「少し高いわね……。ああでも、とても素敵なつげ櫛だわ」
夕方の陽射しが店先に差し込み、棚に並ぶ茶碗や硝子細工をほんのり橙色に照らしている。
店内では、四十代ほどの上品なご婦人が、一本のつげ櫛を前に唸っていた。
——『三倉骨董店』。
看板にはそう書いてあるけれど、実際は骨董品以外も多く取り扱う『古物商』だ。
この店は、美術的価値の高い品から、日常に寄り添う品まで、幅広く売っている。
「私も女学生の頃に、こんな可愛らしいつげ櫛を持っていたのよね。なんだか懐かしいわ」
今、ご婦人が手にしているつげ櫛は、作られてかなり時間を経ているけれど、状態はとてもいい。
彫られた模様も美しく、歯も一本一本きれいに揃っていたので、少しお高めに価格を設定したのだ。
ご婦人から見つめられて、つげ櫛もまんざらではないらしい。
私の耳に、照れくさそうな笑い声が響く。
《この人の髪、くるくる巻いてて、とっても素敵だわ。私、この人の髪を梳いてみたい。もっとつやつやにできそうな気がする》
内気な子どもが、勇気を絞って訴えるかのような、健気でいじらしい声。
私は思わず微笑んだ。
「もしよろしければ、あと二十銭ほどお安くいたしましょうか?」
「まあ、いいの?」
「ええ。この子も、お客様のところへ行きたいようですから」
つげ櫛の気持ちをさりげなく伝えると、ご婦人は少しきょとんとしてから、くすくすと上品に笑った。
「ふふっ、不思議なお店ですのね。それなら、この子をいただこうかしら」
「ありがとうございます」
ご婦人は購入した櫛を大切そうに胸へ抱くと、私に向かって小さく会釈をした。
店の看板犬である白黒模様の子犬――壱丸が、店を去っていくご婦人に「わんっ!」と一声かける。
「あらあら、お見送りありがとうね、ワンちゃん」
手を振るご婦人の背中が見えなくなってから、壱丸は私の足元へ戻ってきた。
「あのつげ櫛さん、よかったですね! あの人がお店に入ってから、ずっとそわそわしてましたよ!」
看板犬――もとい、犬張子の付喪神・壱丸は、尻尾をぶんぶん振りながら、満面の笑顔で話した。
物を大切にしてくれる人へ、ぴったりの品を送り出す、人も物も幸せにするためのお店。
それが、物の声を聞く私ならではの商いだった。
――叔父が采配をふるっていた三倉財閥が解体されたその後。
三倉家当主の座に就いた私は、善が使っていた住まいを改装して骨董店を営んでいた。
建物いっぱいに住み着いていたモノダマたちは今、順番にお客さんのもとへ迎えられて、新しい道を歩み始めている。
「また値引きしたの、珠希様? あんまりやると利益がなくなるわよ?」
お客さんがいなくなったのを見計らって、奥に控えていた白い洋服の少女・アリエッタが顔を出す。
いわくつきの品――『虚飾の鏡』の付喪神・アリエッタは、叔父との決着以降、この家に定住していた。
私は帳簿を開きながら、彼女に笑いかけた。
「いいのよ。この店は商売のためというより、物たちのための場所だから」
「珠希さまらしいお店ですねえ」
古くからの親戚のようなことを言いながら、壱丸は前脚を帳台に置いて、私の手元を覗き込んだ。
「社長さんの呆れ顔が目に浮かぶわね」
アリエッタの言う『社長さん』とは、言うまでもなく善のことだ。
確かに、一流の貿易商として活躍する彼からすれば、利益度外視の呆れた商売だろう。
でも、最後にはきっと笑って許してくれる。
善も私と同じで、モノダマたちを大切に想っているはずだから。
「うちは善が資金繰りしてるおかげで、財政が安定してるのよ。これくらいの値引きで損はしないわ」
「そうなの? 確かに、かなりの額があるみたいだけど……」
資金繰りだけではない。
この骨董店は、善の会社の傘下で手厚い支援を受けている。
骨董店の仕事は私が担う一方で、人脈や物流面は善の力を借りている状況だ。
「この前、お店の帳簿と会社の決算書を見比べてみたら、資産額がいつの間にか二桁も増えていたのよね……」
私が遠い目で呟くと、アリエッタはぎょっと目を丸くした。
「涼しい顔してとんでもない額を稼ぐのね、あの人……」
「二百年以上も生きてる付喪神ですもの。商売の知識と経験だけなら、そこいらの実業家とは比べものにならないんでしょうね」
もっとも、稼いでいる当人には、お金や贅沢に対する執着もないようだった。
余剰分はモノダマたちやお店の改装、そして私のために惜しみなく使ってしまう。
(本当、いい旦那様に恵まれたものよね)
私は右手の薬指にはめたラピスラズリの指輪を眺めた。
この指輪も、ここに来て間もない頃に、善から贈られたものだ。
不安がる私に、『アンタを一人にしない』と言って、まるで婚約指輪のように渡してくれたのだ。
「あら、珠希様ったら、恋する乙女の目だわ。すっかり桃色」
「アリエッタさん、珠希さまの目は桃色じゃないですよ~?」
「言葉のあやよ、壱丸ちゃん」
傍らから二人の会話が聞こえてきて、私は誤魔化すように咳払いをした。
「さて、そろそろ閉店ね。みんな、お疲れ様! お掃除するから、棚から降りてちょうだい!」
私が手をパンパン! と鳴らすと、店内が一斉に物音で賑やかになった。
急須、湯呑み、文鎮、硯、柱時計――。
針金のような細い手足を生やしたモノダマたちが、カタカタと動き出しては、棚を飛び降りていく。
窮屈な空間から飛び出して、自由に動き回る様は、まるで学校の授業が終わった子どもたちのようだ。
「はーい、皆さん! お茶の間へ行きますよ! ご飯係さんは台所でご飯の準備です~!」
壱丸が前脚で床をてしてし叩きながら、声を張る。
すると、モノダマたちは彼を先頭にして、ぴしっと整列した。
「壱丸もお疲れさま。モノダマたちの面倒を見てくれて助かるわ」
私が頭を撫でると、壱丸は「はあい!」と尻尾を大きく振って歩き出した。
品物がなにもなくなった店内を拭き始めて、私はふと、店内をぐるりと囲う棚を見回した。
(そろそろまた新しい子を仕入れようかしら。お迎えが決まって出て行った子も増えてきたし……)
少し前までぎゅうぎゅうだった棚は、おかげさまでぽつぽつと空きが出始めていた。
誇らしいような、少し寂しいような、不思議な気持ちになる。
――でも、それでいいのだ。
物は飾るためだけにあるのではない。
人に使われ、人の暮らしに寄り添ってこそ、その価値を発揮する。
だから、私は売る。
利益のためだけではなく、その子が心から望む持ち主のもとへ送り出すために。
「……ん?」
空になった棚を見つめて感慨に耽っていると、店先から、ブロロロロ……と自動車のエンジン音が聞こえてくる。
錦花郷の中心街から遠く離れたこの場所を、夕方に車が通るなんて珍しい。
気になって振り向くと、車はなんと、私の店の前で停止した。
(……どこか立派なお家の方かしら?)
ここは骨董品を売る店なのだから、身分の高いお客様が来店するのも、別におかしなことではない。
なのに……妙に胸騒ぎがする。
私が店先にそっと顔を出すと、車の運転席から下りてきたのであろう青年が、助手席の扉を開けているところだった。
よいせ、と年寄りくさいかけ声と共に、ゆっくりと姿を現したのは――
(……女の子?)
どう見ても、十二歳かそこらにしか見えない、小柄な少女だった。
つやのある白髪を揺らし、レースで縁取られた暗色の着物を着こなすその姿は、年齢に見合わない不思議な風格を感じた。
「おや、驚かせてしもうたか。すまぬのう」
鈴が鳴るような、可愛らしい声。
なのに、何百年も昔の人が使っていそうな口調。
少女はにこりと微笑み、首を少し傾けた。
「そなたが、三倉珠希かえ?」
私は咄嗟に声が出ず、ただこくりと頷いて答えた。
すると、少女は両手を重ねた美しい姿勢で、こう名乗った。
「わらわは神蔵ユエ子。神蔵家の三十五代目当主じゃ」
夕方の陽射しが店先に差し込み、棚に並ぶ茶碗や硝子細工をほんのり橙色に照らしている。
店内では、四十代ほどの上品なご婦人が、一本のつげ櫛を前に唸っていた。
——『三倉骨董店』。
看板にはそう書いてあるけれど、実際は骨董品以外も多く取り扱う『古物商』だ。
この店は、美術的価値の高い品から、日常に寄り添う品まで、幅広く売っている。
「私も女学生の頃に、こんな可愛らしいつげ櫛を持っていたのよね。なんだか懐かしいわ」
今、ご婦人が手にしているつげ櫛は、作られてかなり時間を経ているけれど、状態はとてもいい。
彫られた模様も美しく、歯も一本一本きれいに揃っていたので、少しお高めに価格を設定したのだ。
ご婦人から見つめられて、つげ櫛もまんざらではないらしい。
私の耳に、照れくさそうな笑い声が響く。
《この人の髪、くるくる巻いてて、とっても素敵だわ。私、この人の髪を梳いてみたい。もっとつやつやにできそうな気がする》
内気な子どもが、勇気を絞って訴えるかのような、健気でいじらしい声。
私は思わず微笑んだ。
「もしよろしければ、あと二十銭ほどお安くいたしましょうか?」
「まあ、いいの?」
「ええ。この子も、お客様のところへ行きたいようですから」
つげ櫛の気持ちをさりげなく伝えると、ご婦人は少しきょとんとしてから、くすくすと上品に笑った。
「ふふっ、不思議なお店ですのね。それなら、この子をいただこうかしら」
「ありがとうございます」
ご婦人は購入した櫛を大切そうに胸へ抱くと、私に向かって小さく会釈をした。
店の看板犬である白黒模様の子犬――壱丸が、店を去っていくご婦人に「わんっ!」と一声かける。
「あらあら、お見送りありがとうね、ワンちゃん」
手を振るご婦人の背中が見えなくなってから、壱丸は私の足元へ戻ってきた。
「あのつげ櫛さん、よかったですね! あの人がお店に入ってから、ずっとそわそわしてましたよ!」
看板犬――もとい、犬張子の付喪神・壱丸は、尻尾をぶんぶん振りながら、満面の笑顔で話した。
物を大切にしてくれる人へ、ぴったりの品を送り出す、人も物も幸せにするためのお店。
それが、物の声を聞く私ならではの商いだった。
――叔父が采配をふるっていた三倉財閥が解体されたその後。
三倉家当主の座に就いた私は、善が使っていた住まいを改装して骨董店を営んでいた。
建物いっぱいに住み着いていたモノダマたちは今、順番にお客さんのもとへ迎えられて、新しい道を歩み始めている。
「また値引きしたの、珠希様? あんまりやると利益がなくなるわよ?」
お客さんがいなくなったのを見計らって、奥に控えていた白い洋服の少女・アリエッタが顔を出す。
いわくつきの品――『虚飾の鏡』の付喪神・アリエッタは、叔父との決着以降、この家に定住していた。
私は帳簿を開きながら、彼女に笑いかけた。
「いいのよ。この店は商売のためというより、物たちのための場所だから」
「珠希さまらしいお店ですねえ」
古くからの親戚のようなことを言いながら、壱丸は前脚を帳台に置いて、私の手元を覗き込んだ。
「社長さんの呆れ顔が目に浮かぶわね」
アリエッタの言う『社長さん』とは、言うまでもなく善のことだ。
確かに、一流の貿易商として活躍する彼からすれば、利益度外視の呆れた商売だろう。
でも、最後にはきっと笑って許してくれる。
善も私と同じで、モノダマたちを大切に想っているはずだから。
「うちは善が資金繰りしてるおかげで、財政が安定してるのよ。これくらいの値引きで損はしないわ」
「そうなの? 確かに、かなりの額があるみたいだけど……」
資金繰りだけではない。
この骨董店は、善の会社の傘下で手厚い支援を受けている。
骨董店の仕事は私が担う一方で、人脈や物流面は善の力を借りている状況だ。
「この前、お店の帳簿と会社の決算書を見比べてみたら、資産額がいつの間にか二桁も増えていたのよね……」
私が遠い目で呟くと、アリエッタはぎょっと目を丸くした。
「涼しい顔してとんでもない額を稼ぐのね、あの人……」
「二百年以上も生きてる付喪神ですもの。商売の知識と経験だけなら、そこいらの実業家とは比べものにならないんでしょうね」
もっとも、稼いでいる当人には、お金や贅沢に対する執着もないようだった。
余剰分はモノダマたちやお店の改装、そして私のために惜しみなく使ってしまう。
(本当、いい旦那様に恵まれたものよね)
私は右手の薬指にはめたラピスラズリの指輪を眺めた。
この指輪も、ここに来て間もない頃に、善から贈られたものだ。
不安がる私に、『アンタを一人にしない』と言って、まるで婚約指輪のように渡してくれたのだ。
「あら、珠希様ったら、恋する乙女の目だわ。すっかり桃色」
「アリエッタさん、珠希さまの目は桃色じゃないですよ~?」
「言葉のあやよ、壱丸ちゃん」
傍らから二人の会話が聞こえてきて、私は誤魔化すように咳払いをした。
「さて、そろそろ閉店ね。みんな、お疲れ様! お掃除するから、棚から降りてちょうだい!」
私が手をパンパン! と鳴らすと、店内が一斉に物音で賑やかになった。
急須、湯呑み、文鎮、硯、柱時計――。
針金のような細い手足を生やしたモノダマたちが、カタカタと動き出しては、棚を飛び降りていく。
窮屈な空間から飛び出して、自由に動き回る様は、まるで学校の授業が終わった子どもたちのようだ。
「はーい、皆さん! お茶の間へ行きますよ! ご飯係さんは台所でご飯の準備です~!」
壱丸が前脚で床をてしてし叩きながら、声を張る。
すると、モノダマたちは彼を先頭にして、ぴしっと整列した。
「壱丸もお疲れさま。モノダマたちの面倒を見てくれて助かるわ」
私が頭を撫でると、壱丸は「はあい!」と尻尾を大きく振って歩き出した。
品物がなにもなくなった店内を拭き始めて、私はふと、店内をぐるりと囲う棚を見回した。
(そろそろまた新しい子を仕入れようかしら。お迎えが決まって出て行った子も増えてきたし……)
少し前までぎゅうぎゅうだった棚は、おかげさまでぽつぽつと空きが出始めていた。
誇らしいような、少し寂しいような、不思議な気持ちになる。
――でも、それでいいのだ。
物は飾るためだけにあるのではない。
人に使われ、人の暮らしに寄り添ってこそ、その価値を発揮する。
だから、私は売る。
利益のためだけではなく、その子が心から望む持ち主のもとへ送り出すために。
「……ん?」
空になった棚を見つめて感慨に耽っていると、店先から、ブロロロロ……と自動車のエンジン音が聞こえてくる。
錦花郷の中心街から遠く離れたこの場所を、夕方に車が通るなんて珍しい。
気になって振り向くと、車はなんと、私の店の前で停止した。
(……どこか立派なお家の方かしら?)
ここは骨董品を売る店なのだから、身分の高いお客様が来店するのも、別におかしなことではない。
なのに……妙に胸騒ぎがする。
私が店先にそっと顔を出すと、車の運転席から下りてきたのであろう青年が、助手席の扉を開けているところだった。
よいせ、と年寄りくさいかけ声と共に、ゆっくりと姿を現したのは――
(……女の子?)
どう見ても、十二歳かそこらにしか見えない、小柄な少女だった。
つやのある白髪を揺らし、レースで縁取られた暗色の着物を着こなすその姿は、年齢に見合わない不思議な風格を感じた。
「おや、驚かせてしもうたか。すまぬのう」
鈴が鳴るような、可愛らしい声。
なのに、何百年も昔の人が使っていそうな口調。
少女はにこりと微笑み、首を少し傾けた。
「そなたが、三倉珠希かえ?」
私は咄嗟に声が出ず、ただこくりと頷いて答えた。
すると、少女は両手を重ねた美しい姿勢で、こう名乗った。
「わらわは神蔵ユエ子。神蔵家の三十五代目当主じゃ」

