「日野、りんご飴あげる」
後夜祭が始まり、全校生徒で表彰式を終えた後、俺は約束通り、九条くんと靴箱で落ち合った。キャンプファイヤーが始まる日暮れまで自由時間だ。
校内の雰囲気はまさに祭り。賑わっている。
「あ、ありがとう」
会うなり差し出されたりんご飴を受け取ると、「りんご飴見たら、なんか日野にあげたくなったんだよね」といつもの調子で九条くんが笑った。
もらう時、わずかに指先が触れ、ドキリとする。
離れていく彼の手を見送りながら、昼間の出来事がよみがえる。
九条くんと新山さんがいた中庭から、猛ダッシュで行きついたのは屋上だった。眩しい日差しは暑いくらいで、でも、かまうことなくベンチに座った。
やっと呼吸は落ち着いてきたが、胸の中はざわざわと揺れたままだった。
九条くんの手を掴んで、何か言いかけていた新山さん。空気とか内容的にあれってつまり、「……告白?」
自分で声に出しておいて、頭を棒で殴られたような衝撃を受けた。最後まで聞いたわけではないから、実際はわからない。けど、たぶん、絶対そうに違いない。
(でも、どうして俺はこんなにショックを受けているんだろう。逃げ出したりして……)
前に、九条くんと可愛い女子が並んでいるところを勝手に想像してしまった時は、胸がモヤモヤする程度だったのに。
今回は生身の人間だったせいか、痛みすら感じた。
その理由を知りたくて、何度も自分の胸に手を当ててて聞いてみたが、答えは出ない。
深いため息をついたあと、ふと、九条くんの顔が浮かんだ。困っていたし、傷ついていたように見えた。
(園芸部と、俺のことも話してたな)
日野は関係ないと、庇ってくれたのは正直嬉しかったけれど。
臨時園芸部員をするために、顧問の先生と部員にわざわざ許可をもらい、バスケ部に出る時間を削って。俺の前では何でもないように振舞っていてくれたのだ。きっと、大変だったはずだ。
なのに、俺はそんなことにも気づけないまま、いや。ちゃんと気づいていたのに、九条くんの誠実さに甘えていたのだ。
(俺、最悪なやつだ……)
中庭でのことがなかったら、俺は彼に甘え続けていたかもしれない。現に、手首の調子は回復してきているのに、臨時部員終了の提案をできないでいたのだから。九条くんの積み重ねてきた努力や周りからの信頼を、無駄にするところだった。
「……大切なのに」
ぽろりと零れた言葉に、はっとする。……たいせつ? 九条くんのことが? 確かに今、自分の口はそう言ったのだ。
自覚した途端に、ぶわわ、と顔に熱が昇った。心臓は忙しなく鼓動している。「九条くん」と心の中で呟くだけで、彼の笑った顔とか優しい声とか思い出すだけで、きゅうっと胸の中が甘く絞られた。
「あ、お、おれ……」信じられない気持ちで、ペタペタと熱い頬を確認する。
「俺、九条くんのことが好き?」
それも、友達としてじゃなく、恋愛的な意味でだ。
だから、女子が彼と並ぶと心が軋むし、告白なんてされた日には息もまともにできない気さえしたのだ。やっと手にした答えは、探していたパズルのパーツが見つかった時のように、しっくりと馴染んだ。けれど、自分が秘めていた独占欲と嫉妬に唖然とする。
「う、ううー」
俺はベンチに座ったまま、膝を抱えて丸くなった。
(これ、どう考えても、九条くんにばれたらダメなやつだよね……)
しばらく考えて、やっと熱が落ち着いた顔を上げた。
初めて恋を知ったというのに、俺を掻き立てるのは高揚感なんかではなく、罪悪感だった。
俺の怪我のことが無ければ、九条くんは園芸部に入部しなかっただろうし、新山さんが彼を責めることもなかっただろう。九条くんが昔の俺みたいに、感情が抜けおちたような顔をすることはなかったのだ。
俺は両親からかけられる期待に耐えられなくなって逃げたただの意気地なしだけど、九条くんにはいろんな人に好かれるバスケ部のエースだ。
彼が人知れず、誰もいない早朝からトレーニングをし努力しているのを知っているから、何かを諦めたりして欲しくない。
それに、もし万が一、俺の気持ちを知られでもしたら、友達という奇跡みたいな関係さえ危うくなる。どう転んでも、今までみたいに俺に構ってくれていては、彼の為に良くない。
ぐるぐると考えた末に、俺が九条くんのためにできることは一つだという考えに至ったのだった。
キャンプファイヤーの炎が、揺れているのが見える。
大きな火を中心に、みんな思い思いの場所でそれを見守っていた。
俺はというと、グラウンドの端、火から離れたバスケットゴールの下に九条くんと並んで座っている。九条くんがくれたりんご飴は、とっても甘く、時々すごく酸っぱい。まるで、自覚したばかりの初恋の味みたいだと思った。
「日野。口、切らないように気をつけて食べて」
「うん」
隣でくつろいでいる九条くんは、いつも通り優しい。りんご飴の飴の部分みたいだ。
シャリシャリと咀嚼していたら、「なぁ、ひと口もらっていい?」と切れ長の瞳が覗き込んできた。
「でも、食べかけ……」
言ってる途中なのに、大きな手が俺の手ごと掴んで、りんご飴を引き寄せた。
「平気平気。気にしない」
形の良い唇が近づいて、かぷりと潔くかぶりつく。伏せ気味になった睫毛が思いのほか長くて艶やかで、つい見入ってしまう。性格も容姿も、こんなに完璧な人がいるんだろうか。なんともない仕草なのに、
(九条くん、かっこいいな)
出会った時から容姿端麗なのはわかっていたけど。恋を自覚した今、特別フィルターが掛かったみたいに胸を締めつける。
「んー。りんご酸っぱいね」
ぺろりと唇を舐めた九条くんが、眉尻を下げる。よほどだったのか、顔をくしゃくしゃにした彼が「あーあ」とつまらなそうに嘆いた。
「日野が作ってくれた甘夏の蜂蜜漬けが恋しいなあ」
拗ねたように言って、いつものように、ふわりと笑いかけてくる。
自慢の一品を恋しく思ってもらえるなんて嬉しい。つられて笑顔になり、「そんなのいつでも」と言いかけて慌ててやめた。
笑ってる場合じゃない。他に言わなければいけないことがあるのだ。
何かを言いかけて固まってしまった俺を見て、九条くんが「日野?」と首を傾げる。優しい呼び方に、気持ちが揺らぐ。
ああもう、やっぱりだめだ。このまま側にいたら、きっとありえないことを口走ってしまう。
俺はりんご飴の棒の所をぎゅっと握りしめて、九条くんのほうへと向き直った。
「九条くん。急にこんなこと言うの、申し訳ないんだけど聞いてくれる?」
「改まってどうした?」
俺が緊張しているのを感じたのか、九条くんがわずかに背筋を伸ばすのがわかった。無意識でも、優しい人なのだ。そんな彼を傷つけるかもしれない。でも……。
できるだけ自然に、声が震えてしまわないように。俺は静かに告げた。
「もう、園芸部には来なくていいよ」
言葉を発した瞬間、裂かれるように胸がズキンと痛んだ。九条くんは、見たことないくらい目を丸くしている。
「え? でも手首がまだ……」
「治った。治ったから、もう平気なんだ」
短く早口に言って、俺はすくと立ち上がった。
「ごめんね」
言い終わるより先に、走り出していた。言い逃げなんて卑怯なのはわかっている。でもこれ以上、彼と顔を合わせていられない。
「日野?!」
九条くんの大きな声が背中に届く。振り返ったら、決心が揺らいでしまう。そんなのはダメだ。
俺は靴箱まで来て、ようやく走るスピードを緩めた。途端に熱い涙が頬をつたって、一粒、二粒と雫が次から次に落ちていく。
(これでよかったんだ……)
九条くんを解放して離れること。それが俺ができるただ一つのことなのだ。
俺はともすれば立ち止まりそうになる足を懸命に動かし、教室へ向かった。
後夜祭が始まり、全校生徒で表彰式を終えた後、俺は約束通り、九条くんと靴箱で落ち合った。キャンプファイヤーが始まる日暮れまで自由時間だ。
校内の雰囲気はまさに祭り。賑わっている。
「あ、ありがとう」
会うなり差し出されたりんご飴を受け取ると、「りんご飴見たら、なんか日野にあげたくなったんだよね」といつもの調子で九条くんが笑った。
もらう時、わずかに指先が触れ、ドキリとする。
離れていく彼の手を見送りながら、昼間の出来事がよみがえる。
九条くんと新山さんがいた中庭から、猛ダッシュで行きついたのは屋上だった。眩しい日差しは暑いくらいで、でも、かまうことなくベンチに座った。
やっと呼吸は落ち着いてきたが、胸の中はざわざわと揺れたままだった。
九条くんの手を掴んで、何か言いかけていた新山さん。空気とか内容的にあれってつまり、「……告白?」
自分で声に出しておいて、頭を棒で殴られたような衝撃を受けた。最後まで聞いたわけではないから、実際はわからない。けど、たぶん、絶対そうに違いない。
(でも、どうして俺はこんなにショックを受けているんだろう。逃げ出したりして……)
前に、九条くんと可愛い女子が並んでいるところを勝手に想像してしまった時は、胸がモヤモヤする程度だったのに。
今回は生身の人間だったせいか、痛みすら感じた。
その理由を知りたくて、何度も自分の胸に手を当ててて聞いてみたが、答えは出ない。
深いため息をついたあと、ふと、九条くんの顔が浮かんだ。困っていたし、傷ついていたように見えた。
(園芸部と、俺のことも話してたな)
日野は関係ないと、庇ってくれたのは正直嬉しかったけれど。
臨時園芸部員をするために、顧問の先生と部員にわざわざ許可をもらい、バスケ部に出る時間を削って。俺の前では何でもないように振舞っていてくれたのだ。きっと、大変だったはずだ。
なのに、俺はそんなことにも気づけないまま、いや。ちゃんと気づいていたのに、九条くんの誠実さに甘えていたのだ。
(俺、最悪なやつだ……)
中庭でのことがなかったら、俺は彼に甘え続けていたかもしれない。現に、手首の調子は回復してきているのに、臨時部員終了の提案をできないでいたのだから。九条くんの積み重ねてきた努力や周りからの信頼を、無駄にするところだった。
「……大切なのに」
ぽろりと零れた言葉に、はっとする。……たいせつ? 九条くんのことが? 確かに今、自分の口はそう言ったのだ。
自覚した途端に、ぶわわ、と顔に熱が昇った。心臓は忙しなく鼓動している。「九条くん」と心の中で呟くだけで、彼の笑った顔とか優しい声とか思い出すだけで、きゅうっと胸の中が甘く絞られた。
「あ、お、おれ……」信じられない気持ちで、ペタペタと熱い頬を確認する。
「俺、九条くんのことが好き?」
それも、友達としてじゃなく、恋愛的な意味でだ。
だから、女子が彼と並ぶと心が軋むし、告白なんてされた日には息もまともにできない気さえしたのだ。やっと手にした答えは、探していたパズルのパーツが見つかった時のように、しっくりと馴染んだ。けれど、自分が秘めていた独占欲と嫉妬に唖然とする。
「う、ううー」
俺はベンチに座ったまま、膝を抱えて丸くなった。
(これ、どう考えても、九条くんにばれたらダメなやつだよね……)
しばらく考えて、やっと熱が落ち着いた顔を上げた。
初めて恋を知ったというのに、俺を掻き立てるのは高揚感なんかではなく、罪悪感だった。
俺の怪我のことが無ければ、九条くんは園芸部に入部しなかっただろうし、新山さんが彼を責めることもなかっただろう。九条くんが昔の俺みたいに、感情が抜けおちたような顔をすることはなかったのだ。
俺は両親からかけられる期待に耐えられなくなって逃げたただの意気地なしだけど、九条くんにはいろんな人に好かれるバスケ部のエースだ。
彼が人知れず、誰もいない早朝からトレーニングをし努力しているのを知っているから、何かを諦めたりして欲しくない。
それに、もし万が一、俺の気持ちを知られでもしたら、友達という奇跡みたいな関係さえ危うくなる。どう転んでも、今までみたいに俺に構ってくれていては、彼の為に良くない。
ぐるぐると考えた末に、俺が九条くんのためにできることは一つだという考えに至ったのだった。
キャンプファイヤーの炎が、揺れているのが見える。
大きな火を中心に、みんな思い思いの場所でそれを見守っていた。
俺はというと、グラウンドの端、火から離れたバスケットゴールの下に九条くんと並んで座っている。九条くんがくれたりんご飴は、とっても甘く、時々すごく酸っぱい。まるで、自覚したばかりの初恋の味みたいだと思った。
「日野。口、切らないように気をつけて食べて」
「うん」
隣でくつろいでいる九条くんは、いつも通り優しい。りんご飴の飴の部分みたいだ。
シャリシャリと咀嚼していたら、「なぁ、ひと口もらっていい?」と切れ長の瞳が覗き込んできた。
「でも、食べかけ……」
言ってる途中なのに、大きな手が俺の手ごと掴んで、りんご飴を引き寄せた。
「平気平気。気にしない」
形の良い唇が近づいて、かぷりと潔くかぶりつく。伏せ気味になった睫毛が思いのほか長くて艶やかで、つい見入ってしまう。性格も容姿も、こんなに完璧な人がいるんだろうか。なんともない仕草なのに、
(九条くん、かっこいいな)
出会った時から容姿端麗なのはわかっていたけど。恋を自覚した今、特別フィルターが掛かったみたいに胸を締めつける。
「んー。りんご酸っぱいね」
ぺろりと唇を舐めた九条くんが、眉尻を下げる。よほどだったのか、顔をくしゃくしゃにした彼が「あーあ」とつまらなそうに嘆いた。
「日野が作ってくれた甘夏の蜂蜜漬けが恋しいなあ」
拗ねたように言って、いつものように、ふわりと笑いかけてくる。
自慢の一品を恋しく思ってもらえるなんて嬉しい。つられて笑顔になり、「そんなのいつでも」と言いかけて慌ててやめた。
笑ってる場合じゃない。他に言わなければいけないことがあるのだ。
何かを言いかけて固まってしまった俺を見て、九条くんが「日野?」と首を傾げる。優しい呼び方に、気持ちが揺らぐ。
ああもう、やっぱりだめだ。このまま側にいたら、きっとありえないことを口走ってしまう。
俺はりんご飴の棒の所をぎゅっと握りしめて、九条くんのほうへと向き直った。
「九条くん。急にこんなこと言うの、申し訳ないんだけど聞いてくれる?」
「改まってどうした?」
俺が緊張しているのを感じたのか、九条くんがわずかに背筋を伸ばすのがわかった。無意識でも、優しい人なのだ。そんな彼を傷つけるかもしれない。でも……。
できるだけ自然に、声が震えてしまわないように。俺は静かに告げた。
「もう、園芸部には来なくていいよ」
言葉を発した瞬間、裂かれるように胸がズキンと痛んだ。九条くんは、見たことないくらい目を丸くしている。
「え? でも手首がまだ……」
「治った。治ったから、もう平気なんだ」
短く早口に言って、俺はすくと立ち上がった。
「ごめんね」
言い終わるより先に、走り出していた。言い逃げなんて卑怯なのはわかっている。でもこれ以上、彼と顔を合わせていられない。
「日野?!」
九条くんの大きな声が背中に届く。振り返ったら、決心が揺らいでしまう。そんなのはダメだ。
俺は靴箱まで来て、ようやく走るスピードを緩めた。途端に熱い涙が頬をつたって、一粒、二粒と雫が次から次に落ちていく。
(これでよかったんだ……)
九条くんを解放して離れること。それが俺ができるただ一つのことなのだ。
俺はともすれば立ち止まりそうになる足を懸命に動かし、教室へ向かった。
