重なる指先、恋の温度。

 九条くんの園芸部入部は、入部届けの提出で本当に成立した。俺の怪我が完治するまでの期間限だけど、ちゃんと活動するためにという、九条くんの提案だ。誠実な彼らしい。
 そんな九条くんは、連絡もマメだ。
 連絡先を交換してからというもの、部活の業務連絡はもちろんのこと、学校が休みの日もメッセージを送ってくれる。
 最近で言えば、『やばいのできた』という一文とともに、手作りらしき大盛オムライスの写真が送られてきて、俺はスマートフォン越しに目を丸くした。
 友達付き合いに縁が無かった俺は、最初はどう返信したらいいか、何を送るべきなのかなんてわからなかった。
 悩んだ挙句、思いきって正直に打ち明けたら、『日野の好きなものとか、日野のことで』と言われたのだった。

『今日の朝練、長引きそう。終わったらすぐ行く』
 早朝。九条くんからのメッセージが届いた。
 ほとんど毎日、朝練があるバスケ部は大変そうだ。『了解です』と返して俺は家を出た。
 温室は今、花ざかりだ。
 終わってしぼんでしまった花を摘んでいると、「ごめん、遅れたー!」と九条くんがやってきた。
 制服のネクタイは外したままで、襟足の髪が少し濡れている。朝練が終わって急いで来てくれたのだろう。
「朝練お疲れさま。少し休んで」
「んー、大丈夫。俺、外の花壇に水やりしてくるね」
 俺が椅子に座るよう勧めたが、シャツの袖を折り曲げながら、外に出て行ってしまった。
 臨時入部以来、重いものや水や土を扱う作業は、九条くんが率先してやってくれている。おかげで手首が痛むことも無く、経過は順調。彼には感謝してもしきれないと思っている。
「終わったよ」
 水やりを済ませた九条くんが温室に戻って来た。二人で椅子に腰かけると、静けさの中に不思議な心地良さが広がった。
 俺はぼんやり温室内を眺めて。九条くんは、十日前にまいた向日葵の種が発芽したのを見て、「かわいいなぁ~」なんて言いながら寛いでいる。
 あとは日誌を書いて朝の活動は終わりだ。朝礼が始まるまで、まだ時間はある。
「あのこれ……」
 臨時部員のお礼をしたい考えていた俺は、密かに準備したものがあって。鞄から小瓶をそろそろと取り出し、テーブルに置いた。
 艶やかな琥珀色の液体の中に、淡い黄色の果実がぎっしり詰まっている。
「うちの庭で採れた甘夏(あまなつ)蜜柑の蜂蜜漬け、……食べない?」
 もしよかったらだけど、と遠慮がちに付け加えて俺は九条くんを見た。
 九条くんは少し驚いたような顔をしたけれど、「えっ、なにっ、いいの?」とキラキラと瞳を輝かせている。
「甘夏には疲労回復効果があるんだ。バスケ部忙しそうだし、ちょうどいいかなって。週末に作ったばかりだから、良い感じに漬かってると思う」
 九条くんが興味を示してくれたのが嬉しくて、つい、まくし立てるように言葉が出て来る。
 しかし、きょとんとなってしまった彼を前に(やってしまった)と、気持ちがめげてきた。手作りなんて、引かれただろうか。
「ごめん……」
 思わず謝ると、少し食い気味に九条くんが「え、待って。これ日野の手作り?」と、目を見開いた。どうやら驚いたところはそこだったらしい。
「九条くんが、俺の好きなものなら何でもいいって言ってくれたから」
「もしかして、メッセージの返信のこと言ってる?」
「そう。写真撮って送ろうと思ったけど、日頃のお礼も込めて味も知って欲しくて。その、嫌じゃなかったらだけど……」
 おそるおそる言うと、九条くんが少しいたずらな笑みを(こぼ)した。
「日野、真面目すぎ。でも嬉しい」
 向けられた視線は、蜂蜜漬けみたいに、どこか甘さを含んでいて優しい。
「日野も一緒に食べよう」
 蓋を開けると、甘い蜂蜜の香りと爽やかな柑橘の香りが広がった。
 持参したピックで刺した甘夏の実を、九条くんが思い切りよく口に入れる。
「ん……、あま、すっぱ美味っ! もうひとついい?」
「うん、もちろん」
 蜂蜜をまとった甘夏が、ひょいひょいと九条くんの口に運ばれていく。
「やば、止まんないかも」
「九条くんのために作ってきたやつだから、全部あげる」
「ほんと?」
「うん」
 九条くんがあまりにも嬉しそうに言うものだから、俺までにっこりと笑顔になってしまう。俺の好きなものをこうして誰かに食べてもらうのは、じいちゃんをのぞいて九条くんが初めてだ。その誰かが、彼でよかったと思った。
「なんか、体が軽くなった気がする」
 中身が半分ほどになった小瓶の蓋を閉めながら、九条くんが満足そうに言う。
「そんなにすぐ?」
 九条くんと顔を見合わせ、どちらからともなく笑い合った。じんわりと胸の奥が温かくなる。
 ひとしきり笑ったあと、九条くんが少しうつむきがちに、静かに言った。
「中間テスト明けに試合があるんだけど、ちょっと調子悪くてさ。でも、これ食べたら、いける気がしてきた」
 日野のおかげ、と爽やかな笑顔が浮かぶ。
「最近、忙しそうだったのはそのせいで?」
「そう。たぶんスランプってやつ。フォームとか色々、改善できそうなことは全部試してるところ」
「そっか……」
 スランプと言えば、俺も中学受験のとき経験した。
 わけもなく勉強に身が入らなくなって、テストで悪い点を取って両親に散々お小言をもらった。
 珍しく元気がないように見える九条くんを、俺は真っすぐに見た。
「九条くんは努力の人だね。スランプだからって諦めるわけでもなく、今できることを一生懸命にしてる。誰にでもできることじゃないと思うよ」
 真剣に言い切ると、黙って耳を傾けていた九条くんが、口角を緩やかに上げた。
「努力の人なんて初めて言われた。けど、エースとか言われてるのに、かっこ悪いよな」
「どうして? 努力も才能だと俺は思うけど。九条くんがエースなのは、当然の結果だよ」
 ばつが悪そうに肩をすくめた九条くんに、俺はムキになってしまう。勝手かもしれないけど、彼には今までの頑張りを大切にしてほしいと思ったのだ。
 九条くんの綺麗な切れ長の瞳が見開かれ、瞬きもせず俺に向けられる。
 静かな温室に、二人の呼吸の音だけが響く。
「っだぁーーー」
 突然、九条くんが悶えるように机に突っ伏した。俺の肩がびくりと跳ねる。
「はぁ、どうしてかなー。なんか、日野には色々聞いてほしい、ってなるんだよー」
 頭をわしゃわしゃと搔いて、それから重ねた腕にちょこんと顎を乗せ、困ったようにく見上げてくる。
「日野って、俺のパワースポットすぎる」
「へ、えぇ?」
 俺の言葉にならない返事に、九条くんが吹きだす。
「変なこと言ってる自覚はあるけど、ほんとだから」
 静かだった温室に、二人分の笑い声が広がる。たくさん笑った後、九条くんが屈託なく微笑んだ。
「日野に話せて良かった」
 その笑顔は朝の陽ざしより優しくて、俺の胸の中をぎゅっと掴んだ。だぶん、今までに感じたことがないくらい、強く。
 九条くんはなぜ俺を相手に、楽しそうにしてくれるんだろう。園芸部の俺でも、理系クラスの俺でも、陰キャな俺でもない。ただ、日野一葵として見てくれている気がして、ほわりと心に火が灯る。
「……うん」
 小さく返事をしたら、九条くんの笑みがさらに深くなった。



「ねぇ、日野君って七組の九条くんと仲良いの?」
 ひそひそ声で話しかけてきたのは、クラスメイトの河原さんだった。
 二週間後に開催される球技大会の合同練習中。手首を負傷して自動的に救護係になった俺は、保健委員の彼女とテントの下で運動場を眺めていた。
「仲が良いっていうか……」
 九条くんとは友達だが、仲が良いかどうかはクラスメイトと話すのも久しぶりな俺の物差しでは測りきれない。
 どう答えるべきか言い淀んでいると、河原さんが興味津々といった様子で身を乗り出してきた。
「最近、二人でよく一緒にいるの見かけるって噂なんだけど」
「噂?!」
 そんなことはまったく知らなかった。俺はただ、九条くんと部活動をしているだけなのだ。噂になるほど、彼の人気はすごいのだろうかと思案する。
「私、バスケ部のマネージャーと友達なんだけど。けっこうみんな話してるよ。ねー、どうやって仲良くなったの?」
 小柄な体格の河原さんだが、なんとなく言葉に圧力を感じる。さっきから熱心に話を聞きだそうとするのは、どうしたら彼に近づける方法を知りたかったのだろう。これはきっと、彼女が納得するまで解放されないやつだ。
 俺はしぶしぶ、九条くんが園芸部の臨時部員になった経緯を話した。
「……へぇ。怪我をさせたその責任で、ねぇ……」
 ふーん、と俺の包帯を巻いた手首を穴が開きそうなくらい見てくる。
「でもそれって、九条君が悪いわけじゃないじゃん」
 むうっとピンク色のつやつやな唇を尖らせる。さすが理系女子、冷静な指摘だ。けれど、不機嫌の原因はそこじゃなかったらしい。
「九条君、誰にでも優しいし友達多いけど、今まで特定の誰かと一緒にいることなかったんだよね。それが男子でも、女子でも」
 やけに深刻そうな顔をして話す彼女に、まじまじと視線を送られて生きた心地がしない。
「そ、そうなんだ」
「まぁ、日野君なら大丈夫だと思うけど」
 何が大丈夫なの? と聞きそうになって、俺はすぐに口をつぐんだ。答えはなんとなく見当がつく。俺は男だし、存在感が薄い地味な園芸部だからだ。あの日、俺が脚立に上がって作業していなければ、だぶん九条くんとは関わることなく卒業していただろう。わかっている。
「怪我、早く治してね」
 すっかり興味を無くしたように、河原さんが運動場へと視線を戻した。
 感情を感じられない声が、ご明察だと言っているように感じる。
 ツン、とした表情で言い捨てた彼女だったが、急に「あっ」と声を出して瞳を輝かせた。ほとんど同じタイミングで、バスケットコートの方で悲鳴にも似た黄色い声が弾ける。
 理由はただ一つ。九条くんがゴールを決めたのだ。練習試合なのに、本番さながらに盛り上がっている。
 隣の河原さんはと言えば、両手で口を押さえてひたすらに熱い視線を向けている。
 頬をうっすらと、赤く染めて。
 瞬間、俺の胸の中に、なにかモヤモヤとしたものが湧き出してきた。咄嗟に胸に手を当ててみる。けど、理由が思い当たらない。
 首を傾げていると、また歓声が起きた。九条くんが、女子たちにもハイタッチをしている。どの子もキラキラした表情で九条くんと手を合わせて、終わると飛び跳ねたり隣の生徒と幸せそうにきゃあきゃあ騒いでいる。
 そんな光景を見れば見るほど、もやもやは広がり、俺は思わず息を詰めた。
 九条くんそばに俺がいるのは、端からみれば変なのかも?
 彼といても違和感が無いのは、キラキラしたかわいい女の子……?
 いや、普通はそうなのだ。河原さんが、俺なら大丈夫だと言った理由が妙に腹落ちして、胸が重く痛んだ。
 ぐるぐる考えを巡らせていると、何処からともなく視線を感じて俺は瞳を彷徨わせた。
「……九条くん」
 視線の主は彼だった。救護テントからバスケットコートまで、およそ百メートルはある。飛び交うボールや競技中の生徒たちの間を縫って、俺だけに向けられた優しい眼差し。目が合った瞬間、バチンと音がしたかと思うくらい、真っ直ぐだった。
 にっこりといつもの調子で九条くんが微笑む。気のせいかと思ったけど、確かに彼は俺を見ていた。
 ただ目が合っただけなのに、俺の心臓は一気に鼓動を速める。
「なに、これ?」
 思わず視線を落として胸に手を当ててみると、苦しいほどに脈打っているのを感じた。顔が熱い。
 九条くんのいる方に視線を戻したら、彼はまたクラスメイトにもみくちゃにされている。
 俺はしばらく、このわけのわからない症状を持て余していた。


『ごめん、放課後行けそうにない』
 九条くんからメッセージが来たのは、放課後、温室の植物たちの世話をしていた時だった。
「大丈夫だよ。バスケ部のほう、頑張ってね」
『うん。マジでごめん』
 しゅんと耳を垂らしたウサギのスタンプが送られてきたのを見て、口元を緩めてしまう。
 手首の捻挫も、ほとんど痛まなくなってきているし、試合も控えているのだから、バスケ部の方を優先して欲しいと思っていたところだった。
 近いうちに伝えなくては。
 などと考えていいたら、鞄にしまったばかりのスマートフォンがまた震えた。長く振動するので不思議に思って取り出すと、メッセージではなく電話だ。しかも九条くんから。
 滅多に通話なんてしないから、うっかりしていた。俺は慌てて受話ボタンをタッチした。
「もしもし、九条くん?」
『あ、ごめん日野。メッセージでもいいとは思ったんだけど、直接話したくて。いま、電話いい?』
 九条くんの声は電話でもよく通って聞こえる。そういえば、連絡先を交換して以来、初めての通話だ。顔が見えないせいか、なんだか緊張する。
「う、うん。平気。どうしたの?」
 声が浮ついて裏返りそうになり、少し早口になってしまった。
『あのさ』
 九条くんが改まった様子で話しを切り出す。
『球技大会の後夜祭だけど、俺と一緒に回らない?』
 なにかと思えば、意外なお誘い。俺はしばし、思考停止した。
 後夜祭と言えば、大イベントだ。本編の球技大会より、ある意味盛り上がる。各競技の表彰式、実行委員が制作したスライド上映、有志によるパフォーマンス、教員による軽食の出店など。今年はキャンプファイヤーもある。
 というのは正式な表のイベントで、実は後夜祭を好きな人と一緒に過ごすと恋人になる、というジンクス的な裏イベントがあるらしい。実際、昨年も何組かカップルが誕生した。……という話をクラスの女子がしているのを聞いた。
 俺には関係のない話だと高をくくっていたのだけれど。
『日野? 日野、聞こえてる?』
 電話越しに九条くんが呼ぶ声にはっと我に返り、「う、うん。うん、聞こえてるよ」と今度は声が裏返ってしまった。
『もしかして、他の人と回る予定だった?』
 どことなく残念そうな九条くんの声に、「あ、いや」と慌てて答えた。
「誰とも予定なんてないよ」
『お、マジ? じゃあ、一緒に回ろうよ』
「うん」と返事をしたのはいいものの、河原さんとの会話を思い出した。
 九条くんが後夜祭のジンクスを知っているかはわからないが、きっと彼を狙っている女子、あるいは男子たちは多いはず。一緒にいるだけで噂になるくらいだ。戦力外通告をうけたのも同然の俺はともかく、当の九条くんにどう影響するかわからない。それに、優しい彼のことだから、怪我をした俺を気遣って誘てくれているという可能性も無きにしもあらずだ。
 確かめておかなければ。
「……でも、九条くんは俺でいいの?」
 思い切って聞いてみると、スマートフォンから、ふっ、と微笑んだような息づかいが聞こえた。
『あったりまえ! 俺は日野と回りたいから誘ってる。決まりでいい?』
 いつもの調子の明るい九条くんの声。俺の懸念も、昼間のモヤモヤも。全部吹き飛んでしまうような彼の笑顔が見えた気がした。
「うん、もちろん。じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」
『ふはっ、また敬語になってる』
 今度は、息づかいだけではなく、はっきり笑う声が聞こえる。
『また明日。朝は絶対行くから』
「うん、明日」
 手短に答えると、通話が切れた。
 俺はスマートフォンを眺め、ふーっと息を吐きだした。
 (後夜祭、楽しみかも)
 昨年はクラスメイトの出し物の手伝いに駆り出され、裏方に奔走した記憶しか残っていない。
 九条くんとならたぶん、絶対、楽しめそうな気がする。
 そんなことを思いながら、生き生きと芽吹いた向日葵の双葉を眺め、温室を出た。