善!?」
「おう、珠希。いい月夜だなァ」
 
 両腕を拘束されたまま、いつもの調子で片手をひらひら振る、善の姿があった。