星と神様が消えた日


 
 夢を、見た。
 関係に終わりなどないと信じて疑っていなかった夢を。
 だけど、その夢に終わりはあった。
 残す方。残される方。
 どちらの方がより悲しいのだろう。
 考えたくもなかったから。
 ぼくは星降る夜空の向こうに居るであろう神様にそっと祈った。
「ずっと、一緒に居させてください」
 星がたくさん降る夜だったから。
 どれか一個くらいはぼくのお願いを神様に届けて、それを知った神様が願いを叶えてくれないかなって思った。
 
「なんかねー、不思議な夢を見たんだー」
「どんな」
 机にべったり上半身を預けるぼくに、結城は軽く首を傾げた。
「ぼくらがまるで人間みたいなえーあいロボットで、人間と戦うの」
「ふぅん」
「その世界でも、ぼくと結城はずっと一緒に居てさー」
「ふむ」
「だけど、一緒じゃなくなっちゃうの……」
 語尾を弱くしたら、結城の手が頭に乗った。
「それは不思議な夢だな」
「でしょー。何だろう、前世の記憶的な……? あ、でもえーあいロボットなら、未来の話かな」
「或いは平行線の世界か」
「へいこーせん?」
「パラレルワールドというやつだ」
 同じ人物が違う世界軸で生きている世界のこと、と説明されて、ふぅんと頷く。
「パラレルワールド、かぁ」
 それって、色んなぼくたちが色んな世界で暮らしているってことだよね。
 どの世界でも、ぼくは結城の傍に居ると良いなぁ。
 結城は高校の先生。ぼくは生徒。
 ただ、ぼくらの関係はそれだけに留まらず、小指には赤い糸が結ばれていた。
 所謂イケナイ関係。
 でもそれが悪いことだとはまったく思わないし、寧ろその背徳感がぼくの神経を甘く刺激していた。
 最初、結城はぼくの好きを真剣に受け止めてくれなかった。
 動物とか、食べ物とか。そういうのが好きっていうのと同じ好きだろう、って。
 違うんだよ。もっと特別なんだ。
 結城が違う生徒と喋っていると機嫌が悪くなるし、結城と一緒に居られない時間は寂しくて少し悲しくて、泣きたくなるんだって。
 何回も何回もぼくの結城に対する好きの本意をぶつけたら、結城は漸くぼくと真っ直ぐに向き合ってくれた。
「それは恋愛感情で間違いないのか」
「間違いなんかじゃない」
 倫理の授業で、年上の同性に抱く好意はしばしば恋愛感情に酷似した憧憬であり、恋愛感情とはまた別のものなのだという話を聞いたけれど。
 ぼくの好きは憧憬なんて言葉の範疇を超えている。
 だって、結城とセックスしたいとかまで考えてるんだよ?
 それが恋愛感情じゃなかったら何なのさ。
「だったら」
 すいと引き合うように重なった影。
 触れた場所が火傷をしたように熱を持った。
「ゆう、き」
「今はまだ引き返せるぞ。逃げないのなら、喰らう」
 唇を親指の腹でなぞられて、背筋が痺れた。
「逃げ、ないよ」
「後悔しても知らないぞ」
「後悔なんか、しない」
 後悔なんかしない。絶対、だ。
 その証拠だと云わんばかりに、ぼくは結城の襟元を掴んで、今度は自分から影を重ねた。
 初めての経験をした後で、結城に問う。
「結城は、ぼくのこと、すき?」
 その台詞に結城は一瞬だけ呆気にとられたような顔をしてから眉間に深く皺を刻んだ。
「お前は馬鹿なのか」
「なっ、馬鹿ってひどい!」
「他に何と云えば良いのか判らない」
 大袈裟な溜息を吐き出して、結城はぼくの耳元に唇を寄せた。
「特別な感情を抱いていない奴を相手にする程好きモノじゃない」
 それも、生徒相手にだなんて普通に考えたら言語道断だ。
 付け足された言葉に思わず口許を緩める。
「ホントは手を出しちゃダメって判ってるけど、ぼくのこと好きだから……って意味で合ってる?」
 ふふと両手を口許で合わせたら、手を解かれて軽く触れるだけのキスをされた。
「正解だ」
 にやり、結城の口端が上がったのを見て、ぼくは相好を崩した。
 こんな風に、ぼくと結城の秘密の関係は始まった。
 時たま学校で秘密の交わりをする。
 スリリングな体験はぼくの熱情を大層煽った。
 こっそりキスをして、セックスをして。二人で背徳感に酔い痴れた。
 外でのデートはぼくが卒業するまで出来ないからってお預け。
 高校二年生で結城とイケナイ関係になって、三年生の夏休みには、ぼくが高校を卒業したら一緒に暮らそうねって話をした。
 ぼくはその為に進学先を早々に確定させてアルバイトに励んだし、結城もひと部屋多い家に引っ越してくれた。
 卒業したらきっと今より楽しくて嬉しくて幸せな毎日が待っているんだろうなって、ぼくは信じて疑っていなかった。
 二学期の終業式まで、は。
 終業式はクリスマス。外で堂々とデートらしいデートは出来ないけれど、学校の最寄り駅まで一緒に帰るくらいは良いよねって結城の帰り支度が終わるまで昇降口で音楽を聴いていた。
 駅前は今イルミネーションが鮮やかだ。それを一緒に眺めるだけでもぼくにとっては充分なデートだといえる。
『無重力で堕ちていく星が綺麗だね』
 そんなフレーズを聴いたのと同時にイヤホンの片方を取られた。
「帰るぞ」
 ぼくの耳から抜いたイヤホンをころりと手の中に落としてきた結城に、ぼくは大きく頷いた。
 靴を履き替えて駅までの道のりを並んでゆっくり歩く。
 寒いねーって手を擦り合わせながら白い吐息を揺らす。
「ねーゆうきー、もー少しだねー」
 ぼくの卒業まで。
 一緒に暮らせるまで。
 楽しみだなぁ、って。
 隣を見たら、結城が居なかった。
「あれ、ゆう、き……っ?」
 自然と後方に回った首。
 背後に向けた視界の中で、結城が額に手を当てて立ち尽くしていた。
「結城、どーしたの? 具合悪い?」
 数歩駆け戻って結城の肩に手を乗せる。ちらり、指の隙間からぼくを見た結城は、次の瞬間ふっとその場に崩れ落ちた。
「えっ、結城? ゆうきっ? どーしたのっ?」
 地面に倒れ込みそうな結城の上半身を支えながら結城の肩を叩くけど、反応はない。
 どうしよう。こんな時どうしたら良いんだっけ。
 周りの人が遠巻きにぼくたちを見ては去って行く。
 あぁ、そうだ、救急車……。
 やっと思い付いて、ぼくは震える手で携帯に縋った。
 付き添って、病院へ。
 様々な検査が終わるまで何時間待ったか。
 待合のベンチに座っていたぼくをお医者さんが呼んだ。
 関係性を訊かれて、高校の教師と生徒だと答える。
 そうしたら高校はどこかと更に訊かれてまた答えたけど、それより、とぼくはお医者さんの顔を覗き込んだ。
「結城、どうした、んですか?」
「詳しいことはご親族にしか話せません」
 冷たい一言が、ぼくの頭を殴った。
 結局ぼくは何にも教えてもらえないまま、もう面会時間も終わっているからと病院を追い出された。
 茫然自失。そんな言葉がしっくりくる様子でぼくは殆ど無意識に家に帰って翌朝を迎えた。
 朝一番、家を飛び出して結城が運ばれた病院に駆け込む。
 病室に滑り込んで、小さく名前を読んでからクリーム色のカーテンを引いた。
 点滴の管が繋がれた結城の顔色は悪い。
 ベッドの横の丸椅子に腰を落として結城を見下ろす。
 どうして? どうしたの?
 色素の薄い髪の毛に指を差し込んだら、僅かに揺らいだ睫毛。
 薄っすらと結城の瞼が持ち上がった。
「ゆうき!」
 場を弁えた声量で結城の名前を叫ぶ。
「叶……?」
「大丈夫? 苦しい? 痛い? それとも……」
「……落ち着け」
 結城の苦笑いに、ぼくは乗り出した身をそっと引いた。
「結城、どうしたの……?」
 ベッドの中の手をそっと握って問う。
「……済まない」
 ぼくからすいと視線を逸らした滅に首を傾げる。
「なにが……?」
「俺はお前に、云っていなかったことがある」
「な、に……?」
 硬い結城の声音がぼくの不安を煽るから。結城の視線がぼくを再び捉えるまで、ぼくは結城の手をぎゅっと握り締めた。
 ゆっくりとぼくに視線を戻した結城はぽつり、ぽつり語り出した。
 幼少期に難病を患ったこと。
 快復したと思っていたそれが再発したこと。
 寿命はもう残り僅かだと宣告されたこと。
「そんなの、うそ、だ」
 昨日の今日でそんな展開ってある?
 零れたのは乾いた笑い。
「嘘じゃない」
 そもそもこの年まで生きてこれたことの方が奇跡だったんだって結城は諦観を匂わせた。
「治らないの」
「無理だな」
「…………」
 色のない結城の声音が胸の奥を凍らせていく。
 そんなの、嫌だ。
 結城が居ない世界なんて嫌だ。
 一緒じゃなくなるなんて、まるで、以前見た夢のようじゃないか。
「結城は、ぼくを一人にする気……?」
「そう、なるかも知れない……」
「いやだよ」
「だが仕方がな、」
「仕方なくなんてない」
 仕方なくなんてないよ、って繰り返して。ぼくは下唇を噛んだ。
「ねえ、ゆうき」
 結城はずっとぼくと一緒に居たいって思ってくれてる?
 病気がどうとかそういう問題を抜きにして。
 ただ、純粋に。心が一緒に居たいって、そう思っていてくれてる?
 普段のぼくらしからぬ声に結城は刹那逡巡してから、腕を伸ばしてきてぼくの頬に手を添えた。
「俺は、お前と一緒に居られることが一番の幸せだと思っている」
 しっとりと紡がれた言葉に、ぼくはじゃあ、ととびきりの笑顔を咲かせた。
「じゃあ、ずっと一緒に居よう」
 添えられた手に手を重ねて。
 ぼくは幸せな夢を見るように目を瞑った。
 
 神様は何て意地悪なんだろう。
 こんな形でぼくと結城を切り裂こうだなんて。
 意地悪、を通り越していっそ愚かしいとさえ思った。
 
 結城が退院したのは三学期が始まって少ししてから。
 お見舞いは控えろと云われたし、結城の家に行くことなんて以ての外だったから、毎日メッセージの交換や電話だけしていた。
 センター試験も終わって本格的な授業がなくなった二月。
 学外では会わない。
 特別な関係を結んでからそういう約束をしていたけれど、ぼくは卒業する前にせめて一度だけでも会わせてって結城にお願いした。一緒に行きたいところがあるんだ、って。
 きっとぼくの卒業までには復職出来ないだろうから、と結城はぼくの要望を聞き入れてくれた。
 始発で待ち合わせて電車に乗った。最後尾車両の一番端っこ。
 誰も乗ってこない車両で二人、寄り添って流れていく景色をただただぼうっと眺めた。
 ぼくが目指したのは終点。
 終着駅に着いた頃にはもう空は綺麗な水色だった。
「行きたいところ、とは?」
「んー、着くまで秘密ー」
 結城の手を取ってのんびり歩く。
 頭の中に写し込んだ地図を頼りに住宅街とも云えない住宅街をすり抜けていく。
 風は少し冷たいけれど、太陽はぽかぽか。
 小一時間歩いて辿り着いたのは自然公園。
「あのね、ここ、端っこの端っこが崖になってるんだ」
 その言葉の意味を、結城はすぐに理解してくれるだろうか?
 疑念は杞憂に変わる。
「そう、か」
 ふっ、と吐息を揺らした結城に目を細める。
 結城の手を握ったまま自然公園の奥へ奥へと歩んでいく。
 細い歩道の両脇には白い花がたくさん。
 ほう、と結城が一瞬足を止める。
「結城?」
「いや、早咲きだな、と思って」
「? この花?」
「あぁ……叶は、この花の名前は知らないのか?」
「んー、知らない」
「そう、か」
 意味ありげな声音は、しかしぼくが気付ける程の変化じゃなかった。
「端っことうちゃーく!」
 丁度頭の上くらいまであるフェンスの金網に指を引っ掛けてカシャンと鳴らす。
 金網の向こうにも白い花はたくさん。
 天使の羽が散らかってるみたいで綺麗だなって思った。
「ね、結城、フェンス登れる?」
「それくらい出来る」
 先にフェンスを登ったぼくを追って結城もフェンスの金網を越えてくる。
 三メートル歩いたら、二歩先は空色だった。
 もう神様なんて知らない。
 願いが叶わないのならそれでも良い。
 神様なんてクソ食らえ。
 神様が叶えてくれないのなら、自分たちで叶えるまでだ。
 星のない青空に熱っぽい吐息を投げて、結城の手を握り直す。
 融ける体温が愛おしい。
「ねぇ、ゆうき。最期まで、一緒に居よう」
 覗き込んだ横顔には淡い笑み。
 ぼくも微笑み返して目を閉じる。
 手を繋いだまま。
 ワン、ツーステップで宙を踏む。
 重力がぼくたちの平衡感覚を奪った。
 視界を埋めるのは目に痛いくらいの青。
「空が落ちてくるみたいだ」
 そう思ったけど、ぼくが見たいのはそんな光景じゃなくてね。
 ゆるりと右を向けば、同時にこちらを向いた顔。
 あぁ、おんなじ気持ちなんだなって顔が綻ぶ。
 見詰め合って、絡めた視線は雁字搦め。もう解くことなんて出来やしない。
 物理学の先生が云っていた。落ち切るまでには六秒間の後悔が存在すると。
 だけど後悔なんてコンマ一秒だって感じない。
 最期の最期まで一緒に居られるんだから。
 六秒間のカウントダウンは幸せへのカウントアップ。
 強く腕を引いてぶつけた唇。
 鼓膜を打った衝撃音が意識を拐っていってもぼくたちは体温を重ねたまま。
 互いの酸素を貪り合って、二酸化炭素で肺を潰した。
 永遠に愛し合えない世界になんて用はない。
 ぼくたちは永遠に愛し合える場所を探して深い青の底に沈んだ。
 ねぇ、今度こそ。
 終わりのない世界で愛し合おう。
 
 最期に見たのはキラキラと飴色を透かす青色だった。
 
「あの花は、ガーベラだ」
 ふと、そんな声を聞いた気がした。