ふたりのフツウ


 「〜♪」

 湊はご機嫌に、少し音程のズレた鼻歌を歌いながら信号待ちをしていた。

 今日はゴールデンウィークの後半、5月5日。和哉とのデート――正確には恋人同士ではないので「二人きりでのお出かけ」の当日だ。

 湊と和哉の予定をすり合わせてこの日になったのだが、湊にとって今日は別の意味でも特別な日である。

 5月5日は湊の16歳の誕生日だ。
偶然とはいえ、最高の誕生日プレゼントである。和哉先輩と一日中一緒にいられる。これ以上の贈り物があるだろうか。

 子供の日なのは少し不服ではあるが、祝日に文句を言うのも無謀なことだ。
小学生の時はカレンダーに睨みを効かせていたこともある。「なんで俺の誕生日が子供の日なんだよ」と。

 だが今はもう大人だ、そんなことはしない。黒ペンで「子供の日」の文字を塗り潰せば気にならない――今年もしっかり塗り潰してきた。

 今日は母から誕生日プレゼントとして現金5000円を贈呈された。湊が中学に上がってから母は毎年、現金派だ。「好きなものを買いなさい」と言って封筒に入れて渡してくれる。

 この5000円があれば、「ここ俺が奢るよ」ができる。とても彼氏らしい。絶対する。カフェ代くらいは出せるだろう。いや、昼食も奢れるかもしれない。先輩に格好いいところを見せるチャンスだ。
 そんなことを考えていると、信号が赤から青に変わる。

(先輩の私服、楽しみだな〜)

 制服姿の和哉先輩も素敵だが、私服はまだ見たことがない。どんな服を着てくるのだろう。想像するだけで胸が高鳴る。

 湊は少し音程のズレた鼻歌を歌いながら、待ち合わせの駅前に向かった。横断歩道を渡る足取りは、自然と軽くなっていた。

*****

 駅前の広場には、すでに多くの人が行き交っていた。ゴールデンウィークの真っ只中とあって、家族連れやカップル、友人同士のグループなど、様々な人々で賑わっている。

 湊は待ち合わせ場所の時計台の前に立った。スマホで時刻を確認する。約束の時間まであと5分。少し早く着きすぎたかもしれない。
 深呼吸をする。緊張で手のひらが汗ばんでいた。ズボンのポケットに手を入れて、何度も拭う。

(落ち着け、落ち着け)

 自分に言い聞かせる。
今日は完璧にエスコートするんだ。事前に下見もした。プランは完璧だ。映画を見て、美術館に行って、カフェでお茶をする。

 ポケットの中のスマホが震えた。メッセージだ。

『今、着いた。どこ?』

 和哉先輩からだ。心臓の鼓動が速くなる。

『時計台の前にいます』

 返信を送って、周囲を見渡す。人混みの中から、見覚えのある姿を探す。

そして――見つけた。

「先輩!」

 手を振ると、和哉がこちらに気づいて歩いてくる。湊は息を呑んだ。

 和哉は白いシャツに、ベージュのチノパン。その上から深緑色の薄手のカーディガンを羽織っていた。シンプルだが、和哉の雰囲気にとても合っている。いつもの眼鏡に、少し癖のある黒髪。柔らかな春の日差しの中で、和哉はいつもより大人っぽく見えた。

「待った?」

「いえ、今来たとこです」

 嘘だ。10分前から待っていた。でもそんなこと言えるわけがない。

「そっか。じゃあ、行こうか」

 和哉が微笑む。
その笑顔に、湊の心臓は跳ねた。

(今日一日、頑張ろう)

 湊は決意を新たに、和哉の隣を歩き始めた。

*****

「えっと、まず映画からだったよね」

駅の構内を歩きながら、和哉が確認する。

「はい。10時半からの回を予約してます」

湊は胸を張って答えた。
事前にネットで予約しておいたのだ。これで当日慌てることもない。完璧だ。

映画館は駅直結のショッピングモール内にあった。
エスカレーターで上階へ向かう。

「湊は、この映画見たかったの?」

「それもありますけど、先輩が好きそうかなと思って」

「そうなんだ。ありがとう」

 和哉が嬉しそうに笑う。その笑顔を見られただけで、映画選びは成功だったと思えた。
映画館のカウンターに着くと、湊は予約番号を伝えた。

「10時半の回ですね。少々お待ちください」

 女性スタッフが端末を操作する。そして、困ったような表情になった。

「申し訳ございません。10時半の回は満席となっておりまして…」

「え? でも予約してます」

「ご予約は…こちらのシステムには登録がないようで」

 湊は慌ててスマホを取り出した。
予約完了のメールを探す。 

ーーない。

 確かに予約画面までは進んだはずだ。
でも、最後の「予約確定」ボタンを押したかどうか――。

「あの…当日券は?」

「本日はゴールデンウィーク中で大変混み合っておりまして、当日券も完売となっております」

 スタッフが申し訳なさそうに言う。

 湊は頭が真っ白になった。
完璧なプランの、最初の予定が崩れた。

「あの、夕方以降でしたら、まだ空きがございます」

「本当ですか?」

「はい。18時からの回でしたら、お席をご用意できます」

「じゃあ、それで」

 和哉が横から言った。

「え、でも――」

「いいよ。順番変えるだけだし」

 和哉は気にした様子もなく、笑っている。

 結局、18時からの回のチケットを購入した。予定が大きく狂ってしまった。
映画館を出ると、湊は肩を落とした。

「ごめんなさい、ちゃんと予約したつもりだったんですけど…」

「気にしないで。よくあることだよ」

和哉が優しく言う。でも、湊は自分の詰めの甘さに落ち込んでいた。

「じゃあ、次は美術館だね」

「はい…」

気を取り直して、二人は美術館へ向かった。

*****

美術館に着くと、入口に人だかりができていた。

「あれ?」

近づいてみると、入口に張り紙がしてある。

『ゴールデンウィーク期間中は混雑緩和のため、事前予約制とさせていただいております。当日のご入場はできません。ご了承ください』

「…嘘」

湊は呆然とした。下見の時は普通に入れたのに。まさか予約制になっているなんて。

「久我、大丈夫?」

和哉が心配そうに覗き込む。

「す、すみません。調べが足りなくて…」

「気にしないで。じゃあ、カフェに行く?」

「はい…」

二つ目の予定も崩れた。湊の心は焦りで一杯になっていた。

*****

カフェに着くと――。

『本日、臨時休業』

ドアに張られた紙を見て、湊は力が抜けた。

「…すみません」

「ううん、久我のせいじゃないよ」

和哉が優しく言う。でも、湊は自分の無力さに打ちのめされていた。完璧なプランだったはずなのに。下見までしたのに。全部、全部ダメだ。

「あのね、久我」

  和哉が湊の前に立った。

「ちょっと待ってて」

和哉はスマホを取り出して、何かを検索し始めた。
その間、湊はただ項垂れていた。

「あった」

「え?」

「この近くで、グルメフェスとフリマやってるって」

和哉がスマホの画面を見せる。
そこには、広場で開催されているイベントの情報が載っていた。

「少し歩くけど、行ってみない? 色々食べられるし、面白いものもあるかもしれない」

和哉が笑顔で言う。

「でも…」

「映画まで時間あるし。ちょうどいいよ」

  和哉は湊の返事を待たずに、歩き出した。

「あ、待ってください!」

 湊が慌てて追いかけようとした瞬間、和哉が振り返って――。 手を伸ばした。

「はい」

「え…?」

「人混みで離れたら大変だから」

 そう言って、和哉は湊の手を掴んだ。温かい。
 和哉の手は、思ったより大きくて、温かかった。

「行こう」

 和哉に引っ張られて、湊は歩き出す。繋がれた手から、和哉の体温が伝わってくる。
顔が熱い。心臓がうるさい。

(手、繋いでる…)

 現実感がなかった。夢なら覚めないでほしい。

「湊、大丈夫? 顔赤いけど」

「だ、大丈夫です!」

 湊は慌てて答えた。大丈夫なわけがない。
でも、これ以上心配されたくなかった。

二人は繋いだ手のまま、グルメフェスの会場へ向かった。