いわくつきの骨董姫

 百丸様に賭けを持ちかけられてから数日後。
 難航するかと思われた私の身請け話は、ことのほかあっさりと進んだ。
 私を身請けさせることを渋りまくっていた楼主を、一体どうやって説得したのか――気になった私は百丸様に聞いてみたけれど、

「なァに、金の力と貿易商の交渉術のなせる技さ」

 としか教えてくれなかった。
 私の身請け金は相場の数倍の額だったらしいので、それも間違いではないのだろう。
 しかし、交渉の場から半泣きで出てきた楼主を見るに、明らかにそれ以外の力も働いていたように思われる。
 もちろん、私はその先をあえて詮索しなかった。


 そして、身請け当日の夕方――花街が夜の顔を見せる頃。
 客が来る前の私室では、ヨネとフクが私の身支度を手伝っていた。
 豪奢な着物に身を包み、唇には笹紅(ささべに)を引き、髪は鼈甲(べっこう)の簪で飾る。
 姿見に映る花魁・玉樟の最後の晴れ姿は、今までで最も華やかだった。

「玉樟姐さん、いよいよですね」
「ええ。いよいよだわ」

 大広間からは酒の香りが漂い、(さかずき)徳利(とっくり)がひっきりなしに音を立てている。
 身請けの瞬間が近づいてきているのだと、ようやく実感が湧いてきた。

「……そんな顔しないで。アンタたちなら、しっかりやっていけるわ。私が教えた子たちだもの」

 目を潤ませている二人の頬を撫で、微笑みかける。
 すると、二人とも我慢の限界に達したのか、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「姐さん……今まで、お世話になりました」
「どうか、百丸様とお幸せに」
「ええ。アンタたちも、追いかけてきなさいね」

 私は二人を抱きしめながら返した。
 私と同様に身売りされてきた彼女たちを、ここに置いていかなければならないのが、とても心苦しい。
 けれど、もう行かなければ。
 さあ、と彼女たちを促した――その時だった。

「! 今、外から叫び声が聞こえた気が……」

 ヨネの言葉を皮切りに、通りを行く人々が騒ぎはじめる。
 酔っ払いの喧嘩……にしては、少し様子がおかしい。

「二人とも、下がってなさいな」

 剣呑な雰囲気に怯える二人を部屋の奥にやって、私は窓の外の様子を伺う。
 外にはいつの間にか人だかりができている。
 その中心に目をこらせば、なにやら(うごめ)く炎のような赤い物体が見えた。

(ボヤ騒ぎ? ……違う、あれは)

 街の灯りに照らされたそれは、よく見ると人の背中のように見える。
 人々が遠巻きに見守る中、赤い背中は通りをうろうろしている。
 首を左右に動かし、「うぅ~」と唸る姿は、迷子の子供のように頼りなかった。
 ふと振り向いたその頭部に、二本の角が見えたとき、

「――え? 鬼……!?」

 と、私はつい声に出してしまった。
 すると、鬼が顔を上げ、私のほうを見た。
 パチッと目が合い、私はほとんど反射的に(あ、まずい)と思った。
 瞬間――赤鬼は渾身の力で跳躍し、人だかりを跳び越え、屋根瓦の上を走ってくる。
 まるで子供が飛び石を軽く飛んでいくように、あっという間に私のいる場所まで迫ってくる。

「え、ちょっ……」

 一連の動作が速すぎて、恐怖を抱くいとまさえなかった。
 赤鬼は障子の外から両手を伸ばすと、私の体を魚のつかみ取りのように捕まえた。

「きゃーっ!」
「姐さぁんっ!!」

 ヨネとフクの悲鳴が、瞬く間に遠ざかっていく。
 私の体が、どんどん建物から引き離されていく。
 赤鬼は私を両手で捕まえたまま、どこかに向かって駆けていた。

「貴方……!」

 なにをするの、と声を上げようとして、すぐにやめた。
 赤鬼の表情が、なんだか困っているように見えたから、怒鳴るのを躊躇ってしまったのだ。
 赤鬼は眉尻を下げた表情のまま、花街の外まで駆け続け、とある橋の上に来たところでようやく停止した。

「よくやったぞ、赤鬼!」

 と、聞き覚えのある声が赤鬼を褒める。
 声がしたほうを見て、私は「げ」と声を上げた。

「久しぶりだなあ、玉樟! 無事でなによりだ」

 声の主は、柿本虎次その人だった。
 薄汚れた着物に、伸びきった無精髭(ぶしょうひげ)、風に乗って漂ってくる、脂ぎった汗の臭い。
 金を振り撒き、幅を利かせていたかつての姿は、今や見る影もない。
 ただ、私を見る気持ちの悪い目つきだけが健在だった。

「アンタ……そこでなにしているの?」
「お前を待っていたんだよ。俺がその赤鬼に、お前を助け出すように命令したんだ」

 赤鬼は柿本のそばに行くと、両手で捕らえていた私をその場にそうっと下ろした。
 そこを柿本がすかさず抱きついてこようとしたので、私はひょいと横に避けた。

「触らないで。大事なお着物が汚れるわ」
「照れるなよぉ、玉樟。女は素直が一番だぞ?」
「これが素直な反応よ。見て分からない?」
「相変わらずツンケンしてるなぁ。そんなところもたまらんが……」

 だめだ、この男。
 完全に玉樟花魁の夢で中毒を起こしている。
 妄想癖も相まって、現実の私との会話がまったく成立していない。

「私、アンタに『助けてほしい』なんてひと言も言ってないけど?」
「言わなくても分かるさ! だから、身請けされる前に俺が助けに来たんだ。さあ、俺と一緒に逃げて、一緒に暮らそう!」

 ……そういう台詞はせめて自分で助けに来たときに言え。
 汚れ役をすべて赤鬼に押しつけておいて、何を威張っているのだ、この頓珍漢(とんちんかん)は。
 あまりにも醜い言い分で、笑えてきてしまう。

「アンタ、それで正義の味方になったつもり? 料金を踏み倒した大馬鹿野郎に、私が惚れてると本気で思っているの?」
「ああ、そうだとも! 俺たちはもう愛し合っているんだ! だから逢うのに金なんて必要ない!
 なのに、あのクソ楼主……俺たちの逢瀬を邪魔しやがって……!」
「……あのね、柿本さん?」

 私は笑みを完全に消し、まっすぐに彼を睨みつけた。
 玉樟花魁ではなく、一人の女として――明確な忌避と嫌悪を示しながら。

「私、何度も言ったわよね。『これは商売。客と遊女の取引だ』って。
 私が愛を売ってあげたのは、アンタが金を払ったから。でも、金が払えないなら、その時点で取引は成立しないの」
「そんなの、本物の愛があれば――」
「愛を語る前にツケを払えって言ってんのよ、豚野郎」

 最も強い語気で柿本を罵倒する。
 壮大な恋愛劇場を遮られて、ようやく柿本の顔が引きつった。

「アンタは勝手に恋に溺れて、勝手に堕ちたのよ。どうして私が一緒に堕ちてやらなきゃならないの?」

 私の中で、沸騰した怒りが一気に噴き出したのを感じた。
 それは、この男に対するものだけではない――今まで蓄積されてきた様々な恨みも混ざった、濁々(だくだく)とした怒りだった。

「私はもう百丸様に賭けると決めたの。消えるならアンタ一人で消えて」

 そう言い放った途端、固まっていた柿本の顔が、化け物のように醜く歪んだ。

「お前、なんて生意気な口をっ……! あんなに貢いでやったのに……!!」
「だから何? 私が売ったのは恋の夢だけ。心を売った覚えはないわ」

 唇をぶるぶる震わせていた柿本が、ついに声を上げて激昂し、私の胸ぐらを掴み上げた。
 橋の欄干(らんかん)に押しつけられ、硬い木材の角が背中にゴリゴリと刺さる。
 獣のような酷い臭いが、鼻をかすめる。

「てめぇ! 男に媚びを売らなきゃ生きていけない分際で、生意気言ってんじゃねぇ! いいから来いって言ってんだよ!!」
「嫌よ。クソ豚野郎と一緒になるくらいなら、死んだほうが百倍マシだわ」
「ッ、この売女(ばいた)がああッ!!」

 柿本の両手が、とうとう私の首にかけられる。
 上半身が、欄干の外側へはみ出す。
 私はとっさに髪に挿していた簪を引き抜き、それを柿本の腕に突き刺した。

「うぎゃあああっ!?」

 という柿本の悲鳴と同時に、私の体が後ろへぐらりと傾く。
 刺された柿本が手を緩めたせいで、私は支えを失ったのだ。

(しまった、どこにも掴まれない――)

 ひっくり返った視界が、夜空を映す。
 橋の上から、私一人だけが引き離されるように落ちていく。
 いつもより早い川の流れが、私を飲み込もうと待ち構えていた。

(え、うそ? 私、死ぬの?)

 虚しく空を切る手。
 遠のく橋。
 迫る水音。

(嫌、あとちょっとだったのに――まだ死にたくな……)

 視界にうっすらと涙がにじんだ、その時――どこからともなく白い煙が舞い上がった。
 同時に、私の手首を、誰かがガシッ! と掴む。
 この無骨な感触を、私は知っていた。

「カカッ、いいねェアンタ! 最高だ!」

 低くしゃがれた、少しクセのある響き――独特な笑い声。
 私は戸惑いながらも、その名を口にする。

「百丸様……?」

 すると、私の声に応えるように、白い煙が瞬く間に人の形を取った。
 浅黒い肌、灰色の髪――煙管をくわえながら、不敵に笑う口。
 まごうことなき、百丸様の姿だった。
 百丸様が、私を抱きかかえていた。