重なる指先、恋の温度。

 球技大会当日の朝。
 梅雨入りしたとはいえ、そんなことを感じさせないくらいの快晴だ。
 俺はいつも通り温室の咲き終わった花を摘んで、園芸部日誌に記録する。と、九条くんが温室に入って来た。
「日野、終わった? こっちは完璧」
「うん、ありがとう。俺も終わり」
 こんなやり取りが普通になってきた近頃。俺の手首は包帯が外れて、簡単なサポーターだけになった。
 ホームルームの時間にはグラウンドで開会式がある。その前にジャージに着替えたり、救護係の俺は保健室から救急セットを運ぶ仕事がある。いつもならまったりするところだが、今日はのんびりしていられない。
「じゃあ、行こうか」
 俺は先立って温室から出ようとしたのだが、「待って、日野」と、九条くんに引き留められた。
 何かと思って振り向くと、さらりとした髪を揺らして俺を見る彼の耳が、ほのかに赤く染まっている。
「どうかした?」
 きょと、として聞いた俺をしばらく見おろし、九条くんは決まりが悪いように後ろ頭を掻いている。それから思い切ったように口を開いた。
「あのさ。今日、俺のこと応援しに来てくれない?」
「うん、いいよ。救護係の担当時間は抜けられないけど、それ以外は大丈夫だから行くね」
 あっさりと答えた俺を前に、九条くんが意外みたいな顔をする。
「いいの?」
「うん、もちろん」
 頼まれなくても、そうするつもりだった。バスケは球技大会の花形競技だし。彼がプレーをしているところを、実はちゃんと見たことが無かったから。それに、臨時とはいえ彼は園芸部の部員なのだ。バスケ部もチームなら、園芸部もチームだ。応援しに行かないという選択肢は最初からなかった。
「やった、約束ね」
 九条くんが、ぱあっと表情を明るくする。そんなことで喜んでもらえるなら、友達冥利に尽きるというものだ。
「でも、俺の声が九条くんに届くか自信ないかも」
 合同練習の時もそうだったが、とにかく黄色い声援がすごかったのを思い出した。そこに紛れている自分が一ミリも想像できない。申し訳なくてしゅんと肩を落とすと、「やっぱり日野って真面目すぎ」と笑われてしまった。
「無理に声出す必要なんてないよ。日野が見てくれてるって思うだけで、やる気出るから」
「そうなの?」
「そうそう」
 にっと白い歯をのぞかせて、九条くんがいたずらっぽく笑う。
 俺はそんなものなのかなと不思議に思ったが、九条くんが言うならそうなんだろう。それに、やる気が出るなんて言われたら、嬉しくなってしまう。友達として、同じ園芸部員として、それに……。
(それになんだ??)
 顔を出しかけたその続きが何だったのか自分でもわからなくて、小さく首を傾げる。
「日野?」
 睫毛を瞬かせる俺の顔を「どうかした?」と、九条くんが覗く。
「うんん、何でもない」
 答えを見つけられないまま、応援に行くからともう一度約束して九条くんと別れた。



 体育館に向かっていると、後ろから来た女子のグループ数組に追い抜かれた。
「決勝、始まっちゃうよ! はやく行こ!」
「九条君と八尋(やひろ)君のチームだって。どっちも眼福じゃん」
 みんな嬉々として、戯れるように小走りで駆けていく。
 俺は救護テントにいたのだが、思いのほか負傷者が多くて、担当だった時間を押して大幅にオーバーしてしまったのだ。
 先に行ってしまった女子たちにつられて、自然と速足になってしまう。
 競技はトーナメント式で行われ、どうやら九条くんのチームは順当に勝ち進んだみたいだ。
 体育館に入った時、ちょうどホイッスルの音が鳴った。続いて黄色い歓声が巻き起こる。決勝は九条くんのいるチームと、さっき女子たちが話していた八尋君のチームだ。
「八尋君って、九条君と二人でバスケ部のダブルエースでしょ? イケメン同士でライバルってやばいよねぇ」
 ほとんど女子で構成された人垣をなんとかかき分けて、どうにかコートが見える位置に着くと、隣の女子たちがきゃいきゃいと楽しそうに会話に花を咲かせていた。
 試合は始まったばかり。球技大会では、どの種目もひとチームにその種目に該当する部活動生は二人までというルールがある。にもかかわらず、状況は白熱していた。
 どちらのチームも、バスケ部ではない生徒も積極的にシュートを打って点数を重ねている。ただ違うのは、九条くんと八尋君が加点した時だけ、異様な盛り上がをみせることだった。
「どっちもやばくない?!」
「あたしは九条君派かも~。爽やか王子感がメロすぎ」
「えぇー、わたしは八尋君だな。クールな騎士ってあんな感じじゃん」
 よく例えたものだと感心する。確かに、イメージとしてはぴったりだ。八尋君は俺の隣のクラス、二組だ。廊下で何度かすれ違った覚えがあるが、バスケ部だったなんて知らなかった。理系でスポーツもできるなんてすごい。
 でも、クラスメイトの女子たちの噂話では、八尋君の話は出てきたことが無かったなと思う。同じ理系の同族嫌悪ってやつか、もしくはうちの女子たちは『九条派』なのか。
 そんなことを考えていると、体育館中に悲鳴にも近い黄色い声が響いた。
 見れば九条くんがスリーポイントシュートを鮮やかに決めたところだった。大きくガッツポーズをし、チームメイトと軽くタッチしていく。そして、視線を彷徨わせたかと思うと……、俺と目が合った。
 試合を見に行く、と約束したのだ。当たり前と言えばそうなのだが、瞬間、俺の心臓がトクンと跳ねた。
 俺を認識したらしい九条くんの口が動く。
「ひの」と、くちパクで言って、にっと口角を上げた彼が胸の前で小さくガッツポーズを作った。たぶん、俺にだけわかるように。
 途端に、ぽぽぽ、と火が付いたみたいに頬が熱くなった。
 九条くんはあっという間にコートの半分を駆けて、今度は守備にまわっている。
 一瞬の出来事だった。けれど、感じた火照りは熾火のようにずっと熱を持ち続け、頭の中まで煮えてしまいそうだと思った。

 試合時間残り一分半。同点。
 次にどちらのチームがシュートを決めるかで、勝負が決まる。それを知ってか知らずか、黄色い声援も息をひそめ、みんな真剣に行く末を見守っている。
 俺もいつの間にか両手の拳を握りしめて、必死に心の中で九条くんを応援していた。
 惜しいことに、九条くんが放ったシュートが、ゴールリングに弾かれてしまった。次にボールを掴んだのは八尋君だった。そこに、立ちはだかるように詰めた九条くんが、プレッシャーをかける。バスケ部のダブルエースの対決に、俺を含めみんな息を呑んだ。
 残り時間、あと三十秒。
 八尋君が一瞬の隙をついて、九条くんの後ろ側に体を切り込みシュートを放った。ボールが、吸い込まれるようにリングに沈む。
 ゴール下の攻防は、八尋君の勝ちだった。試合終了のホイッスルとともに、落胆のため息と黄色い声援が入り混じる。
 負けた九条くんのチームは、お互いに肩を抱いたり、軽くハグして健闘をたたえ合っている。
 俺はというと、手首を怪我しているのも忘れて拍手していた。九条くんのチームが負けたのは悔しいけど、良い試合だったと思う。
 九条くんに、良かったよと伝えたい。労いの言葉もかけてあげたい。俺は突き動かされるみたいに、彼を探していた。
(九条くんは……)
 しかし、彼の姿が見当たらない。さっきまで、コートの中でチームメイトやクラスの子たちに囲まれていたはずなのに。
 きょろきょろと見回すと、体育館の出入り口の向こうに消えていく、周りより頭一つ分以上飛び出た後ろ頭を見つけた。
 俺は、人の波を潜り抜けて九条くんの後を追いかけた。


「陽介だったら、勝ててたはずよ」
 そんな声が聞こえてきたのは、体育館からずいぶん離れた中庭だった。緑の葉が茂る木々、ビオトープやベンチなんかもある。
 ほかの種目の試合は途中だ。生徒は出払っているため、校舎に挟まれていても、ここは静まり返っていた。
 九条くんの消えた方に来てみたら、女子と二人で中庭にいるのを見つけた。
 学校名がプリントされたジャージを羽織っている。時々、九条くんがバスケ部に出る前に着ているものと一緒のデザインだ。もしかして、バスケ部のマネージャーの子?
 俺は咄嗟に足を止め、渡り廊下の隅に身を隠した。
「勝ちも大切だけど、俺はクラスのやつらとバスケができて楽しかったからそれでいいと思ってる。俺と八尋の対決も、みんながバスケに関心を持ってくれるきっかけになればいいだけ」
 九条くんの落ち着いた声が聞こえる。球技大会の意義を考えれば最もな言い分だ。淡々とした聞き慣れない話し方に、俺は勝手にハラハラする。が、女子は気にする様子はない。
「だって陽介、練習でも今まで八尋君に負けたことなんて無かったじゃん」
「それはたまたま運が良かっただけだよ。八尋の実力なら、いつ負けてもおかしくなかった」
「でも球技大会だって、れっきとした試合よ。みんな見てるなかで、エースの陽介の顔に泥を塗ったのも同じ」
 気持ちが高ぶっているためか、女子の声が震えている。そんな彼女が、絞り出すように言った。
「一番じゃなきゃ、意味がないじゃない」
 短い言葉の羅列。しかし、胸に刺さるような鋭利さをもって、低く耳に届いた。
 俺の知っている九条くんは、努力を惜しまない人だ。知っていたら、きっとそんなこと言えないはず。俺は沸々とした怒りを感じ、思わず唇を嚙み締めた。
 無言でいる九条くんのことが心配だ。勇気を出して渡り廊下の隅から(うかが)った彼の顔には……、何の感情も映し出されてはいなかった。
 ドクドクと心臓が嫌な音を立て始める。以前、今の九条くんと同じ、能面のような顔を見たことがあった。
『どうして一位を取れなかったの?』
『俺たちの息子なら、常に成績はトップでいなさい』
 優秀だけど、俺を俺として見てくれない両親。そんな彼らの声が聞こえた気がして、俺は両手で耳を押さえ頭を抱えた。
 見覚えがあったのは、九条くんの無機質にも思える表情に、当時の自分が重なったからだった。だとしたら、彼女の言葉に少なからず傷ついたはずだ。
 助けないと。
 顔を上げ、二人がいる中庭へ飛び出そうと拳に力を込めた。しかし、それより一足早く九条くんが口を開いた。
新山(にいやま)が心配してくれるのはありがたいけど、俺は正直、負けて楽になったんだ」
 表情は見えないけれど、はっきりと通る声はいつもの彼のもので少し安心する。
「結果は結果。頑張ってもどうにもならないこともある。大事なのは、結果にたどり着くまでの経過だって最近気づいたんだよね」
 ふっと彼が微笑んだ気配がする。笑えるなら、俺が出る幕はないかと胸をなでおろした時だった。
「……のせいじゃないの?」
 新山さんと呼ばれた彼女が、ぼそりと呟いた。九条くんもよく聞こえなかったのか、「なに?」と聞き返している。
「園芸部に入り浸ってるせいじゃない?」
 今度は確かに聞こえた。ずっと感じていた罪悪感みたいな後ろめたさが炙り出された気がした。九条くんは……、流石に困惑した顔をしている。
「放課後も遅れて練習に来るし、スランプの原因はそれなんじゃないの?」
「それはちゃんと説明したよ? 先生にも部の皆にも話しはしてある。新山もマネージャーなんだから知ってるでしょ」
 スランプとは関係ない、と言い切った九条くんに、新山さんが詰め寄っていく。と、何を思ったのか、九条くんのジャージの裾を遠慮がちに掴んで自分の方に引っ張った。距離が、近い。
「なにすんの?」
 九条くんが裾を引き戻し、新山さんの手が外れる。それが心外だったのか、彼女の顔がわかりやすく曇った。
「園芸部の彼、もう怪我は治ってる頃でしょ? 私、本当に心配してるんだから。陽介が今度の試合でレギュラー外されたら……」
「新山? 日野とは関係ないことだよ」
 突然、俺の名前が飛び出して息をのんだ。窘めるように言った九条くんを、新山さんがキッと見上げた。強い視線には見たことがある熱がこもっていた。
「マネージャーとしてじゃなくて、私……っ」
 言い淀んだ新山さんが、九条くんの手を掴んだ。
 俺の心臓が早鐘を打つ。これ以上見てはいけない、と警告しているようにも感じた。
 次の瞬間。俺は逃げ出すように、その場から駆け出していた。