いわくつきの骨董姫

 港にさしかかったあたりで、野太い汽笛があたりに鳴り響いた。
 石油臭い蒸気をあげながら、一隻の船が今まさに出航しようとしている。
 その周辺には、いかつい顔つきをした黒服の男たちが、まるで障害物のように立っていた。

「しゃちょー! あの黒服、叔父さんたちの手下です!」
「だろうな!」

 もう一人一人相手にしていては間に合わない。
 俺は脚に集中させていた霊力を全身へと巡らせる。

「壱丸、掴まれ! 一気に殴り込むぞ!!」
「はい、しゃちょー!!」

 向かってくる黒服たちの隙間を縫うように駆け抜ける。
 機関車の駆動輪のように回していた腕や脚の力を緩め、全身を潮風に乗せる。
 一切の空気抵抗を受けないよう、自身の姿を煙へと変える。

「な、なんだ、こいつ!?」
「すり抜けたぞ……!?」

 黒服たちの妨害をかわしながら、さらに速度を上げる。
 空気の壁を鋭く裂き、沖へ向かう船に向けて一気に加速する。

「なによ、あれ!?」
「ひっ、百丸!?」

 目をひん剥きながら、統二郎夫妻が俺を見ている。
 一瞬、このまま二人を蹴り抜いてやりたい衝動に駆られたが、今は後回しだ。
 堤防を越え、海の上を駆け抜け、ついに船の甲板まで追いついたところで、俺は再び人型に戻った。

「珠希をどこやったコラアアアアア!!」

 着地するなり、俺は船全体に響き渡る声で叫んだ。
 すると、乗船していた船員たちが、あちこちから姿を現した。
 手にはナイフや銃剣などの武器が握られている。
 予想どおり、簡単に行かせるつもりはないようだ。

「まァ、そうだよなァ――じゃァ、行きがけの駄賃ってことで!」

 こうなれば、いっそ憂さ晴らしに全員殴り飛ばしてやろう。
 誰の目も届かない海の上で、俺は遠慮なく敵の群れに突っ込んだ。


 *


 ぐらりと船が揺れて、私に覆い被さった男が「なんだ?」と後ろを振り返る。
 他の船員たちが「何が起きた?」「甲板のほうだ」と慌ててどこかに向かうのが見えて、私はさらに好都合だとほくそ笑んだ。

「嫌、貴方まで行かないで……! 怖いから、ここにいて……!」
 
 ――遊女としての経験も、意外と役に立つものだ。
 見張りの男は私の縋るような声を聞いて、下心丸出しの視線を私に向けた。
 
「よしよし、俺が慰めてやるからな……」

 他の船員がみな揃ってどこかへ行ってしまったという状況で、この男は私という極上の女を前にしている。
 楽しむには絶好の機会だ、とばかりに、男は頬を上気させていた。

「お願い、せめて優しくして……」
 
 私のか弱い演技に興奮してか、男の息がさらに荒くなる。
 着物の褄下(つました)をそっとめくられ、脚が露になる。
 準備は整った――あとは、この男が完全に警戒心を解くのを待つだけ。
 いよいよ男が私に顔を近づけてきた、その瞬間――

「珠希さまから離れろ~っ!」

 唐突に、壱丸の叫び声が貨物室に響いた。
 解錠された扉の隙間から侵入したのか、壱丸は叫びながら男のお尻へ飛びかかった。

「ぎゃああっ!!?」
「ウウウウ〜ッ!! ガルルルル!!」
 
 壱丸にお尻を思い切り噛まれたのか、男が悲鳴を上げてのけぞった。
 壱丸の猛攻撃に怯んでいる隙に、私は構えていた膝を思い切り突き上げる。

「んごぉっ……!?」
 
 狙いどおり、私の膝蹴りは男の股間ど真ん中に命中し、男は白目を剥いて昏倒した。

「壱丸!」
「珠希さま~っ! お助けに来ました!」

 壱丸は私の背後に回り込んで、手首を縛っていた縄を器用に噛みちぎる。
 拘束が解けたところで、私は壱丸を抱きしめた。

「珠希さま〜! お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ。貴方も怪我はしてない?」
「ぼくは平気です! しゃちょーが悪い人たちを引きつけてくれたので、あっさり忍び込めちゃいましたよ~!」
「そう……よかった」

 その言葉が何より心強い。
 善は今頃、船員たちを相手に大暴れしていることだろう。

「さあ、しゃちょーが戦っているうちに脱出です!」
「ええ!」

 壱丸の先導に従って船室を抜け出し、私は甲板に出る。
 そこには、予想どおりの光景が広がっていた。

「あらよっ、とォ!!」

 善は輝かんばかりの凶悪な笑みを浮かべながら、舞でも舞うような戦いを繰り広げていた。
 ドカッ! と人を殴り飛ばす鈍い音と共に、船員の体が海まで吹っ飛ぶ。
 次に襲いかかってきた船員を流れるような動きで背負い上げ、海へと投げ飛ばす。
 背後から襲ってきた船員に回し蹴りを入れ、持ち上げたかと思うと、また海へ放り投げる。

「弱ェ弱ェ弱ェ! てめェら、幕府の武士の足元にも及ばねェぜ! がっはっはっはっはァ!!」

 船員を全員片付けてしまった善は、いい運動になったとばかりに高笑いをする。
 相手もさして弱くないだろうに、こうまであっさりボコボコにされているのを見ると、さすがに少しだけ可哀想に思えてきた。

「おう、珠希!」

 善は私を見つけるなり、嬉々とした表情で駆け寄ってきて、私をぎゅっと抱きしめた。
 あんなに激しく動いていたのに、汗のにおいひとつしないのが驚きだ。

「ごめんなさい。面倒なことになってしまって……」
「いいってことよ。間に合って何よりだ」
「……そうだ、港に戻らないと!」

 私はここが海の上であることを思い出し、船尾側へ向かう。
 けれど、船はすでに港からかなり遠のいていた。

「そんな……! こんな距離、泳げないわ」

 困った私は善のほうを振り返った。
 すると、善はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 彼の懐から出てきたのは、白銀色に輝く手鏡……彼に預けていた、『虚飾の鏡』だ。

「心配すんな。嬢ちゃんが帰り道を作ってくれる」

 善は鏡面に煙をふう、と吹きかけた。
 途端、鏡が反応するように柔らかな光を放った。
 善が見せてきた鏡面を覗き込むと、そこに映っていたのは私たちの顔ではなく――

『どうなってる……!? 百丸は人間じゃなかったのか!?』
『どうするのよ!? 貴方が言い出した計画でしょう!? あんな化け物を敵に回すなんて、馬鹿なの!?』
『うるさいっ!! お前は口ではなく頭を動かせ!』

 ……といった醜い夫婦喧嘩を繰り広げている、叔父たちだった。
 リング状の何かを握りしめている叔父は、冷や汗まみれで逼迫(ひっぱく)した表情。
 叔母はその真横で、パニックを起こした鶏のような金切り声を上げている。
 鏡の中の光景を見て、壱丸は目を白黒させていた。

「えっ、えっ!? どうなってるんですか? もしかして、これもあの女の子の力ですか!?」
「あァ。こいつァ、あちらさんの車のバックミラーと繋がってるみたいだ。 嬢ちゃんの力は面白いねェ」

 赤くなったり、青くなったりしている二人の様子を見て、善はケラケラと声を立てて笑っている。
 二人がいる狭い空間と、ガタガタうるさい振動音――察するに、これは車の中で繰り広げられている光景のようだ。
『虚飾の鏡』は、たった今、彼らが陸上で何をしているのか、鏡を通して見せてくれているらしい。

「どうだィ、珠希。今すぐ鏡に飛び込めば、嬢ちゃんがこいつらの近くまですぐに送り届けてくれるらしいが……」 
「ここで一気にカタをつけよう、ってことね?」

 私が先回りして答えると、善はいやらしい笑みを浮かべて首肯した。
 すると、私たちの意志に応えるように、鏡面がパッと輝き、少女の白い手が伸びてきた。
 導くように差し出されたその手を取り、私は鏡の中へ飛び込んだ。

(――絶対に逃がさない。絶対に、全部精算させてやる)

 私の両親を殺めた罪も、私の友人たちを売り払った罪も……あの夫婦に(あがな)わせたい罪は、数え切れないほどあるのだから。