ユエ子様が骨董店を訪ねてきた、その翌日。
私は神蔵家の車で桜花郷へ向かい、そのまま神蔵家本邸へ案内された。
私が門をくぐり抜けた途端、それまで心地よく吹き抜けていた春の風が、ぴたりと止んだ。
「あれが、行方不明だった三倉家のご令嬢……」
「戻ったって噂は本当だったのね……」
「遊女に身をやつしていたとか……」
ひそひそと囁きあう声が聞こえる。
庭師も、女中も、神蔵家に仕える付喪神たちも——その誰もが、一様に私を凝視している。
彼らの視線は私の顔から、私の胸元――御札と布でグルグル巻きにされた煙管へと移る。
「あれは、煙羅殿……!?」
「どうして煙羅が、珠希様の手に……」
「まさか、禁を破って主人を得たというのか……!」
異口同音に『煙羅』という名前を口にする、神蔵家の人々。
彼らの驚きは、私に対するそれとは明らかに異なっていた。
重厚な屋敷の廊下を歩き、案内された先は、本邸の最奥にある大広間だった。
静かに開かれた襖の先には、神蔵家の重鎮と思しき人々が並んでいた。
二十名はいるだろうか——格式高い和装をまとった集団が、私をじっと見据えていた。
(品定めの目、ね)
遊女時代、似たような視線を毎日のように浴びていたのを思い出す。
私はふっと息を整えると、末席に敷かれていた座布団の上に腰を下ろした。
衣擦れの音をできるだけ立てないよう、着物の裾をサッと整える。
(……落ち着け。緊張を悟られるな)
——遊郭で学んだことの一つは、どれほど威圧的な相手を前にしても、臆してはならないということ。
一瞬の怯みは、相手につけ入る隙を与える。
やがて、上座に腰を下ろしたユエ子様が静かに口を開いた。
「皆の衆。この娘こそ、三倉家の正統なる当主じゃ」
幼い少女のものとは思えない、凛とした声が響く。
私はすっと背筋を伸ばし、畳の上に両手を揃えて、深々と頭を下げた。
一拍置いて、私はゆっくりと顔を上げ、一同を見渡す。
「三倉孝蔵の娘、珠希と申します。三倉家当主として、遅ればせながら参上いたしました。以後、お見知り置きくださいますよう、お願い申し上げます」
短く締めくくり、再び頭を垂れる。
私の挨拶が終わったところで、上座のユエ子様が「さて」と静かに口を開いた。
「早速、本題に入ろうか。……起きよ、煙羅」
ユエ子様は私が懐に入れた煙管に、すっと指先を向けた。
煙管に巻かれていた御札の一部が、ピッと独りでに剥がれたかと思うと、ちらりと見えた火皿から、白い煙がゆるりと立ち上った。
煙は畳の上で、徐々に人の形を成していく。
浅黒い肌、灰色の髪、臙脂色の羽織、そして——
「ぐぉぉ……ぐごぉぉ……」
……呆れるほど立派な、大いびき。
格式高い会合の場に登場したのは、両手首を腹の前で縛られたまま、畳の上に堂々と寝転がる、善だった。
緊張していた私の体から、ひゅるんと力が抜けていく。
(普段、いびきなんて一つもかかないくせに……)
この男、初めから喧嘩を売るつもりで、あからさまな狸寝入りを披露している。
案の定、広間の空気は氷点下まで冷え込んだ。
お付の青年は今にも飛びかかりそうな形相で善を睨み、ユエ子様もこめかみを押さえていた。
「……おい、煙羅」
ユエ子様が呼びかけるけれど、善は返事をしない。
ただただ白々しいいびきをかいて、爆睡するふりを続けている。
私は小さくため息をついて、
「……善。そろそろ起きなさい。命令よ」
と軽く告げた。
「んご……んァ?」
やっといびきが止まったかと思うと、善はむくりと起き上がり、「どぁ~ぁあ~……」と聞いているこちらが情けなくなるような大あくびをかいた。
「ハイハイ、お姫さん。起きましたよっと」
布で両手を縛られた、まさに下手人とも言える格好で、善は何事もなかったかのようにあぐらをかく。
ユエ子様は細い目をさらに細めて、善を咎めた。
「煙羅よ、この状況でおどけるな」
「ん〜? 誰のことだィ、そりゃ?」
「そなたは煙羅であろう」
「煙羅は三十年前、アンタらに追放された時に消滅しただろう?」
妙な迫力を帯びたユエ子様に、それでも善は鼻で笑ってみせた。
ユエ子様の目が、じとりと善を見据える。
「ならば『善』よ。そなたが討つべき『いわくつき』の話をしようではないか」
「おいおい、相変わらず上から目線だなァ。それが人に物を頼む態度かよ。……あ、俺は人じゃなくて『物』だったか」
うっかりうっかり、とさらにおどけた調子の善を前に、神蔵家の重鎮たちは眉一つ動かさない。
けれど、その沈黙こそが、彼らの不快感を露骨に物語っていた。
「……紫玄。仔細の説明を」
「はい」
咎めるだけ時間の無駄だと判断したのか、ユエ子様は善を無視して、お付の青年――紫玄に命じた。
「ここ一ヶ月、帝都を徘徊している落武者の怪異について、改めてご報告申し上げます。当該の怪異を起こしている元凶は、かつて神蔵家の管理下にあった、いわくつきの道具――」
ここで紫玄は言葉を切り、火花が散るような鋭い目で、善を睨み据えた。
「そこにいる喧嘩煙管の付喪神・煙羅めが破壊した、刀の付喪神であることが判明しております」
なるほど、そういうことか――私は一人、納得した。
先日、紫玄が叫んだ『貴様のせいだ』という言葉。
あれは落武者という怪異の元凶を生み出した、善に対する恨み節だったのだ。
「怪異は、特に神蔵家の骨董守に異様な執着を見せております。先日も、鎮圧のために近づいた骨董守が一人、殉職しております」
その後の紫玄の報告内容は、要約するとこうだ。
一、不用意に接触しない限り、落武者はただ徘徊するだけで襲撃してこない。
一、ただし、神蔵家の骨董守だけは、積極的に狙って攻撃してくる。
一、戦闘力は極めて高く、護衛につけた付喪神でも歯が立たない。
一、このひと月で、実に十人の骨董守と、それを上回る数の貴重な道具たちが犠牲になっている。
一、幸い、一般の市民に対する害意は認められないが、帝都の不安は限界を迎えつつある。
「まるで幕府時代の辻斬りみてェだな。おっかねェこった」
一通り説明を聞いた善が零す。
ユエ子様は、険しい表情を浮かべて言った。
「帝都の治安維持のために、我らは一刻も早く、事態を収束させねばならぬ。さもなくば、市民の怒りは我ら骨董守と、付喪神たちに向くことであろう。役目を果たすこともままならぬ事態になる」
相手は神蔵家直属の付喪神でも敵わない怪異。
だからこそ、神蔵家は下手人の善に、助力を請わざるを得なかったのだろう。
それこそ、こうして私ごと強制的に連れてこなければならないほど、状況は逼迫しているということだ。
善はユエ子様の言葉を聞いてしばらく黙っていたけれど、やがて、
「つーか、俺ァどうしても一つ突っ込みてェことがあるんだが——」
と言いながら、ユエ子様の傍らの彼に目を向けた。
「紫玄。お前、めちゃくちゃ霊力が弱くなってるじゃねェか」
突然名指しで弱くなったと指摘され、彼の肩がぴくりと震えた。
「前の俺が稽古つけてた頃のほうが、まだ歯応えがあったぜ」
「ぐ……っ!」
紫玄は奥歯を噛み締め、血走ったものすごい目で、善をギラギラ睨んだ。
しかし、彼は現に昨日、庭先で叩きのめされたばかりだ。
善はさらに続けた。
「俺を含め、幕府時代に生まれた連中が弱ってきてるって噂は、どうやら本当らしいな」
広間の空気が、わずかにどよめく。
さらに悔しそうに歯噛みする紫玄。
「当主のユエ子の護衛がこの程度ってことは、神蔵家は今、かなり戦力に困窮してるってこった。精鋭揃いの一倉家も、廃刀令が出てから大幅に戦力を落としたって聞いてる」
善は重鎮たちをぐるりと見回した。
「文明開化の頃から、付喪神は年々霊力を落としてきてる。もちろん、この俺もだが……」
憂いを吐き出すように、善はため息を零す。
――文明開化による、価値観の西洋化。
――廃刀令による、刀剣類の封印。
時代の流れとはいえ、骨董守や付喪神にとって、これらの潮流はかなりの痛手だった。
「ただ、俺ァそれでも、全盛期の八割くらいは維持できてる。そっちはせいぜい六割、下手すりゃ半減ってところだろう」
重鎮たちは互いに視線を交わす。
何かを囁きあっている人たちもいたけれど、善の指摘を否定する声は出てこない。
善はそれを見て、口の端を吊り上げた。
「俺がどうして、霊力をここまで維持できてるか、教えてやろうか?」
重鎮たちの沈黙は、答えを待っているというより、下手人の戯言を聞くような、冷え切ったものだった。
善はそれに肩を竦めつつ、話を続ける。
「知っての通り、付喪神は人間から霊力を分けてもらって生きる。一番効率がいいのは、持ち主を得て、積極的に使われることだ」
善は僅かな体の動きと視線で、私の存在を示す。
「主人に使われ、役目を果たす。その対価として霊力を分けてもらう。付喪神にとっちゃ、これが一番自然で合理的な在り方だ」
私は思わず、懐にしまっていた本体の煙管へ視線を落とした。
善は以前にも、似たようなことを言っていた。
『付喪神ってのァ、人の暮らしのそばでしか生きられねェ』――
あれは彼の思想に限った話ではなく、付喪神という種そのものの話だったのだ。
「だが、持ち主がいなくてもやり方はある。人間社会に紛れて、交流することだ。話す、笑う、働く、喧嘩する——恋に溺れてみるのもいい。とにかく、そうやって大勢の人間と関わっていれば、一人ひとりから少しずつ霊力を分けてもらえる」
善は、どこか嘲るように鼻で笑った。
「俺ァここを追放されてから三十年、人間社会で飯を食ってきた。しがない貿易会社の社長さんに拾われて、そこで働いて、港を飛び回って――そうやって毎日何十人、何百人って人間と顔を合わせてきた。活動を維持する程度の霊力にゃ困らねェ。三徹くらいは朝飯前ってなモンだ」
広間は相変わらず静まり返っている。
「逆に神蔵家はどうだ? 道具を大事に蔵へ囲って、人間との接触を減らし、外へ出すことも滅多にねェ。特定の持ち主がいないどころか、人間とも関われねェ。これで霊力が集まるはずがねェだろう。手入れが十分行き届いていたとしても、内側から腐っていくだけだ」
返答はなかった。
善の言葉を認めたのか、それとも下手人の戯言として切り捨てたのか。
並んだ顔から、その胸中を読み取ることはできない。
ただ一つ確かなのは、彼らの管理下から追放された善が、三十年を強かに生き延びた事実だった。
私は神蔵家の車で桜花郷へ向かい、そのまま神蔵家本邸へ案内された。
私が門をくぐり抜けた途端、それまで心地よく吹き抜けていた春の風が、ぴたりと止んだ。
「あれが、行方不明だった三倉家のご令嬢……」
「戻ったって噂は本当だったのね……」
「遊女に身をやつしていたとか……」
ひそひそと囁きあう声が聞こえる。
庭師も、女中も、神蔵家に仕える付喪神たちも——その誰もが、一様に私を凝視している。
彼らの視線は私の顔から、私の胸元――御札と布でグルグル巻きにされた煙管へと移る。
「あれは、煙羅殿……!?」
「どうして煙羅が、珠希様の手に……」
「まさか、禁を破って主人を得たというのか……!」
異口同音に『煙羅』という名前を口にする、神蔵家の人々。
彼らの驚きは、私に対するそれとは明らかに異なっていた。
重厚な屋敷の廊下を歩き、案内された先は、本邸の最奥にある大広間だった。
静かに開かれた襖の先には、神蔵家の重鎮と思しき人々が並んでいた。
二十名はいるだろうか——格式高い和装をまとった集団が、私をじっと見据えていた。
(品定めの目、ね)
遊女時代、似たような視線を毎日のように浴びていたのを思い出す。
私はふっと息を整えると、末席に敷かれていた座布団の上に腰を下ろした。
衣擦れの音をできるだけ立てないよう、着物の裾をサッと整える。
(……落ち着け。緊張を悟られるな)
——遊郭で学んだことの一つは、どれほど威圧的な相手を前にしても、臆してはならないということ。
一瞬の怯みは、相手につけ入る隙を与える。
やがて、上座に腰を下ろしたユエ子様が静かに口を開いた。
「皆の衆。この娘こそ、三倉家の正統なる当主じゃ」
幼い少女のものとは思えない、凛とした声が響く。
私はすっと背筋を伸ばし、畳の上に両手を揃えて、深々と頭を下げた。
一拍置いて、私はゆっくりと顔を上げ、一同を見渡す。
「三倉孝蔵の娘、珠希と申します。三倉家当主として、遅ればせながら参上いたしました。以後、お見知り置きくださいますよう、お願い申し上げます」
短く締めくくり、再び頭を垂れる。
私の挨拶が終わったところで、上座のユエ子様が「さて」と静かに口を開いた。
「早速、本題に入ろうか。……起きよ、煙羅」
ユエ子様は私が懐に入れた煙管に、すっと指先を向けた。
煙管に巻かれていた御札の一部が、ピッと独りでに剥がれたかと思うと、ちらりと見えた火皿から、白い煙がゆるりと立ち上った。
煙は畳の上で、徐々に人の形を成していく。
浅黒い肌、灰色の髪、臙脂色の羽織、そして——
「ぐぉぉ……ぐごぉぉ……」
……呆れるほど立派な、大いびき。
格式高い会合の場に登場したのは、両手首を腹の前で縛られたまま、畳の上に堂々と寝転がる、善だった。
緊張していた私の体から、ひゅるんと力が抜けていく。
(普段、いびきなんて一つもかかないくせに……)
この男、初めから喧嘩を売るつもりで、あからさまな狸寝入りを披露している。
案の定、広間の空気は氷点下まで冷え込んだ。
お付の青年は今にも飛びかかりそうな形相で善を睨み、ユエ子様もこめかみを押さえていた。
「……おい、煙羅」
ユエ子様が呼びかけるけれど、善は返事をしない。
ただただ白々しいいびきをかいて、爆睡するふりを続けている。
私は小さくため息をついて、
「……善。そろそろ起きなさい。命令よ」
と軽く告げた。
「んご……んァ?」
やっといびきが止まったかと思うと、善はむくりと起き上がり、「どぁ~ぁあ~……」と聞いているこちらが情けなくなるような大あくびをかいた。
「ハイハイ、お姫さん。起きましたよっと」
布で両手を縛られた、まさに下手人とも言える格好で、善は何事もなかったかのようにあぐらをかく。
ユエ子様は細い目をさらに細めて、善を咎めた。
「煙羅よ、この状況でおどけるな」
「ん〜? 誰のことだィ、そりゃ?」
「そなたは煙羅であろう」
「煙羅は三十年前、アンタらに追放された時に消滅しただろう?」
妙な迫力を帯びたユエ子様に、それでも善は鼻で笑ってみせた。
ユエ子様の目が、じとりと善を見据える。
「ならば『善』よ。そなたが討つべき『いわくつき』の話をしようではないか」
「おいおい、相変わらず上から目線だなァ。それが人に物を頼む態度かよ。……あ、俺は人じゃなくて『物』だったか」
うっかりうっかり、とさらにおどけた調子の善を前に、神蔵家の重鎮たちは眉一つ動かさない。
けれど、その沈黙こそが、彼らの不快感を露骨に物語っていた。
「……紫玄。仔細の説明を」
「はい」
咎めるだけ時間の無駄だと判断したのか、ユエ子様は善を無視して、お付の青年――紫玄に命じた。
「ここ一ヶ月、帝都を徘徊している落武者の怪異について、改めてご報告申し上げます。当該の怪異を起こしている元凶は、かつて神蔵家の管理下にあった、いわくつきの道具――」
ここで紫玄は言葉を切り、火花が散るような鋭い目で、善を睨み据えた。
「そこにいる喧嘩煙管の付喪神・煙羅めが破壊した、刀の付喪神であることが判明しております」
なるほど、そういうことか――私は一人、納得した。
先日、紫玄が叫んだ『貴様のせいだ』という言葉。
あれは落武者という怪異の元凶を生み出した、善に対する恨み節だったのだ。
「怪異は、特に神蔵家の骨董守に異様な執着を見せております。先日も、鎮圧のために近づいた骨董守が一人、殉職しております」
その後の紫玄の報告内容は、要約するとこうだ。
一、不用意に接触しない限り、落武者はただ徘徊するだけで襲撃してこない。
一、ただし、神蔵家の骨董守だけは、積極的に狙って攻撃してくる。
一、戦闘力は極めて高く、護衛につけた付喪神でも歯が立たない。
一、このひと月で、実に十人の骨董守と、それを上回る数の貴重な道具たちが犠牲になっている。
一、幸い、一般の市民に対する害意は認められないが、帝都の不安は限界を迎えつつある。
「まるで幕府時代の辻斬りみてェだな。おっかねェこった」
一通り説明を聞いた善が零す。
ユエ子様は、険しい表情を浮かべて言った。
「帝都の治安維持のために、我らは一刻も早く、事態を収束させねばならぬ。さもなくば、市民の怒りは我ら骨董守と、付喪神たちに向くことであろう。役目を果たすこともままならぬ事態になる」
相手は神蔵家直属の付喪神でも敵わない怪異。
だからこそ、神蔵家は下手人の善に、助力を請わざるを得なかったのだろう。
それこそ、こうして私ごと強制的に連れてこなければならないほど、状況は逼迫しているということだ。
善はユエ子様の言葉を聞いてしばらく黙っていたけれど、やがて、
「つーか、俺ァどうしても一つ突っ込みてェことがあるんだが——」
と言いながら、ユエ子様の傍らの彼に目を向けた。
「紫玄。お前、めちゃくちゃ霊力が弱くなってるじゃねェか」
突然名指しで弱くなったと指摘され、彼の肩がぴくりと震えた。
「前の俺が稽古つけてた頃のほうが、まだ歯応えがあったぜ」
「ぐ……っ!」
紫玄は奥歯を噛み締め、血走ったものすごい目で、善をギラギラ睨んだ。
しかし、彼は現に昨日、庭先で叩きのめされたばかりだ。
善はさらに続けた。
「俺を含め、幕府時代に生まれた連中が弱ってきてるって噂は、どうやら本当らしいな」
広間の空気が、わずかにどよめく。
さらに悔しそうに歯噛みする紫玄。
「当主のユエ子の護衛がこの程度ってことは、神蔵家は今、かなり戦力に困窮してるってこった。精鋭揃いの一倉家も、廃刀令が出てから大幅に戦力を落としたって聞いてる」
善は重鎮たちをぐるりと見回した。
「文明開化の頃から、付喪神は年々霊力を落としてきてる。もちろん、この俺もだが……」
憂いを吐き出すように、善はため息を零す。
――文明開化による、価値観の西洋化。
――廃刀令による、刀剣類の封印。
時代の流れとはいえ、骨董守や付喪神にとって、これらの潮流はかなりの痛手だった。
「ただ、俺ァそれでも、全盛期の八割くらいは維持できてる。そっちはせいぜい六割、下手すりゃ半減ってところだろう」
重鎮たちは互いに視線を交わす。
何かを囁きあっている人たちもいたけれど、善の指摘を否定する声は出てこない。
善はそれを見て、口の端を吊り上げた。
「俺がどうして、霊力をここまで維持できてるか、教えてやろうか?」
重鎮たちの沈黙は、答えを待っているというより、下手人の戯言を聞くような、冷え切ったものだった。
善はそれに肩を竦めつつ、話を続ける。
「知っての通り、付喪神は人間から霊力を分けてもらって生きる。一番効率がいいのは、持ち主を得て、積極的に使われることだ」
善は僅かな体の動きと視線で、私の存在を示す。
「主人に使われ、役目を果たす。その対価として霊力を分けてもらう。付喪神にとっちゃ、これが一番自然で合理的な在り方だ」
私は思わず、懐にしまっていた本体の煙管へ視線を落とした。
善は以前にも、似たようなことを言っていた。
『付喪神ってのァ、人の暮らしのそばでしか生きられねェ』――
あれは彼の思想に限った話ではなく、付喪神という種そのものの話だったのだ。
「だが、持ち主がいなくてもやり方はある。人間社会に紛れて、交流することだ。話す、笑う、働く、喧嘩する——恋に溺れてみるのもいい。とにかく、そうやって大勢の人間と関わっていれば、一人ひとりから少しずつ霊力を分けてもらえる」
善は、どこか嘲るように鼻で笑った。
「俺ァここを追放されてから三十年、人間社会で飯を食ってきた。しがない貿易会社の社長さんに拾われて、そこで働いて、港を飛び回って――そうやって毎日何十人、何百人って人間と顔を合わせてきた。活動を維持する程度の霊力にゃ困らねェ。三徹くらいは朝飯前ってなモンだ」
広間は相変わらず静まり返っている。
「逆に神蔵家はどうだ? 道具を大事に蔵へ囲って、人間との接触を減らし、外へ出すことも滅多にねェ。特定の持ち主がいないどころか、人間とも関われねェ。これで霊力が集まるはずがねェだろう。手入れが十分行き届いていたとしても、内側から腐っていくだけだ」
返答はなかった。
善の言葉を認めたのか、それとも下手人の戯言として切り捨てたのか。
並んだ顔から、その胸中を読み取ることはできない。
ただ一つ確かなのは、彼らの管理下から追放された善が、三十年を強かに生き延びた事実だった。

