いわくつきの骨董姫

 心など、最初からなければよかった。
 人間に使われるために生まれてきた道具が、自らの意志で動き始めるなんて、考えるまでもなくおかしな話である。
 こんなものがあるから、いわくつきなんて厄介物が生まれてくるのだ。
 ——情念に呑まれて暴走し、人を襲う物。
 ——存在意義を見失い、自壊する物。
 そんなの、人間たちもたまったものではないだろう。
 心があるから、俺たちは道具としての役目を全うすることができないのだ。
 心なんてなければ、どれだけ楽でいられただろうか——俺はずっと、そんなことばかり考えて生きていた。

 *

 霞がかった半月が輝く、春の夜。
 錦花郷でも有数の洋館で、その夜会は催されていた。
 私、三倉珠希は今、その夜会の主と向き合っている。

「いやはや、まさかあの三倉家の新しいご当主にお越しいただけるとは。道理で宴がいっそう華やぐわけだ、噂以上にお美しい」
「歓迎のご挨拶、痛み入りますわ。鴨谷(かもや)男爵」

 鴨谷男爵のエスコートを受け、私はドレスのスカートがしわにならないよう、椅子に腰を下ろす。
 きらびやかな夜会とは別に設けられた応接間は、贅を凝らした造りだった。
 美しい模様を描く、タイルの床。
 職人の技が光る調度品。
 壁を飾る西洋画。
 そして——男爵の傍らに置かれた一双の屏風。
 かつての三倉財閥に肉薄していただけあって、なかなかの財力が窺える。

「ところで、珠希嬢。先ほどから手にしているそれは……?」

 鴨谷男爵は私が手にしている『それ』——鈍色に輝く煙管に視線を向けながら尋ねた。
 
「こちらですか? これは私がいっとう気に入っている物でして、片時も手放せないのです」
「それはまた、随分と……」

 男爵はしばらく言葉を探していたようだったけれど、やがて口を噤んだ。
 西洋風のドレスに身を包んだ女が、時代物の無骨な煙管を持っているのだ。
 奇妙な組み合わせで、適当な褒め言葉が見つからなかったのだろう。

「気に障るようでしたら、しまいますわ」
「いいえ、それには及びません。貴方が大切にしておられるということは、その煙管も随分と値打ちのあるものなのでしょうな」

 私は男爵の言葉を聞いて、少しばかり腹が立った。
 彼は私を、値打ちのある物にしか価値を見いだせない女だとでも思っているのだろうか。
 それに、この煙管はありふれた素材でできた、平凡な物——希少性も、美術的価値もほとんど無いに等しい。
 そんなことも見抜けないのに、さも知っているかのように話を合わせられるのは、不愉快なものだ。

「しかし……これが鏡花図屏風(きょうかずびょうぶ)――聞きしに勝る逸品ですわね」
「さすがは三倉家の正統なるご当主、真っ先にこれに目を留めてくださるとは。百丸社長にもぜひご覧になって頂きたかった」

 鴨谷男爵は視線の先を、傍らの金屏風へと移す。
 淡く光る金箔に、繊細に描かれた花々に、清らかな水流。
 そこに集まる歌人たち。
 今にも古歌が聞こえてきそうなほど、その絵は生き生きと輝いていた。

「間近で見ると壮観ですわ。百年以上経っているとは思えないほど色彩豊かで……」
「実にお目が高い。骨董商として再興されたばかりの貴方が、業界で早々に名を上げるのも頷けますな」
「ふふ、幼少からこういった品々に囲まれて育ったものですから。骨董品を見る目には、少し自信がありますの」

 ——それに、この屏風は元々三倉家(うち)にあったものだからね。
 私は心の中でそっと呟き、手にしていた煙管の先端を屏風へ向け、

「この子、そろそろ付喪神になってるかしら?」


 と、囁きかける。
 すると、

《なんとなく気配は感じるなァ。霊力の感じからして、可能性は高いぜ》

 と、私の耳にしか聞こえない声で、『彼』が応じた。

「……? 珠希嬢、なにか?」
「いいえ、なんでもありませんわ」

 男爵には、私が独り言を言ったように見えていたことだろう。
 会いたがっていた『百丸社長』の正体が、私が持つこの無骨な『喧嘩煙管』の付喪神だと知ったら、一体どんな顔をするのやら。

「率直に申し上げますわ、鴨谷男爵。この屏風、当家に譲っていただけませんか?」

 突然の私の願い出に、鴨谷男爵は豆鉄砲を食らったような顔をした。

「この屏風を、譲ってほしい、と?」
「ええ。実はこの屏風は、父が生前、大切にしていた品なのです」

 私はここで、わざとしおらしく振る舞った。

「父が亡くなった後、叔父が財産整理の折に手放してしまったのです。それが男爵のお屋敷にあると知って、私はここを訪ねて参りました」

 視線を一度、屏風のほうへやり、すぐに自分の膝へ落とす。

「最初は、父の遺品を一目見るだけでいいと思っておりました。けれど、実際にこうして見た時、どうしても当家に迎え入れたいと思ったのです」

 遊郭で身につけた、男の同情心と優越感を誘う演技。
 男と渡り合わなければいけない社交場においては、これ以上なく役に立つ技術だ。
 そんな私を見て、男爵は困ったような笑みを浮かべた。

「お気持ちは分かりますが、珠希嬢。私としても愛着がありまして、どうにも手放しがたく……」

 見る人を吸い込まんばかりの引力を持つ『鏡花図屏風』――好事家(こうずか)にとっては、喉から手が出るほど欲しい、いわくつきの品。
 かくいうこの鴨谷男爵も、界隈では好事家として真っ先に名が上がる人物だ。
 情に訴えかけるだけでは、簡単に手放さないだろう。

「もちろん、ご無理を申し上げていることは承知しております。ですから、対価は惜しみません。そうですわね……一万圓ほどでいかがでしょう?」

 思いがけない大金を提示され、鴨谷男爵の目がさらに丸くなる。
 そこからしばらく、彼は訝しむような視線を私に向けていたけれど、やがて、

「ははは、これは気前のいい。ですが……いくら積まれようと、お譲りすることはできません。これはお金に代えられる品ではないのです」

 と、あからさまに私を侮るような態度を見せた。
 ――所詮は、金の力で解決することしか知らない小娘か。
 とでも判断したのだろう。

「男爵。世の中、お金ほど便利なものはありませんわ」

 私は微笑んだまま、男爵の目をじっと見つめた。

「お金があれば物を買うことができますし、こうして交渉することだってできる。……秘密を守るために、大金を払うことも、この世界ではそう珍しくないでしょう?」
「……はは、何を仰るやら」
「近頃」

 彼が鼻で笑って切り上げようとするのを遮るように、私は言う。
 
「新聞で毎日のように報じられていますわね。この錦花郷では、若くて綺麗な女性が忽然と姿を消す、とかなんとか。しかも、最後に目撃された場所は、みなこの館の近くだと言うではありませんか」

 余裕の笑みを形作っていた男爵の下瞼が、ピクリと動いた。

「夫から伺ったのですが、鴨谷男爵は最近、風俗業にもご熱心だそうですわね。女性が姿を消し始めた時期ともちょうど重なりますから、何かと世間に騒がれて、手を焼いていると聞いております」
「ははは、これはお恥ずかしい。全くその通りで。……もしや珠希嬢も、私がよからぬことを企んでいると考えておいでで?」

 可笑しなことだと茶化すように、男爵は言う。

「いいえ、世間の憶測だと思っておりますわ。でも、社交界において醜聞は大敵、でしょう?」

 ちょこんと首を傾けて、私は微笑み返す。
 すると、男爵は「むう……」と舌を巻いたように唸って見せた。
 私は椅子から静かに立ち上がり、屏風に歩み寄った。
 近くで眺めると、時を重ねて深みを増した金箔が、呼吸するように優しく輝く。

「やはり、この屏風は当家へ帰るべき品だと思いますの。この温かい光……父が惚れ込んだのも頷けます。どうか、この子を当家へ帰してはいただけませんか?」

 私は静かに振り返りながら、男爵の目をじっと見つめる。
 小娘らしく、切望するように。
 男爵は「ううむ」と困り果てたように眉根を寄せながらも、ちらりと私を値踏みするように見ていた。

《――逃げて》

 不意に、私の背後から――背後の屏風から、か細い女性の声が聞こえた。
 私にだけ聞こえる、物の声。

《お逃げください……!》

 少しずつ大きくなる、女性の必死な声。
 少しずつにやりと上がり始める、男爵の口角。
 少しずつ近づいてくる、誰かの呼吸と気配。
 私は手にしていた煙管の先を、肩越しにすっと後ろへ向けた。

「おイタは駄目よ、屏風さん」
「――え?」

 私のすぐ背後で、女性の声がした。
 何度も私に警告していた――屏風の付喪神の声だった。

「あ……お、嬢様……?」
「久しぶり。付喪神になってたのね、貴方」

 私はようやく、屏風のほうへ振り返った。
 そこには、私に向かって両手を伸ばした格好のまま、ぴたりと固まっている女性がいた。
 十二単をまとった彼女は、私を見てぽかんと口を開けている。

「……っ、珠希お嬢様ですか……!? ああ、そんな……ゆ、夢みたい……!」
「夢じゃないわよ。ちゃんと三倉家に帰ってきたわ」

 私のことを覚えていたらしい。
 屏風の付喪神は、喜びの涙を流して、私をきゅっと抱きしめた。
 それを見て狼狽えたのは、鴨谷男爵だった。
 
「は……? な、何をしている!? さっさとその小娘を屏風に閉じ込め――」
「やっぱり。知ってて利用したのね、この子の力を」

 うっかり口を滑らせた男爵が、慌てて口を押さえるけれど、もう遅い。
 私は煙管の柄を指先で撫でながら、男爵を冷たい目で見据えた。

「『鏡花図屏風』は見る者を引き込む――まさか、言葉どおり人を屏風の中へ引き込む力があるなんて、貴方は知らないまま入手したのでしょう。でも、貴方は知ってしまった。この力を悪用して、攫った女性を屏風に閉じ込めていた……そうでしょう?」
「なっ、そんな馬鹿なこと……っ!」
「あら、じゃあ確かめましょうか? 屏風さん、中に閉じ込められている女性の名前を言ってみて?」
「は、はい……カワカミシノ様、アイダウメコ様、それから……先日連れてこられたウノチヨコ様も、中にいらっしゃいます」

 屏風が女性の名前を一人ずつ、正確に答えていく。
 それらはすべて、新聞に行方不明者として載っていた名前だった。
 名前が付喪神の口から出てくる度に、男爵の顔から血の気が引いていった。

「困るのです。いわくつきの道具で騒ぎを起こされてしまうと、社会全体に悪影響を及ぼしかねない。人間にとっても道具にとっても、よい結果にはなりません」

 本当に、あの叔父は余計なことをしてくれた。
 いわくつきの品まですべて売り飛ばせば、悪用する人間も出てくるに決まっているというのに。
 私は右手に持った煙管を、左手の手のひらに叩きつけた。

「私はただ、この子を取り戻せればよいのです。屏風を一万圓でお譲りくださるなら、この件について、私からは口を噤んで差し上げますわ」
「は、はは……これはこれは、驚いた。当代の当主様は肝が据わっておいでで……百丸社長も気の毒なことだ」
「あら。主人は案外、私の尻に敷かれるのは嫌いではないそうですよ?」

 微笑みを浮かべて返してやる。
 男爵の顔から、完全に余裕が消えていた。

 「仕方ない……珠希嬢。詳しい話は、奥で聞かせてもらえますかな?」

 しかし、冷や汗を流しながらも、男爵の口元はまだ笑みを形作っていた。
 彼の合図と同時に、応接間の扉が勢いよく開いた。
 廊下に控えていた男たちが踏み込み、私の退路を塞ぐ。
 うち二人が、左右から挟み込むように、私のほうへ近づいてきた。
 屏風の付喪神が「危ない!」と私に向かって叫ぶ。
 私は手にした煙管を、宙へ軽く放り投げた。

「――善」

 短く、その名を呼ぶ。
 次の瞬間、煙管の火皿から、ぶわっと白い煙が噴き上がった。
 煙は瞬く間に部屋中へ広がり、護衛たちの視界を奪う。
 その刹那――

「ぬうっ……!?」

 男爵の喉元へ、鈍く光る煙管の吸い口がぴたりと突きつけられていた。
 いつの間に、と思う暇さえなかったのだろう。
 護衛たちは足を止め、男爵自身も目を見開いたまま固まっている。

「ひ……百丸社長……!?」
「よォ、鴨谷のオッサン。人の嫁にずいぶんな真似してくれるじゃねェか」

 白煙の中から現れた彼――善は、臙脂色の羽織を肩に掛け、不敵な笑みを浮かべていた。
 善は男爵の背後から、肩へ腕を回すように組みつくと、そのまま煙管を喉へ突き込むように押し当てた。

「一歩でも動いてみろ。オッサンの喉仏が潰れちまっても知らねェぞ」

 グググ、と煙管を押し込むと、男爵が「ぐぇ……っ!」と苦しそうにもがく。
 威勢よく踏み込んできた護衛たちは、主人を盾に取られ、一歩たりとも動けない。
 私は静かに男爵の正面まで歩み寄る。

「言ったでしょう?」

 男爵の青ざめた顔を見つめ、にこりと微笑む。

「お金で解決できる問題もある、と。変な欲をかいていないで、受け取ると言ってくださらない?」

 私は懐から用意していた小切手を取り出し、男爵の胸元へそっと差し出した。
 男爵の喉が、ごくりと鳴る。
 煙管の硬い吸い口が喉に触れたまま、彼は力なく頷いた。

「……わ、分かり……ました」
「ふふ、ありがとう存じます。話の分かる方で安心しましたわ」

 私は鴨谷男爵が頷いたのを確認して、懐からもう一つの道具——『虚飾の鏡』と呼ばれる手鏡を取り出した。

「アリエッタ、屏風をしまって。中のお嬢様がたを全員お返しするわよ」

 私が命じると、鏡の中から白い腕が伸びてきて、屏風をぐいぐい引き込んでいく。
 面積の小さい鏡に、大きな屏風が取り込まれていくのを見て、男爵や護衛たちは恐れおののいていた。

「さ、貴方も帰りましょ」
「はい、お嬢様」

 屏風の付喪神は私へ深く一礼すると、己の本体を追うように鏡の中へ消えていった。

「対価の品、確かにいただきましたわ。では、ごきげんよう」

 私は最後にドレスのスカートをつまみ上げ、西洋式のお辞儀をする。
 善は男爵の襟首を掴んだまま、私を守るように後ろ向きに戸口まで下がり、十分に距離を取ったところで、男爵を応接室の中へ突き返して扉を閉めた。
 館を離れ、手配していたタクシーに乗り込んだところで、善が私に聞いてくる。

「いいのかィ、珠希。鴨谷のオッサンを警察に突き出さなくて。ああいう連中は、金と権力で上手いこと隠蔽しちまうぜ」
「あら。屏風と引き替えに黙っていると約束したのは、『私だけ』よ? 被害に遭ったお嬢様がたの口止めまで約束した覚えはないわ」

 彼女たちはこの後、警察へ駆け込むなり、新聞社へ話すなりするだろうけれど、それは私の知ったことではない。
 私は虚飾の鏡の鏡面に向かって、にっこり笑いかけた。
 それを見た善は、ぼそりと呟いた。

「……おっかねェお(ひい)さんだ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」