太陽が十二時の針を指す。
真下に現れた影は、どこにも日陰と呼べる場所が無いことを示していた。
汗が地面に落ちていくも、すぐに蒸発してしまうのか、落ちたであろう場所を見ても何も残っていない。
序盤はあんなに出していた声も今では、蚊が鳴くような声量しかない。
そんな状況を見てか須田さんは全員を一旦集まる。
「一度しっかりと水分補給をするためにも、少し休憩にしましょう。汗を拭くときは濡らしたタオルで拭くように! 乾いたタオルで拭いたらせっかくの体温調節がうまく機能しないからね!」
さすがは部長に選ばれただけはあると思う。
しっかりと部員のコトを考えて行動している姿を見て、僕は関心する。
本来ならここでマネージャーたちが「ドリンク作っておきました!」とか「タオルはここにあります!」とか声をかけてくれるのかもしれないが、生憎我らが軟式テニス部にはマネージャーなる部員はいないため、全て自分たちで行う必要がある。
それは硬式テニス部も同じようで、すべて自分たちだけで用意しているようであった。
だからと言うわけではないと思うが、あの戸塚とかいう一年生の不快な声がこちらまで聞こえてくる。
「悠真せんぱぁい! ウチらもそろそろ休憩にしましょうよ!」
そんな声を不快に思っているのはどうやら僕や軟式テニス部だけではないようで、他の硬式テニス部員は口では何も言わないものの、この暑い中にもかかわらず冷ややかな視線を戸塚へと送っていた。
しかし肝心の戸塚はそのことに気づいていないのか、それとも気にしていないのかはわからないが、そんなことお構いなしに一条くんに話しかけ続ける。
「あ、そうだ! ウチ、少しでもみんなが元気になるようにって思って、レモンのはちみつ漬けを作ってきたんですよぉ」
実は現在の硬式テニス部の部長は一条くんがしているらしい。
三年生が引退をした今、最初こそ各テニス部との仲を悪くさせた原因として問題視されており部長の器ではないのではないかと言われていたそうだが、一条くんはシンプルにテニスはうまいし気配りもできるしで、他の部員からの立候補もなく、一条くんがそのまま部長となったらしい。
らしいと言うのは僕が直接一条くんから聞いたわけではないからだ。
そんな一条くんはというと、先ほどから戸塚からのアプローチに対して返事をしていないように見える。
それは僕以外も感じているようで、個人的にはもしかしたら現在喧嘩中なのかもしれないと勝手な妄想をしていたが、僕は見逃さなかった。
――一条くんの顔色が悪い気がする
こんなにも暑いのに汗をかいているようには見えない。
それに若干右手が震えている気がする。
僕はそれを瞬時に熱中症だと判断した。
そこからはもうほとんど記憶がない。
気づいたら僕は硬式テニス部側のコートに歩みを進めていた。
そしてそのまま一条くんに無駄がらみする戸塚を一条くんから引き剥がすと、僕は彼をゆっくりその場に座らせ、手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルを彼の首元に当てる。
「僕のことわかる?」
「…………あま、ね?」
「意識はあるね。とりあえず飲んで」
そう言って首元からペットボトルを剥がすとキャップを外して一条くんに差し出す。
後ろから何やら不快な声で「ウチもスポドリありますよぉ」なんていう雑音が聞こえるが、今はそんな女に構っている場合ではない。
一条くんは震える手で僕の手からペットボトルを受け取ると、一口。そしてもう一口と身体の渇きを癒していく。
「すみません、悠真は熱中症なので保健室に連れていきますね」
「あ、ならウチが運びますよぉ! もう悠真せんぱい! 体調悪いならウチに言ってくださいよぉ」
僕が硬式テニス部にそう告げると、この女は熱中症がどれだけ危険な状態なのかわかっていないのか、またも空気の読めない発言をし、悠真に手を伸ばしてくる。
そんな手をはたき落としてやろうかと思ったその時、僕がはたき落とす前に彼女の手は第三者によってはたき落とされた。
「あんたさ、もっと周り見たら? 重大さがわかってないわけ?」
それは我らが部長の須田さんだった。
「一色くん、はやく連れて行ってあげて! 副部長は誰?」
「はい、俺です!」
「あ、高知くんが副部長なんだ! とりあえず硬式も休憩にさせて! それから顧問の先生に一条くんが熱中症になったことと、一色くんが付き添ってることを伝えて」
「え、あ、はい」
こういう時の女性はかなり強いのだと再認識する。
僕は須田さんに「ありがとう」と告げると、須田さんは軽く左手をあげ微笑んだだけだった。僕がまだ悠真のことを好きじゃなかったら間違いなく須田さんに惚れていただろう。
僕はそんなことを考えながら、悠真に肩を貸し、ゆっくりと歩みを進めながら保健室を目指す。
悠真の体温は布越しでもわかるほど熱く、それが異常であることは火を見るよりも明らかであった。
保健室は開いていたものの、養護教諭の姿はどこにも見えない。
夏休み期間中なのだから、当たり前なのかもしれない。
僕はとりあえず悠真をベッドに寝かせると、濡れたタオルで悠真の身体を拭くために一度保健室を出て、すぐそばの水道へと向かおうとしたところで僕の動きは止まった。
Tシャツの裾を震える手で掴まれているのだ。
「いかないで」
力なく。それでいて儚く告げられたその言葉に僕はゆっくりと振り返る。
「大丈夫。タオル濡らしてくるだけだから」
「名前」
「え?」
「また名前、呼んでくれた」
「あ、ごめん、一条くん」
「やだ、名前がいい……あまね……呼んで?」
「……悠真」
「うん、ありがとう。雨音」
「…………もう一回これ飲んで。タオル濡らしてくるから……」
「……うん」
僕はそう言ってスポーツドリンクを悠真に手渡す。
一口飲んだことを確認してから、僕はタオルを濡らしに廊下に出て、水道の蛇口をひねる。
蛇口からは最初ぬるま湯かと思うほどの水が出てくるが、出し続けることで冷たい水へと変わっていった。それを持ってきていたタオルに染み込ませると、軽く絞って保健室へと戻る。
今日は多めにスポーツドリンクやタオルを持ってきておいて正解だったと思う。
そんなことを考えながら悠真にはTシャツを脱いでもらい、僕は献身的に彼の身体を拭いていく。
「気持ちい?」
「うん、気持ちいい。だいぶ良くなってきたよ」
「……無理しないでよ」
「……ごめん」
沈黙が続く。
僕は悠真にこれ以上無理をさせないために、彼を一人にするべく僕は保健室を後にしようとする。
「じゃあ、僕行くね」
「……いかないで」
「まずは休まないと」
「だいぶ良くなった」
「ダメだよ。先生呼んでくるから寝てて」
「……せっかく話せたから、も、もう少し話したい」
ずるいと思う。
本当にずるいと思う。
この一条悠真という男はどれだけ僕の心を揺るがすのだろうか。
「……ダメだよ。今日は身体を休めることが優先だよ」
悠真は再度僕の裾を今度は震えることなく強く掴む。
「……好きだよ」
「え?」
「あの時はごめん。雨音にひどいことを言った。好きになるんじゃなかったとか思ってもないことを言った……」
「…………」
黙る僕に悠真は一度僕をベッドに座らせると、語りかけるように話し始めた。
「信じてもらえないかもしれないけど、あの時の言葉は本心じゃない。嫌いになったことはない。ずっと好き。大好き」
「うん」
「ここ最近、生きた心地がしなかった。雨音に嫌われたと思って、本当に嫌だった」
「うん」
「一年が入部してきて、少ししてからあの戸塚っていう一人に声をかけられたんだ。直接的に告白されたわけじゃないけど、あそこまで露骨だと嫌でもわかるだろ? だから遠回しに雨音と付き合ってることを匂わせてたんだけど、全く効果なくて……」
「うん」
「それどころか、雨音よりウチのほうがいいですよなんて言い始めて……」
「うん」
「雨音と一緒に帰ると約束してたのに遅刻した日。あの日な、戸塚に雨音のこと悪く言われたんだよ」
「……え?」
「あんな男のどこがいいんだって、先輩は騙されてるんだって、ウチの方が献身的だって……。さすがに怒ろうと思ったよ。でも出来なかった。ここで変に反抗して問題にでもなったら負けるのって大抵男じゃん? だから俺はただそんな戸塚の悪口を黙って聞くしかなかったんだよ」
「………………」
「自分が最低だと思った。好きな人のことを悪く言われてるのに何も言い返せない自分が最低だと思った。だから俺はあの日、雨音と一緒に帰る資格なんて無いと思ったんだ。しかも遅刻してるし」
「じゃあ、好きになるんじゃなかったって言うのは……」
「うん、俺に。自分自身に言ったんだよ。ごめん。最低だよな。頭を冷やしてから連絡をしようとしたんだ。でももうブロックされてて、俺から連絡は出来なかった。教室に何度も行ったけど二年一組全員に邪魔されるし、部活中は戸塚に邪魔されるしでずっと話せなかった」
悠真の手がまた震え始めた。
僕はまだ熱中症が治ってないのだと思ったが、それがすぐに別の意味で震えているのだとわかった。
悠真が大粒の涙をゆっくりと流しながら、僕の目を見ていたからだ。
「ずっと話したかった……ごめん……」
気が付くと僕は悠真を抱きしめていた。
悠真が上半身裸だからか、彼の心音がダイレクトに伝わってくる。それはきっと僕の心音が伝わっているということで、それが少し恥ずかしくなる。
「僕も……好きだよ」
「……ほんと……?」
「うん、僕も話したかった……でも悠真はやっぱり女性の方がいいんだって思ったから……」
そう言うと悠真は僕を強く抱きしめ返してきた。
心音が早くなるのを感じる。
「不安にさせて、ごめん」
「僕も、疑ってごめん……」
悠真の僕を抱きしめる手が緩むと、一度僕を引き剥がす。
改めて僕と正面から目が合った。
体が離れたため、心音が直に聞こえるわけではないのだが、ドクドクと波打っている音ではなく、バクバクと今にも心臓が飛び出てしまいそうな音が聞こえる気がする。
「……もう一度、俺と付き合ってくれますか?」
「――はい、お願いします!」
それからほどなくして、先生が保健室にきて家まで悠真を送ってくれることになった。
熱中症なのだから仕方がない。
またその日は各テニス部含め、すべての部活動に帰宅命令が下されたそうだ。
学校側も熱中症に対する対策が取れていなかったということでの帰宅命令だそうで、夏休みなのだから仕方がないとは思うのだが、保健室に常駐しているはずの養護教諭が不在であったり、部活を生徒に任せっきりで、顧問たちは涼しい職員室の窓から部活の風景を眺めるだけでありと、学校側の責任問題になりえないとして、本日から一週間は部活自体が休みとなった。
せっかく何の予定もない夏休みとなったため、やることは一つだ。
「そこ間違ってる」
「え、まじ? えっと……この公式であってる?」
「合ってるけど……ここで計算ミスしてる」
「うわ! マジじゃん」
学生の一番の仕事は勉学である。
宿題が大量に出されているこの夏休み期間は、部活だけに集中している場合ではない。
そのため今日は昨日から改めて付き合い始めた悠真の家に宿題をしに来ている。だが基本的には宿題を一緒に進めるということはなく、僕が悠真の宿題の手伝いをするといった流れが正しいだろう。
「俺マジで数学苦手だわ……世界史ならまだいけるのに……」
「悠真は暗記得意だよね。数学も公式覚えたらいけるんじゃないの?」
「公式は覚えられるけど、こうやって計算ミスするから……」
「でも暗記が得意なのはすごいよ。僕は暗記が苦手だから英語は全くで……」
「苦手って言っても俺より点数高いじゃん」
「それは、そうかも?」
悠真の部屋はクーラーがついているため、涼しく快適に宿題を進めることができる。
僕と悠真はお互いに馬鹿言いあいながら、着々と宿題を進めていくのだが、突如として悠真の手が止まった。
「あ、あのさ……」
「どうしたの?」
「……キスしたい」
「…………この宿題が終わったらね」
「マジ?」
「え?」
「していいの?」
「……恥ずかしいから聞かないで」
「宿題やる気出てきた!」
「それはよかった」
「あとさ……気になってることあるんだけど……」
歯切れがなんだか悪い。
もしかしてキス以外もしたいのだろうか?
今までしたことがないわけではないが、一か月以上していないことなんてざらだ。そもそも片手でも余るほどしか僕らはしていないのだ。
確かに僕もやりたくないわけではないが、付き合いなおしてからすぐにするのは、ちょっと緊張する。
そんなことを思っていたが、悠真の口から出てきた言葉はそんなことではなかった。
「あの島田ってやつとは、ど、どうなの?」
「…………へぇ?」
間抜けな返事をしてしまった。
「え、ど、どういうこと?」
「島田ってやつと一緒に登下校したりしてただろ? それに俺が一組に乗り込んだときとかえらい喧嘩腰だったし……つ、付き合ったりしてるの?」
「…………え、そっち?」
これでは僕の頭がピンクみたいじゃないか!
恥ずかしい勘違いをしており、顔が赤くなっていくのがわかる。
「え、顔赤いぞ! まじかぁ……そうかぁ……島田と付き合ってたんか」
「え、あ! 違う! 違う! 島田くんとはそういうのじゃなくて!」
「……なら、なに?」
「一組には野球部と料理研究部の同性カップルがいるんだけど……。あ! その二人は最近付き合い始めたんだって! それでその前までは両片思いだろってことでその二人の応援をしてたみたいで、同性カップルに対する熱が強かったらしい……よ」
「……それで雨音を泣かせた俺を許せなかったと……?」
「そういうことらしいです」
「よ、よかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」
バカでかい声で悠真は叫ぶ。
それは僕の鼓膜を破るんじゃないかと思うほどの声量だった。
「雨音が別の男と出来てるのかと思うと、マジで気が気じゃなかった!」
「いや、僕はずっと悠真が好きで……」
そう言い終わる前に僕の口は悠真の柔らかい唇でふさがれた。
突然のことで僕は目を見開いていたが、悠真はしっかりと目を閉じている。
何秒経っただろうか。五秒かもしれないし、十秒以上だったかもしれない。
驚きのあまり時間の経過がわからなかったが、ゆっくりと離れていく彼の唇に名残惜しさを覚えたのはわかった。
「……宿題が終わったらって言ったのに」
「嫌だった?」
「……やっぱりずるいよ」
「少しは自覚してる」
今日はこれ以上宿題は進まないのかもしれない。
あぁ、夏休みが始まったら悠真とは仲直りしたことをみんなに言わないとな。
僕はそんなことを考えながら、次は目を閉じた。
―fin―
真下に現れた影は、どこにも日陰と呼べる場所が無いことを示していた。
汗が地面に落ちていくも、すぐに蒸発してしまうのか、落ちたであろう場所を見ても何も残っていない。
序盤はあんなに出していた声も今では、蚊が鳴くような声量しかない。
そんな状況を見てか須田さんは全員を一旦集まる。
「一度しっかりと水分補給をするためにも、少し休憩にしましょう。汗を拭くときは濡らしたタオルで拭くように! 乾いたタオルで拭いたらせっかくの体温調節がうまく機能しないからね!」
さすがは部長に選ばれただけはあると思う。
しっかりと部員のコトを考えて行動している姿を見て、僕は関心する。
本来ならここでマネージャーたちが「ドリンク作っておきました!」とか「タオルはここにあります!」とか声をかけてくれるのかもしれないが、生憎我らが軟式テニス部にはマネージャーなる部員はいないため、全て自分たちで行う必要がある。
それは硬式テニス部も同じようで、すべて自分たちだけで用意しているようであった。
だからと言うわけではないと思うが、あの戸塚とかいう一年生の不快な声がこちらまで聞こえてくる。
「悠真せんぱぁい! ウチらもそろそろ休憩にしましょうよ!」
そんな声を不快に思っているのはどうやら僕や軟式テニス部だけではないようで、他の硬式テニス部員は口では何も言わないものの、この暑い中にもかかわらず冷ややかな視線を戸塚へと送っていた。
しかし肝心の戸塚はそのことに気づいていないのか、それとも気にしていないのかはわからないが、そんなことお構いなしに一条くんに話しかけ続ける。
「あ、そうだ! ウチ、少しでもみんなが元気になるようにって思って、レモンのはちみつ漬けを作ってきたんですよぉ」
実は現在の硬式テニス部の部長は一条くんがしているらしい。
三年生が引退をした今、最初こそ各テニス部との仲を悪くさせた原因として問題視されており部長の器ではないのではないかと言われていたそうだが、一条くんはシンプルにテニスはうまいし気配りもできるしで、他の部員からの立候補もなく、一条くんがそのまま部長となったらしい。
らしいと言うのは僕が直接一条くんから聞いたわけではないからだ。
そんな一条くんはというと、先ほどから戸塚からのアプローチに対して返事をしていないように見える。
それは僕以外も感じているようで、個人的にはもしかしたら現在喧嘩中なのかもしれないと勝手な妄想をしていたが、僕は見逃さなかった。
――一条くんの顔色が悪い気がする
こんなにも暑いのに汗をかいているようには見えない。
それに若干右手が震えている気がする。
僕はそれを瞬時に熱中症だと判断した。
そこからはもうほとんど記憶がない。
気づいたら僕は硬式テニス部側のコートに歩みを進めていた。
そしてそのまま一条くんに無駄がらみする戸塚を一条くんから引き剥がすと、僕は彼をゆっくりその場に座らせ、手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルを彼の首元に当てる。
「僕のことわかる?」
「…………あま、ね?」
「意識はあるね。とりあえず飲んで」
そう言って首元からペットボトルを剥がすとキャップを外して一条くんに差し出す。
後ろから何やら不快な声で「ウチもスポドリありますよぉ」なんていう雑音が聞こえるが、今はそんな女に構っている場合ではない。
一条くんは震える手で僕の手からペットボトルを受け取ると、一口。そしてもう一口と身体の渇きを癒していく。
「すみません、悠真は熱中症なので保健室に連れていきますね」
「あ、ならウチが運びますよぉ! もう悠真せんぱい! 体調悪いならウチに言ってくださいよぉ」
僕が硬式テニス部にそう告げると、この女は熱中症がどれだけ危険な状態なのかわかっていないのか、またも空気の読めない発言をし、悠真に手を伸ばしてくる。
そんな手をはたき落としてやろうかと思ったその時、僕がはたき落とす前に彼女の手は第三者によってはたき落とされた。
「あんたさ、もっと周り見たら? 重大さがわかってないわけ?」
それは我らが部長の須田さんだった。
「一色くん、はやく連れて行ってあげて! 副部長は誰?」
「はい、俺です!」
「あ、高知くんが副部長なんだ! とりあえず硬式も休憩にさせて! それから顧問の先生に一条くんが熱中症になったことと、一色くんが付き添ってることを伝えて」
「え、あ、はい」
こういう時の女性はかなり強いのだと再認識する。
僕は須田さんに「ありがとう」と告げると、須田さんは軽く左手をあげ微笑んだだけだった。僕がまだ悠真のことを好きじゃなかったら間違いなく須田さんに惚れていただろう。
僕はそんなことを考えながら、悠真に肩を貸し、ゆっくりと歩みを進めながら保健室を目指す。
悠真の体温は布越しでもわかるほど熱く、それが異常であることは火を見るよりも明らかであった。
保健室は開いていたものの、養護教諭の姿はどこにも見えない。
夏休み期間中なのだから、当たり前なのかもしれない。
僕はとりあえず悠真をベッドに寝かせると、濡れたタオルで悠真の身体を拭くために一度保健室を出て、すぐそばの水道へと向かおうとしたところで僕の動きは止まった。
Tシャツの裾を震える手で掴まれているのだ。
「いかないで」
力なく。それでいて儚く告げられたその言葉に僕はゆっくりと振り返る。
「大丈夫。タオル濡らしてくるだけだから」
「名前」
「え?」
「また名前、呼んでくれた」
「あ、ごめん、一条くん」
「やだ、名前がいい……あまね……呼んで?」
「……悠真」
「うん、ありがとう。雨音」
「…………もう一回これ飲んで。タオル濡らしてくるから……」
「……うん」
僕はそう言ってスポーツドリンクを悠真に手渡す。
一口飲んだことを確認してから、僕はタオルを濡らしに廊下に出て、水道の蛇口をひねる。
蛇口からは最初ぬるま湯かと思うほどの水が出てくるが、出し続けることで冷たい水へと変わっていった。それを持ってきていたタオルに染み込ませると、軽く絞って保健室へと戻る。
今日は多めにスポーツドリンクやタオルを持ってきておいて正解だったと思う。
そんなことを考えながら悠真にはTシャツを脱いでもらい、僕は献身的に彼の身体を拭いていく。
「気持ちい?」
「うん、気持ちいい。だいぶ良くなってきたよ」
「……無理しないでよ」
「……ごめん」
沈黙が続く。
僕は悠真にこれ以上無理をさせないために、彼を一人にするべく僕は保健室を後にしようとする。
「じゃあ、僕行くね」
「……いかないで」
「まずは休まないと」
「だいぶ良くなった」
「ダメだよ。先生呼んでくるから寝てて」
「……せっかく話せたから、も、もう少し話したい」
ずるいと思う。
本当にずるいと思う。
この一条悠真という男はどれだけ僕の心を揺るがすのだろうか。
「……ダメだよ。今日は身体を休めることが優先だよ」
悠真は再度僕の裾を今度は震えることなく強く掴む。
「……好きだよ」
「え?」
「あの時はごめん。雨音にひどいことを言った。好きになるんじゃなかったとか思ってもないことを言った……」
「…………」
黙る僕に悠真は一度僕をベッドに座らせると、語りかけるように話し始めた。
「信じてもらえないかもしれないけど、あの時の言葉は本心じゃない。嫌いになったことはない。ずっと好き。大好き」
「うん」
「ここ最近、生きた心地がしなかった。雨音に嫌われたと思って、本当に嫌だった」
「うん」
「一年が入部してきて、少ししてからあの戸塚っていう一人に声をかけられたんだ。直接的に告白されたわけじゃないけど、あそこまで露骨だと嫌でもわかるだろ? だから遠回しに雨音と付き合ってることを匂わせてたんだけど、全く効果なくて……」
「うん」
「それどころか、雨音よりウチのほうがいいですよなんて言い始めて……」
「うん」
「雨音と一緒に帰ると約束してたのに遅刻した日。あの日な、戸塚に雨音のこと悪く言われたんだよ」
「……え?」
「あんな男のどこがいいんだって、先輩は騙されてるんだって、ウチの方が献身的だって……。さすがに怒ろうと思ったよ。でも出来なかった。ここで変に反抗して問題にでもなったら負けるのって大抵男じゃん? だから俺はただそんな戸塚の悪口を黙って聞くしかなかったんだよ」
「………………」
「自分が最低だと思った。好きな人のことを悪く言われてるのに何も言い返せない自分が最低だと思った。だから俺はあの日、雨音と一緒に帰る資格なんて無いと思ったんだ。しかも遅刻してるし」
「じゃあ、好きになるんじゃなかったって言うのは……」
「うん、俺に。自分自身に言ったんだよ。ごめん。最低だよな。頭を冷やしてから連絡をしようとしたんだ。でももうブロックされてて、俺から連絡は出来なかった。教室に何度も行ったけど二年一組全員に邪魔されるし、部活中は戸塚に邪魔されるしでずっと話せなかった」
悠真の手がまた震え始めた。
僕はまだ熱中症が治ってないのだと思ったが、それがすぐに別の意味で震えているのだとわかった。
悠真が大粒の涙をゆっくりと流しながら、僕の目を見ていたからだ。
「ずっと話したかった……ごめん……」
気が付くと僕は悠真を抱きしめていた。
悠真が上半身裸だからか、彼の心音がダイレクトに伝わってくる。それはきっと僕の心音が伝わっているということで、それが少し恥ずかしくなる。
「僕も……好きだよ」
「……ほんと……?」
「うん、僕も話したかった……でも悠真はやっぱり女性の方がいいんだって思ったから……」
そう言うと悠真は僕を強く抱きしめ返してきた。
心音が早くなるのを感じる。
「不安にさせて、ごめん」
「僕も、疑ってごめん……」
悠真の僕を抱きしめる手が緩むと、一度僕を引き剥がす。
改めて僕と正面から目が合った。
体が離れたため、心音が直に聞こえるわけではないのだが、ドクドクと波打っている音ではなく、バクバクと今にも心臓が飛び出てしまいそうな音が聞こえる気がする。
「……もう一度、俺と付き合ってくれますか?」
「――はい、お願いします!」
それからほどなくして、先生が保健室にきて家まで悠真を送ってくれることになった。
熱中症なのだから仕方がない。
またその日は各テニス部含め、すべての部活動に帰宅命令が下されたそうだ。
学校側も熱中症に対する対策が取れていなかったということでの帰宅命令だそうで、夏休みなのだから仕方がないとは思うのだが、保健室に常駐しているはずの養護教諭が不在であったり、部活を生徒に任せっきりで、顧問たちは涼しい職員室の窓から部活の風景を眺めるだけでありと、学校側の責任問題になりえないとして、本日から一週間は部活自体が休みとなった。
せっかく何の予定もない夏休みとなったため、やることは一つだ。
「そこ間違ってる」
「え、まじ? えっと……この公式であってる?」
「合ってるけど……ここで計算ミスしてる」
「うわ! マジじゃん」
学生の一番の仕事は勉学である。
宿題が大量に出されているこの夏休み期間は、部活だけに集中している場合ではない。
そのため今日は昨日から改めて付き合い始めた悠真の家に宿題をしに来ている。だが基本的には宿題を一緒に進めるということはなく、僕が悠真の宿題の手伝いをするといった流れが正しいだろう。
「俺マジで数学苦手だわ……世界史ならまだいけるのに……」
「悠真は暗記得意だよね。数学も公式覚えたらいけるんじゃないの?」
「公式は覚えられるけど、こうやって計算ミスするから……」
「でも暗記が得意なのはすごいよ。僕は暗記が苦手だから英語は全くで……」
「苦手って言っても俺より点数高いじゃん」
「それは、そうかも?」
悠真の部屋はクーラーがついているため、涼しく快適に宿題を進めることができる。
僕と悠真はお互いに馬鹿言いあいながら、着々と宿題を進めていくのだが、突如として悠真の手が止まった。
「あ、あのさ……」
「どうしたの?」
「……キスしたい」
「…………この宿題が終わったらね」
「マジ?」
「え?」
「していいの?」
「……恥ずかしいから聞かないで」
「宿題やる気出てきた!」
「それはよかった」
「あとさ……気になってることあるんだけど……」
歯切れがなんだか悪い。
もしかしてキス以外もしたいのだろうか?
今までしたことがないわけではないが、一か月以上していないことなんてざらだ。そもそも片手でも余るほどしか僕らはしていないのだ。
確かに僕もやりたくないわけではないが、付き合いなおしてからすぐにするのは、ちょっと緊張する。
そんなことを思っていたが、悠真の口から出てきた言葉はそんなことではなかった。
「あの島田ってやつとは、ど、どうなの?」
「…………へぇ?」
間抜けな返事をしてしまった。
「え、ど、どういうこと?」
「島田ってやつと一緒に登下校したりしてただろ? それに俺が一組に乗り込んだときとかえらい喧嘩腰だったし……つ、付き合ったりしてるの?」
「…………え、そっち?」
これでは僕の頭がピンクみたいじゃないか!
恥ずかしい勘違いをしており、顔が赤くなっていくのがわかる。
「え、顔赤いぞ! まじかぁ……そうかぁ……島田と付き合ってたんか」
「え、あ! 違う! 違う! 島田くんとはそういうのじゃなくて!」
「……なら、なに?」
「一組には野球部と料理研究部の同性カップルがいるんだけど……。あ! その二人は最近付き合い始めたんだって! それでその前までは両片思いだろってことでその二人の応援をしてたみたいで、同性カップルに対する熱が強かったらしい……よ」
「……それで雨音を泣かせた俺を許せなかったと……?」
「そういうことらしいです」
「よ、よかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」
バカでかい声で悠真は叫ぶ。
それは僕の鼓膜を破るんじゃないかと思うほどの声量だった。
「雨音が別の男と出来てるのかと思うと、マジで気が気じゃなかった!」
「いや、僕はずっと悠真が好きで……」
そう言い終わる前に僕の口は悠真の柔らかい唇でふさがれた。
突然のことで僕は目を見開いていたが、悠真はしっかりと目を閉じている。
何秒経っただろうか。五秒かもしれないし、十秒以上だったかもしれない。
驚きのあまり時間の経過がわからなかったが、ゆっくりと離れていく彼の唇に名残惜しさを覚えたのはわかった。
「……宿題が終わったらって言ったのに」
「嫌だった?」
「……やっぱりずるいよ」
「少しは自覚してる」
今日はこれ以上宿題は進まないのかもしれない。
あぁ、夏休みが始まったら悠真とは仲直りしたことをみんなに言わないとな。
僕はそんなことを考えながら、次は目を閉じた。
―fin―



