千年前の朝廷に仕えた、最初の骨董守を祖とする一族・神蔵家。
骨董守たちを束ねる侯爵家であり、三倉家もまた、その傘下に属している。
私は来訪した神蔵ユエ子様を、建物の客間へと案内した。
「申し訳ございません。大したおもてなしもできませんが……」
私はお茶を差し出しながら、ユエ子様にお詫びを言う。
今や三倉家は、叔父が起こした一連の不祥事のせいで、すでに爵位を剥奪されている。
父の代なら、もう少しまともな迎え方ができたのだろうと思うと、居たたまれない気持ちだった。
「かまわぬ。こちらこそ、突然訪問してすまなんだ」
ユエ子様は、ぬいぐるみのように壱丸を撫でながら答えた。
「三倉家の正統な当主が戻ったと聞いたのでな、ひと目会うべきかと思うて、ここを訪ねた次第じゃ」
「それは、ご足労をおかけしました。本来であれば、こちらからご挨拶に伺うべきですのに……」
「よい。それより、先日は鴨谷の起こした、いわくつきの騒動を収めたそうじゃな。屏風も無事取り戻したと聞いておる。骨董守として、よき働きをしておるのう」
「お褒めに預かり光栄に存じます」
私は丁寧に頭を下げる。
少し間をおいて顔を上げると、ユエ子様は満足そうに笑っていた。
「さて……挨拶はこれくらいにしておこう。今日はもう一つ用事があってな」
「と、仰いますと?」
「そなたの伴侶たる男に会いとうてな」
にこりとした笑顔を崩さないユエ子様。
傍らを見やれば、少し険しい顔をしたお付きの青年。
明確に空気が変わったのを察知したのか、壱丸が私のそばに戻ってくる。
「……失礼ながら、どのようなご用件でしょうか? 彼を、あの喧嘩煙管を所有しているのは、私です」
ユエ子様が訪ねているのは、社長としての善ではなく、付喪神としての善のはず。
それならば、まずは主人である私に用件を教えてほしい。
暗にそう伝えると、ユエ子様は、
「……ほう?」
と、ただひと言だけ呟いた。
けれどその声音は、それまでの会話にはなかった、明確な重みを持っている。
柔らかく細められていた彼女の目が、ほんの少しだけ開いた。
「そなた、あの男が付喪神じゃと認知しておるのじゃな?」
「はい」
私が頷くと、ユエ子様は小さく鼻で笑った。
私に対する嘲笑、ではなかった。
おそらくこれは――今、この場にいない善に対して向けられたもの。
呆れと苛立ちが混じったような、毒のある笑みだった。
「人間のふりをしておったかと思えば、道具として主人を得ておったのか。……あの愚か者め」
不快そうに口元を歪めるユエ子様。
その声音には、軽蔑とも、呆れともつかない感情が滲んでいる。
私はその様子を、静かに観察していた。
(ユエ子様は、善に好意的ではないのね。そばにいる彼もおそらく同じ……)
――一体、善と神蔵家の間に、どんな関係があるのだろう。
――善は、彼らに何かしたのだろうか。
――神蔵家は、善の何を知っているのだろうか。
気になることばかりだけど、今はまだ、下手に口を挟んでいい状況ではなかった。
「ただいまァ!」
不意に、いつもの聞き慣れた声と共に、玄関の引き戸がガラッ! と景気よく開いた。
「珠希ィ? なんか表にデケェ車があったけど、誰か来て――」
会社の仕事から戻った善が、紙袋を片手に襖を開けた。
途端、その場の顔ぶれを見た彼の言葉が、途切れる。
「久しいのう。思ったより元気そうじゃ」
灰色の瞳で見つめる善に、ユエ子様が、憎らしげな声音で挨拶する。
「あんれまァ……。誰かと思えば、ユエ子かィ。ついこないだまで嫌みったらしい婆だったってのに、もうこんなピチピチの美少女になっちまって……」
「三十年も経てばな。あとおぬし、女に対して失礼じゃぞ」
「ちょっと待って、善。私にも分かるように説明して」
わけの分からない二人のやり取りに、私は早速頭が混乱しそうだった。
善はそんな私を見て、くつくつと喉を鳴らす。
「神蔵家の当主・神蔵ユエ子は、千年前から国に仕えてきたいにしえの術師でな。初代・ユエ子の時から、記憶を保持したまま、転生を繰り返してんだ。見た目はチビッコでも、中身は千歳の婆ってことさね」
「……言葉が過ぎるぞ、煙羅!」
お付きの青年が、善に向かって怒声を浴びせる。
私は耳慣れない呼び名を、そのまま善に向かって投げかけた。
「煙羅、って……?」
「前の俺の名だ。とっくの昔に捨てたがな」
「恨めしいのう。三十年前にわらわ自身が追放した名を、また口にすることになろうとは」
上品な笑顔は保ちつつも、忌々しげに毒を吐くユエ子様。
私は、二人のやり取りから、衝撃の事実を察してしまった。
「……まさかアンタ、元々は神蔵家の付喪神だったの!?」
「そーいうこった。ちなみに、そっちの腰巾着は俺の元弟子な」
「黙れ! 下手人に堕ちた貴様が師を気取るな!」
ニヤニヤと指さす善に、またも怒号を飛ばす青年。
善は肩をすくめ、飄々とした態度でユエ子様を見下ろした。
「今更何しに来てンだィ。わざわざ俺を咎めにここまで来たってか?」
「その逆じゃ」
ユエ子様は即座に否定し、細めた目で善を見据えた。
「そなたに名誉挽回の機会を与えてやろう」
「……あン?」
ここで、善から初めて笑みが消える。
代わりに浮かべたのは、片眉をクッと吊り上げた、訝るような表情だった。
「桜花郷でこの頃、おかしな事件が起きておってな。なんと落武者の霊が徘徊しているのじゃ。噂くらいは聞いておろう?」
「……さてねェ、どうだったか」
落武者。
なんとも物々しい響きに、思わず私も耳を傾けてしまう。
「これの正体がどうやら、いわくつきの刀の付喪神のようでな。夜な夜な帝都のあちこちを徘徊するから、市民は不気味で眠れんと震えておる」
「……まさかとは思うが、俺にそいつの相手をさせようって腹じゃァねェだろうな?」
「そのまさかじゃ」
ユエ子様は静かに頷く。
「そなたなら、刀剣の付喪神の相手として申し分なかろう。のう、煙羅よ?」
ユエ子様が言った瞬間、善がまとっていた空気が、一瞬で凍り付いた。
彼の横顔は笑ってこそいたけれど――横から見ている私でも分かるほど、戦慄していた。
「……カカ。性格終わってンな、アンタ。悪趣味で反吐が出るぜ」
灰色の瞳で、ユエ子様を睨む善。
ここで、ユエ子様の側でじっと耐えるように黙っていた青年が、
「黙れ、下手人め……っ!」
と、たまりかねたように唸った。
青年はぬっ、と立ち上がると、
「この状況を誰のせいだと思っている!! 貴様があの日、『あんなこと』をしなければ……!」
と、ついに明確に罵声を上げた。
感情をむき出しにした彼を、ユエ子様はあえて止めない。
青年は腰に提げていた棒状の武器――十手を勢いよく引き抜き、その鉤の先を善へ向けた。
「全部貴様のせいだ! 煙羅ぁっ!!」
青年の足が畳を蹴り、一気に善の懐へ踏み込む。
鈍く光る十手が、一直線に善の胸元を狙った。
しかし。
「おっとォ!」
善は手の中にあった煙管を軽く持ち上げるだけで、その一撃を受け流してしまった。
そのまま、青年の十手と善の煙管が打ち合いを始め、金属同士が激しくぶつかり合う音が客間に響く。
壱丸は「危ないです、珠希さまっ!」と叫び、彼らと私を隔てるように立った。
「おいおい、十手の付喪神がそんなに荒っぽいことしていいのかィ?」
「黙れ!」
青年が二撃、三撃と間髪入れずに十手を振るう。
善は笑みを浮かべたまま、その全てを紙一重でかわしていく。
やがて二人は店先から離れ、いつの間にか庭先へと場所を移していた。
――私を巻き込まないためだ。
そう気づいた時には、善はすでに青年を中庭へ誘導し終えていた。
青年がより一層、激しく踏み込む。
「『殺すつもりで来い』と言ったのは、貴様のほうだ!」
十手と煙管が火花を散らす。
幾度となく金属音がぶつかり合う。
一方的な攻防を繰り返しているうちに、
「捕った!」
と、青年の十手の鉤が、善の煙管へ絡みついた。
私は思わず息を呑んだけれど――善はここで、あっさりと煙管から手を放した。
「な――」
十手が絡め取ったのは、ただの鉄の煙管だけ。
前傾して勢いづいていた青年が、目を見開く。
そして次の瞬間には、既に善が青年の懐へ潜り込んでいた。
「がっ、は……!」
鈍い音とともに、善の拳が青年のみぞおちへ深くめり込む。
青年の身体はくの字に折れ、そのまま数歩よろめいた。
善は地面へ転がった煙管を拾い上げて肩に担ぐと、
「こちとら荒事まみれの喧嘩煙管だぞ。十手ごときが正攻法で勝てると思うな」
と、冷たく言い放った。
……人間だけでなく、同じ付喪神に対しても、この強さ。
改めて、善が付喪神でも別格であることを見せつけられたようだった。
「やはり、格が違うか」
ここで、戦況を黙って見守っていたユエ子様は、小さく息を吐いた。
――腕が立つことすら腹立たしい。
そんな本音が聞こえてきそうだった。
「やれ、仕方ない」
ユエ子様はそう言って、静かに右手を掲げる。
二本の指を揃え、彼女はピンと印を結んだ。
すると――庭先に立っていた善の身体が、ぐらりと揺れた。
「善っ!」
善は突然、糸が切れた人形のように、膝をついて前に倒れ込んだ。
「善、しっかりなさい!」
「しゃちょー!」
私と壱丸は同時に駆け寄る。
慌てて善の身体を仰向けに返すと、灰色の瞳が虚空を映したまま、焦点を失っていた。
呼吸はある、けれど、頬を叩いても反応が返ってこない。
まるで、意識だけが唐突に吹き飛ばされたようだった。
「申し訳ありませぬ、ユエ子様……」
「よい」
悔しげに頭を垂れる青年に、ユエ子様は淡々と返した。
「こやつの力が、なお健在であった。それだけのことじゃ。……まったく。手こずらせおって」
ユエ子様が、倒れ込んだ善に歩み寄る。
その視線は、善の手からこぼれ落ちた鉄の煙管へ向いていた。
私は咄嗟に煙管を拾い上げ、そのまま胸元へ抱き寄せる。
すると、ユエ子様の足はぴたりと止まった。
「そう睨むな。その煙管をしばし借りるだけじゃ。三倉の娘よ」
「お言葉ですが、今のやり取りを拝見したあとでは、承服いたしかねます」
私は煙管を抱く手に力を込め、ユエ子様をまっすぐ見据えた。
「かつて彼が神蔵家の所有物だったとしても、今の持ち主はこの私です。十分なご説明もなく、彼をお貸しすることはできません」
ユエ子様はそんな私を、真っ直ぐ見据えていた。
「そなたが関与することではない。仔細は知らぬほうが身のためじゃぞ」
「無用の気遣いにございます。それに、持ち主の私には、彼の過去を知る権利もございましょう」
善が神蔵家を追放された理由。
『下手人』と呼ばれた理由。
そのすべてが、今のこの状況に繋がっているというのなら。
「なぜ、彼を連れて行こうとなさるのですか。私の付喪神が、過去に何をしたというのですか」
どんな事実であろうと、私は受け止める必要がある。
覚悟を伝えるように、私はユエ子様に問いかけた。
しばしの沈黙が流れる中、夕方の風が私の頬をざらりと撫でた。
「……どうか、お答え願います。ユエ子様」
私を見つめていたユエ子様は、やがて静かに目を閉じた。
「……確かに、いささか横暴であったな。非礼を詫びよう、三倉の娘よ」
そして、ゆっくりと口を開いた。
「その喧嘩煙管の付喪神は、三十年前――神蔵家が管理しておった刀の付喪神を、ことごとく破壊してくれた」
「……え?」
瞬間、頭の中が真っ白になる。
何を言われたのか、すぐに理解できなかった。
ユエ子様は、感情を交えない声で、淡々と突きつけるように告げた。
「付喪神殺し――それが、そやつの犯した罪じゃ」
骨董守たちを束ねる侯爵家であり、三倉家もまた、その傘下に属している。
私は来訪した神蔵ユエ子様を、建物の客間へと案内した。
「申し訳ございません。大したおもてなしもできませんが……」
私はお茶を差し出しながら、ユエ子様にお詫びを言う。
今や三倉家は、叔父が起こした一連の不祥事のせいで、すでに爵位を剥奪されている。
父の代なら、もう少しまともな迎え方ができたのだろうと思うと、居たたまれない気持ちだった。
「かまわぬ。こちらこそ、突然訪問してすまなんだ」
ユエ子様は、ぬいぐるみのように壱丸を撫でながら答えた。
「三倉家の正統な当主が戻ったと聞いたのでな、ひと目会うべきかと思うて、ここを訪ねた次第じゃ」
「それは、ご足労をおかけしました。本来であれば、こちらからご挨拶に伺うべきですのに……」
「よい。それより、先日は鴨谷の起こした、いわくつきの騒動を収めたそうじゃな。屏風も無事取り戻したと聞いておる。骨董守として、よき働きをしておるのう」
「お褒めに預かり光栄に存じます」
私は丁寧に頭を下げる。
少し間をおいて顔を上げると、ユエ子様は満足そうに笑っていた。
「さて……挨拶はこれくらいにしておこう。今日はもう一つ用事があってな」
「と、仰いますと?」
「そなたの伴侶たる男に会いとうてな」
にこりとした笑顔を崩さないユエ子様。
傍らを見やれば、少し険しい顔をしたお付きの青年。
明確に空気が変わったのを察知したのか、壱丸が私のそばに戻ってくる。
「……失礼ながら、どのようなご用件でしょうか? 彼を、あの喧嘩煙管を所有しているのは、私です」
ユエ子様が訪ねているのは、社長としての善ではなく、付喪神としての善のはず。
それならば、まずは主人である私に用件を教えてほしい。
暗にそう伝えると、ユエ子様は、
「……ほう?」
と、ただひと言だけ呟いた。
けれどその声音は、それまでの会話にはなかった、明確な重みを持っている。
柔らかく細められていた彼女の目が、ほんの少しだけ開いた。
「そなた、あの男が付喪神じゃと認知しておるのじゃな?」
「はい」
私が頷くと、ユエ子様は小さく鼻で笑った。
私に対する嘲笑、ではなかった。
おそらくこれは――今、この場にいない善に対して向けられたもの。
呆れと苛立ちが混じったような、毒のある笑みだった。
「人間のふりをしておったかと思えば、道具として主人を得ておったのか。……あの愚か者め」
不快そうに口元を歪めるユエ子様。
その声音には、軽蔑とも、呆れともつかない感情が滲んでいる。
私はその様子を、静かに観察していた。
(ユエ子様は、善に好意的ではないのね。そばにいる彼もおそらく同じ……)
――一体、善と神蔵家の間に、どんな関係があるのだろう。
――善は、彼らに何かしたのだろうか。
――神蔵家は、善の何を知っているのだろうか。
気になることばかりだけど、今はまだ、下手に口を挟んでいい状況ではなかった。
「ただいまァ!」
不意に、いつもの聞き慣れた声と共に、玄関の引き戸がガラッ! と景気よく開いた。
「珠希ィ? なんか表にデケェ車があったけど、誰か来て――」
会社の仕事から戻った善が、紙袋を片手に襖を開けた。
途端、その場の顔ぶれを見た彼の言葉が、途切れる。
「久しいのう。思ったより元気そうじゃ」
灰色の瞳で見つめる善に、ユエ子様が、憎らしげな声音で挨拶する。
「あんれまァ……。誰かと思えば、ユエ子かィ。ついこないだまで嫌みったらしい婆だったってのに、もうこんなピチピチの美少女になっちまって……」
「三十年も経てばな。あとおぬし、女に対して失礼じゃぞ」
「ちょっと待って、善。私にも分かるように説明して」
わけの分からない二人のやり取りに、私は早速頭が混乱しそうだった。
善はそんな私を見て、くつくつと喉を鳴らす。
「神蔵家の当主・神蔵ユエ子は、千年前から国に仕えてきたいにしえの術師でな。初代・ユエ子の時から、記憶を保持したまま、転生を繰り返してんだ。見た目はチビッコでも、中身は千歳の婆ってことさね」
「……言葉が過ぎるぞ、煙羅!」
お付きの青年が、善に向かって怒声を浴びせる。
私は耳慣れない呼び名を、そのまま善に向かって投げかけた。
「煙羅、って……?」
「前の俺の名だ。とっくの昔に捨てたがな」
「恨めしいのう。三十年前にわらわ自身が追放した名を、また口にすることになろうとは」
上品な笑顔は保ちつつも、忌々しげに毒を吐くユエ子様。
私は、二人のやり取りから、衝撃の事実を察してしまった。
「……まさかアンタ、元々は神蔵家の付喪神だったの!?」
「そーいうこった。ちなみに、そっちの腰巾着は俺の元弟子な」
「黙れ! 下手人に堕ちた貴様が師を気取るな!」
ニヤニヤと指さす善に、またも怒号を飛ばす青年。
善は肩をすくめ、飄々とした態度でユエ子様を見下ろした。
「今更何しに来てンだィ。わざわざ俺を咎めにここまで来たってか?」
「その逆じゃ」
ユエ子様は即座に否定し、細めた目で善を見据えた。
「そなたに名誉挽回の機会を与えてやろう」
「……あン?」
ここで、善から初めて笑みが消える。
代わりに浮かべたのは、片眉をクッと吊り上げた、訝るような表情だった。
「桜花郷でこの頃、おかしな事件が起きておってな。なんと落武者の霊が徘徊しているのじゃ。噂くらいは聞いておろう?」
「……さてねェ、どうだったか」
落武者。
なんとも物々しい響きに、思わず私も耳を傾けてしまう。
「これの正体がどうやら、いわくつきの刀の付喪神のようでな。夜な夜な帝都のあちこちを徘徊するから、市民は不気味で眠れんと震えておる」
「……まさかとは思うが、俺にそいつの相手をさせようって腹じゃァねェだろうな?」
「そのまさかじゃ」
ユエ子様は静かに頷く。
「そなたなら、刀剣の付喪神の相手として申し分なかろう。のう、煙羅よ?」
ユエ子様が言った瞬間、善がまとっていた空気が、一瞬で凍り付いた。
彼の横顔は笑ってこそいたけれど――横から見ている私でも分かるほど、戦慄していた。
「……カカ。性格終わってンな、アンタ。悪趣味で反吐が出るぜ」
灰色の瞳で、ユエ子様を睨む善。
ここで、ユエ子様の側でじっと耐えるように黙っていた青年が、
「黙れ、下手人め……っ!」
と、たまりかねたように唸った。
青年はぬっ、と立ち上がると、
「この状況を誰のせいだと思っている!! 貴様があの日、『あんなこと』をしなければ……!」
と、ついに明確に罵声を上げた。
感情をむき出しにした彼を、ユエ子様はあえて止めない。
青年は腰に提げていた棒状の武器――十手を勢いよく引き抜き、その鉤の先を善へ向けた。
「全部貴様のせいだ! 煙羅ぁっ!!」
青年の足が畳を蹴り、一気に善の懐へ踏み込む。
鈍く光る十手が、一直線に善の胸元を狙った。
しかし。
「おっとォ!」
善は手の中にあった煙管を軽く持ち上げるだけで、その一撃を受け流してしまった。
そのまま、青年の十手と善の煙管が打ち合いを始め、金属同士が激しくぶつかり合う音が客間に響く。
壱丸は「危ないです、珠希さまっ!」と叫び、彼らと私を隔てるように立った。
「おいおい、十手の付喪神がそんなに荒っぽいことしていいのかィ?」
「黙れ!」
青年が二撃、三撃と間髪入れずに十手を振るう。
善は笑みを浮かべたまま、その全てを紙一重でかわしていく。
やがて二人は店先から離れ、いつの間にか庭先へと場所を移していた。
――私を巻き込まないためだ。
そう気づいた時には、善はすでに青年を中庭へ誘導し終えていた。
青年がより一層、激しく踏み込む。
「『殺すつもりで来い』と言ったのは、貴様のほうだ!」
十手と煙管が火花を散らす。
幾度となく金属音がぶつかり合う。
一方的な攻防を繰り返しているうちに、
「捕った!」
と、青年の十手の鉤が、善の煙管へ絡みついた。
私は思わず息を呑んだけれど――善はここで、あっさりと煙管から手を放した。
「な――」
十手が絡め取ったのは、ただの鉄の煙管だけ。
前傾して勢いづいていた青年が、目を見開く。
そして次の瞬間には、既に善が青年の懐へ潜り込んでいた。
「がっ、は……!」
鈍い音とともに、善の拳が青年のみぞおちへ深くめり込む。
青年の身体はくの字に折れ、そのまま数歩よろめいた。
善は地面へ転がった煙管を拾い上げて肩に担ぐと、
「こちとら荒事まみれの喧嘩煙管だぞ。十手ごときが正攻法で勝てると思うな」
と、冷たく言い放った。
……人間だけでなく、同じ付喪神に対しても、この強さ。
改めて、善が付喪神でも別格であることを見せつけられたようだった。
「やはり、格が違うか」
ここで、戦況を黙って見守っていたユエ子様は、小さく息を吐いた。
――腕が立つことすら腹立たしい。
そんな本音が聞こえてきそうだった。
「やれ、仕方ない」
ユエ子様はそう言って、静かに右手を掲げる。
二本の指を揃え、彼女はピンと印を結んだ。
すると――庭先に立っていた善の身体が、ぐらりと揺れた。
「善っ!」
善は突然、糸が切れた人形のように、膝をついて前に倒れ込んだ。
「善、しっかりなさい!」
「しゃちょー!」
私と壱丸は同時に駆け寄る。
慌てて善の身体を仰向けに返すと、灰色の瞳が虚空を映したまま、焦点を失っていた。
呼吸はある、けれど、頬を叩いても反応が返ってこない。
まるで、意識だけが唐突に吹き飛ばされたようだった。
「申し訳ありませぬ、ユエ子様……」
「よい」
悔しげに頭を垂れる青年に、ユエ子様は淡々と返した。
「こやつの力が、なお健在であった。それだけのことじゃ。……まったく。手こずらせおって」
ユエ子様が、倒れ込んだ善に歩み寄る。
その視線は、善の手からこぼれ落ちた鉄の煙管へ向いていた。
私は咄嗟に煙管を拾い上げ、そのまま胸元へ抱き寄せる。
すると、ユエ子様の足はぴたりと止まった。
「そう睨むな。その煙管をしばし借りるだけじゃ。三倉の娘よ」
「お言葉ですが、今のやり取りを拝見したあとでは、承服いたしかねます」
私は煙管を抱く手に力を込め、ユエ子様をまっすぐ見据えた。
「かつて彼が神蔵家の所有物だったとしても、今の持ち主はこの私です。十分なご説明もなく、彼をお貸しすることはできません」
ユエ子様はそんな私を、真っ直ぐ見据えていた。
「そなたが関与することではない。仔細は知らぬほうが身のためじゃぞ」
「無用の気遣いにございます。それに、持ち主の私には、彼の過去を知る権利もございましょう」
善が神蔵家を追放された理由。
『下手人』と呼ばれた理由。
そのすべてが、今のこの状況に繋がっているというのなら。
「なぜ、彼を連れて行こうとなさるのですか。私の付喪神が、過去に何をしたというのですか」
どんな事実であろうと、私は受け止める必要がある。
覚悟を伝えるように、私はユエ子様に問いかけた。
しばしの沈黙が流れる中、夕方の風が私の頬をざらりと撫でた。
「……どうか、お答え願います。ユエ子様」
私を見つめていたユエ子様は、やがて静かに目を閉じた。
「……確かに、いささか横暴であったな。非礼を詫びよう、三倉の娘よ」
そして、ゆっくりと口を開いた。
「その喧嘩煙管の付喪神は、三十年前――神蔵家が管理しておった刀の付喪神を、ことごとく破壊してくれた」
「……え?」
瞬間、頭の中が真っ白になる。
何を言われたのか、すぐに理解できなかった。
ユエ子様は、感情を交えない声で、淡々と突きつけるように告げた。
「付喪神殺し――それが、そやつの犯した罪じゃ」

