いわくつきの骨董姫

「――さま? 珠希さまっ? お目覚めですか?」
「――壱丸……の鼻?」

 ぐるぐる視界が回り、私の意識が現実に戻ってくる。
 気がつくと、私のすぐ目の前には、真っ黒な鼻の穴が二つ並んでいた。
 ぷすぷすと小さな音が鳴るたびに、壱丸の鼻の穴がひくひく動いている。

「わあ、よかったですぅ! 珠希さまが突然うなされだしたから、ぼく、吃驚しちゃって! 珠希さまぁ~!」

 壱丸がさっそくとばかりに、私の顔をべろんべろんと舐めてくる。
 壱丸の温かい舌が何回も往復して、私の顔はあっという間にべちょべちょになった。
 私は壱丸を優しくどかしつつ、自分の手を改めて見てみる。
 念入りに手のひらを見てみるが、傷は一つもない。

「珠希さま、具合が悪いのですか? ぼく、お薬持ってきましょうか?」
「大丈夫よ。昔の……ちょっと嫌な夢を見ただけ」

 私は心配そうに見つめる壱丸の顎を撫でる。

「起きたかィ、珠希」

 声をかけられて振り向くと、そこには外套(がいとう)を羽織っている最中の善がいた。

「! 善、私まさか倒れて……うぇ」

 まさか、倒れた私を運んでくれたのだろうか。
 だとしたら申し訳ない――そう思って謝ろうと体を起こしたら、脳がぐわんと揺れて吐きそうになった。

「無理すんなィ、そのまま休んどけ。長旅の疲れが一気に出てきちまったんだろう」
「はい……」

 へなへなと布団の中へ沈没する私。
 壱丸がふかふかな肉球で私の頭を撫でる。

「悪ィな、珠希。俺も看病してやりたいんだが、急に仕事が入っちまってなァ。
 俺の顔じゃねェと通らねェ案件なんだ」

 善の背後にある障子の窓を見ると、すでに日はとっぷり暮れている。
 こんな時間から仕事に行かなければならないなんて、善もずいぶんと多忙な身らしい。
 今日くらい二人でゆっくりしたかったのにな、と私は少し残念な気持ちだった。

「壱丸、珠希の世話を頼んだぜ。必要なら他のモノダマたちにも指示してやってくれ」
「はいっ、お任せください!」
「んじゃ、ちょいと行ってくらァ」

 善は部屋の障子を開け、縁側から外に出て行こうとする。

「……善」

 それを、なぜか私は呼び止めていた。
 しかも、声音が縋るような感じになってしまったから、善も少し驚いていた。

「どうした? なにか心配事かィ?」
「あ……ごめんなさい、なんでもないわ。気をつけてね」

 引き止めてどうするのだ、善は急いでいるというのに。
 病気で寝込んだ子供じゃあるまいし、寂しがっているなんて思われたらみっともないじゃないか。
 私はできるだけ明るく見えるよう善に微笑みかけて、手を振った。

「……ほれ」

 すると、善は何か察したのか、いつも手にしている煙管を私に差し出した。

「急いでるときに持ってるとうっかり失くしちまうからな。こいつァアンタが預かっててくれ」
「え……」

 私は善の意外な行動に驚いた。
 だって、善は遊郭に通っていたとき、この煙管を誰にも触らせたことがないのだ。
 煙管に手を伸ばしただけで止めに入るくらい、触れられるのを嫌がっている。
 それを私に預けるなんて――。

「いいの? これ、アンタの大事な本体でしょう?」
煙管(おれ)の持ち主はアンタだから、いいに決まってんだろ。
 あァ、ついでにそいつの掃除もしてくれると助かる。
 なかなか手入れしてる時間がなかったモンでな。つーことで」
「え、ちょ」

 善は悪戯っぽく片目を瞑ると、煙のようにふわっと消えてしまった。

「もう……私、煙管のお手入れなんて分からないんだけど」
「それなら大丈夫です! ぼくがしゃちょーのやり方を見ていましたから、教えて差し上げます」

 壱丸はそう言って、小さな箪笥のモノダマを呼び寄せる。
 前足で器用に引き出しを開け、口に咥えて取り出したのは、液体の入った瓶と紙縒(こよ)りだ。

「この脂取(やにと)りと紙縒りで管の中を掃除するだけです。パパッとできちゃいますよ」
「それだけならいいけど……」

 ものの数分で終わりそうな作業をする暇もないなんて、普段の善はよほど時間に追われているらしい。
 仕方ないわね、とぼやきつつ煙管を分解し、管の中を覗いてみると、何かが詰まっているのが見えた。

「おや? 向こう側が見えませんね。くんくん……なんだか甘い匂いがします」
「甘い匂い? ……壱丸、細長い棒みたいな物はある? あと、懐紙もあるといいんだけど」
 
 私は壱丸が持ってきた棒に懐紙を巻きつけて、管の中に詰まったものを押し出してみる。
 すると、中から橙色の小さなお花がぽぽぽぽーんとたくさん出てきた。
 甘くて柔らかな香りが周囲にほんのりと広がる。

「これって、金木犀(きんもくせい)……? どうしてこんなものが……」

 懐紙の上に散らばった金木犀を前に私が首を傾げていると、壱丸が「あっ、ぼく知ってますよ!」と前足を上げながら言う。

「このお花を枕元に置いておくと、いい香りでぐっすりと眠れるんだそうです。
 それに、邪気を払う効果もあるんだとか。
 きっと珠希さまが安心して休めるように、しゃちょーがプレゼントしたんですよ!」
「……いつ詰めてたのよ、これを」

 わざわざプレゼントだと悟られないように細工してくるあたりが、なんとも善らしい。
 しかも、煙管の中に詰めて渡すという小粋な演出まで……。

「……本当に、面白い(ひと)ねぇ」

 嫌な夢で暗くなっていた心に、ぽっと光が灯されたようだった。
 善は人を笑顔にするのが本当に上手だ。
 私が心を和ませていると、壱丸がはたと思い出したように言う。

「そういえば、西洋ではお手紙の代わりにお花を贈って気持ちを伝える風習もあるんですよ!」
「ああ、花言葉ってやつ?」

 確かに、西洋の文化にも造詣が深い善なら、これも粋だと思ってやるかもしれない。

「うふふふ、しゃちょーはロマンチストですねぇ〜っ!
 きっと、『珠希さまだ〜いすき!』って意味ですよ〜!」
「そうなのかしらねぇ」

 壱丸はむふふ~と笑いながら、畳の上でごろごろと体をくねらせている。
 けれど、私は嬉しい反面、複雑でもあった。

(……私、善を利用しているのにな)

 私たちは互いの望みをかけて、手を取り合った。
 私を散々に虐げ、惨めな身にしてくれた奴らを打倒するために――すべてを取り戻すために、彼を利用すると決めたのだ。
 使われたい彼の望みと利害が一致したから、手を組んだだけ。
 ……なのに、彼の手はあまりにも温かい。

(分からない。善の行動が、よく分からない)

 遊郭にいた頃のように、戯れで恋人ごっこを仕掛けてきたのなら、理解できる。
 けれど、この花に込められた意味は、きっとそんな軽々しいものじゃない。

(……ねえ、善。貴方は一体、私に何を求めているの?)
 
 声に出ない問いかけは、私の中でひたすら渦を巻き続けていた。